NEAR◆◇MISS















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第三章
-8- 消えない炎
 筋骨を沈める黒衣は、世を忍ぶ抜け殻か。

 狭い方形を造る四つの立姿。心体の波風を抑える“青”。慟哭まで皮一枚の“黄”。そして残りは裾の長い陰影を置く。より強い手応えを求め、今一度彩色の者共を威迫する黒外套の男。目深に被ったフードの下で鼻面が蠢いた。
「此なるは最も穏便な方途である。ジョージ・ロングロードの命運が我等の掌中にある事を……ゆめゆめ忘れるな」
 狂ったような嘲笑が上がった。“黄”は驚いて長い首を仰け反らし、“青”は四つ足を屈めて身構える。不快の表徴を空気に交ぜた黒外套に対し、先の笑声に高い声域を繋ぐ女。装束は男と瓜二つであり、素顔も同様に明るみに出ていない。
「だって今の、笑うところよね? 平和ボケが吐くのにぴったりなセリフ」
 なまめかしい舌使いで、紅を差した唇を舐める。艶めく赤の終着する口角をきりと吊り上げて云う。
「人間はみんな同じ、クズよ。メギならすぐ片付けちゃうわ」
 分別のない言い分だ。黒い外套の男は憮然として戒める。 
「粗忽者よ。汝は白日の下に身を晒すつもりか」
「フン。そっちこそ、あんなボウヤに逮捕(アレスト)されたくせに。脳ミソまで鋼みたいなこと言ってんじゃないわよ」
 せせら笑い。女は興味を“青”と“黄”へ移し、フードに蜘蛛の足のように細い指で捲り上げた。
 ばらりと踊る濃い褐色の髪。毛先を下向けて一律に揃う。可憐で瑞々しい風采を、独自の厚化粧が妖美にしていた。長い睫毛に縁取られた暗灰色の瞳が開かれると、“青”は睥睨し、“黄”は怯えて己の尾を抱きしめる。黒布より一身を露出した女は、非現実的な登場に戸惑う者どもを見渡し、微笑した。
「ごめんね。パパのためなの。協力してちょうだい」
 切なる作り声で、アイラ・ロングロードの生き写しはそう願った。


◆◇


 キズミ・パーム・レスカが国際警察学校(アカデミー)の特殊課程に在籍したのは十年間。他と一線を画する過酷な訓練生活は、心技体を錬磨した卒業生を若き精鋭たらしめる。今朝は卑しくも名誉を傷つけてしまったが、アイラの事前の調べによると在籍中は金城湊と共に文武両道の俊才だったらしい。最終審査の落第は忌々しき矛盾、過去の道行きに何が起きたのだろう。
 落ちこぼれた彼らを未来に向かって後押ししようと、自ら指南役を買って出た父ジョージ。本部を去る間際、娘の自分にあんな“決意”を言い置いて――
深層に近づくどころか、いやが上にも遠ざかった気分がした。後部座席で揺られながら、アイラは秀でた運転技術を持つ部下に煮え切らない雑感を寄せた。

 アルストロメリア市を発ってから、空模様は坂を転がるように落ち込んでいった。
目的の地域に着くとまず、彼らは中継や保護の側面から関係の予想される公的機関を伺って回った。そこで得られた証言をつなげていき、ムクホークの足取りを絞り込んでいく。追って浮き上がったのは山の風力発電所。発電所は無人運転のため遠隔地の管理事務所を訪ねたところ、昨夜の当直から悪天候による誘導雷で一部の風車タワー内制御装置に一時的な支障が発生したという話と、その時の警報履歴などの詳細を手にすることができた。
 稜線に立ち並ぶ白い風車塔。問題の第十六基はすでに運転再開されている。日没後の操作は懐中電灯の使用に及んだ。
 尖った立ち耳。マントのような群青色の剛毛。顔には年寄りのようなふっさりした眉と髭。精悍な風情の犬型ポケモンが、鼻腔をひくつかせている。種族はハーデリア。名をオハンという。ミナトでいう銀朱の位置づけにある、アイラの手持ちだ。
ラルトス=ウルスラを伴い、タワー周辺で手掛かりを探し歩いていたキズミが足を止めた。コンクリートに覆われた地面の一角が、不自然に光を反射したように見えた。懐中電灯を何度も往復させて確かめる。彼は膝を折って屈み、白手袋をつけて触れた。人差し指の先に付着したのは、粘性の強い、軽くしなやかな繊維。親指と合わせて揉みほぐし、色味を観察してから、懐中電灯のスイッチをオフにして一旦脇に挟んだ。
「ウルスラ、リュックを取ってきてくれ」
(はい)
ドアロックを外す鍵を受け取り、アシスタントは止めてある車の元へと向かった。その間に、キズミは腰のホルダーに挿した特殊警棒を引き抜き、伸長させる。
「どうしたの? 電池が切れたの?」
 黒いスーツを着ているので、光の籠もりやすい金髪の頭だけがぼんやり宙に浮かんでいた。オハンの傍にいるアイラは、暗がりに懐中電灯を向けて言う。相手は振り返りもせず、うっとうしそうな返事を寄こした。
「こっちに向けないでください」
 不満そうに明かりが退いたあと、彼はトランツェンの先端を指の間の繊維に近づける。暗闇の中でかすかに青白い火花が散った。静電気。睨んだ通り、効力はまだ生きている。
 アイラが眉間に皺を寄せて余所見をしている間に、オハンの動きが止まっていかめしく咆え立てた。ついに、サンプルと同じ個体の臭いを突き止めたのだ。
「お手柄よ、オハン」
 これほど決定的な証拠はない。どうやら臭跡は山の中へと続いているようだ。
キズミを呼ぼうとしたその時、遠い頭上で雷鳴がとどろき、雨が降り始めた。なんということだ。このままではせっかく掴んだ臭いが流れてしまう。夜間は危険が付きまとうが、ここは捜索が滞るよりも追うのを優先すべきだろうか。いや。単身ならともかく、どんな厭味な人物でも部下は部下。巻き込むのは気が引ける。オハンが几帳面に座って指示を待っていた。
「『エレキネット』だと思われる資料を採取しました」
 リュックサックを背負ったキズミが、暗い場所からぬっと現れる。
「『エレキネット』? ……制御装置の故障って、まさか――」
「警部補は車で待機して下さい。後は俺たちがやります」
 ウルスラが人知れずムッとする。アイラは固まり、応答がワンテンポ遅れた。
「……何様のつもり?」
 言いながら、険しい顔で詰め寄った。オハンも低い声で唸っている。
「山歩きが得意そうには見えませんが。足を引っ張るなら先導しないで頂きたい」
 見下したように聞こえる彼の言い草に、どう足掻いても好感は持てない。 
「つまらないお喋りはそこまでよ。時間が惜しいわ」
 オハンに案内を頼み、肩を怒らせて後に続くアイラ。荒々しく追い付いたキズミが、膨れたリュックサックから取り出した物を彼女に押しつける。
「これを」
 いかにも安っぽい、半透明のレインコートだった。

 ただでさえ視界が効かず、おまけにスーツの上に雨具を着込んでいる。動き辛い格好で、しかも山の斜面で足場を探しながら下っていくのは骨が折れる。枝葉が屋根になり思ったよりも雨が届かないのは助かるが。
 折れて垂れ下がった枝にでっぷり肥えたキャタピーが掴まっていた。アイラは両手で捕まえて傍の幹に移し、邪魔な枝を持ち上げて下をくぐった。後ろでキズミの声がした。
「虫は平気ですか」
「何よ、悲鳴をあげると思ったの? その辺の女子高生と一緒にしないで」
「女子高生?」
 しまった。
 聞き返しに動揺して、思わず歩みを中断してしまう。急いでペースを取り戻したが、後の祭り。焦って否定すれば余計な追求を招くのが目に見える。無視を決め込んでずんずん進むアイラの背中に、小癪なカウントダウンが一定の距離を保って貼り付いてくる。
「十九。十八。十七。十六。お」
 ――つくづく、嫌な男だ。
「十六ですか」
「決めつけないで」
「反応したのはそちらです」
 反応なんてしていないと胸を張って言い切れる。しかし彼の側からすれば、体の外側などガラス張りにも等しいのだろう。正面も背面も、向かい合う位置は関係ない。相手の自覚とは別に、ほんの些細な変化から的確に意識を見透かしてしまう。良くも悪くも、それが国際警察官に備わる目だ。
 若さが露見すれば、絶対に足下を見られると思っていた。だから今までひた隠していたのに。彼にデリカシーを求めた記憶はないが、いざとなると、やはり悔しさで胸が貫かれる。父を襲った被疑者を取り逃がしておきながら、その後は反抗ばかりで好き勝手な相手を、ついにこんな所までつけ上がるのを許してしまった。この有様は何なのだ。アイラは振り返る。両の手の拳を固め、前髪が目にかかっても払いのける手間が惜しくて、肺の中の空気もろとも心の半分ほどを出し果せた。
「だから何? ええそうよ、あなたと同い年。だけど歳を理由にバカにしたら許さないわ!」
 粗く言葉を叩きつけてやった碧眼に、歪みはない。そんな落ち着いた目で見られてしまったら、居直った自分がバカみたいではないか。何かいつもと様子が違うと思ったら、そうか。普段は背筋を伸ばして見下ろしているのに、今は膝を落として目線の高さを合わせてきている。彼の目付きが良いとは言い難いが、ここに来て存外、嘘偽りのない良い色形をしていたのだと知った。
「どうでもいい。ここからは俺が先を行きます。あなたでは遅すぎる」
 また勝手なことを言って。一歩前進しようとして、アイラは足を滑らせた。オハンが咆えた。鳩尾がひやりとしたが、キズミが右の上腕を掴んで押さえたのと、『念力』が働いて固定されたおかげで無事だった。
「……早いなウルスラ」
(……お手を離してお進みください、キズミ様。アイラ様の安全は、どうかわたくしにお任せを)
 いつになく業務的な抑揚のテレパシーだった。
「そうだな」
 指が弛み、掌が離れた。その腕の跡を今度はアイラが自分の手で抑え込む。重ねてみてよく分かる。強さも大きさも全然違う。キズミとすれ違う時も、彼女は顔を上げなかった。

 オハン、キズミの後に付いて歩くのは想像以上に楽な仕事だった。キズミは山歩きに慣れているらしく、彼の足跡を踏むようにすればほとんどスムーズに進むことができる。気に入らない流れだ。だが助かる。
(お気をつけて。何か……よからぬ予感がいたします)
「ええ」
 ウルスラが深刻な声で言うのを、彼女は信じて頷いた。
 先へ進んだオハンが騒々しく鳴いている。ムクホークは近い。開けた平地の始まりにキズミとオハンがいた。アイラとウルスラが追い付くと、腕を横にかざして行く手を塞がれる。彼は何も言わなかったが、整った横顔は「見れば分かる」と語っていた。アイラも無言に習い、彼の懐中電灯の照らす先に目を凝らした。
 抜け落ちた羽がマットのように密集して地面を固めていた。その中にトカゲか鳥のものと見える黄色い四指の二脚が投げ出されていた。先は腿へと繋がっていたが、頭や胸に相当する部分が溶け落ちており、折りたたまれているのか腕がないのか、ずんぐりつるりとした胴体が白と黄の入り乱れた繊維で雁字搦めになっていた。
「ムクホークの亡骸です」
 沈着な断定は、芯に仄かな火を巻いていた。無表情とは裏腹に、キズミは筋が浮き出るほど拳を堅く握って腕を水平に均した。手首の腕時計で発見時刻を確認するために。オハンの咆吼がおさまった。アイラの耳に雨の打つ音が大きく広がる。そういえば、辿り着くまでに随分濡れてしまった。風と草木のざわめきが聞こえてくる。
 彼女は肩に痛みを感じた。それがキズミの手だと分かる頃には、すでに湿気た草地に組み附されていた。俯せに押さえつけられた姿勢で、なんとか首を横向けた彼女はトランツェンが翳されているのを見た。『放電』の大流を一本、あらぬ方向へ跳ね飛ばしている。
「フライゴンを!」
 怒鳴り声に近い。また命令か、しかし文句を言っている場合ではない。肩に回された腕が緩められた隙に、アイラは愛竜ライキのモンスターボールに手をつける。閃光とともに現れたフライゴンは急務を理解し、指示を待たずに菱形の両翼を広げて雷撃の壁役を買って出た。キズミはアイラの腕を掴んで体を引っ張り起こし、オハンを小脇に抱えて一緒に緑竜の影に連れ込んだ。
「賢いな。飛び方のフォームが綺麗なだけじゃねえんだな、お前」
 本気とも冗談ともつかない賛辞をフライゴンに送り、
「オハン、お前達はここで主人を守れ。警部補はちょろちょろしないでください。邪魔です」
「なっ……あなた生身で挑む気!? やめて! いくらウルスラのアシストが優秀でも……」
「連中は家族単位のコミュニティを作ります。援軍を見張って、必要ならば応戦を」
「だから待、こら聞きなさい!」
 リュックサックを放り出し、レインコートを脱ぎ捨てて、キズミはフライゴンの翼下を受け身で転がり抜け、抜き身のトランツェンを構えて走り出す。
「“フィールドは壊す物”。陣をバラしてムクホークを奪回します! ウルスラ!」
(承りました!)
 白いドレスの幼い風体が彼の肩と並んで飛んでいく。ラルトスの白い細腕が『鬼火』を囲う。青と紫が混在する奇異な炎は両腕全体に燃え広がり、やがて小さな手先を飛んで何もない天宙を刺した。

レイコ ( 2012/10/31(水) 02:06 )