NEAR◆◇MISS















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第三章
-7- 黒衣の女
 国際警察のサポートアイテム、サングラス型多機能スコープを掛ける。
 電磁波の一種である赤外線可視化モードにし、キズミは特殊警棒を伸長させた。
「被害者を解放しろ。要求はなんだ」
「要求?」
 発せられる声は、ぞっとするほど聞き覚えがある。女と印象づけられるものの、正体が人間か携帯獣か、断定できない。誘拐犯は目深にかぶったフードで顔を隠しており、口元のみが見えている。建設中のビル周辺は光源が足りない。キズミの視力では色の識別が曖昧だ。ルージュの色はおそらく真紅。マニキュアもそうだろう。長い爪が妖しく艶めいていた。
 デンリュウに抱かれているアイラは、意識がない。
 黒外套の女が、鋭い爪を華奢な首筋にあてがい、頸動脈沿いにミミズ腫れを浮かせる。原始的な凶器が今にも主人の喉を切り裂きそうで、フライゴン=ライキは焦燥感に駆られた。

「要求ねえ……快感かしら。人質を殴る蹴るとか、助けに来た刑事を切り刻むとか」

 甘ったるい抑揚。黒布の女は優位をひけらかし、脅迫を嗜好している。キズミは表情と動作から隙をなくし、喜ばせる餌を与えない。こちらの反応欲しさに脅しがエスカレートするのでは、とおぞましい想像がちらつくも、フライゴンはキズミを見倣い、表面上は鱗肌が粟立っていないふりをした。

 容貌を覆うフードの下から、洞穴で響かせるように、忍び笑いを洩らす。不穏な一挙一動が厭らしく、国際警察側の体感温度を上げ下げする。夜陰で彩を欠いた真紅のルージュが、輪ゴムのように伸び縮んだ。
「おしゃべりだけじゃ、退屈。楽しませてもらおうじゃない!」

 マント状の黒布が翻る。跳躍し、振り下ろす、鋭利な長い爪。両手の通り道が紅光の軌跡を残す。一閃、二閃を、キズミが棒身で受け流した。フライゴンは音波でデンリュウの足元を揺るがし、『地ならし』でよろめかせている隙に、飛翔力を瞬発する。額の玉と竜影が交差した蝕に、『電光石火』の早業でアイラをかすめ取った。
 防戦一方のキズミが叫ぶ。
「そのまま離脱しろ!」
 拉致の目的が、ジョージ・ロング絡みだとすれば。色違いのブラッキー=ダッチェスにも危害を加えた、あの手練れの獣も仲間だ。敵の増援を待つような危険を、ライキに冒させられない。

 爪を乱れ打つ女の、役立たずへの舌打ち。
「さっさと攻め返せ! これだから餌付けされた家畜は!」
 罵られたミズゴロウが動く。
 デンリュウが止めようとした。尾ビレを引っ張る手を振り払い、小さな沼魚は姿勢を低くし、口から細い竜巻状の『吹雪』を噴き出した。よけて、反撃のエネルギー波を口腔にチャージするフライゴン。

「やめてくれ! 潰し合うな、敵の思うツボだ!」
 
 両手の五指で引いた十本線がクロスし、何もない空間を賽の目切りにした。ぎりぎりで後ずさったキズミは重心を落とし、踏み込んで打突する。狙いは喉元を捉えていたが、相手の回避スピードに及ばない。バックステップした黒布が巻き戻し映像のように、跳ね戻ってきた。

「俺に、そこまでして守る価値はない! 警部補を頼む!」
 悲壮ですらある説得が、ライキの胸に刺さった。抱きかかえている主人の、女性的な柔らかい肌触り。乱暴なやり方で気絶させられたのだろう。絶対に落とさないよう、細腕で作る輪を縮めた。

「まだ遊びの途中だろうが、駄竜が!」
 チャージした『竜の波導』を踏みとどまった緑竜へ、黒布を荒ぶらせ、突き出される右腕。掌から放たれる邪悪なオーラの二重螺旋、『悪の波導』。女上司の安全を優先して飛び去るライキに当てさせまいと、キズミがスライディングで女の足を蹴り払おうした。
 足が、軽々とジャンプしてよける。
 空振りの遠心力と手を着いた反発で立ち上がるキズミ。鋭い爪が横ざまに通過し、左腕を切りつけられた。千切れて、持っていかれるスーツジャケットの生地。痛みと出血に気を向ける暇もなく、鎖骨下をざくりと傷つけられた。
 片手持ちで振り下ろすトランツェン。
 女の左手が、棒身を掴んで受け止めた。
 キズミはその手を、負傷側の手で上から握って押さえた、背側に回り、逆関節で左腕を固め、黒外套の中身をねじ伏せようとした。技をかけられた痛みにうめき、空いている右腕が暴れた。直感的にキズミが離れた矢先、女の右掌がコンクリート面にかざされた。ドーム状に隆起した赤と黒の圧力波が、クレーターを作った。悪タイプの希少技――『ナイトバースト』。

 ダメージは受けなかったが、キズミはぶざまに爆風に転がされた。ひと跳びで間合いを詰めた女が嘲笑い、腹を蹴り飛ばした。突き倒され、一瞬息が止まるほど強く、コンクリートの支柱で背中を打った。不透明なレンズのアイウェアが外れた。先の尖った黒いハイヒールパンプスがそれをつつき、ビルの骨組みから落とした。
 膝をついている男のネクタイをぐいと掴み、顔を引き寄せる。
「綺麗な顔なんだから、サングラスは無いほうがいいわ」
 希少技の爆風に煽られたのは、外套も同じくであった。
 脱げたフードに絡んだ栗色のミディアムボブを、掻き上げた。
 施された化粧の華やかさが、夜の蝶を彷彿させる。

「“私”も、結構上玉だと思わない? あなたとお似合いかも」
 
 アイラそのものとしか見えない美貌の、誘いこむような媚びた微笑。

 頭を殴られたような、無の数秒が経つ。
 キズミは腹の底から息の吐けるかぎりに激昂した。
「……俺の上司を、侮辱するな!」
「イイ顔! イイ声! もっと見せろよ、そういうの!」
 興奮し、黒灰色の体毛が溢れるように生えそろった五指を振り下ろしてきた。
 衝撃圧力を見越し、トランツェンを真横に構える。衝突音が響いた。女の爪が、キズミの目と鼻の先で食い止められる。シャツの白い無地が、裂け口から赤く染まっていく。軋みが大きくなる。直線が歪んでいく。そして。

 トランツェンは部品を飛び散らせて、折れた。

 肩を蹴り飛ばされ、仰向けに倒される。アイラと生き写しの女が馬乗りになる。首を絞められる。肉に食い込む爪。キズミは振りほどこうとしたが、歯が立たない。氷の首輪のように冷たい手に、頸動脈の熱を奪われていく。
 「脈がドクドクいってる。怖い? まさか、“私”に恋しちゃった?」
 ルージュの両端が残忍に吊り上がった。
「あなたの負けよ。余興に、愛の告白でもしてみる? 命乞いも可」

 喋れる程度に、気道の圧迫が緩められた。
「俺の……“負け”で、いい」
 かすれた口笛を吹く。
 スラックスの脇ポケットから一筋の閃光が飛び出した。実体化する、濃いオレンジに黒い縞模様の毛むくじゃら。マントの裾に潜り込み、女の左足首に噛みついた。深々と刺さった牙が燦々と輝き、口から金色の光が溢れ出す。
 ガーディ=銀朱の、威力を強化された『仇討ち』。
 あらかじめ、破損しやすいようにトランツェンを細工しておいた。
 故意に“敗北”して、敵を油断を誘させ、この奇襲に成功させるために。

 絶叫の中心に女がいる。人間の耳殻が消え失せて狐耳が生え、犬歯が伸びる。胞を沸騰させられるかのような患部の苦痛が、女の腰の神経まで響いていた。ミニスカートから伸びる脚線美を振り回すほどに、仔犬の顎が締まっていく。
 キズミは拳銃型捕獲器射出機(アレスター)のトリガーを引き、銃弾型逮捕用モンスターボールを発射した。黒外套が肩を後方にねじり、かわされた。二発目もかわされた。足を噛まれながらも上半身のスピードは落ちない。毛深いグローブをはめたように獣化した女の手が、しぶといガーディの頭を鷲づかみにしようとした。

「来い!」
 指示に耳を立てて、口を離す銀朱。キズミのもとへ飛ぶような走りで撤退した。
 忌々しい犬の脳天に接射しそこねた『悪の波導』が、鉄筋の芯を覆うコンクリートを粉々に砕く。怒り狂った女が、野蛮な獣性を晒すかのごとく四つん這いになり、赤い爪で床に引っかき傷を彫った。 
「くそ、ぶっ殺す! 血祭りだ! バラバラに引き裂いてやる!」
 キズミの後ろに隠れている銀朱が震えあがった。 
 狙い澄ましたミズゴロウの『水鉄砲』が、先駆けた。
 キャン、と命中を知らせ、吹き飛ばされて闇に溶ける悲鳴。
「銀朱!」
 建設中のビルから転落させられたガーディの行方を、キズミは途中までしか目で追えなかった。後ろから飛びかかってきた黒布の女に、うつ伏せに組み敷かれた。握っていたアレスターを叩き落とされる。
 高笑が狂い咲いた。
「てめえら、ガキの腕と足をもげ。首はあたしがやる」
 デンリュウとミズゴロウの硬直した気配が、逃げられない背筋に突き刺さってくる。

(そこまでだ。計画外の蛮行は看過できぬ)

 若々しい男声のテレパシー。

 キズミが首をそらすように、もたげた。
 黒い。長い裾。視線を上げていく。いつの間に、もう一体。新手か。
 人型を包み隠したフード付き外套が、女の喉に武器を突きつけている。
 青く長い、『ボーンラッシュ』で使われる質量を持つ骨型ビームロッドだ。
「ほざけ!」
 半獣人の女の口が、凶悪に耳もとまで裂けた。 

 キズミは己の窮地をないがしろにして問い詰めた。
「お前が、ジョージ・ロングを襲ったのか!?」
 途端に、外套男に足蹴にされ、口を塞がれる。
 横顔を踏みつけてくる、鋼鉄の皮膚。種族は合致する。あの時の、波動使いの獣と。

(警察どもが向かって来ている。その足の傷で逃げ切れると?)
  
 唸り声が収まるにつれ、獣耳と獣手が人間の娘の形状に変わっていく。赤いドレス姿に黒いマントを着込む、華美な化粧のアイラの姿へと戻った。空いた胸元に手を入れ、クルミ大に最小化されたモンスターボールを二つ、中指とその左右の指のあいだに挟んで取り出した。
「あーあ、がっかり。お楽しみの続きはまた今度……ね。さようなら」
 黒板で爪をこする周波数と同類の、寒気のする音の舌なめずり。

 ドスッ、とキズミは横腹にパンプスの先端で重い蹴りを食らった。内臓のみ無重力に守られているかのような、強風を全身にそそがれる落下。骨組みの縁から身を乗り出したミズゴロウが技を放ったと同時に、ボールに吸い込まれる光が見えた。黒外套がビルから跳び去る音がした。
 『水の波動』が、キズミのクッションになった。
 自力で身を守り落下を無事にしのいでいたガーディが、不安げに駆け寄ってきた。

 ジョージ・ロングの手持ち達は、寝返ったのではない。
 デンリュウの額の玉からは、キズミにだけ視える赤外線のモールス符号が必死で打たれていた。何度も繰り返し、謝っていた。ボールごと拉致され、ロングについて知っている情報を尋問された。歯向かえば、ロングを殺しに行くと脅されている。一味の目的は不明。他に伝えようとしていたメッセージは、途中でスコープを蹴り落とされたせいで、読み取り切れなかった。
 キズミは水たまりから、消耗した動作で起き上がる。
 泣いていたペールも、命令に従わざるを得ないロータンも、助け出せなかった。
 「畜生……!」
 また、取り逃がした。どうして、繰り返す。
 無力感で窒息しそうな心を乗せた拳で一発、不動の大地に物申した。

レイコ ( 2013/02/02(土) 22:45 )