NEAR◆◇MISS















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第三章
-7- ダシ
 視線を女上司と交差させたまま、苦い溜息に続けてキズミは厭味を聞かせた。
「銀朱を疑うあなたの気持ちがよくわかりました」
 青年の真向かいにあって、一回り小さく華奢なアイラの両肩がぴくりと震える。“上司の適性がない”と暗にそしられ、やはりそうか、喧嘩腰に見立てて自分を試したのだと思った。どこまで人の気持ちを逆撫ですれば気が済むのだろう、この男は。
 ポケモンを一方的に戦闘資材と同列した考えには賛成しかねる。しかし彼らの動員なくしては警察活動を行えないのも実相。人間の捜査員が手持ちを差し置いて先陣を切るなど、そんな型破りがまかり通ってはならない。色違いのブラッキーを巡ってバトルネーソスで対峙した時にその傾向が見えたが、危険極まりない信条はどれほどの実力を有して一切の優柔なく掲げられるのだろうか。波が砂を浚うように、流れた一戦はその目で確かめるべきものを持ち去ってしまった。
「そう。結局パスなのね。意気地のなさを誤魔化すのが上手だわ。その調子で今度は敵前逃亡でも見せてくれるのかしら?」
 ざらついた雰囲気に影響された彼女の物言い。それを聞いたキズミもまた、ささくれた感情が舌の上に転がり込むままにする。
「あなたの前任は冷静で、寛大でした。何事にも最善を尽くす人物でした」
 ついと警察署の外壁を捉えた碧眼の荒涼たるや、ウルスラは胸が塞がった。
「ロング捜査官なら、今みたいな安い挑発に乗ったりしなかった」
 崩落しか望めない、最悪の切り札。彼がその同姓を引き合いに出した瞬間の調音が、剃刀を咀嚼して吐いた後のように血まみれだとアイラ・ロングは気が付かない。卑怯だ。羽を傷つけ飛べない鳥が地上で虚勢を張るがごとく、哀れみを誘う自覚のない怒りが灰色の瞳に宿る。二枚貝のように硬く閉ざされていた唇が、重々しく開かれる。
「いいこと思い出させてあげるわ」
 何が来ようと一身に引き受ける腹で、キズミは壁からアイラに視線を戻す。一方、彼の険しくも安定した面持ちが、彼女のなけなしの余裕に爪を食い込ませて剥ぎ取った。

「あなたがもし、被疑者を取り逃がしていなければ……今頃目を覚ます方法が見つかっていたかもしれないわ。きっと、私の部下になることもなかったのよ」

 この状況でこんな紅涙のように透明な声を出せるのか、とアイラは自分でも驚いた。抑え込むうちにどす黒い攻撃性が沈殿して、上澄みだけ言葉にしたみたいだ。キズミの頑固な眼差しが一瞬揺らいだ気がした。反面、表に走り現れた狼狽えはフェイクで、青く峻厳な目を底に溜まった不純物に釘付けし、隙あらば掻き回して自分を混濁させようとしているのではないかと不安を覚えて、急速に緊張が高まっていく。
 隠した傷口を目聡く見つけ合い、片っ端から引っ掻きむしる二人。声なき制止がラルトス=ウルスラの胸中で反復される。得物を一つ一つ手にとって吟味するように、主人がより鋭利な語調を整えるのを聞くに耐えられなかった。
「そちらこそ俺達の上司になる理由がどこに? 指導の片手間に犯人を追わなくたって道はいくらでも選べたでしょうに」
 完全なる優位を物にするため、キズミはあえて嘲るような調子を強めて切れ味を大きく引き上げた。

「父親の傍にいたいのが本心ですね」


 天地をひっくり返されたほどに、上も下もなくなった。ごちゃまぜにされた感情の渦の中で、アイラは情けないくらいの激しい敵愾心が並外れた高峰になるのを止められなかった。卑しくも国際警察官が判断を鈍らせるような私情を公務に挟んではいけない。分かっている。余計な詮索を嫌って、当分の間は気安く認めるつもりがなかったのに、抜き差しならない無言が「血縁」を証明してしまう。
 素知らぬ顔のキズミが追い討ちを掛けた。
「俺達をダシに使って、枕元にすがるあなたを知ったら警部もがっかりするでしょう」
 みっともない、平手が彼の頬に飛んでいたところだった。あらぬ方向に突き動かそうとする衝迫を阻止したのは、プライドの他にもう一つ。彼女のポケギアを身震いさせる、ミナトからの着信だった。


◆◇

 ジョージ・ロングロードの一般捜査車両を借用し、アイラは暗雲の低く垂れ込めるアルストロメリア市の、高速道路を目指してアクセルを踏んだ。ハンドルを握ったまま、視線をわずかに上げる。ルームミラー越しに後部座席のふて腐れた部下と目が合った。庁舎を出る前から不機嫌のきらいがあったがそれに輪を掛けてあの様子だ。シートの背もたれに着かずとも離れない、肩に力の入った姿勢。疲れそうだ。しかし先ほどの酷い言われようを思い出し、とやかく気遣うのはやめようと心に決める。何をしたって毒舌しか返ってこないのだから。出発してまもなく信号に引っかかると、不平が早々に車内を駆けた。
「ブレーキ早すぎないですか」
 助手席にいないのがせめてもの救いだ。もう一度ミラーを見ると、同じ後部座席のウルスラが肩身の狭そうな顔をしているのが目についた。気難しい主人に振り回されて苦労してきたのだろう、不憫でならない。交差点を左折して二車線に入る手前で、キズミの不満がまた滑り込んだ。右車線にいた2ボックスタイプのライトバンも急に前方に割り込んだ。
「だからなんでこの道に入るんですか、この時間帯は混むからあのまま真っ直ぐ行って二番目の信号から脇道に入ったほうが良かったんです。早く到着する気ありますか?」
 運転中は誰しも軽い緊張状態が維持されると聞くが、平静なら聞き流せる雑言も耳の感度が高まり必要以上のマイナスを拾い上げる。ただの乗員が偉そうに。でも彼のほうが街に長く住んでいる分、土地勘が育っているに違いない。命を預けるのと運転をまかせることは同義で正直躊躇われたが、あまり文句がしつこいと注意散漫になる恐れがある。時間も押している。この際、あれこれ注文をつける側に回った方が、この胸のむかつきも少しは改善するかもしれない。本当は一言も会話を交わしたくないので、気休めに意地でもキズミの顔を見ないようにしながらアイラは言う。
「難癖ばっかり。私に事故を起こさせる気?」
「ずいぶん不寛容ですね、どなたかと違って」
 ダシ。枕元。幻聴を振り払う。これ見よがしに父を語って欲しくない。
「……」
「そこで交代できますが」
「……道に詳しくても運転が下手だったら承知しないわよ」
 徐行して沿道に横付けし、エンジンをかけたまま停車する。ほとんど同時に前後のドアが開いた。短い距離を目を伏せたままきびきび歩いたので、アイラは彼と外ですれ違った時も黒いスラックスと靴と早い足音が通り過ぎたのを見聞きしただけで済んだ。
 後部座席に乗り込んだ彼女は、このまましばらく運転席を直視しないと思い定めていたはずだった。ところが、窓の外で盛大にエンジンを吹かせて青信号に雪崩れ込む車群よりも早くその決意が破られた。新しい運転手は自分より目線が高ければ手足も長い。細かい調整が要されるそれが実に手際よかったのだ。レバーを引いてシートを後ろにスライドさせ、ボタン操作でドアミラーをいじり、ルームミラーの角度をぐいと指で挟んで整える。一連の動作に無駄がなく、職人芸が何かを見せられたような心持ちになった。
「長居しました。少し飛ばします」
(アイラ様、シートベルトを)
 助手席からちょこんと顔を覗かせるウルスラ。隣に座りたがる彼女の気持ちが、アイラには共感できずとも理解は出来た。

レイコ ( 2012/09/18(火) 04:04 )