NEAR◆◇MISS - 第四章
-5- 灰色の記憶
 途端に、アイラは心が疼いた。
 父、ジョージ・ロングロードが襲われた現場の近くに居合わせた、色違いのブラッキー=ダッチェス。その特性はシンクロだ。被疑者と一戦まじえた彼女がシンクロの精度を磨けば、たとえ被疑者が群衆にひそんでいようと、波長を特定できるポテンシャルがある。波長の記憶が散逸してしまう前に、捜査の協力を取り付けなければ意味がない。ダッチェスの説得は、時間との勝負になりつつある。
 自分たち父娘が狙われた理由を、突き止めたい。
 
「父とはずっと、離れて暮らしたの」

 立派な国際警察官という父親像は、夫へ精神的に依存していた自分の母親の話を刷り込まれて育ったようなものだった。単身赴任であり、年に数回帰ってくると、母に聞かされていた通りの子煩悩で可愛がってくれた。豪快で大らかな人柄に似合わず、仕事に関しては守秘義務を徹底していた。 

「任務で大きな犯罪組織を壊滅させた後、しばらくその残党を追っていたらしいわ」

 声色のささいな変化を聞き取り、色違いのブラッキー=ダッチェスは姿勢にぴりと緊張感を持った。冷たい海水に少しずつ溺れてゆくかのように、アイラの口が重くなっていく。

「ある日、父に恨みを抱く残党が、私たち親子を襲った」

 物静かな声に、無表情を添えて。
 何年経とうと、その傷は癒えない。
 気が不確かになる。こわばりを和らげたくて、小さく息を吐く。  

「国際警察官の個人情報は、保護が厳重だったはずなのにね。私と姉は逃げて、母は重傷。命は……助かったのよ。でも犯人は捕まらなかった。見舞いにきた父に、母は異常な剣幕だったわ」

 死と隣り合わせの国際警察官である夫を案じる生活に疲弊して、精神を病んでいたのだ。母の心は限界を迎えていた。当時の子ども心には、夫婦間に生じた亀裂におびえるばかりだった。

「退院した後も、母はおかしかった。独り言で、父への恨み言を吐いてばっかり。私、聞いてて苦しくて。母をなだめようとして、逆上されて……」

 不慮の“事故”でアイラが入院したとの知らせを聞いて、ジョージ・ロングは仕事に穴を空けるのも辞さず見舞ってくれた。我が子を心配する父親の目先で、母親は不幸で哀れな女を演じていた。彼女の人生の最後の歯車が狂う瞬間を見てしまった気がした。
 彼女の奇行は日増しに過激になっていった。

「あの人に何をされているのか、父には言えなかった。父は私に、本当のことを言ってほしがっていたのに。あの人が私に嫉妬したのか、よく怪我をする娘を看病する良い母親になりたかったのか、父の気を引きたかっただけなのか……今も、分からないわ」

 すでに家出がちになっていた姉には先見の明があった。
 連れ出してくれようとしたその手を、振り払った。馬鹿な妹だった。

「私、一人でなんとかしようとした。だから最後は、刺されたの。私が刺されたりしなければ……」
(アンタ、自分の顔色分かってるかい?)
 一般的なブラッキーの瞳の赤と色が異なる、稀有な金の光彩が凝視している。
 なんと答えるべきか、アイラは逡巡した。何も聴こえなかったふりを決めた。

「家族が元に戻るのは、もう無理だった。あの人の手が届かないように、父が守ってくれた。病棟から脱走したあの人が、風の便りで亡くなったと聞いたけど……本当かどうか、分からない。父がいなくなったら私、何をされるか、何をされるか分からない」

 途中から声が不覚にもわなないたのは、全身に震えが起きたせいだった。下手にまばたきをしたが最後、堤防が決壊してしまいそうだった。ブラッキーから視線を離さずにいることが、目頭の熱への精いっぱいの反抗だった。少し身の上話をしたくらいで、動悸がしていて情けない。心を開いてくれていないブラッキーの目に、今の自分の弱っている姿はどう映っているのだろう。これ以上進みつづけたら冷静でいられなくなる、と悪寒のする体が警告している。

(もういい、分かった)
 取り澄ましたテレパシー。
(どんだけ父親想いかと思ったら、ただの甘えん坊かい。でも分かりやすくていいよ)

 言い方はともかく、もう、忌まわしい回顧をやめてもいいらしい。
 頭の奥へ血の気が戻ってくる手応え。ほ、と気の抜けたアイラは呆けそうになる。

「……そう」
(ふん)
 女刑事をねめつけながら、ダッチェスは利害を見積もった。
 金目当てで見世物にされるより、当てのない野性暮らしのままでいるよりは。
 この小娘に恩を売ったほうが、甘い汁を吸えるかもしれない。 
 ふああ、とあくびをしてみせた。
(でも内輪揉めしてるようじゃ、ね。アタシの前にまず、キズミを手懐けてみな)

 なっ、とアイラの表情がいきり立つ。

(それができたら、暇つぶしに協力してやってもいいけど)
「遊びじゃないのよ……!」
(お待ち)
 色違いのブラッキーが警戒する。見習って、アイラも異変にそなえた。
 乱暴に扉がひらかれて、土足で踏み込んでくる見知った男達。
(いた、アイラさん! ご無事で!)
 キルリアが心底安堵している横で、物騒な目つきの金髪青年が肩で息をしていた。 

レイコ ( 2013/08/30(金) 00:00 )