NEAR◆◇MISS















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第三章
-10- 二つの動向
 一、二、三、四。十本の手指をまとめて屈伸。空気で作られたスポンジを何度も握るように。最後は手首をぶらぶら振り、整理整頓した後をまた散らかすみたいに、スポーツ用ショルダーバッグを肩に掛けたミナト――カネシロ・ソウはストレッチを雑に〆る。白いカッターシャツの開いた襟から黒いインナーのハイネックらしき物が見えていた。
 生徒に扮した潜入警官というのは事実みたいだし、季節外れの変な着込みもワケねえか。疑い深いが飽きっぽくもあったリュートの認識は、そのくらいだった。
 さて。
 夜の学校というものは、何故こうも因襲的な底気味悪さがあるのだろう。
昼間この施設に出入りしているというだけで、自分はもうすでに呪いをかけられた存在であるという狂信が異常な速さで差し迫り、うなじに腐臭を吐きかけてくる。雨上がりのグラウンドは墓地のような妖気を湛えているし、うっそりと立つ校舎は箱船さながら、中にどんな霊異を幽閉しているのか気味が知れない。緞帳のごとくこの土地に降りて来ているのは、侵してはならない禁域と同質の『何か』だ。

「夜の学校に忍び込むとか、頭おかしいぜ」
 愚痴をもらすリュートに、じゃらつく鍵束を自慢げに披露するソウ。
「へへ。ちゃーんと校長に許可取ってあるぜ」
シュナイデル=ハイスクールの職員通用門を解錠し、まず立ち寄った守衛室で警報装置を無効にする。二人して部室棟に向かう道すがら、リュートは込み入った制御盤を苦もなく操作するソウの手付きが頭から離れなかった。警官というより、プロの泥棒みたいだ。
 照明のスイッチにはノータッチで、懐中電灯を頼りに洞穴のような廊下を進む。公の許可は下りていると言いつつ、ソウの足運びは警備員のような堂々さはなく、こそ泥っぽい。それも金品狙いではないマニアックな愉快犯の字が読めた。ムードに感化され、リュートの足の裏もスニーカーの底と一体化したように震動に敏感になる。
「てめえ、おれに取り憑いた“もうひとり”……窃盗グループのサマヨールっつったな」
「おう」
「そいつを除霊するんだよな?」
「おう! でもあんまハッキリ言うなよ。中の奴がナーバスになっちまう」
 ソウの返事の端に、ニッと笑う気配がくっついて来た。
 除霊には必ずと言っていいほど危険が付き纏うのに、よく呑気に笑っていられるな。底なし沼に足が落ち込んだって、こいつなら笑顔で沈んでいけそうだ。冷めた不信感を抱いたリュートは、階段を上がりながら日中の会話の一部をひょっと思い出す。

いつ気付いたんだ? おれが憑依されてるって。 
――会ってすぐ。クラウと目が合ったみてえだし、霊感あるの一発で分かったぜ。
おれの霊媒体質、こんなにアッサリ見破られたの初めてだ。
――そっか。
透明になれるのは、ゴーストタイプ特権だと思ってたし。
――気配を隠すのがうめえのは『不定形グループ』全般だぞ。あのキルリア、身の回りの空間に細工して常人には消えて見せてんだ。器用だろ、オレの仲間!

 仲間、か。
 リュートは、取り憑かれてからの日々を振り返る。
 体の主導権を奪い合う“もうひとり”を仲間と呼ぶのはおかしい。けれど、これを境にゴーストポケモンが変に寄りつかなくなったし、時々意識が乗っ取られるのは面倒だが、まだこれと言って嫌な目は見ていない。あ。でもパートナーの手持ちが家出してしまったことは……あの時は、部長達の前で「逃がした」なんて意地を張ったが。

「でもなんでわざわざ学校で除霊なんだよ。しかも部室に何の用だ」
「えーっ、そりゃあ行ってからのお楽しみだぜ」
「おい」
 ソウを呼ぶ。リュートの歩幅が縮み、足音が小さくなる。
「おれの中のヤツ、なんでかバト研の人払いにこだわってたがよ、特にひでえことはしてねえぞ。苦しめるようなマネするなよ」
「心配すんなリュート」
 ソウは爽やかに請け合った。
「丸く収めてやるからさ。おっ、バト研の部室ここか」
 チャラチャラと鍵同士がぶつかる。キーッと歯が浮くような音を立てる蝶番。
 ドアが開いた。懐中電灯が部屋の中をくるくる照らす。中央に置かれた会議テーブルと折り畳み椅子。写真、ポスター、張り紙多数の壁。戸棚には情報誌や備品が積んである。室名札の通りすべてポケモンバトル関係だ。室内の蛍光灯は点けずに、ソウは一番奥の椅子を引いてどさりと腰掛けた。テーブルの上に手元の電灯を転がす。壁に薄く横延びする黄色いライト。入り口で油断無く見張るリュートに向かって、適当に座れ、と手で扇ぐ。
 偉そうに。渋々、ギッと、ドア手前の椅子の脚が軋んだ。
 着席が整い、上座の少年は机の天板に腕組みを乗せ、嬉しそうに口を切る。

「じゃ、コワイ話でもするか」

 天井が冷や汗を掻いているみたいだ。

「屋上バトルの少し前にな。仲間にこの部屋を調べさせたんだ。あとで情報を総括してわかったぜ、部長ちゃんの言ってた『呪い』の意味」
 あの『呪い』だと。リュートは顔をしかめた。それと今回の除霊に何の関係がある。問い質そうとして、声が出なかった。首から上がまるでセメントで固められてしまったかのように。きっと頭が混乱しているせいで言葉が見つからないだけだ。自分の胸にそう言い聞かせていると、肌寒くなってきた。
「おっとその前に、なんで学校に怪異が集まるか知ってるか?」
 軽い調子で自問自答する、藍色の眼の似非生徒。
「正解は、若い精神のたまり場だから! 未熟で息のいい感情がウヨウヨしてやがる。ゴーストタイプにとっちゃ、ここの居心地は豪勢なビュッフェのついた超高級ホテルの最上スイートルームみてえなもんだ。しかもタダ!」
 ノリの良い強調と、それに続く穏やかな音程。
「……ホテルにはエントランスがあるだろ。同じさ。このスクールにもいくつか霊道が開いてる。一つはこの部室にある」
 ソウの指の爪が、リズミカルに机を打った。
「そしてここには……“監視者”がいた」
「!」
 足が冷たい。突然、リュートは投擲された槍のように立ち上がった。瞬発の巻き添えを食らった椅子が倒れ、ガターンと派手な音を引き伸ばす。下で光る物が飛び散った。血相を変えた両目が床に向く。試しに足踏みをすると、皿を舐めるようにピチャピチャ鳴った。靴の濡れた感触は本物だったのだ。
「水!?」 
 声が裏返る。開けっ放しのドア枠から見えた、川のような廊下。
「あれえ、おっかしいな。トイレの給水管でもぶっ壊れたか?」
「ざけんな、ここ二階だぞ!」
 ここに来てソウの白々しさに呆れる余裕もなく、リュートは猛然と突っかかる。ドアを閉めたが、隙間から浸水してくるので意味がない。浅い音質がチャプチャプ、バシャバシャとどんどん深く移行していく。増水しているのだ。水面がもう膝に届いた。とにかく高い場所に行かなければ。リュートは慌ててテーブルの上に避難する。ソウはちゃっかり移動済みで、あぐらを掻いてヘラヘラ物見している。一体何なのだ。なぜ笑っていられるのだ。沈んでいく。部屋が水で埋まっていく。
「な、なんだよ、これ……! てめえの仕業か!?」

 恐れ戦く、少年の怒声ごときに動じない。
 計算ずくめの破顔。予定調和の台詞が鳴る。
「やっべ−、このまんまじゃ部室棟が水族館みたくなっちまうかもなぁ!」
 
 ミナトは深緑のブレザーを脱ぎ捨てた。

「水泳前のストレッチは、ちゃーんとしとけよ?」 


◆◇


 拳銃アレスター。携帯獣の入ったモンスターボール。特殊警棒トランツェンが伸長しているとはつまり、この袋小路で争いが起きた事を伝えていた。

 アイラは何処へ。

 悪夢のシナリオが横溢する。
 落ち着け。落ち着け。逃げ惑う思考を一束に括り上げ、フライゴン=ライキは窮屈な路地で身を屈めた。カタカタと揺れ動くモンスターボールを一つ咥え、器用にロックを外す。パアンと開いて中から飛び出した光。解放早々、ハーデリア=オハンは一息で恐ろしい事態を嗅ぎ取った。
 人と獣の残り香。
 ――ロータンと、ペールが。
 犬歯を剥きだし低く唸る。口髭で埋もれた年配顔が、鼻筋に本物の老犬のような深い皺を刻んだ。首を傾げて、アイラの安否を促すフライゴン。耳を後ろに引き、匂いを伏せて、ハーデリアは急かされた結論についてのみ口を割った。自分達の主人は“誰か”に拉致されたらしい、と。
 それだけ情報を明かせば充分だと考えたから。
 そこまで分かれば充分だと思えたから。
 赤い砂塵カバーの奥で瞳が鋭い硝子片と化し、片や灰黄色のけむくじゃらな鼻先は仲間の緑翼に先駆ける。アレスターを。トランツェンを。ライキは併せてモンスターボールを腕に拾い上げ、警棒を咥えた半開きの口で簡潔に鳴く。オハンはライキのその人選に不満だったが、拳銃を噛んだまま妥協のつもりで唸り返した。
 歯の隙間からぴゅうと砂混じりのミニマムな旋風を吹く。ライキの『砂地獄』は、ぴんと立ったオハンの尻尾を軸にぐるぐる回る環となった。
 夜の帳を翻し、二手に分かれる同志たち。


「遅いな」 
 たかが着替えに時間がかかりすぎてやしないか。ステアリングに置かれていたキズミの手が、背もたれに干してある上着に回った。助手席のウルスラが目敏く反応する。
(キズミ様、アイラ様をお迎えに行かれますの?)
「文句言ってくる。お前は留守番してろ」
 緑の前髪越しの後ろめたい視線が、ドアハンドルを掴んだ彼の指に突き刺さる。
(のっ――)
 遠慮がちのテレパシーに、スーッとリアルの吸気が挟まった。

(の、覗きは、犯罪ですわっ)

 カクッ、と窓辺にかしぐ金の髪。
「……俺はそんなに信用ないのか?」
 ちょっと恨めしそうな青い瞳。ウルスラはぎゅぅと胸が塞いで、フルスロットルでかぶりを振った。
(とんでもございません! わたくし、キズミ様の事を大大、大す、信用していますわよ! キズミ様あっての今のわたくしです! ただ、二人きりというのは如何なものかと、ほら、アイラ様はあのようにお怒りでしたし、それに――) 
「……ついて来い」
 慌てふためいていた白い顔が、ぱっと明るく輝いた。
(はいっ)
 
 靴音の反響する通路。人の気配に乏しい、無機的な構造は大きな石棺の中を歩いているようで居心地が悪い。キズミは病室の前で立ち止まり、能面のようなドアと静かに向かい合う。ジョージ・ロングロードのネームプレートを見上げ、外でしばらく佇んでいた。
(ノック、なさいませんの?) 
「……中でもし泣いてたら、気まずいだろ」
 彼女の耳には、もし手頃な石が落ちていたら鬱屈を込めて蹴り飛ばしたい、と吐き捨てた風に聞こえた。端整な容貌は風雨に晒された岸壁のように険しく、頑強だった。てこでも意地を曲げそうにないその見て呉れは、キズミらしいといえばキズミらしい。精神感度の高いウルスラは彼の強い感情に釣り込まれそうになり、自分の油断と動揺ぶりに苦笑を隠して、そして気付いた。室内の気配が薄いことに。違和感を持ったが、彼女が何か進言をする前にキズミはドアをノックする。そこで入室の許可を待ったが無音であり、一言断りをいれて潔く開けた。

「ん?」
(……そんな気がいたしましたの)
 アイラは不在だった。
 来訪者に気付けと言う方が酷だろう、患者のロング警部がベッドでこんこんと眠り続けている。ハンガーにかかった灰色の上着、簡易ベッドに置かれた黒いスーツのセット。窓まで開いている。何もかも途中放棄で、まるで子どもの広げたドールハウスだ。アイラという人形だけは、特別に他の場所に片付けられたような。奇妙な侘びしさ。
確かめてみよう。キズミはポケギアを取り出し、彼女宛に発信する。バイブ音。ウルスラはハッとして、灰色の上着めがけてふわーと飛んでいった。そして胸ポケットからポケギアを抱え出し、困り顔で振り返る。連絡が付かない訳だ。
(キズミ様?)
 ウルスラはアイラのポケギアを抱えたまま、無言で部屋を抜け出した主人を追う。
 キズミは現場に入った捜査員の顔をして、廊下を検証していた。アイラ・ロングのズボンの裾は泥と水で汚れている。とすれば必ず、どこかに証拠がある。真剣な眼差しがにわかに捉えた。微量の乾いた土。湿った泥が擦れて伸びた跡。これでアイラの辿った足跡(そくせき)は絞れたが、問題はその次だった。見つけた汚れから推論するに彼女は廊下を往復している。一度病室に来た後、出て行ったのだ。おそらく病院の外へ。でも何の為に。
 胸騒ぎがする。もっと早く気付くべきだった。
 ガタガタと病室の窓が揺れ、吹き込む風。通り過ぎる緑の竜。
 キズミは足に羽が生えたように走り出す。通路を鮮やかに駆け抜けて、跳んで階段をショートカットした。ウルスラがぴったりマークする。入院棟を躍り出るふたり。今し方見かけた緑の姿を夜空に探す。いた。高度を下げつつある。駐車場に降りるつもりだ。キズミはまなじりを決して馳せた。ぽつねんと運転手の帰りを待つロング警部の車の際(きわ)で、躍起になって辺りを見回しているフライゴンの許に駆けつける。
「どうしたライキ!」
 赤いカバーの奥の黒い目がどっと安堵したのは言うまでもない。
 咥えている棒。鳥肌が立つほどの心当たり。キズミはフライゴンから差し出された物を受け取った。軽い。細い。同じ素材と形状でも、手応えにはっきり違いが現れた。初めて触れた女性用トランツェンの心許なさに、不覚にも喉がつかえる。遺された警棒を媒体に危急を悟った彼の、血の律動が耳の奥で轟いた。
「わかった」
 ウルスラの通訳が止まる。ライキも訴えをやめた。たった一言の彼の了承を陣頭に、雪崩れ込むのは物々しい予期。それでなくても白いラルトスの顔が、雪をあしらったように青ざめた。真っ赤な目を凝らす先に、穏やかではない男の表情がある。視線が交わり、瞬時に白い小柄が竦む。鋭利に紡がれる指示。
「ウルスラ、お前は無線で非常線を張れ。必ずミナトを呼んで来い。一般職員は極力巻き込みたくねえ」
(キズミ様!)
 叫びの思念。フライゴンは身を屈め、彼を背中に受け入れる。
「警部補を探す。無茶はしない」
(またそのようにおっしゃって!)
 菱形の翼が開く。
「わたくしを欠いて、重傷を負われた前科は山ほどございますのに……! いつも、いつも、お願いですから……っ)
「俺だって、自分の弱さくらい分かってる」
 彼の口から、そんな灰色に染まった言葉を引き出す気は毛頭なかった。厳しく現実を見据えた目。公然と認める声も。言わせてしまった。その全てが冷感となってウルスラの胸に染みた。自分はまたしても、ずるい傾聴者になりすましたのだ。
(……)
「いつまで人を待たせる気だって、あの上司に遅刻のクレームつけに行くだけだ……頼む」
 彼なりに安心させようとしているのが伝わって、辛くなる。露骨にくさった自分の為に、気を配らないで欲しい。身勝手だろうか。
(……はい)
「ライキ、俺は『神速』を知ってる。手加減無用だ」
 了解を示す鳴き声。巻き込んだ負い目からか目尻の垂れていたが、乗り手の頼もしい保証に表情の雲がぐんと晴れた。同期する両翼。地面を殴る風。キズミを乗せて、ライキは全力で飛翔した。

 クレーム、か。ウルスラは独り、力なく視線を落とした。
 アイラ本人の前ではあるまいし。こんな時まで無理やり厭味を捻り出さなくてもいいのに。キズミはアイラを邪険にしている。それは周知の事実だ。常に仏頂面を絶やさず、冷淡な言動で突き放して、取り付く島もない。彼は不満なのだ。怒っているのだ。でも、目の敵にしている原因は――
「キズミ様の、うそつき」
 一人で吐き出せば少しは楽になるかと思ったが、逆にもどかしさが悪化した。背徳感は大きかった。キズミに面と向かって糾弾する勇気が無いので、ウルスラはこれが精一杯だった。だがもし直接非難したとして、彼はどんな反応を示すだろう。想像はあっけない。きっとしばらく黙り込んでから決まり悪そうに、そうだな、と優しく笑うに違いない。彼は自分の行いを自覚している。アシスタントに見抜かれていることにもとっくに気付いている。だから、彼は笑える。
 そんなの……ずるい。

レイコ ( 2012/11/27(火) 23:42 )