NEAR◆◇MISS















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第四章
-1- 気の利かねえヤツ
 ガラスを突き抜けた朝日が車中にうっすらと光の靄をかけている。助手席のフロアマットには黒ビニールのナップサックが置かれていた。中には折れた特殊警棒が入っている。意図的に破壊したとはいえ、人一倍愛着を持って使っていた彼には辛い選択だったはず。無茶はしないという約束をまた裏切られたという落胆もなくはないが、ラルトス=ウルスラは何にも増して、自分の不在中に主人を負傷させた負い目を感じていた。
 悄然としたアシスタントに向かって背中の神経を注ぐキズミは、気まずさを呑み込んで助手席のヘッドレス越しに後部座席を振り返る。そしてラルトスの隣に座ったキルリア=クラウを鷹のように厳つく見澄まし、念押しをした。
「本当にいいのか」
 病院に残り、アイラ・ロングロード警部補の意識が戻るまで付き添っていたほうがよいのではないかという気遣いにも意訳できるが、あの峻厳さはどうにも腰が引けてしまう。クラウはアシスタントとしての義務感を奮い立たせ、背筋を伸ばして答えた。
(自分の身に何かあったら、僕が代わりに貴方がたを見守るようにと言いつかっています。約束を守ったほうがきっと……アイラさんのためになります)
「……」
 無言の圧力の通り道に、となりの運転手が片手を割り込ませて上下に振る。邪魔をされたキズミがその悪友を睨むと、うるさい手は火でも触ったように引っ込んだ。
「警部補なら大丈夫だろ。今も麹塵と留紺が護衛についてんだぜ。ていうか人の心配してる場合かよ。大ケガ人のくせに生意気だぜ」
 聞こえよがしに煽るミナト。
「……誰が大怪我人だ。これくらいすぐ治る」
「出たーっ、やせガマン!」
 からかう声の調子に合わせ、ステアリングの上で指がタップダンスした。
「お前な、包帯グルグル巻きのシャツの下サマヨールなヤツをショボい傷とは言わねえよ。あっそうだ、次ケガしたら霊界の布で手当てしてもらえ! なっ! 進化だ進化っ」
「これは別に、あの医者の手当てが大袈裟なだけで――」
(でも怪我は怪我ですわ) 
 ラルトスの湿っぽいテレパシーが全員の頭の中に及んだ。
 車内の雰囲気が一気に沈む。キズミはわずかに視線を落とし、無愛想な顔をフロントガラスに改めた。バックミラーでクラウの杞憂を見とめ、ミナトは苦笑で一応の共感を示す。このレベルのぎくしゃくは放置して構わないが、ここは新参者に免じて仲を取り持ってやってもいい。さて、ネタは何が良いだろう。そういえばまだ朝食を摂っていない。空腹をヒントに、はねた黒髪の下に詰まった企みがスタートを切る。
「腹へったな」 
 素直なキルリアは言葉通りの意味にとった。
(署に着いたら僕、何か買って来ますよ)
「いいいい、気にすんな! キズミ、お前も腹ペコか?」
 あの生き生きとした策略の目。
 キズミは一瞬でミナトの筋書きを看破する。あとで見せつけられそうな得意顔を思い、少しわずらわしくなったが、ウルスラを落ち込ませた手前我慢した。
「……そうだな」
「だろ!? オレ思ったんだけどさ、ケガ治すのも体力いるだろ。たくさん食ってエネルギーつけねえと。だったらここはウルスラの出番!」
 キルリアが話に飛びついた。
(ウルスラさん、お料理なさるんですか!? すごい!)
 褒められたラルトスは自分の前髪を撫でつける。まんざらでもなさそうだ。
(アイラさんもお料理上手なんですけど、僕はからきしでして……同じアシスタントとして尊敬します!)
 いい雰囲気のまま押し切ろう。ミナトは話の着地点を狙い澄ませた。
「へへっ! しかもバカうま! オレなんかしょっちゅう晩飯食いにかよってるぜ。キズミもウルスラのメシ好きだろ?」
 自分とウルスラの複雑な事情を考えて、質問がどちらの心情も完全には害さない閾値に調整されている。リスクを計算でねじ伏せたミナトの運びに、キズミは虫唾が走る彼方で捻くれた敬意すら覚えた。しかし、落とした状態から上げるとなると、答え方一つで後々ややこしい期待に発展してしまうのではないか。プライベートの話は尚更、本音を打ち明けるのも慎重になる。
「……」
 ウルスラの心音が手に取るように分かる。
「……ああ」
 瞬間、返事を聞き漏らすまいと全精力を耳に投入していた彼女の、飛び立った蝶のように緊張から解放された様子が目に染みた。誰だって哀しむ顔より喜ぶ顔を見るほうがいい。何かと不都合を前面に見ていたキズミも、不可抗で肩の荷が少し軽くなる。
 彼らのほぐれを洞察し、黒髪の策士はひそかにほくそ笑んだ。
「やっぱ好きなもん喰うのが一番だよな!」
(……あっ、あのう……わたくし……)
 おずおず、と。
(よろしければ、皆さまのご朝食をご用意いたしますわ)
 ウルスラは手をもじもじさせながら提案する。
(ぼ、僕も頂いていいんですか!? 本当に!? ありがとうございますっ!)
 いきなり座席シートの上で立ち上がり、キルリアらしくピルエットで気持ちを表現する。舞が済んでウルスラの隣に座ってからも笑顔を崩さない。嬉しくて嬉しくて仕方がないという感じだ。刑事の二人はいわくありげに顔を見合わせ、瞬時に保留で同意する。
「あら、帰宅してもよろしいですわよ! ほらとっとと許可出せよ、ご主人サマ」
 前半は彼女の声真似だ。声域の広さと演技力の高さが鼻につく。したり顔のミナトに厳しい一瞥を投げ、キズミは再びヘッドレス越しに後ろを振り返った。
 胸の前でぎゅっと両手を握りしめるウルスラ。期待と不安が入り交じった表情をしていた。ガラス製のようにデリケートな彼女の見かけがささいなミスで瞬く間に崩壊を起こしてしまう未来が見える。心の中で小さく溜息をつき、キズミは陽性の欠けた声で、しかし殺伐としすぎない言い回しをした。
「トマトは絶対いれるなよ」 
(はい、ですわ!)
 聴いた者が自然と口のほこぶような明るい返事だった。
 彼らの車両が、赤信号で止まっている待機列の最後尾につく。
(それでは皆さま、お先に失礼いたしますわ。どなたか窓締めをお願いしますわね。急ぎますわね、少々お待ち下さいですわっ、キズミ様っ)
 最後の指名は少し熱っぽく。開けたパワーウィンドウを通り抜けて、ウルスラは車の外に出た。息もつかせぬ速さで小さな白い姿が飛び去ってゆく。
 まだ寝ぼけ眼をこすっているような街中で誰かと衝突事故を起こさなければいいが。見えなくなるまで見送るキズミに、よっ、運転席から声が掛かった。
「気の利かねえヤツ」
 ミナトが勝ち誇ったように言う。
 キズミはすげなく切り返す。
「今更だ」
 二人の視線は青に変わった信号機へと平行した。

 ひとりぼっちの後部座席で、キルリア=クラウが別れの余韻に浸りながら独りごちた。
(ウルスラさん……なんて優しい方なんだ……)
 マスター思いで、周囲への気配りも利いて。淑やかに見えて行動力もある。『念力』で宙を飛ぶ白い姿は天使のフィルターがかかって見えた。しかし。雲の上のような幻想はキズミの視線に気づいてあえなく破れた。
(すみません!)
「なぜ謝るんだ」
 言われてみれば、たしかに謝罪は変かもしれない。でも何を言おう。何と返そう。喉に小骨が詰まったように、キズミを納得させるのに相応しい言葉が見つからない。
(……すいません)
 クラウはしょんぼり頭を垂れた。自分の秘め事を気づかれてはいけない。ミナトにばれたことは諦めるとしても、ウルスラの恐そうマスターに知られるなんてとんでもない、事が大きくなりすぎる。何があろうと絶対に駄目だ。。
 
 ミナトの運転するジョージ・ロングロードの車がコンビニエンスストアの前を通り過ぎようとした時、窓の外を見ていたキズミがストアから出てきた一人の男を目に留めた。
「あれ……フィッシャーさんか?」
 ミナトもさらっと流し見て、確認する。
「だな!」
 二人の知り合いらしい。どんな人だろう。クラウは車窓に顔をくっつける。
 ミナトはハザードランプが点け、車を路肩に寄せて停めた。ストア側の窓をスイッチ操作で全開にする。クラクションを鳴らして大声で叫ぶ。
「おおーい、フィッシャーさーん!」
 ミナトの呼びかけに応じて、男がこちらに向かって近づいてきた。
 ぼさっと全体に開いた短めの髪は、夕陽のようなオレンジで発色がいい。活発そうな髪型をしているが額から下は倦怠感の一言で片付いた。スーツは上も下も濡れた紙のようにしわが寄り、厚ぼったい瞼と涙袋に挟まれて目がほとんど開いていない。恐ろしく眠いだけなのか、元々そういう細い形なのか、初対面のクラウには分からない。あごには砂漠の乾燥に耐え抜いた草のごとく、数えるほどの無精ひげが生えている。歳はおおよそ二十代半ば。どことなくキズミやミナトと同じ刑事の香りがした。
 気怠そうな男は腰を屈め、窓から車内を覗いて言う。
「朝から賑やかだなぁ、キズミナ」
 ミナトは揚々と、キズミは淡々と挨拶した。
「おはよーっす、フィッシャーさん! 張り込みおつかれ様っすね」
「おはようございます。ところで、その変な略称はやめてもらえますか」
 フィッシャーと呼ばれたその男は商品の入った袋の取っ手を手首にかけ、上着のポケットからおもむろに紙巻きタバコの箱を取り出した。中から一本摘み上げ、フィルターを軽く咥えてからライターで火をつける。先っぽから白灰色の煙が立ち上る。動作の遅れる魔法でもかけられているのかと思うほど、どの動きも緩慢としていた。
「一人ずつ呼ぶのかったりぃだろ」
 名前を呼ぶのが面倒くさいと言う以前に、一言一句がすでにだるそうだ。
男と目が合い、クラウは電車の窓から外を見ている人間の子どものような居ずまいを素早く直す。アシスタントに名刺はないので、いつものように口頭もといテレパシーで自己紹介した。
(初めまして。クラウと申します。アイラ・ロングロード捜査官のアシスタントを務めております)
「あぁ……話に聞いてる。病休中のロングさんの代替職員だとか」
 男は無精ひげの生え際をぽりぽり掻く。何か思案している風であり、ジョージ・ロングロードと同姓であることを突っ込まれると覚悟したが思い過ごしだった。複雑な経緯を説明する大役を免れ、クラウは少しほっとした。
「どうも。携帯獣課のポワロ・フィッシャーです。ものぐさなんで、よろしく」
 先のキルリアに合わせて若干丁寧な口調を取りつつ、堂々と欠伸を挟む。涙目をこすりフィッシャーが続けた。
「おれの事で何か訊きたかったら、キズミナに訊いてくれや。ん……? 珍しいなぁ……キンジョウが運転なのか」
 よくぞ気づいてくれました。ミナトはそう言わんばかりにニヤリと歯を見せて笑い、親指で自分の胸を差して言う。
「へへっ、いっつも寝る専だけど今日は違うんすよ」
「そうか。お前ら今から出勤か」
 皆を順番に見渡す途中、フィッシャーの視線が他よりも金髪に長く留まる。ミナトが即座に訂正係を買って出た。
「あっ、署に行くのはオレ。こいつ家帰ります」
 白状すると病気休暇だ。医師からは、怪我の悪化を防ぐために少なくとも今日一日は安静にしろと言われている。勝手に詳しく説明するとキズミが怒るので、その辺りは省略した。瞬間投げられた碧眼に抗議の片影を見たので、ミナトは自分の言い方にほとんど保身を期待しなかったが。
 タバコを指にはさんで口から離し、ため息をつくように煙をはく。不定形の白い息はすぐに途切れた。肯定も否定もしない金髪の青年に向かって、フィッシャーは諭すようにゆっくりと語りかけた。
「レスカ……お大事にな」
「ご迷惑をおかけします」
 勘の良さにかけては、キズミを軽い渋面にさせるほどの男――か。肝に銘じよう。クラウはごくりとつばを呑み込んだ。
「……フィッシャーさんも、これからですか!?」
 ミナトの問いに彼はのろのろと頷く。
「ウチはすぐそこだが、出戻りかったりぃ……キンジョウ、レスカをここで下ろしてお前の運転で連れてってくれ」
「おっ!」
(えっ)
「退署はどうするのですか」
 もっともらしいキズミの質問に対しては。
「分からん。教えてくれ」
 他力本願にも限度がある。
「……あー、やっぱ大丈夫。キンジョウのバイクに二ケツの手があった」
「えーっ。オレがかったりぃパターンじゃないっすか! うわなんかヤダなそれ」
 戯れの笑顔を浮かべてぶうたれるミナト。
「帰りに可愛いねえちゃんがウェイトレスやってる店で夕飯おごってやるから……」
「ハッ! 送迎はこのキンジョウ・ミナトにおまかせ下さい!」
 恐ろしい変わり身の早さだった。
「敬礼を汚すな」
 キズミが難色を示すのも無理はない。クラウは蚊帳の外でこっそり苦笑する。
 残る難関は最初で最後。さあどう動かすか。フィッシャーは肩の力を抜き、あくまで手ぬるい態度で臨んだ。
「頼むよぉ。こっからのタクシー代出すから」
「……」
 ぐうたらに請うて駄目となれば。
「……なぁレスカ、そういえばウルスラはど」
「降ります」


「領収書、貰っといてくれやー」
 ブウンとエンジンの唸りを上げて、ミナトとフィッシャーを乗せた車が行ってしまった。
 駐車場に置いて行かれたのは、キズミとその帰宅を見届けるお目付役として残ったキルリアの計二名。これぞまさしく絵に描いたような最悪のケースだ。キルリア=クラウは気が揉める。とにかく緊張をどうにかしたい、そうでなければ頭が変になりそうだ。しかし不興の彼を見る勇気は底を突いている。せめて何か言おう。なんでもいいから。コミュニケーションは大切だから。
(……ではキズミさん、ご自宅まで任意同行を……)
「俺は重要参考人か」
 ほら、滑り出しは絶好調。腹の底から笑ってしまいそうくらい、その反対だ。

レイコ ( 2013/04/11(木) 00:05 )