NEAR◆◇MISS















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第三章
-9- 誘拐
 空中で同心円状に波及する『鬼火』。青と紫の焔に綯い混じる、規則正しく構築された『エレキネット』。林冠にのさばっていた縄張りの象徴が、燃える円蓋へと炙り出される。壮麗な電飾のような光源を設え、ラルトス=ウルスラは別途にアシストの工程を踏む。『トリックルーム』。続いて『手助け』。エリート候補生が会得する最難の護身術――同じく使い手のアイラは理法を解していた。
 無色透明な時(とき)の鎧に例えられる、空間(ルーム)とは名ばかりの狭窄が駆け走るキズミを包む。彼という指標が忽然と消える。『テレポート』と見紛う速力。出足で舞った泥が今ごろ地に着く。『手助け』で強化された腕力を振るい、特殊警棒(トランツェン)が右中央脚の関節に痛撃を与える。根方を蹴り、そのまま後方の高い樹枝に一躍。サングラスをかけた。痛みの奇声か。怒りの雄叫びか。手傷を負って斜めに臥した電気蜘蛛が、見下ろす襲撃者を狙って『放電』する。
 キズミとウルスラの思惑が叶った。
「オハン!」
 彼が呼ぶ。耳だけ動かすハーデリア。アイラはキズミの意図を察し、名前を反復する。
「オハンッ!」
 用心深い忠犬は女主人の声を汲み取り、猛然と走り出す。認めたキズミは枝を大きくしならせ跳ぶ、腕を構える。トランツェンの要諦は携帯獣の『技』を反射する機能。直雷を弾き飛ばす。ハーデリアの牙が地面に投げ出されたムクホークの足に食い込む。キズミの誘導した電撃が大ぶりの枝を次々折り、彼が空中を渡るための足場となる。眼下には、散乱した羽を踏み荒らした肉球の印。黄蜘蛛の注意が上向いている隙に、オハンは遺骸の回収に成功した。
 打ち返した『放電』の的には、寒冷色に燃え盛る『エレキネット』も含まれていた。電光で裂けたのは熱で脆くなった付け根。金髪が閃く。黒い背広が夜風に紛れる。幾何学模様の自然照明が、彼らが領域を脱した直後に崩落する。縄張りを守る広さが徒となった。元は電気を帯びていた円網はムクホークの亡骸のあった位置までも覆い被さり、移動不能の巣の主を『鬼火』で飲み込んだ。
「……」
 ホルスターから引き抜いたのは銀色の拳銃――もとい、アレストボールと呼ばれる特別仕様のモンスターボールが装填された拳銃型捕獲機、アレスター。アイラの隣に立ったキズミが射撃姿勢を取る。冷たい銃口。しかし、引き金にかかった指は動かない。デンチュラの呻き声が煙のように濛々と昇ってゆく。
「何をしてるの!?」
 見かねたアイラが自らの銃把に手を掛ける。発砲。雨に濡れそぼつ草木も銃声の乾きを浸せない。『鬼火』の黄色く毛深い供物が退場すると、ウルスラは即座に腕を伸べ、地面を這いずる火の手を鎮めた。性質上、あの炎が動物の身体以外に及ぼす損傷は少ない。熱が手中にした範囲と比べると焼け跡は小規模だ。ハーデリアのオハンが踏み入る。落ちていたアレストボールを見つけて咥え、走って戻る。翼を畳むフライゴン=ライキ。アイラは弾丸サイズのボールを掌に収めた。鋭い視線。
「わざとね」
 ボールを握る手に、力がこもった。
「長く悲鳴をあげさせて、仲間が助けに来るか試したのね?」
「はぐれ者だったようです」
 他人事のように取り澄ましている。無関心な物言いに彼女はつい、気が立った。
「あんな風に痛めつけて……卑劣だわ」
「大群に備え、アレスターを温存すべきと判断した結果です」
 サングラスを外し、キズミが振り返る。手に提げた拳銃をホルスターに収納して。
「それを言うなら、ブラッキーを追い込んだ事も不当だと思いますが」
 ――それは。
 無言になったアイラの傍らを素通りし、キズミはムクホークの亡骸を前に屈み込む。オハンが鼻に皺を寄せて唸る。沈んだ顔のウルスラが背広の肩に隠れた。オハンを窘めるように見つめるライキ。放り出していたリュックサックを引き寄せ、彼は遺体回収専用のモンスターボールを取り出した。


◆◇


 ウィンドウは水滴に覆われていたが、雨は上がっていた。黒と灰。袖口に泥のこびりついた二枚の上着は脱がれ、背もたれに掛けられている。暗黙。黒い濃霧の立ち込めたような車内で、白く曖昧な存在感のワイシャツとブラウス。振動。カーエアコンから軽い温風が吹き出す一定の音。
リヤシートに座り、アイラは真っ暗に暮れた風景を眺めていた。

「……どうして」
 息を継ぐ。
「レスカ君が戦うのよ」
 
 『トリックルーム』は指定空間内の物の速度を反転させる技だ。したがって携帯獣に身体能力で見劣りしがちな人類にとって、その鈍足を逆手に取って携帯獣と対抗し得る手段の鍵となる。国際警察機構は解析の末、空間を広域ではなく対象人物及び携帯獣ごく身辺の最小限に現出させることで、行動範囲に囚われず、鈍足を転換し稲妻のごとき俊敏性を効率的に出力する方法を考案した。
「……」
 現況は『手助け』などの補助技を加算し、生身の人間でも修練次第で携帯獣の同格以上の強さを発揮できるまでに進歩している。しかし技術の普及率は未だ特殊養成課程のエリート候補生に訓練が義務づけられる段階で止まっていた。
「……」
 その原因は多岐に渡る。彼女が特に執着したのは、最も根本的な二つの課題に当たる、『シンクロ』による心身消耗と戦闘による外傷のリスクだった。
「……アシストは非常措置よ。戦闘要員が全滅した時に、仕方なく断行するものだわ」
「あなたもしつこいですね」
 月光を細く裂いたような銀色の髪。薄明るい灰白色の肌。
 知らなかった。昼日中に澄む明るい彩色は、黒いジャケットの緊縮を抜いて白いシャツだけに重なると、夜の中でこうも儚げに冴えるのだと。運転席のキズミを見つめる深度が大きくなるにつれ、彼の淡い配色が薄命を連想させて、アイラの背筋が薄ら寒くなる。
「いつもこんな危な――」
 くっしゅん。
 真面目な話をしていたのに。ぱぱっと睫毛を忙しなくして、灰色の双眸を伏せた。子どもじみたクシャミをして、上司としての体裁が悪い。
(お風邪ですか?)
 ウルスラが心配そうに訊ねた。蜘蛛の縄張りでキズミが転ばした弾みに、彼女の脚が膝から下にかけて泥水でぐっしょり濡れたことを知っていた。緑髪に隠れた赤い瞳がそれに向く。
(足下、寒いですわよね)
「大丈夫、心配しないで」
 その言い方がふわりと綿のようで。
 キズミを相手にする時とは全く別物だ。ラルトスは妙に気になった。
(お着替えは署にございますの?)
「荷物は病院よ。でも今はとにかく署に――」 
「じゃあ寄ります」
 割り込んだ男の声に、女ふたりは揃ってゾロアにつままれたような顔をした。成り行きが意外すぎる。間違っても自分を気遣うような柄ではないのに、とアイラは変な焦りを覚える。
「頼んでないわ、いいから署に戻って」
「あなたの体調は知ったことではありませんが、欠勤は迷惑です。手間を掛けさせないでください」
 最後まで聞いていなかった。耳からドライアイスを流し込まれたかのような、もやもやと白煙の籠もる頭で彼女は思い出そうとする。キズミ・レスカの自分本意は今に始まったことではない。冷静になって考えてみると、何かを期待する必要は最初から無かったのだ。
「……」
 よりによって、バカみたい。

 アルストロメリア市内、某病院敷地、駐車場。
 車の駐め方が綺麗だった。そういう優先度の低い心の動きは隅っこに掃き溜めてから、アイラは少し迷い、顔を上げて訊ねた。アシストに伴う過剰な『シンクロ』は人間側の精神に負担がかかる。解除後は眠気や注意力散漫など、意識に良くない影響も出やすい。
「運転、私に交代しなくてよかったの?」
「自殺行為です」
 ――ッ。

「死にたがりはそっちでしょ!?」

 細い指が灰色の上着を鷲掴みにした。しなやかに振り動く白いブラウスと濃灰のスラックス。アイラは下車するなり、ガラスが吹っ飛びそうな勢いでリアドアを閉めた。尖った足音を散らすローヒール。すらと均整の取れた後ろ身が、競歩のような足取りで車窓からフェードアウトしていく。
 女上司の姿が入院棟に吸い込まれた。キズミはシートベルトを外した。レバーを引いて、後ろに倒した背もたれに寝そべる。ネクタイを緩めて、ふうと一息つく。
 助手席のウルスラはジッとその動作を目で追っていた。
(アイラ様、とうとう怒らせてしまいましたわね)
「そうだな」
 前髪に青い目を隠したまま、彼はそっけなく言った。
(……だってキズミ様、受け答えがあんまりですもの)
 アイラに優しく接しようと思えば出来る筈なのに。ウルスラはキズミのそういう姿の想像が迫り上がってくる前に掻き乱したが、今度はその空白を、先ほどのアイラの返事が埋めようとする。
 ゴミ箱を逆さにしたような、グチャグチャの気持ちが一過する。温かい空気塊が上昇するように、熱くなった体をふわっと『念力』で浮かせ、助手席を発って彼の膝の上に回り込んだ。
(アイラ様がおっしゃりたかった事、わたくしにも分かりますわ。わたくしもキズミ様がお怪我なんて――)
 わしっと頭を撫でられて、ウルスラはふっと意識を冷ました。骨張った指や厚い掌の皮の質感が一瞬で無くなる。この話はもうおしまい。浮力が全身から抜けて、ぺちょんと黒い膝に落ちる。そのまま俯いて、低語した。
(申し訳ありません……)
「謝るなよ」
 ヘッドレストに金色の後ろ髪を沈め、右手の甲を額に当てている。瞼の裏にゆっくり消えて、またゆっくりと現れる青い瞳。
「それは俺のセリフだ」
 言い出した罪悪感に顎を摘まれ、ウルスラはくいと面を上げた。
「あの時、熱くなって悪かった。『シンクロ』しにくかったろう」
 その冷静な口跡に、押し込められた哀切と自責を聴く。
整理の捗らない感情の塵をぶち撒けて、彼女は迷まず首を横に振った。『鬼火』に焼かれ苦悶の叫びを上げるデンチュラを思い出しながら。状況的に、ムクホークを襲った理由が食欲を満たす以外にあったとは考えにくい。今後デンチュラは支部で詳細に調べられ、異常性がなければ体力の回復を待って野生に返される。
 ムクホークは殺されたのに。弱肉強食だからとそう簡単に割り切れたら、誰も苦労しない。彼が好き好んで暴力を振るう人種ならば自分は絶対に付いていかないし、そのような人の事で思い悩んだりしない。
 キズミはおもむろに口を開いた。ウルスラは耳を欹てた。
「……帰りたかっただろうな」
 最期にムクホークが思い浮かべたであろう、忘れられない誰かの許へ。
 少年の端整な顔がアイラの去った方角を向く。質素な外装の病棟。あそこに警部が眠っている。
「あいつらに――」
 ジョージ・ロングロード警部の、行方不明の手持ち達に。
「同じ思いをさせる訳にいかねえな」
 どんな風雲を掴むことも厭わない、一本気な横顔。
 ええ、必ず。尽力いたします。小さなラルトスは献身を約束し、主人に向かって頷いた。



 消灯時間は過ぎている。胸に溜まった毒素を呼気と一緒に暗い廊下にばらまいているようで、自己嫌悪に陥るがどうにもならない。荒々しい靴音が反響する。誰にもすれ違わないので、五月蠅いと咎められないのが気休めだ。空っ風のような早足で、アイラはあっという間に病室の前に着いた。
「もう……!」
 苛立ちが声になって漏れた。ドアノブに手を掛けるが、こんなカリカリした気持ちを室内に持ち込みたくなかった。しばらく廊下に突っ立ち、浅い呼吸が落ち着くのを待ってから開扉する。そっと。
「パパ、ただいま」
 白いベッドに横たわる、石のような寝姿に向かって囁いた。今朝見た様子となんら変わりない。
 溢れそうな落胆に蓋をする。泥付の上着をハンガーにかけて吊す。簡易ベッドに腰掛けて、旅行鞄から衣類を漁った。取り出したのは綺麗に折り畳んだブラウスと、同じく皺の少ない黒のパンツスーツ。化粧室で着替えて来よう。
 途端に、鳩尾が強張った。用が済み次第、あの皮肉屋の待つ車に戻らなければいけないと思うと。鉄靴を履いたように足が重い。いや、気が重いのか。無視してこのまま一人で署に戻ったら、自分と彼のどちらが先に着くだろう。
「……」
 部屋の空気を汚している気分だ。換気したい。彼女は唐突に思い立つ。着替えを置いて簡易ベッドから立ち上がり、締め切ったカーテンをあけ、窓をひらいた。生乾きの風が肌になすり付く。濡れたアスファルトと土の匂い。夜景。
 部下のミナト・キンジョウは電話で、夜を待ちシュナイデル校に再潜入すると言っていた。もちろんキルリア=クラウを同伴して。クラウ。もし彼がここにいれば、今の自分を諫めただろうか。

 人工物の照明に交わらない、異質な光があった。
宝石の煌めきのように見えた。中規模賃貸ビルの屋上に巣くう闇黒、そこに正体を溶かして相次ぐ、赤い明滅。あのパターンには覚えがある。モールス符号が思い当たる。
 知識と感覚が共振した。
「……ペール!?」
 コラージュのように寄り集まる、記憶の断片。眠る父親に歯痒く目配せする。
アイラは病室を飛び出した。視覚は強気に主張を続けていた。直感が、あれは絶対にペールの信号だといって譲らなかった。父のロングが何者か襲われたあの夜、彼の手持ちは安住のボールごと行方不明となり、ペールはその一体だった。無我夢中で院外へ抜けた途端、アイラは呼び出したフライゴン=ライキに跨り、真っ黒な夜気を切り裂いた。 幼い頃から見知った顔を捜して、見えざる手に招き寄せられて。

 赤い光が見えたのはこの辺りだ。病室の窓からはどの建物かまでは特定できず、上空からの目視でも行方を見失っていた。ペールは地上に降りたのだろうか。ライキを着陸させ、背中を下りて言った。
「あなたは空から探して。夜間だから気をつけてね」
 気流が起こる。飛び立ったフライゴンを見送ると、アイラは足で人気のない裏通りを調べ始めた。
 ハーデリア=オハンを出して臭いで探そうとしたのだが、オハンは早々に首を傾げた。尻尾を垂らして振り返り、なぜか臭いを拾えないと意思表示する。原因解明は後回しにして、アイラはひとまず彼をボールに戻した。ばったり鉢合わせしようものなら、警戒心の強いオハンが飛び掛かってしまうかもしれない。
 こうなったら応援を呼ぶべきか。最短距離といえば真っ先にキズミが浮かび、辟易する。それ以前に、ポケギアを上着のポケットに入れたまま置いてきてしまったことを思い出した。装備不足で追跡に挑んだのは自分だ。責任を持って、自力でなんとかしなければ。
「ペール!」
 駄目元で叫んでみる。壁の反響以外に何か聞こえないか、都会らしからぬ静寂に耳を澄ました。
 
 呼応があった。
 出来すぎた展開に、彼女は一瞬幻聴を疑う。場所はそう遠くないらしい。念のため、もう一度呼ぶ。また鳴いた。何処だろう。あっちか。行こう。入り組んだ路地を迷走する。スピーディな足音。浪費する時間と距離。何度も道に騙されて、気が付くと、全身が火だるまのように上気していた。まだだ。休憩を欲しがる体に鞭を打つ。もう少し。この辺りだ。
 暗幕をくぐるように袋小路に突入する。追い求めたシグナルは一番奥の行き止まりに在った。夕焼け空に置き去りにされたような朧気な光景。点滅の根源と見られる大元は、やはり黄色い尾の先端の宝玉だった。赤い光に染められた、“黄”と“青”は。
 デンリュウと、
 ミズゴロウ。

「ペール、ロータンも」

 荒い呼吸の合間を縫って。
 その名を呼ばれることを嫌うかのように、一歩後退する二体。
「良かった……会えて」
 小さく語りかける声が小刻みに揺れる。デンリュウとミズゴロウは顔を見合わせ、一歩前進した。アイラも慎重に歩み寄る。変ね、と灰色の眼を瞬いた。昔なじみの二体だ。薄い赤光に浮かぶ見慣れた顔ぶれが、違和感のある表情をしている事に気が付いた。
 赤外線センサーが侵入を拒んでいるみたいだ。接近は躊躇われた。一人と二体はやっと手の届く距離で立ち止まり、どちらともなくショーケースの展示品と見物客のように向かい合っていた。
 黒い円らな瞳が悲しげなデンリュウの黄色い顔。赤いエラをぴりりと張った厳しげなミズゴロウの青い顔。感動の再会と呼ぶには、あまりに白々しい空気。
やおら白い袖に通った腕を伸ばす。アイラは目線の高さをペールに合わせ、黄色い卵型の顔を両手で優しく挟み込んだ。デンリュウの縞模様の耳が垂れる。首の位置を固定されても、黒い目は意固地に彼女を見ようとしない。額に付いた赤い宝玉がちかちかと点滅した。
「ペール、どうして」
 謝るの?

 眩い電光が散った。
 アイラは続きを言えなかった。
 脱力して前のめりに傾いた彼女の体を、デンリュウ=ペールの短い腕と白い腹が抱き止める。ミズゴロウ=ロータンが駆けより、丸っこい黄色い足を後ろから支えた。
動きが止まる。ペールが身を屈めた。ロータンが足から離れ、ふたりの様子を見守った。意識は飛んでも全身を痛みと麻痺が錯綜しているのか、アイラは震えるように息をしていた。呼吸する人形のような彼女を抱き締めて、デンリュウの円らな黒眼が溢れそうな涙でぐらぐら揺れた。見た目に反し精神の成熟したミズゴロウは寡黙を貫き、耐えている。

「なーんだ。国際警察ってチョロいのねえ、たかが身内で油断しちゃって」
 いつから上に潜んでいたのか、さも退屈げな女声が振ってきた。高みの見物を堪能した何者かが、落差に動じず屋根から飛び降りる。風を貪り膨れる黒い外套。直立で吸い付くように着地する。ペールは色を失い、ぎゅっと腕の束縛を強めた。ロータンは前に進み出た。歩み来る厄災から、せめて一秒でもアイラを遠ざけようとして。
 マントで体、フードで顔を隠し、姿を守秘で塗り固めた人型の何かはいやらしく声を輝かせて喋り続けた。青と黄の敵意に鈍感な振りをして、抜け目なく近づいていく。
「うふ。任務は地味だけど、あんた達すっごくいい顔してるわぁ。ねえ味方を裏切るってスリリング? テンション上がっちゃう? そ」
 
 嘲弄を握殺するトランツェン。

 ペールは地続きに覚えていない。ロータンの記憶も互角だろう。腕の中から離れた刹那、間合いに入った背後の害悪へアイラが振り返り様に浴びせた――渾身の一太刀を。
 惜しくも現物の急所を逃したが、特殊警棒の先端は黒いフードの縁を引っかけ捲り上げていた。中にうずもれているものを見届ける間もなく、感電で朦朧としているアイラの意識に限界が来る。膝から雪崩れて突っ伏しそうになる直前、鳩尾を膝蹴りが、首を肘打ちが襲う。投げ出されたトランツェンがぶつかる音。アイラは無防備に地面に叩きつけられ、俯せたまま動けなくなった。激痛に歪んだ表情が、眠りに堕ちたように緩んだ。
「オラ気ぃ失うなよこのアマ! さっさと立ちな、なぶり殺してやる!」
 外れたフードが乱暴に上下した。鏡写しにしたような、アイラと瓜二つの女が髪を振り乱して激昂する。気を失った体を起こそうと、何度も容赦無い踵が振り下ろされた。無言の少女の身にペールが覆い被さり、代わりに足蹴を喰らった。
「テメェもだ! 手抜きしやがって、ちゃんと電磁波で仕留めとけよ!」
 溜まりかねたロータンが黒外套に体当たりを喰らわせた。後ろによろけ、二、三歩下がって踏み止まる女。容貌の可憐さと相容れない、剥き出した歯を囲う赤い唇が徐々に隔てをなくしていく。
「ああ、そうね……傷つけない約束だったわね」
 最後はぴたりと接着して両端が吊り上がった。おおよそアイラの嗜好にそぐわない派手な化粧をしていた。
「でもなあに? 今さら小娘を庇うの? 父親を選んだのはあんた達よ。親子どっちも護りたいなんて、甘えたこと言い出さないわよね?」
 濡れたように光沢するリップグロス。不気味なほど静まった。ペールは毒を盛られたかのように蠕動運動が狂い、上がってくる胃酸を堪えるのに精一杯だった。ロータンは冷徹な眼差しで睨み上げたまま、重たい動作で脇に退く。女は発言の影響力におおむね満足し、動きそうもないデンリュウを蹴って引き離し、昏倒しているアイラを乱暴に持ち上げ軽々と肩に担いだ。
「あーあ、地味。退屈。誘拐とかつまんなーい」
 心底気怠そうに、視線を岩陰のような路地を垂直に抜き夜空に届けた。ふと何を思いついたのか、体の向きを変える。某病院のそなわる方角に。
「でも……イレギュラーなゲストが来てくれるかもしれないし? 一応期待しておくわ」
 マネキンのように無感情な灰眼を細め、血で洗ったかのごとく不吉な唇で笑った。

レイコ ( 2012/11/19(月) 02:43 )