NEAR◆◇MISS















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第四章
-3- ヤドン・タクシー
 見た目には可愛すぎる真っピンクの車のお出ましに、キルリア=クラウは絶句した。
 一応、タクシーと判る外観ではある。フェミニン色の強い物はキルリアの乙女っぽい容姿を助長する天敵だが、そんな抵抗感をみすぼらしくする驚きをもって運転席側のダッシュボードを凝視する。
 ピンク狂いの内装に溶け込んでいる乗務員が、ステアリングを足場に縫いぐるみのように脱力している。生涯で一度も激情に駆られた事のなさそうな面をして。
 ルーフの社名表示灯に、クラウは視線を注いだ。
 ヤドン・タクシー。
 携帯獣が単独で運転――期待と不安でうなじがむず痒くなった。
 後部座席に乗り込んですぐ、旅客に宛てた前席カバーの掲示が待ち構えていた。現金支払いは不対応、乗務員にゲット、バトルを挑むのは厳禁――等々。トラブルに備えて、タクシー会社の連絡先が目立って印字されていた。
(キズミさん、あの方は亜人(ヒューモン)ですよね?)
 野生及び人間の管理下にある携帯獣は、運転免許の保有どころか試験すら受けられない。クラウの予想が正しければ、あのヤドンは人間社会適合者として法的権利を付与された携帯獣市民ということになる。ただし営利目的で創設された亜人(ヒューモン)団体は法人格を取得する難しさもあってか、いまだ絶対数が伸び悩んでいた。社会的な評価も低いままであり、接客態度が重要視される業界では特に逆風も強そうに思われた。
「そういう規定だ」
 キズミはカバーの注意書きを披見し、ドライバーを静観しながら言う。
 その姿が何となく気に留まったが、用意済みの他の質問がクラウを責付いた。
(どうして流しのタクシーを拾わずに、こちらを?)
 淡々と返答される。
「経営者のヤドキングとバトルネーソスのオーナーに親交がある。その縁だ」
(バトルネーソスというのは、レンタルポケモンバトルの施設ですよね。バトルファシリティーズの一角の)
 クラウがアイラから聞いた話によると、彼女の父ジョージ・ロングロード氏襲撃事件の重要参考者、色違いのブラッキーがその施設にいるそうだ。早急な事情聴取を執り行おうとしたアイラに対し、負傷と人間不信を理由に反発したキズミが、ネーソスのオーナーにブラッキーの保護を依頼したらしい。二人の仲を決定的に険悪にした、第一回目の対立だ。
(こちらの配車は、もう何度も依頼されているのですか? あれ?)
 外の景色が流れ出していた。
 車体に振動はない。発進に気が付かなかった。キルリア=クラウの、エスパーの勘が冴える。
(『サイコキネシス』ですね!)
 すごい。これだけの重量物を空中移送させようと思うと、相当高い技能がいる。スピードはポンコツ並でも静かで快適な走行、いや飛行が良い。ヤドンの手腕に舌を巻く。クラウは真面目くさってうなずきながら。
(しかもエコだ、エコカーですよ。排気ガスが――)
 かじかむ間もなく凍り付いた。
 結氷の凄みのある端整な横顔と、同じ人物の冷徹な視線の行方を慎重に捕捉する。
 瞳の中心を向けた先に、ヤドンがいた。
 運転席のシートから、ピンクの長い物がはみ出ていた。先端にかける途中、一瞬とはいえ本気で光学迷彩を疑った。
 でも違った。
 しっぽが半分ない。
(どうしたんですか!?)
 直後に失言と気づいたのでは、遅い。
 テレパシーを閉ざす。砲音のように響く自分の心臓の音を聞きながら、クラウは眼を逃がした。
 ごたつく脳裏に甘い汁のように雑学が染み出してくる。ヤドンの尻尾が持つ『再生力』は強いはずだ。きっと大丈夫だ。冷静になってゆくのと同時に、怪我の原因に見当をつけている自分の職業病に、苦笑いと寒気がする。
 クラウの黙考を、運転席から聞こえてきたあくびに似た音が頓挫させた。
 ヤドンの声だ。事件性を感じると嫌に冷静になるアシスタントの側面と、同情を寄せたい優しい気質との仕切りがたわんで引き裂かれそうになる。
 携帯獣のみに通じる言葉で明かされた理不尽は、憤るより哀しかった。
(いいんですか? それで)
 耐えて、事件を握りつぶす遣り方で。
 仕事のリスクを承知して、諦めが肝心という覚悟で、痛みも恐怖も緩衝してしまって。
 ヤドンの返事は変わらなかった。犯人を恨まない、と。
 クラウは暗い面持ちで、通訳すべきかとキズミを仰いだ。
「いるんだ」
 何か言う前に先んじられて、瞬間的に大きな動悸がした。
「客を装って。虐待して喜ぶ奴や、金目当てに乗る輩が」
 人間以外の犯行を度外視した物言いは、虚言を許さない低音を帯びている。
 クラウの耳の中の残留感が苦々しく教えてくれる。彼は犯人に対する嫌悪を隠そうともせず、同じ人間として恥じてもいると。
(どうして、旅客の犯行だと分かったんですか?)
 驚きを隠せない。運転手の言葉は人間の彼に通じない。
「……お前、俺に気を遣っただろ」
 体の重心が爪先まで引きずり下ろされたかのようだった。
 彼の鑑識眼の高さは証明済みなのに。人間という負い目を与えたのは他でもない、自分の責任だったなんて。クラウは何も言えなくなる。
 少しずつ、感傷の波が収まってきた頃に。
(……もどかしいですね)
 目の前で苦しんだであろう被害者が、憎むべき犯罪を自己解決していることが。
「被害者にも、事件を終わらせる権利はある」
 刃のごとき鋭さを備えた青眼が、仄暗く翳った。彼の双眸が笑顔の最中で雨上がりの空のように透徹していたことが思い起こされて、クラウは虚しくなる。
 ヤドンの意向で被害届が提出されていない以上、ここは無策を講じるしかない。義憤を押し込めるキズミの透徹な表情に、若く熱心なアシスタントは痛いほど共感できた。
 彼が冷血漢という思い込みは廃れた。だが実情を突き止めるには時間が掛かりそうだ。方位磁針を失った旅人の心境で、クラウは大人しく身を引いた。
 それに、決定的に目先を利かせるべき部分が他にあった。
 彼が刑事の高い眼識眼を示した様を思い浮かべ、真似て視線の弓を鋭く構え、六感を研ぎ澄まし、霊気漂う黒圏を射る。
(……他に、何かお気づきですね?)

 キズミの、女性の羨みそうな睫毛が、銀色に光を弾いた。

「聞くだけか?」
 挑戦的で秀麗な流し目には、こちらの強意を抜き取る力があった。
 それでも、クラウは内なる震えに抗った。
(聞いて、自分で考えます。あなたは――)
 大量に抜け落ちた羽が舞う、イメージ。
 空気の経路を無視して、直感的に飛び込んできた羽音に思考を遮られる。
 人間が耳翼に手を当てて集音器を広げるように、クラウは頭の赤い双角に両手を添える。
(鳥の……気配?)
 キルリアの様相に一抹の不穏を読み取ったキズミが、手近な窓から外へ目をくれた。
 クラウは反対側手を請け負い、四角い窓枠から青空をくまなく見渡す。
「ヤミカラス達だ」
 耳で聞くには少し距離があるが、遠目を裏切らないかなりの数だ。
 細切れにした黒い海草のように、街の緑地から躍り上がっている。
(かなり興奮していますね。何かあるんでしょうか?)
 間を詰めて同じ窓の眺めを共有していたクラウが定位置に戻り、阿吽の呼吸でキズミが言った。
「急ですみませんが、そこの角を曲がってあの公園の近くに停めて下さい」
 運転手の返事はなかったが、方向指示器が点灯を始めた。

 路肩に寄せたタクシーを下りたキズミは、ついて来ようとするキルリア=クラウを車中に押しとどめた。
「お前まで下りたら、乗り逃げだと思われる」
(そんな! ダメですよ、一人でもしもの事があったら……)
「いいから聞け」
 バン、と荒っぽくドアが閉められた。
 窓ガラスで片頬を潰して、彼の背中を見送るクラウ。公園の入り口から木立の影へ彼の姿が呑まれた途端、吸った空気が酸のように気道を乱した。
 不気味な鳴き声と羽音だけが残る。
 手足の先から、鳥肌が這い上ってくる。 
(あの!)
 クラウは運転席と助手席の隙間にダイブした。
(行かせてくださいお願いします、必ず戻ってきますから! 短い付き合いですが分かるんです、あの人が無茶をする事くらい! また怪我とかされたら嫌なんです、そんなの放っておけません! ですから――)
 バンと一発、さっきと同質の音が横から聞こえた。
 陽当たりした外気が流れ込み、クラウのはっとした顔をなぜる。
(いいんですか!?)
 『サイコキネシス』の気を纏ったヤドンが、スローモーに振り向いた。初めて目線が合った。
(ありがとうございます! あっ失礼……ありがとうございます!)
 握手を求めてうっかりしっぽを掴んだ手を離し、『念力』を体に纏ったクラウは、開け放されたドアの外へ彗星のように飛び出していった。
 
 いた。
 木漏れ日が降り注ぎ、髪に金や銀の斑を浮かべている。身長の何倍もある騒音の拠点を見上げて、キズミは戦闘的に仁王立ちしていた。青葉を茂らせた枝に鈴生りとなったヤミカラス達が、堂々とした侵入者に興味を示している。
 下手に刺激を与えてやるな。キルリアは慎重を期する。危なくなれば一っ飛びできる距離まで接近し、適当な木に隠れて観察する。一番高くて枝振りの良い場所にいるあの進化系が、群れのボスに違いない。
 既視感の秘密が、他者の口頭から間借りした記憶にあるとクラウは気が付いた。これと似たシチュエーションが最近あったのだ。あれは確か、ヌオー=留紺に呼ばれてアイラと共に駆けつけた時の――
「ネーソスの脱走犯はお前か。ドンカラス」
 断定に傾いたキズミの声遣い。
 大柄の黒鳥は額に下がったブリム型の飾り羽を翼で押し上げ、見下したような微笑を浮かべた。
 蚊帳の外のクラウは顔をしかめた。今の言葉から推測すると、あのボスは元々バトルネーソスのレンタルポケモンか何かということになる。ガーディ=銀朱のボヤ騒ぎの発端が、あのドンカラスの管理不行き届きだったとすると、責任者であるオーナーの処罰も検討されるかもしれない。後ろ暗い盗聴をしてしまった。
「念のために聞くが……帰るつもりはないんだな」
 黄色いつるはしのような嘴から発せられた高周波が、不快なハウリングを発生させる。歓声を上げて賛同する手下達。
キズミの手がホルスターに掛かる。クラウは自身を投擲した。
(こっちだ!)
 キズミを庇うつもりで割り込んだ瞬間、最下層のヤミカラス達が噴射した『黒い霧』で視界が暗黒に染まった。
 目隠しは物の数に入らない。クラウの瞳が淡く緑に放光し、トランプを撒くようにスペード型のカラフルな光団を展開する。エネルギーソースは『草』。一斉発射された剣の意匠が濃霧を貫いた。下段の列は闇の気体を吐き出している嘴に恐ろしい精度で命中し、『黒い霧』の根元を断ち切る。残る飛び葉は馬鹿騒ぎをしていたヤミカラス達の喉に突っ込み、皮一枚で急停止する。指揮者顔負けの掌握力で、品のない歌唱隊が取り締まられた。
(『マジカルリーフ』は必中だ。無駄な抵抗はよせ!)
「クラウ!」
 キズミの警告であわや飛び退いた元の位置が風圧で抉れた。自然消滅まで秒読みだった『黒い霧』が一瞬で吹き飛ぶ。
 ずんぐりとした鳥影が旋回する。帽子を下げて突っ込んできた。体勢を立て直したキルリアはサイドスローの軌道上に並べた『マジカルリーフ』を、豪速で撃ち出した。緑葉は煙を上げて精確な着弾を知らしめたが、大ボスはダメージの低さを嘲笑う。踊りで鍛えたしなやかな脚で『翼で打つ』を辛くもかわすと、黒鳥は居丈高と空へ舞い戻った。
 『飛行』の強みを活用するドンカラスに『マジカルリーフ』のゴリ押しは通じない。しかし他の技を使えば、ヤミカラス達を牽制している『マジカルリーフ』が解けてしまう。攻撃の併用は無理だ。苦し紛れにリーフの形を深く切れ込んだ凶悪な楓型に整え、手裏剣のように飛ばしてヒットさせたが、標的の余裕は崩れない。
ドンカラスが接近攻撃の態勢に入る。
 何か良い迎撃方法は――
「鞭だ!」
 キズミの声がクラウの脳裏へ強制的に発想を書き込んだ。
 素早く、カラフルな葉群を長く一本に連ねる。頭を中心に円を描くように背面から振り上げ、長く柔軟な鎖状の光を前面に叩き下ろす。追尾機能をそのままに、鞭はクラウの意思通りドンカラスの嘴に巻き付いて下降の圧力を掛ける。
 優位を過信したドンカラスはスピードを利用され、顔から地面に激突した。
(……はあっ!)
 クラウの肺につかえていた息が抜けた。
 しかし、一撃で戦闘不能はまかり通らない。砂埃にまみれのドンカラスが怒りの形相で飛翔する。凄まじい曳きだ。腹這いに引き摺られるクラウ。リーフを手放すべきか。いや。一度逃がせば警戒心が強まって攻めにくくなる。考えろ。早く手を打たないと、あの木に正面衝突させられる。
「力で競うな!」
 神経系統に直接命令を下されたかのようにクラウの体が動いた。
 戦闘不能の形は一つではない。柄からじかにリーフを継ぎ足して鞭の長さを伸ばしながら、新体操のリボンのごとく操って二重三重と環を描く。必中のリングがドンカラスを円心に次々と孔を絞ってゆく。引き回されていたクラウの体が慣性を逃れた。滞空の粘りが切れ、縛り上げられた大ボスが落下した。
 成功だ。
(キズミさんっ)
 振り返る。いない。
(!?)
 見つけた。あんな所に。
 リーフの抑止力と頭目の沈黙のダブルパンチに、ヤミカラスは根城を侵されても身動きが取れずにいる。
 彼は木に登っていた。
 知らなかった。ドンカラスと交戦中、彼が救助活動を並行していた事を。その手が届くにはまだ遠い高さに、今にも枝から落ちそうな茶色い生き物がいると。
 状況把握はたちまち過去形になる。生き物が落ちた。行き違いざまにキズミが尻尾を掴む。重力の具現が負傷している腕に響かない訳がない。バランスを崩す。怪我の痛みが許容量を超えたのか、膝の裏を支点に宙吊りとなった青年は人間らしく表情を歪めた。
 クラウに選択の概念はなかった。『サイコキネシス』を発動する。一方『マジカルリーフ』が失効した。抜け目のないドンカラスは戸惑う手下共を一声で統率し、逃亡の先陣を切った。黒い弾幕は喧噪の雨を降らせながら、消失点へと向かっていった。
 木漏れ日のカーテンが優しく波打つ。
『サイコキネシス』のリフトで地上に戻ったキズミは、気絶した毛玉を抱えたまま腰から下が崩れるように座り込んだ。
(大丈夫、ですか?)
「平気だ」
 淡泊な虚勢が、愚行権を主張する。
「……小言の前に感謝だな」
 憎めない人だ。
 よかった。キルリアの顔が少しほぐれ、すぐに潮垂れた。
(いえ。お礼の必要はないです。待機命令に背いて……申し訳ありませんでした)
 叱責の衝撃に備えて、息む。
「お前の至誠は救いがある」
 予想の上を行く返答が、耳を打った。
 瞼で堅く遮蔽していた眼をうすく開き、クラウは青年の自若とした面持ちを眩しそうに見つめた。先方の語意に対応し得る理解が定まらない。重圧と解放の遍満に、立ち往生させられる。
「騒ぎの原因だ」
 気絶したオタチを地面に寝かせ、キズミは気負いのなく話題を変えた。
 オタチは花飾りの付いた水色のメトロハットをしっかり握っていた。脱がせて側に置いたぱんぱんに膨れたリュックサックからは、南国らしいねっとりとした甘い香りが漏れていた。美味そうな荷物を狙ったヤミカラス達に襲われて、それで木の上に追い詰められたのだろう。
 調子の上がらないクラウは、躊躇いがちに申し述べた。
(……あのドンカラスは悪質です。銀朱のボヤ騒ぎの原因を作ったのと同一個体かもしれませんよ。少年とチルットに危害を加えた上に、今度はオタチにまで――)
「アフロ達は昔から絡まれやすい」
 ――チルットの名だ。
 ぴょこん、と左右に垂れた二つの髪束が起きた。
(お知り合いだったので?)
「そうだ」
 慈愛を込めて、彼は破顔した。
 感応したクラウもにっこりと笑みを満面に湛える。詳しい関係を尋ねるのも忘れて。
ちょうどオタチが起床し、その件の深入りは損なわれたかに思われた。
「警察です」
(どこか痛む所はないですか?)
 気絶前の状況を思い出そうとしているようだ。ぼうっとしたオタチの顔が急に轟いた。 夢中でリュックサックの中身を確認すると、薫り高い木の実の無事にほっと息をつき、水色の婦人帽子を左耳だけ潰すように小粋な角度で被る。今度は落ち着いてペンとノートを引き出すと、当たり前のように一筆したためた。

タチ山と も うしま す。
カラス に 木のみを とら れ そうにな ってい たとこ ろを たすけていただ き ありが と うございました。
 
(あなたも亜人(ヒューモン)(ヒューモン)ですか?)
 運転できるヤドンといい。人語の書面に見入るクラウ。
「ちゃっ。うちゃあ?」と肯定に続いて質問を反された。
(あ、いえっ。僕はただのキルリアです)
「極東の出身ですか?」
 個人的興味を覚えたらしいキズミが訊いた。

「ちゃー」
は い。

(随分遠くからお見えなのですね。でも、どうして分かったんですか?)
「『ヤマ』が付くファミリーネームは、ミナトの邦に多い」
(そうでしたか。そういえば、キズミさんはどちらのご出身でしたっけ?)
「警部補は言わなかったのか?」
 上司の権限で国際警察のデータベースから個人情報を抽出したアイラのことを、未だに快く思っていない彼の感情が何倍も希釈して表れていた。
(……僕の知る限り、無闇に口外するようなお方ではないです)
 心臓に悪い擁護だったが、キズミは「そうか」と他意無く済ませた。
「生まれは西部だ」
(西部? でも――)
「うににぃ」
 し つれい。とけいを おとして しま っ て。今 な んじ ですか 。
 ノートを掲げて、オタチが申し訳なさそうに割って入る。
「十時過ぎだ」
 耳をつんざく悲鳴が上がり、手元からノートが発射された。
(お、落ち着いて下さい!)
「どうした?」 
(はい……はい……えっ……それは大変だ……! 友人の結婚式に出席する予定が大幅に遅れているそうです! とにかく一秒でも早く中央駅に向か――)
「来い!」
 項垂れたオタチと散らばった荷物を引っ攫い、キズミはスタートダッシュを切る。怪我をおして駿足を飛ばす彼に並び、クラウは彼の人影のように宙を滑った。路肩で安穏と待機しているピンクのタクシーに、一人と二体がまっしぐらに駆け込んだ。
「悪いがすぐに中央駅へ向かってくれ!」
(他人の人生の節目なんです!)
「うちゃぁん!」
 運転手のヤドンは、緩慢な動きで、見晴らしの良いダッシュボードの上に、よじ登る。
 途端に車体が生き物のように跳ね上がった。急発進時の加速度が体を背もたれに叩きつける。
(桁違いじゃないですか!)
 スピードが。ぶつけた後ろ頭を摩りながら、クラウはピンクの疾風となったマシンに驚嘆する。今まで『サイコキネシス』の出力をかなりセーブしていたのだろう。職務怠慢か、安全第一か。はたまた。
(あれ?)
 もう速度が落ちてきた。
(ああ……)
 失速が止まらない。
(……)
 ずるずると、道路脇に入って停止した。後続車が脇を追い越していく。
(通訳します。『休憩』だそうです。ハハ……えーっ!?)
 キズミが手早くヤドンと座席を入れ替わり、クラウを助手席へ引き入れた。
(僕!? 浮遊はともかく、交通法を遵守した浮動ができるかどうか……!)
「シートベルト」
(はい)
 カチリ。
「前輪に回転を与えるだけでいい。RPMは『シンクロ』で調整しろ。操作は俺がやる」
 彼の内的感覚を走査して二駆による速度を完璧に再現せよ、と。
無理難題を言う。アイラ以外の相手にすんなり意識をチューニングできる訳がない。それに初回に伴う過労は不可避。リスクも侮れない。
 でも、困っているオタチを背にして拒否しようとする自分が――
(ぃいつでもどうぞっ!)
「そう力むな。タチ山さんの特性は?」
「ちゃぅっ!」
(『鋭い眼』!)
「路地は野良がよく溜まる、轢く前に遠ざけてくれ。それから」
 呼ばれる前に存在を知らせる欠伸。
「近道があればナビを頼む。全員いいな、行くぞ」
 画一の目的。個性の意思表示。キズミは埃を被ったアクセルを限界まで踏み込んだ。
余分な『シンクロ』を割いていられない。クラウは特性を工面し、共有領域を最小限に限定する。一過性の動揺視が誘発され、回転性の目眩に伴い嘔吐感が切迫した。ミリ秒単位の時間を争って及第点の心的整合を達成した瞬間、自律神経を疲弊させたキルリアがへたり込む。
(……やっぱり……キツく、ないですか……?)
「お前も休憩か?」
 パートナーである彼も、まして同等以上の負担を強いられている筈なのに。
 弱みを見せない意地への尊敬が天井を突いてくると、代替しうるのは爽快な対抗心しかない。
(いいえ!)
 己の脆弱面の囁きにもう耳を貸さないと決めた。どんな未知の通路を経由しようと車外の事情は与り知るところではない。自分の本分はタイヤの回転のみ。奮起に乗じて『シンクロ』の精度が上がり始めた。
 ヤドンの助言で、終日ネコポケモンの集会場となっていることから『ネコ横丁』の通称が付いた裏道に突入した。
 キズミが無作為にクラクションを鳴らした。オタチが無差別にガンを飛ばした。現れた「族」に野良ネコたちは無秩序に逃げ失せた。がらんどうの小径を個人的理由以外何も持たない緊急車両がぶっ千切った。まるでモノクロームの世界で純白を凝望するようにクラウは目の前の運転手と二輪の仲介に没入していた。その頃後部座席の前任ドライバーは置物のように振動していた。
 ドリフト停車に感動している暇はなかった。助手席横のドアがヤドンの『サイコキネシス』で開いた。
「送ってやれ!」
(は、はい!)
 土地勘のないキルリアも、ここまで来ればさすがに駅へ行ける。
 いつもの『念力』で自身と荷物とオタチを持ち上げた。地表から離れるほど消耗も激しくなる。家屋の屋根を少し越える高さを保ち、現在地と目的地を一直線に結んだ。 
 到着だ。
 大勢の人間が行き交う駅の正面でふたりは感慨もへったくれもなく別れた。
 この恩はいつか必ずお返しします、とタチ山は立ち止まって何度か礼を繰り返した。
 運賃はと言いかけたオタチをクラウは遠くから我慢しきれずに急がせた。
(行ってください! 僕の師範はそんなケチな男じゃありませんから!)
 そして、縞模様の尻尾がたくさんの脚の帳を抜けて見えなくなるのを待ち、言うに言えなかったその続きを発したのだった。
(たぶん!) 


◆◇


 支払いはカードで済ませた。
 ヤドンは先のない尻尾を手のように振り、タクシーを無事に走らせていった。
 クラウはキズミの傍を歩く。マンションの一室に向かう短い道のりが、怪我の痛みに屈しない彼を虐げる最後の難所のように感じてならなかった。しかし頑強な青年がここで音を上げるという猜疑は微塵もなく、信頼と薄情は行き着くところが同じかもしれないと妙に観念した思いも抱いていた。
(キズミさん)
 キズミが足を止めた。
「俺が何かに気付いていると、言ったな」
 クラウは体が急に下がったときのような、全身がふわっと膨らむ感覚を覚える。 
(はい)
 なぜ自分は、一連の騒ぎで失念していた話を蒸し返そうと思ったのか。
 疑問で真円が満ちる前に、彼の、あの鋭敏な目で見透かされた時の事を意識した。
 有耶無耶になって言わずに済んだ事を、我が身可愛さで心のどこかで安心していた。
 でも。
 キズミ・レスカの隣にいる限り、打算の利いた平穏無事などあり得ない。
 
(あの運転手は、亜人(ヒューモン)(ヒューモン)ではないと思いました) 
 
 吸って……吐いて。
(カバーの備考にありましたよね。“現金支払いは不対応”。タクシーの運転手にとってはチップも貴重な収入のはずです。それが各種電子マネーに一本化されている。まるでアナログの慣習を客の意識から遠ざけて、情緒的な関わりを避けるのが狙いみたいだ)

(“乗務員にゲット、バトルを挑むのは厳禁”ともありました。これもよく考えれば変です。確かにマナーとしてどうかと思いますが、亜人(ヒューモン)は身の守るために自分の電子データを保存したモンスターボールを自己管理しているので、通常は捕獲行為を浮けた場合も実害は生じません)
 
(乗車経験のあるキズミさんが、まるで初見のように読んでいたのも気になりました。前回のタクシーに無かったのだとしたら、あのタクシーだけに特別に設置されていたのではないかと)

(それから……傷害事件を表沙汰にしなかった理由です。被害届けを申告すれば、無免許運転が必然的に発覚してしまいます。終わりです)

 吸って……吸って、吐いた。
(どうして見逃したんですか……! 職務に違反するのに!)
 体が燃えるように熱かった。
 頭が弾けるように眩しかった。
 心が凍るように冷たかった。
 それら全てに共通したのが、痛みだった。 
 奥歯を噛みしめて疼きに耐えるキルリアを、キズミは静かに見下ろした。
「あの会社は、開発で野生の住み処を失った働き手が中心だ。儲けた資金で自然の残る広大な土地を買って、いつか移り住める日を夢に見ている」
 クラウは項垂れた。
 比較対象を欠いた唯一の存在として、自分だけの空想世界で思い切り泣いて笑った。
 しばらくして、洗われた茜空のような双眸を開き、すっきりとした面を上げて語った。
(僕の師範は、とんでもないバカヤローですよ。そんな人の許で修行したいと思う僕もバカだ。今の僕ではその問題に答えを出せませんが、いつか同じステージで貴方と闘える男になってみせます。最高の刑事である、アイラ・ロングロードのアシスタントの誇りに賭けて)
 それを聞いたキズミは、難攻不落な微笑を湛えて答えた。
「言うじゃねえか、見習い剣士」
 クラウは少し大人びたなりで、顔をほころばせた。

 再び連れ立って歩き始めたふたりだが、はたとキルリアが足を止めた。
(そうだ、もう一ついいですか?)
「なんだ」
 クラウは一瞬目を泳がせてから、えいと切り出した。
(西部出身でも、キズミさんは全然方言がないんですね。ちょっとお堅いくらいの綺麗な共通語で)
「せやな」
 直立不動で、びょーんと緑の髪が重力に逆らった。
(も、もう一度今のお願いできますか?)
「せやから、そういうこっちゃ」
 リクエスト無視の台詞だが、聞き違いではない。
(なんで隠してたんですか!?)
 独特のイントネーションと言葉の訛りが口の動きに合わせてずらずらと出てきた。
「ちゃうちゃう。ただこの喋りする機会なかったっちゅうだけや。ガキの頃から使い分けしとったし、せやけど警察学校入ってほんまの矯正したんや。まさかお前に指摘される思てへんかったけどなぁ」
(へ、へえー……意外でした……けどそちらの話し方のほうが、なんだかもっと親しみ持てそうです)
「んなアホな」
 キズミは不器用に苦笑を漏らし、真顔に戻って前方を差した。
「話はここまで。部屋はもうすぐそこだ」

レイコ ( 2013/07/15(月) 02:28 )