-2- クラウ、バレる2
(ひどいですよ。キズミさんは怪我人なのに、ミナトさんもフィッシャーさんも)
「毎度のことだから、みんな慣れてるんだ。心配されるよりいい」
(だけどウルスラさんは……)
「タクシー遅いな。飲み物買ってくる。ここで見張っててくれ」
キズミのことは嫌いではない。でも好きかと言われると難しい。
昨夜起きた誘拐未遂事件。現場に急行できなかった不甲斐ない自分に代わり、アイラを助け出してくれた彼には大恩がある。携帯獣に比べてはるかに脆い人間の生身を駆使した勇気は、特殊養成クラス出身が由来という以上に本人の気質が大きいのだろう。性格的に冷淡なように見えて、内に熱いものを秘めているらしい。ラルトス=ウルスラがけなげに仕えている理由が、クラウにも感覚的に分かるようになった。分かるといっても、彼のそばにいることがウルスラの真の幸せかどうかまでは分からないが。ガーディ=銀朱も彼に懐いていて、ミナトに至っては親友をのたまっている。
けれども、今までに見つけた善良な面をすべて足しても、アイラに対する反抗的な態度を振り返れば好青年とは言い切れない。大好きなアイラを悩ませる男を簡単には認められない。彼女のどこがそんなに気に入らないのだろうか。そのくせ、なぜ危険を冒して救出してくれたのだろう。警察官として犯罪抑止は当然、という見方だけでは片付かない気がする。人物像のピースがばらばらで、おそろしく難解なパズルゲームでもやらされている気分だ。
聞いてみたい。どうしてアイラに冷たくするのか。訴えたい。辛辣な言葉でアイラを傷つけるのはやめてほしい。信じたい。キズミのことを、根っこは悪い人物ではないのだと。悪い、のワードが古い記憶に絡みつき、ふとクラウの脳裏に、幼い頃のアイラの言葉がよみがえる。
――国際警察はね、人とポケモンを助けるお仕事なのよ。だからパパは悪くない。ママとお姉ちゃんが何を言っても、私は――
あの時の彼女の手は、冷たかった。涙をこぼすまいと耐えていて、クラウの手を握る力の加減を忘れていた。痛いからと振りほどくことはできなかった。自分の両手は棒ほどの大きさしかなくて、温かく包んであげられないことが哀しかった。この身を全て盾に変えても、たった一人の少女の心も守り抜くことはできないかもしれないという無力を思い知らされた。
(キズミさんは、国際警察官だから……悪い人じゃ、ないですよね?)
「どうだかな」
ぎゃっと跳び上がって振り返る。練習のつもりの独り言だった。真後ろで聞かれていると思わなかった。キズミは沿道の白いガードパイプに腰掛けていた。ほれ、と軽い下手投げでリリースされた缶ジュース。ミックスオレのプリントが施された外面がきらっと光った。クラウが両手でキャッチする。
(僕に? これって、買収ですか?)
「なんのだよ」
くっと吹き出し笑いをこらえたキズミの顔を、クラウは穴のあくほど見つめた。片ほうの腕を怪我していたのでは開けにくいだろうと介助を申し出る前に、キズミは器用に片手で缶のつまみをカシャッと引き起こした。かっこいい、と所作に見惚れる。挑戦心をくすぐられた。いつもは念力で蓋を開けるところを、両手を使って開けてみようとするが、つるつる滑って上手くいない。やっとつまみに指先が引っかかっても、引っ張る力が足りない。
「開けたいのか」
怪我人が目線の高さに屈んでくれようとしたので、クラウは慌てて隣によじ登った。
「利き手は?」
(僕の? 利き手なんてありませんよ)
エスパータイプのキルリアは、わざわざ細かい手作業をしない。
とりわけ国際警察のアシスタントはサイコパワーの扱いに長けている。
「両腕をあげて角に当ててみろ」
奇妙な指示をする人だなと思いながら、クラウは素直に従った。
「次は真っ直ぐ、正面に向かって伸ばせ」
滅多にしないポーズなので、これで合っているのかと不安になる。
「右だな」
(えっ)
「右手を」
言われるがままに右手を差し出すと、キズミは掌で受け取った。
アイラの手指はほっそりと華奢なので、キズミの手のほうが頼りになりそうという気持ちをいだかせた。骨ばった長い指が五本もあって、便利そうだ。肉質はアイラよりがっしりとして、力がありそうだった。つるんとしたタマゴ型のクラウの手はあちこち触診された。
「ここ、力は入るか?」
(こうですか?)
「筋がいい」
意外な人から意外な褒め言葉を言われた。
「ここをこうして……焦らず、練習しよう」
(はい!)
何度やっても缶が倒れる。タブが持ち上がらない。教わったコツをイメージトレーニングしながら、今度こそ。左手で缶胴を固定する。右手にこめた力をこめる。いい調子だ。成功させたい。見守ってくれているキズミに喜んでもらいたい。今までと違う感触があった。胸から上の体温がふわふわ上がってくる。えい、とクラウの心の声が弾けた。
缶の口が、カシュンと爽快な音を立てた。
(やった!)
くるるっとピルエットを決めた拍子に、うっかり中身をぶち撒けかけた。
(見ました!? 僕、『念力』なしでやりましたよ!)
「やったな」
キズミの顔を見あげて、ぽーんとクラウの胸がはずんだ。笑ってくれている。あんなに怖い人だと思っていたのに、雪解けがこんなにも嬉しい。今この瞬間に美しさすら感じた。絶大な自信をもって後押しできる。彼はもっと笑ったほうがいい。
(キズミさんのおかげです。ありがとうございました)
「大したことはしてない」
(そんなことないです!)
クラウは熱くなった。
(手で何かやるってすごいことですよ! でもどうして協力してくれたんですか? キルリアの僕が手作業なんて、無駄だと思いませんでした?)
「いいや」
あっさり言い切られた。
「頑張ってるやつを応援したら、ダメなのか?」
(そんなことないです、でも僕には親切なのに、なんでアイラさんには)
踏んではいけない床板を踏みぬいた気がした。続きの言葉を思い出せない。
頭がかーっと熱くなる。パニックをカンフル剤に、ええいままよとまくし立てた。
(あの、あの時僕はミナトさんと仕事中で、間に合いませんでした。キズミさんはあんまり好きじゃないかもしれませんが、僕にはとっても大事な人なんです。でもアイラさんの名前を出したら嫌な気持ちにさせるんじゃないかって、申し訳ないし、キズミさん怒らせたくないし、ごめんなさい、えっと、すみません、じゃなくて! アイラさんのこと、ありがとうございました!)
ふたりがぴたりと黙り込んだくらいでは、車道の傍は静かにならない。
泣きそうに顔を歪ませているクラウの、名前が呼ばれた。
「礼はいらない。被疑者には逃げられた」
彼は味方だ。クラウは確信した。
タクシーが来ない。
(さっきの片手の開け方、ビビッときました。キズミさんにも師匠が?)
「師匠とは違う。ロング警部の……いや、なんでもない」
(僕もいつか出来るようになりたいです)
「進化すればやりやすくなるだろ」
僕は……と口を濁す。どきどきしてきた。まだ誰にも明かしたことがない秘密なのだ。隠したものか、告白するか。ちらちらとキズミを見ると、目つきの穏やかな彼の青い瞳は澄んでいて、不思議とこの人に聞いて欲しいという気持ちになってきた。このタイミングをのがした後で、良いことなど一つもないような予感がした。さっきだってちゃんとお礼が言えたのだ。高いハードルをもう一つ、飛び越えたって。行け。今だ。行くんだ。
(僕、エルレイドに憧れてるんです!)
言えた。言ってしまった。高揚感がとどまるところを知らない。
ただしアイラを差し置いてキズミに暴露した背徳感で、頭がずきずきした。
(かあっこいいじゃないですか、エルレイド!)
はっ! と剣士のポーズを取る。
(居合の名手! 伸縮自在の肘の刃! 僕もあんな風になりたい……格好良いだけじゃなくて、礼儀正しくて心優しい、ヒーローのなかのヒーロー!)
上ずったテレパシー。魅了された溜め息。
しかし、しゅんと両腕を脇に下ろす。
(でもアシスタントには、サーナイトのほうが向いてるんですよね)
サイコパワーに通じたサーナイトのほうがサポートの幅が広い。
エルレイドになれば汎用性が高い特性『シンクロ』も失われる。
(アイラさんも、僕にサーナイトに進化してほしいんだと思うんです)
直接訊いて確かめたことはないが、そういう期待を感じ取ることはたまにある。いたずらに人間の感情や思考をキャッチしないための訓練を受けていようとも、他意なしにキャッチしてしまうキルリアの特徴を完璧には予防できない。
(アシスタントの仕事は僕の誇りです。こんな夢は胸に仕舞っておくべきです。でも進化は一生の問題だから、時々……やるせなくて)
クラウはぐいっと缶の中身を飲み干した。
(自分に自信をつけたいです。エルレイドに進化しても似合うと思われるような、頼もしいキルリアになれたら……)
「鍛えてみるか?」
聞き間違いではないだろうか。
ややあって、間抜けなテレパシーを絞り出す。
(今なん、て?)
「やる気があるなら付き合う。警部補には無断で」
(本気ですか!? もしアイラさんにバレたら!)
「俺は気にしない。それに最後は、お前と警部補の問題だ」
クラウは目眩がした。
「日時は銀朱の特訓スケジュールと合わせる。強くなりたいのか? なりたくないのか?」
奥歯が痛い。
こめかみが痺れてきた。
脂汗がぽつぽつと額ににじむ。
知恵熱が出そうだ。
(ひどいじゃないですか!)
クラウの返事は突沸した。
(なんて提案をするんですか! 強くなりたいに、決まってるじゃないですか! やるからには……やります! 一日でも早く力をつけて、アイラさんに……エルレイドもアシスタントの資格は十分だって、認めてもらえるように! すっごく不安ですけど!)
感極まって瞳を潤わせながら、クラウは手の甲で鼻の頭をこすって赤くした。
(キズミさんはどうして僕に、こんなに良くしてくれるんですか?)
「ウルスラを好いてくれたヤツに、花を持たせてやりたい」
鼻どころか顔中を真っ赤にしたクラウはアスファルトをのたうち回り、頭をがんがん叩きつけ始めた。キルリアの奇行をキズミはやめさせようと注意をそがれて、配車されたタクシーのようやくの到着に気づくのが遅くなった。