NEAR◆◇MISS - 第三章
-3- 不和
 ジョージ・ロングの愛車を拝借し、アイラが運転席に乗り込んだ。ルームミラーの角度を直すと、仏頂面のキズミと目が合った。肩に力の入った部下の姿勢は、上司のドライブテクを信用していない。アルストロメリア署を出発してすぐに赤信号に引っかかると、後部座席からさっそく不平を漏らされた。
「ブレーキ早すぎないですか」
 交差点を左折して二車線に入る手前で、また言われた。
「なんでこの道に? さっきの二番目の信号から脇道に入るのがベストです」

 ハンドルを握る手に余計な力が加わる。いちいち、偉そうに文句を。 
「私を注意散漫にさせて、事故らせる気?」
「ただの忠告です。不満なら交替して下さい」
 キズミの発言を、アイラは聞こえなかったふりをした。
 居住歴が長い部下のほうが道には詳しい。でもこの車を運転させたくない。
「金城くんから、連絡は?」

 キズミは携帯をいじり、学校潜入中の親友からの新着無しを再確認した。

「女子生徒にうつつを抜かしてるんじゃないでしょうね……」
「そこまでバカじゃありません、あいつは」
 たしなめるキズミの声は、少しだけ怒っていた。

「そうかしら?」
 アイラはつんと澄まし返って言った。
「適性の怪しい警察犬に見切りをつけられないのは、判断力に欠けてるわ」
「銀朱の嗅覚はずば抜けています。他の能力面も、努力で補えます」

 キズミの隣に座るガーディが、心配そうに鼻をひくひくさせて応酬を見守る。 

「説得力がないわ。そういうレスカ君は、分別に欠けてるじゃない」
 アイラの物言いが、いよいよ本格的に嫌悪感を募らせた。
「職務怠慢よ。あのブラッキーを私物化しないで。近況を知らせなさい」
「あなたが信用に足る上司だと分かれば、すぐにでも」
「彼女を傷つけたりしないわ。何をそんなに、私を疑ってるの?」

 キズミは無感情に告げた。
「モンスターボールの登録情報は解除済み、ダッチェスは現在フリーです。たとえば事情聴取の後に、無理やり捕まえて、従わせる。そこまでいかなくても騙しこんで、ジョージ・ロングを襲った被疑者の捜査を手伝わせるとか。あいつの特性は『シンクロ』だ。鍛えれば、汎用性の高い便利な能力です」

 そんな身勝手な推測をしていたなんて、性格がねじ曲がっている。
 振り向きたい衝動を抑え込みながら、わき見運転をすまいと前方注意に徹した。
「人聞きの悪いことを言わないで。『シンクロ』の取り扱い方が間違っているのは、あなたのほうだわ。手持ちがなぜ、ウルスラだけなの? 移動も戦闘も、私達の仕事は携帯獣のサポートにかかっている。最低二体は連れておきなさい。【シンクロ】を濫用して生身の人間が戦うなんて、言語道断よ」
 色違いのブラッキーを巡るバトルネーソスの件や公園での捕り物でその傾向が見られたが、危険極まりない志向だ。無論、ポケモンは武器ではない。しかし彼らの抑止力抜きで警察活動は成り立たない。肉体で劣る人間の役目は司令塔であり、彼らを差し置いた前線で死傷者になることではない。

(アイラ様)
 ほっそりとして、芯のあるラルトスの声が脳内の弦をキンと爪弾いた。これより先に踏み込まないで、と。主人を庇おうとするアシスタントの一途さがアイラに伝わり、わずかに躊躇いを生じさせる。

「外堀から埋めなくて結構。俺の人格を否定したいなら、はっきり言えばいい」
 ウルスラの善意を踏みにじるかのように、キズミは冷たくアイラを焚きつけた。
「俺に運転をさせたくないのは……親父さんの愛車だからですよね」

 運転手は短気になりやすいという統計があるように、アイラの負の感情も過敏に掻き乱された。冷静であるべき国際警察官らしからぬ、私的な敵愾心が膨らんでいくのを止められない。周りから詮索されるのが嫌で、当分は血縁を公言するつもりはなかった。無言でもたつけば、正解を認めるのと同義になってしまう。
「私、親子だなんて言ったことないわ。姓が同じだからって、決めつけないで」

「警部が言っていました。上の娘は長く会えてないが、下の娘は国際警察官だと」
 ヘッドレスト越しに後ろ姿の髪を射抜いていた青い眼を、わずかに下げた。
「俺とミナトと同い年の、灰色の眼が綺麗な子……そう自慢していました」

 アイラは背筋がこわばり、無意識にハンドルに爪を立てた。
 どこまで人の気持ちを逆撫ですれば気が済むのだろう、この卑劣漢は。
「私が隠してるのを、心の中で嘲笑ってたのね」

「あなたの自業自得です」
 キズミの平静な居ずまいは上辺だけに過ぎない。声色に凄みが利いている。
「本心では俺を恨んでいる。憎んでいるはずです。わざわざ本部から赴任して来たのは、あわよくば父親の看病ができると踏んだからでは? 俺たちの監督は二の次で。動機が見え透いてる、偽善者はうんざりだ。そんな上司に、ジョージ・ロングの代理が務まるわけがない」

 関係性の崩落しか望めない、悪態の乱発。

 安全運転に限界を感じ、路肩に停車してハザードランプを点けた。運転席から振り返った顔色は、気色ばんで赤らんでいる。灰色の瞳に雷雲のごとく苛烈さが満ち、重い二枚貝のような唇が持ち上がった。
「いいこと思い出させてあげるわ」
 険しくも安定した部下の表情の不遜さが、アイラからなけなしの余裕を剥ぎ取った。 
「あなたが被疑者を取り逃がしていなければ……今頃、父を目覚めさせる方法を聞き出せていたかもしれない。あなたこそ、自業自得よ。私が上司になることもなかった! これで満足!?」
 砕ける息で喉が掠れて、最後のほうは泣いているみたいに声がくぐもってしまった。

 ほころびを目聡く探し合い、片っ端から抉り合うかのような二人。ガーディはしょげきっている。口を挟む機会のなさが、ラルトス=ウルスラの胸中を掻きむしっている。主人であるキズミが血を吐く思いで隠しおおせた真意に、アイラが気がつけるはずもない。刃物を研ぐかのように鋭く整えられた男の語調を、聞くに忍びなかった。

「運転を代わって下さい」
「お断りよ」
「ムクホークが待っています。到着が遅れてもいいんですか」

 今すぐ横っ面を引っぱたいてやりたい。
 体罰で問われる責任は後で考えたい。できる事なら。
 こんな奴のために。こんな奴の未来を後押しするために。
 みずから指南役を買って出て、本部を離れて、意識不明にまでなった、父は。
 アイラは、歯で食らいついてでも離れたくなかった運転席のドアを開け、降りた。



 
 


 相変わらず運転は上手かった。部下から上司への当てつけ以外の何物でもない。酔っていないのに乗車中、アイラは気分が悪かった。市街地を発ってから、天気は下り坂だ。国際警察支部の偵察ムクホークの位置情報が途切れたのは、山地に建てられた風力発電所の付近である。発電所は無人で運転されているため、先に管理事務所を訪ねた。昨夜の悪天候による誘導雷で一部の風車タワー内制御装置に一時的な支障が発生したという話を聞けた。その時の警報履歴などの詳細も入手できた。
 稜線に立ち並ぶ白い風車塔。問題のあった第十六基はすでに運転が再開されている。
 もたもたしていると日が暮れる。夜間の山中捜索は危険が伴い、困難だ。
 長い眉と髭をたくわえた犬型ポケモンが難しい顔で、めぼしい臭いを探している。名はオハン。アイラの手持ちだ。ミナトがキズミに連れて行くよう押しつけたガーディ=銀朱は、タワーの周辺をしつこく嗅ぎまわり、老ハーデリアより先に吠えた。
 粘性のある、繊維状の物質。
 白手袋をつけて、指先で採取したキズミが特殊警棒を近づける。

 静電気が散った。

「エレキネットかしら?」
 アイラが、キズミのそばに近づきすぎないようにサンプルを覗き込む。
 炎の子犬が盛んに吠えた。遺留物から続いている臭跡を突き止めたのだ。
 遠い頭上で腹の底に響く雷鳴があった。ピッチを上げたほうがいい。
「山歩きに自信がないなら、車に戻っていてください」
「馬鹿にしないで」
 アイラは肩を怒らせた。

 先を急ぐキズミ達。わざと置いて行かれているみたいで、嫌な感じだ。アイラはあそこまでの健脚ではない。斜面でたまに足を滑らせかけるので、サイコパワーが使えるウルスラに見守られながら、ふたりで慎重に後を追った。
(お気をつけて。何か……嫌な予感がしますわ)
 ウルスラが深刻な声のテレパシーでささやいた。

 オハンと銀朱が吠えている。アイラとウルスラが急いで斜面をかけ上がると、先に上り切っていたキズミに腕を横にかざされた。待ったをかけられたアイラはその場から、邪魔っけな腕の奥に目を凝らした。

 抜け落ちた羽が小さな絨毯のように、ひらけた平地に散らばっていた。
 黒く鋭い爪の生えた、猛禽の黄色い下肢が千切れて、転がっていた。

「ムクホークのものです」
 固い表情で、キズミは筋が浮き出るほど拳を握っていた。
 葉擦れが聞こえた気がした。
 肩を突き飛ばされた。それがキズミの仕業と分かる頃には、アイラは横ざまに落ち葉の上に倒れていた。『不意打ち』を食らったハーデリアが宙を舞う。アイラがさっきまで立っていた場所で、特殊警棒トランツェンが振るわれるのを見た。『放電』の大流を一本、跳ね飛ばした。
「フライゴンを!」
 また要求。しかし言い争っている場合ではない。愛竜ライキのモンスターボールに手をつける。召喚されたフライゴンは急務を把握し、菱形の両翼を広げて絶縁体の防壁を作る。
 捻挫した前足を浮かせながら、ハーデリアが戻ってきた。
「オハンはここで、警部補を守れ」
 キズミがグリップを持ち直した。
「待ちなさい! またなの!? いくらアシスタントが優秀でも……」
「“フィールドは壊す物”。ムクホークを回収する! ウルスラ!」
(まいります!)
 フライゴンの翼下を受け身で転がり抜け、トランツェンを構えて走り出す。金髪の少年と肩を並べて、白いワンピース姿のようなの幼い風体が飛んでいく。ラルトスの手先が青と紫の混在を灯し、『鬼火』を発射した。

レイコ ( 2012/09/07(金) 23:26 )