-3- ヤドン・タクシー
ショッキングピンクの自転車タクシーに、キルリア=クラウは絶句した。
遊園地の乗り物じゃないんだからという辟易はまだ可愛い感想で、ピンク一色の内装に同化している、運転席でだらんとしているピンク色の運転手を目撃すると、いよいよキズミの正気を疑いたくなった。
ヤドン・タクシー。
屋根に掲げられた事業所名はこうとある。
ヤドンが自転車を漕ぐ――車道で命を預けていいか、考える時間が欲しくなりそうだ。
(なんでまた、こちらのタクシーを?)
「ベロタクシーはボディの広告が主な収入源。バトルネーソスも一枚噛んでる」
(バトルネーソスというのは、レンタルポケモンバトルの施設ですよね)
アイラから聞いた話によると、彼女の父ジョージ・ロングロード氏襲撃事件の重要参考者、色違いのブラッキーがその施設に身を寄せている。事情聴取を強行しようとしたアイラと、負傷と人間不信を理由にかばい立てしたキズミの不仲を決定的にした、最初の対立だ。
座席に乗り込む。乗客に宛てた前席カバーの掲示はクラウにも読めた。現金払いは非対応、乗務員へのゲット等の妨害行為は厳禁――等々。トラブルに備えて、タクシー会社の連絡先が目立つ場所に印字されている。
外の景色がゆったり流れ出した。
正直に言って、歩くスピードと大差ない。走ったほうが早いだろう。
(『サイコキネシス』でペダルを漕いでるんですね)
足をぶらぶらさせているクラウが、黙っているキズミの視線の先を追う。
ヤドンのしっぽの真ん中より後ろが、なくなっていた。
自然に千切れたにしては、切断面がすっぱりと綺麗すぎる。
(なんで……)
のんびりとしたヤドンのテンポで、事件の一部始終が語られた。
怒りより哀しみより、よくあることと慣れ切っているヤドンの鈍感さにぞくっとした。
(通訳、聞きたいですか、キズミさん)
「どうせ、客を装った強盗にでもやられたんだろ」
ヤドンのしっぽは高級食材。美味な根本に近いほども値段が跳ね上がる。
楽しい雰囲気と言えない車内はスピードが出ないので、ほとんど揺れない。
大量に舞う闇色に襲われる悲鳴、というイメージを頭の角を受信した。
クラウは耳に手を当て集音しやすくする時のように、両角に両手を添えた。
(変な感じがします)
キズミが空を指した。
「あれか、ヤミカラスの群れ」
かなりの数だ。
細切れにした黒い海草のように上へ下へ、躍り狂っている。
「行ってみよう。すみませんが、そこを右に」
とろとろ走っていた自転車タクシーが、方向指示器を機敏に点灯させた。
停車後、先に下りたキズミはキルリアを車中に押しとどめた。
「お前まで下りたら、乗り逃げだと思われる」
(ダメですよ、お一人なんて)
クラウはにゅっと運転スペースに首を突き出した。
(運転手さん、僕たち必ず戻りますから! この方を放っておけません!)
のろのろとキルリアへ振り向くヤドン。
彼方を見ているような焦点がどっちつかずの、とぼけた三白眼がにゅうと笑った。
キズミはしぶしぶ緑髪のお目付け役を連れて向かう。
道なりの木漏れ日が、先を急ぐふたりに金や銀の斑を浮かべた。
公園の枝に鈴生りとなったヤミカラス達が、侵入者を一斉に警戒する。
てっぺんでふんぞり返っている図体の良い大鴉が、群れのボスに違いない。
「ネーソスを脱走したのはお前か」
断定するキズミ。
ブリム型の飾り羽を翼でくいと押し上げ、大ガラスがふんぞり返る。
「おとなしく戻るつもりはないのか」
太い嘴から発せられた高周波。不快なハウリング。歓声を上げる手下共。
(キズミさん、あそこ!)
白い指が差した枝に目を凝らすと、縞模様の尻尾が垂れ下がっていた。
誰かが丸くなって、おびえている。クラウが感じ取った悲鳴の主だろう。
「大概にせえや、いじめっ仔!」
キズミの怒声。
威嚇とみなしたしたっぱヤミカラス達がくちばしを開く。
噴射された『黒い霧』があたりを真っ暗にした。目隠しごとき苦にならない。キルリアの赤い瞳を淡く緑に染まり、手からカードをばら撒くようにカラフルな光片を散らばらせた。エネルギー属性は『草』。葉刃がガス層に突っ込み、あんぐり嘴を開けっ放しにしていた噴射隊の喉の直前でぴたりと止まる。いいぞやれやれとはやし立てていた取り巻きが騒然とした。
(『マジカルリーフ』は必中です。次は、斬ります!)
攻撃を察知したクラウが飛びのく。敵方の突風が黒霧の残留をなぎ払う。クリアな視界にずんぐりとした鳥影が克明だった。風格ある帽子頭が突っこんできた。『マジカルリーフ』で応戦した。緑葉はヒットしたが、痛くも痒くもないと嘲笑われる。クラウが得意のダンスステップで『翼で打つ』をかわすと、大鴉は居丈高と空へ舞い戻っていった。
「鞭を作れるか!?」
キズミの思いつきに、クラウは行動で答えてみせた。
カラフルな葉群を一列につなげたものの持ち手をにぎり、振り下ろす。
光の鞭は意のままに空を追尾し、立派な髭のように白羽の豊かな首に巻き付いた。
(よし!)
怒りの形相で羽ばたくドンカラス。鞭ごと引きずられるクラウ。
「力で競うな! 鞭を生かせ!」
そうだ。頭を使え。リーフを継ぎ足し、鞭の長さを伸ばしていく。くるくると新体操のリボンのように操る。二重三重と標的のまわりに環を描き、一気に穴を絞った。縛り上げられたドンカラスは飛べなくなって地面に激突した。
(やっ……)
成功に胸を熱くして見回すと、キズミがいない。
いた。あんな所に。
よじ登った木の上で、腕を伸ばしている。縞模様のしっぽをつかんだ途端、バランスが崩れる。怪我の痛みに襲われたのだ。迷わずクラウが『サイコキネシス』を発動すると、両立できない『マジカルリーフ』の鞭が消滅した。自由の身になったドンカラスは機をのがさなかった。ひと鳴きで手下を統率し、逃亡の先陣を切る。羽音を降らせる大群は夕立の雲のように流れ去っていった。
(キズミさん、大丈夫ですか!)
「助かった……ありがとう」
素直にお礼を言える人だったのか。と、驚きがクラウの顔に出た。
(やっぱり、怪我してるんですから安静にしてないと)
「そんなことより、このオタチだ」
ふさふさした尻尾の、茶色い毛の被救助者を寝かせる。耳出し穴のついたメトロハットを被っていた。リュックサックからは強烈な甘い香りがただよってきている。ヤミカラス達は、この荷物を強奪しようとしたのだろう。
オタチが目を覚ました。クラウが心配した。
(どこか痛む所はないですか?)
にこりとして肯定すると、手荷物からペンとノートを取り出した。
タチ山と申します。
カラスに木の実を盗られそうになっていました。助けてくれてありがとう。
(筆談できるんですか。
亜人(ヒューモン)ですか?)
はい。
失礼ですが、時計を落としたみたいです。今何時ですか。
「十時過ぎだ」
オタチは青ざめて、ちゃあちゃあと鳴いてクラウに訴える。
(大変だ!)
「どうした?」
(友人の、結婚式! 電車に遅れるって!)
クラウには土地勘がない。
座標の不確かな『テレポート』で送り届けるのは危険だ。残された手は――
息を切らせた乗客に、ピンクのタクシーの運転手はおかえりとほほ笑みかけた。
「という訳だ! 最速で最寄り駅へ!」
事情は把握した。
ヤドン渾身の『サイコキネシス』。
ペダルの回転数がぐんぐん、ぐんぐん上がっていく。部品がはじけ飛びそうな、バイク並みのスピードが叩き出された。危険運転の域に片足を突っこんでいる。
まるで本当に遊園地のアトラクションだ。
絶叫中だったクラウは(あれ?)と小首をかしげる。
突然、失速し始めた。
ずるずると道路脇に停車。後続車がすいすい追い越していく。
(休憩、って言ってますけど……え?)
キズミが運転席に移った。
「クラウは、ペダルを!」
(はい!? で、でも僕、亜人じゃないし、運転免許もないです! 営業許可証も!)
「自転車を漕ぐのに免許はいらない。タチ山さん、特性は?」
(『鋭い眼』、と言ってます)
「近道を行く。あそこは野良のたまり場だ、その特性で追い払ってくれ」
(やっぱり、無謀なんじゃ……)
「最初は俺が漕ぐ。『シンクロ』で足の動きを学べ。感じをつかめたら交代だ!」
裏路地を突如荒らしに現れた、まさしく“族”だった。不良面のキズミがひっきりなしにクラクションを鳴らし、まぶたを手で吊り上げたオタチが相手かまわず睨みを利かせる。猫型の野良ポケたちは背中を逆立てて逃げ惑う。いつ誰を轢いてもおかしくない修羅場を、付け焼刃の技術でペダルを回転させながらひいひい泣きそうになっているクラウ。慣れない本気の『サイコキネシス』を出して疲れたヤドンは後部座席でいびきをかいていた。
挟まって抜けなくなりそうな細道を突破し尽くした暴走車両が、駅が見える通りに転がり出た。
タイヤに急ブレーキがかかり、耳の穴から背筋に抜けるような不快音を鳴らした。
「さ、行け!」
(運賃は? って聞いてます!)
「知らんわ、はよ行きや!」
怒鳴られたオタチは飛び上がり、感謝を叫びながら一目散に駆けて行った。
◆◇
マンションのエントランス前。
随分遠回りしたタクシー移動も、終わりよければすべて良しだ。
キズミさん、と歩き出す前にクラウが呼びかける。
(あの運転手、本当に強盗に尻尾を切られたんでしょうか)
少し考えてから、自分の考えをつづけた。
(アルストロメリアは治安が良いほうだと聞いてます。そう何度も同じ目に遭うでしょうか。被害届も出してないと言ってました。それにちっとも辛そうじゃなくて、楽天的すぎます。あのヤドンの実力なら、強盗を吹っ飛ばせると思うんです。キズミさんがチップをはずんでたから、その前におかしいと言うべきだったんですけど……それともあなたは、分かってて……)
「あの会社の社員の多くは、帰る故郷がない。いつか安全な土地を買って移住する日を夢見ている。潤沢な資金がいるんだ」
言いたい事はだいたい分かった。
正邪を議論したい欲は湧かず、クラウは気を取り直して話題を変える。
(ところで、キズミさん)
「なんだ」
おずおずと顔をあげて、微妙に訊きづらそうにほほ笑んだ。
(もしかして、ほんとは訛ってます?)