NEAR◆◇MISS















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第三章
-13- 夜の再会
 思うほどに、自由な体使い。言うなれば己の影法師を背負い空飛ぶような、緊密な一体感、解け合うインスピレーション。“『神速』を知る”者――『神速』をふるう携帯獣を馭(ぎょ)せる凄腕の中には、乗る携帯獣を選ばずその力を引き出す名手もいると……昔、アイラが羨望の眼差しをして語った通りだった。キズミ・パーム・レスカの目眩くような操術に、フライゴン=ライキは湧いて止まない感動を力と変えて翼に漲らせている。長い頸を水平に構え、夜の底に沈殿したネオン管の光を菱形の翼で掻き捌いてゆく。
 フライゴンはキズミの協力を得次第、仲間のハーデリア=オハンとすぐに合流するつもりでいた。アイラの手掛かりを追って別れる直前、ライキはオハンに許可を取り、尻尾にごく小さな『砂地獄』の目印をつけさせてもらったのだ。巻き込んだ獲物をしぶとく離さない『砂地獄』の効果が、感覚的な磁力となって後々行くべき雲道を示すように。

 とあるマンションの最上部。デッキを四方に囲む金属フェンスの格子穴から、ビーズを地面にばらまいたような市街地の明かりを見渡せた。エサを運ぶアリのように縦横に流れているのは車の灯だ。途中、照明群をぶつ切りしている真っ黒の帯は河だった。『砂地獄』の存在感がフライゴン=ライキの肌身を刺激し、その部分だけ視力に穴の開いたような暗闇に秘められた、ハーデリア=オハンの位置を特定できる。
 オハンは、あの河川敷にいる。
「焦るな、ライキ」
 キズミが無感情に言う。ライキも、オハンの近くにアイラと誘拐犯がいる可能性を考えなかった訳ではない。このまま独断で乗り込むリスクの高さ。まして敬服する乗り手の諫められたならば、見晴らしには持ってこいのこの場所で、待機せざるをえないことは分かっている。しかし、彼のように冷静に努めるのはライキには難しかった。フェンスを尾で叩き破り、逸る心を発散したい。湿ったタイルが足の裏に吸い付く。感触が悪かった。
「どうだ、銀朱」
 風の匂いを嗅ぐ黒い鼻に、キズミが問う。ほんのり息を吐かれたような、暖かな体温の空気がライキの足に当たる。柔らかな毛先も。ガーディ=銀朱(ぎんしゅ)は、キンジョウ・ミナトのところのヘナチョコ警察犬だ。誤って起こしたボヤでアイラに謹慎処分を下され、今日のミナトの潜入捜査に同行できず、キズミに預けられたものの、長く降り続く雨で一日中モンスターボールの控えに――とにかく、嗅覚以外は褒めるところがない。今も目尻の垂れ下がった黒い瞳で、おどおどと上目遣いにキズミを見ている。最後の確認するよう息を吸い込み、鼻からくぅーん……と先細りした筆文字のような音を出す。
そうか。ライキは翼の付け根の筋肉をぎゅっと引き締めた。
「……」
 スーツの上着の内側に手を差し入れ、アーミーナイフと思われる道具を取り出すキズミ。鈍く光を反射する、短い耳かきのように細長い金属。折り畳まれていたスクリュードライバーを開いたらしい。それを特殊警棒(トランツェン)のネジの溝に差し込んだ。辺りは暗く、彼の体がたまたま斜め後ろを向いてしまったので、ライキの眼が明るいのはそこまでだった。キズミの正面に坐っている銀朱は黒い瞳をあっと瞠り、まるで催眠術にかかったように青年の顔に釘付けとなっている。そんなに息を詰めて凝視するほど、彼が真剣な表情を浮かべているのだろうか。
 キズミが膝を折ってしゃがみ、クリーム色の鬣に開いた左手を被せた。重みをかけた指の分だけ毛がふさりと倒れる。銀朱は何に耐えるような辛い顔をして、身じろぎもせず彼に撫でられていた。
「……」
 やがて観念したように、オレンジの和毛に覆われた丸顔が俯いた。キズミが立ち上がる。
「刺激しないように近づくぞ」
 フライゴンは頷こうとして、赤い砂塵カバーの奥の眼を凍り付かせた。
 『砂地獄』のコネクションが絶ち消えた。オハンの体力が続く限り、あの技の効力も持続する仕掛けだ。その効力が切れたということは……鮮やかな緑鱗の血色が、頭部に頂いた触覚のような突起の先まで蒼白になる。取り乱して翼を全開した。大きなシルエットに驚いてキズミの後ろに隠れる銀朱。
「どうどう」
 深みのある鎮めの掛け声と頸の付け根を優しく叩く手に意気を削がれ、フライゴン=ライキはなんとか離陸を思い留まる。しかし、一度萎んだ不安が再び熱気球のように膨れあがって、すぐにいてもたってもいられなくなった。
 ライキは乱暴に首を振った。今、自分の目の前にいるのは、ジョージ・ロングロードを巡る軋轢や、邪険な態度でアイラの目の敵にされている若い刑事だ。しかし、フライトを通じ改めて分かることもある。背中越しに伝わってきたのは冷血とはあべこべの親身な意思。アイラとどれだけ仲違いしていようが、オハンが嫌っていようが関係ない。この状況で絶対的に信頼できるのは彼だけだ。誘拐事件に単身で挑む危険性は重々承知している。でも、頼む、力を貸して欲しい。必死の動作で訴えた。
 鋼のような不動の視線だった。一瞬の間があり、表情凛々しくキズミは答える。
「わかった。でも一つ、約束してくれ」
 ライキは姿勢を正し、全神経を集中して耳を澄ます。
「俺が指示を出す。警部補が何を言おうと耳を貸すな。混乱するだけだ」
 なかなか乱暴な条件だ。わずかに迷いの色を浮かべてから、フライゴンは頷いた。
う、うぉおん、と銀朱が遠慮がちに咆えた。目配せするとわずかにひるみ、低い唸り声を続ける。頼もしいとは言えない協力者だが。フライゴンの口角がかすかに上がる。ピスピスとかすれた鼻息をあげて送還を催促する銀朱に、赤いビームが飛んで当たった。原型が失われ、望み通りモンスターボールに呼び戻されるガーディ。屈んだライキの背に、ひらりと黒いスーツが跨った。
「急ごう」
 待っていましたゴーサイン。緑竜は凛と胸を反らし、先端に飾り鰭のついた尻尾をポールのように立てた。両の翼を一度に振りかぶり、風を下方に送り込んだ反作用で胴体が垂直にふっと浮く。上昇し、フェンスを越えると翼を畳んで体側にくっつけた。マンションの壁面に沿い滑るように急降下する。ぎりぎりのところで体勢を水平に引き上げると、キズミが安全な高さを見越してモンスターボールから銀朱を駐車場に放った。
「まかせる!」
 このマンションの入居者の所有物だろう、黒い自動車のボンネットに乗った銀朱が、あおーんと遠吠えでキズミに返事をした。
 スピードが乗ってきたところで菱形の翼を左右に開き、ライキはグライダーのように滑空する。軒を連ねた住居に近づきすぎないよう、高度に余裕を持たせた。『砂地獄』の気配を感じた方角を確認した。躊躇のない羽ばたきで疾風のように飛び進む。翼をすぼめて抵抗を小さくし、風圧の滝壺に頭から突っ込んでいく。押し戻そうとする無色の壁を一点集中で粉々に砕きながら、ライキは心の中でそっと自分に言い聞かせる。今は、誰よりもキズミを信じよう。アイラを無事に取り戻すために。
 主の奪還に燃える緑竜は、最悪の渦中に舞い降りた。

 橋梁を越え、神々しい蛇のような旅客車が対岸へ赴く。まばらに取り巻く住宅の明かりも、均等な電灯も星ほど遠くに感ぜられる。堤防内側の河川敷はちょっとしたグラウンド並の広間だが、夜は人気も照明もなく、闇に染まった剣呑な野辺でしかない。生ぬるい風が野面を渡り、青臭い草の香りをざあっと巻き上げる。かすかに、きな臭い匂いも混じっていた。
 釣り鐘型の黒い影。
裾が地面に届くほど丈の長い黒い身頃とフードで、一分の隙もなく視界から正体を隠している。肩の上に、ぐったりとした人間を担ぎ上げていた。白い胃ブラウスと黒のズボン、角の取れた細身のボディラインから、十中八九捜していたアイラ・ロングロードと見て間違いない。影は、今にも嗤い出しそうな女人の声で言った。

「ごきげんよう、刑事さん」

 ぼろ雑巾のようなハーデリアが、キズミの足許に転がっている。血と煤で汚れた毛並みにフライゴンが額を押しつけて揺り動かしたが、意識を醒まさない。彼はオハンを後ろに庇うように一歩乗り出し、無言で懐から特殊警棒を引き抜いた。
「追って来てくれると思ったわ。また会えて嬉しい」
 のうのうと話しかけてくるが、臨戦態勢の耳には無用の産物だ。
「彼女を渡せ」
「あぁ、この荷物のこと? ふふ。いきなり本題なんてつれないじゃない」
 主人を荷物呼ばわりされたライキが、鱗がめくれそうなほど顔を力ませる。
「ねえ、覚えてないあたしのこと? 前にあなたに悔しい思いをさせてあげたんだけど」
 思い当たる記憶は、一つだけある。
 ジョージ・ロングロードが襲われたあの夜、キズミはその襲撃者と思われる黒いマントの男に会っている。現場に偶然居合わせたブラッキー=ダッチェスを巡って交戦し、なんとか男は取り押さえたが、隙を突かれて男の身柄を奪われてしまったのだ。突如現れた、男と同じ黒い衣装の者によって。
 トランツェンを握る手に力が入る。キズミの回想をライキが覗き見た訳ではないが、産毛の逆立つような、彼の微妙な変化を感じ取った。
 フードの下の薄ら笑いが目に見える気がした。
「略取、誘拐の疑いでお前の身柄を確保する」
 金属の刃と刃を擦り合わせるような、肌寒い女の舌なめずりが聞こえた。

レイコ ( 2013/01/27(日) 23:57 )