NEAR◆◇MISS















小説トップ
第三章
-6- 麗竜ミロカロス
 微細な淡黄色の鱗で覆われた上体は、白肌の女性がほっそりとした腕をもたげているかのような物柔らかさを写し取っている。胴以降の尾部を覆う大粒の鱗は構造色だ。自然光が干渉し、金属光沢のある青に発色する。そして角度によっては色相が変化し、目も綾な輝きを放った。まるでこの灰色に淀む天下で降雨に先んじた虹のように。
 あらゆる美の条件を完備したその姿容に観衆の心は圧倒的な感動で満たされる。生まれて初めて実物を目の当たりにしたナティの反応もそのひな形だった。

「……きれい」

 溜息がこぼれる。涙まで出そうになる。それが特別に優艶なる個体だと鑑定家でなくとも通じる。ナティは今までミナトの手持ちも一体たりと知らされていなかったが、いつもヘラヘラ上っ調子な少年のイメージに似付かない真相だった。

「さぁ、意外にも電気の苦手な水タイプを繰り出したカネシロ選手! 相性などねじふせてみせるという強い自信の表れでしょうか!? だがしかし、水棲のミロカロスにとって陸上戦は圧倒的不利! 形勢を有利に運ぶその秘策とはァ!」

 わざわざ弱点のカードを引いたことに驚かされたが、ここは部の存続のため、勝ちは遠慮無く貰ってしまおう。部長は頭の中で有効な初手を割り出していった。手持ちのライボルトは遠距離からの特殊攻撃を得意とするアタッカー。対する相手はその特殊攻撃に高い耐性を持つミロカロス。弱点を突いて一撃で仕留めたいところだが、ここは一つ。

「『電磁波』よ!」

 目標めがけ紫の微弱な電流を浴びせる、突き出た黄色鬣。
命中率の高いこの補助技は、ほぼ確実に相手を『麻痺』させ、動きを鈍らせることができる。速さ自慢のライボルトにとってスピードダウンはさほど大きなプラスではないが、様子見としてはちょうど良い。さらに状態異常はミロカロスの厄介な『特性』を発現させるものの、特殊型のライボルトにはほとんど影響が出ない。
しかし。

「そんじゃ、『神秘の護り』!」

 触手のような電流が魚鱗へ絡みつこうとする。対してミナトが技名を甲高に名指す。瞬間と瞬間が等号で結ばれた。
 その身一つで『電磁波』を受け止めようとしていたミロカロスが、動いた。半円型の目が穏やかに細められた。突如、四枚の尾鰭の中央にある特大の赤鱗から箒星のように放散される星状六花の結晶群。海中に注ぐ太陽光のような、青く揺らめく尻尾をなびかせて舞う。長躯を取り巻いたのは青く透き通った紗膜の結界。
 『神秘の護り』に『電磁波』は退けられた。

「これはどうした事だーッ!? 速攻で先駆けたライボルトの技がまさかの不発に終わりました! なんというスピード! ミロカロス、陸上でも侮れません!」

 麗竜の艶やかさが妙技をたどって一層追求されている。キルリア=クラウは緊張で冷や汗をかいていた。バクバクと動悸もしていた。同じ恍惚の世界に浸る他のギャラリーポケモンの諸兄に比べれば、これでも随分理性的な部類だろう。
 部長は堅い笑顔を浮かべて、言った。

「速いのね! それにすっごくキレイ……でもね、ちょっと手を読んだくらいでいい気にならないことよ!」
「わかった、気をつけます。けど、あんまノンビリしてると一気に畳み掛けちまいますんで」

 ミナトがにこりと白い歯を覗かせて笑う。それから、美麗なミロカロスに心底うっとりしているポニーテールの少女を向いて。

「あれ? なんでオレのこと見てんだ?」
「ぶっ、はあっ!? な、何言ってんのよ! 見てないもん!」

 照れている。これだからナティをからかうのは楽しい。反応が単純で。
ミナトは悪ガキよろしくニヤニヤしながら、次はナティの近くにいる、別の信奉者に目を付けた。分かるぜ。それはそれ、これはこれだよな。
 何もかも見抜いたような彼の視線に気付き、同じ職場のラルトスに絶賛片想い中のクラウは頭の角と同じくらい顔を真っ赤にした。慌てて目を反らし、自分の頬をビシバシ叩きながら「違う、違うんだ、僕にはウルスラさんが僕にはウルスラさんが――」と念仏を唱えるように言い聞かせる。
 ひやかしを堪能したミナトは、次にうきうき弾んだ声でリュートを呼んだ。

「おう、名アナウンサー! さっき陸がどうとか言ってたな、今から面白いもん見せてやるよ」

 始めるぜ、と彼はミロカロスに目配せする。

「おぉ? カネシロ選手、何か始める模様です!」

 身構える部長とライボルト。審判の面持ちは、選手に公平でありたい気持ちとバト研部員として部長の肩を持ちたい気持ちの間で揺れていた。
 口角の上がった唇が開き、小麦色に日焼けした喉から、エンターテナー顔負けの陽気で力強い前起きが発せられた。
 
「今のうち、名言いっとくぜ。――『フィールドは作るモノ』だってな!」

 一繋ぎになって円運動をする、神秘の青き結晶。天蓋のようなベールに包まれたミロカロス――長春(ちょうしゅん)の頭部の角から尾末へ渡り、白き一閃が流れた。
 深緑の長袖がまっすぐ伸び、ぴしっと目標を指差した。

「いくぜ『渦潮』!」

 開幕する神秘のベール。
 赤く長い飾り鰭が強風に煽られるように、はためいた。長春の額付近に水エネルギーが集中し、光球になったものが大砲のようにどんと下方に撃ち込まれた。床との衝突で爆発した球は雫が水面に落ちたごとく一面に波紋を浮かべ、震央が高々と噴水する。たちのぼる水柱が高速で回転して下の波を巻き上げ、頂点を下にした円錐形にぐんぐん体積を増していった。逃げ遅れたライボルトが悲痛な叫びを残して潮流に引きずり込まれた。
 大海を切り取って据えたかのような、青黒く壮大な景観が完成する。巨大潮流によるフィールドの占拠など――バトル熟練者とて滅多に立ち会う驚異ではない。自ら渦に滑り込んだ長春が、長い体をくねらせて最もゆるやかな外周に乗っていた。

「でかい! でかすぎる! フィールドが渦潮で埋まってしまいました! 膨大な水量を完璧に維持しています! 恐ろしいコントロールです、ミロカロス! 悠々と泳いでおります、まるで水族館! 対するライボルトは大ピーンチ!」
「……!」

 パッと白いインクを零されたかのように、部長の頭はショックに染まる。ライボルトは独楽のように回転しながら渦の中心で藻掻いている。引きずり込まれまいと、必死で水を掻いている。なんでもいいから手を打ちたくて、彼女は最初に浮かんだ言葉を吐き出した。

「ほ……そう『放電』よ!」

 羽箒状の尾鰭で一扇ぎ。流れを利用して加速し、スピードに乗って渦の真上に飛び出す長春。千切れた数珠玉のようにばらまかれた水滴が鱗の虹を反射した。しなやかな総身が幻想的に滞空する。
 飛んだ。大胆な逃げ道に部長はごくりと喉を鳴らす。ライボルトは苦しい体勢で『放電』に臨むが、分厚い水壁に電気が吸引されて高度が足りなかった。体力が急速に奪われていく。四肢が重くなってきた。頭が浮き沈みし、波を被り、まともに呼吸するのも辛い。

 弱る頃合いを見ていたミナトは、不意に胸ポケットの震動に気を奪われた。ポケギアの電話着信だ。キズミかアイラからだろう。。
 長春は白刃のごとく渦潮に突入し、着水寸前で身を捻り、黄色い鬣めがけて尾鰭を振り下ろす。水面が割れて白い翼を広げたように見えた。渦の底まで叩き落とされ、泡に包まれたまま脱力するライボルト。戦意に満ちて鋭かったあの赤い瞳から、光が消えていた。
 ポケギアの着信が切れ、言い得ぬ違和感がミナトにまつわったのも。
 クラウが謎の気配を感じたのも。
 近くで何かがゴトッと音を立てたその時だった。

「リュート? アンタ、どうし――」

 どさりと床に倒れ込む音が、ナティの語末を悲鳴に変えた。
 さっき取り落としたらしい、白いマイク代用品の傍にリュートが俯せていた。全身が激しく震えている。
 あのヤロウ。急患を横目にミナトは勝負を続行する。

「ドラゴンテール!」

 鱗形を残して剥がれ落ち、雲散する青色。一瞬無色になった尾の表面が黒光りする深緑を纏い、水中で閃いた。一振りで渦の外に弾き飛ばされたライボルトがモンスターボールへと強制送還される。
 あいつだ!
 気配の正体を追ってクラウが飛び出すが、間に合わない。
 影は部長に飛び掛かった。ように見せかけて、ライボルトのモンスターボールを奪い取った他は何もせず、なんとフェンスを越えて屋上から行方をくらました。

(はっ……!?)
「クールにな!」
(! はい!)

 後押しされ、記憶上最も動機の不明な窃盗犯を追って、『念力』全開にしたクラウが追跡ミサイルのように飛んでいく。
 悠長に見送る暇はない。ミナトはガクガクと震えるリュートに駆けより、ワークキャップを脱がせ、手首を掴んで脈を測った。ナティがリュートの傍らで慌てふためき、男子部員はおろおろし、部長はへたりこみ、ギャラリーのポケモンたちが心配そうに鳴く。ごうごうと五月蠅い渦潮が引いただけでも、圧迫された聴覚が随分楽になる。

「どうしよう、どうしよう! ねえミ――」
「だからソウだって」
「ナ! じゃなくてソウ君! 見た!? ボールが、ライボルトが変な風に飛ばされたぁ! リュートがリュートがぁ!」
「落ち着けよナティ。長(チョウ)!」
 
 ミナトに呼ばれると予測していたのだろう。前もって接近していた長春が、赤い髪のような飾り鰭を使ってリュートの肩と頭を抱いて持ち上げる。一人と一体の額が静かに重なった。半円型の紅目を瞑ると、長くなめらかな全身が鮮やかなピンク色に染まり出す。その光はやがて水面を覆う桜の花片のように揺らめいて、密着した額を通じてリュートに伝わり、震える彼の体を包み込むと。

「ナティ、悪いけどあの二人呼んできてくれ。こいつ保健室に連れて行かねえと」
「えっ? あ……」

 ミナトに言われ、リュートを見下ろしたナティの表情に驚きと安堵が広がっていく。
震えがみるみる落ち着き、蒼白だった彼の顔に血の気が戻ってきたのだ。このピンク色の光は体を癒すだけでなく、気持ちを和らげる効果もあるらしい。ミロカロスの不思議な力を身をもって知った彼女は、ミナトに向かってはっきりと頷き、落ち着いた足取りで二人の部員の許に向かう。
 長春がゆったりと目を開いた。もう大丈夫と伝えたげに、優しい眼差しをしている。額を離し、リュートを丁寧に寝かせる。応急処置は済んだので、あとは安静にして待つのが良いだろう。ミナトは人の髪をすくように、褒める気持ちを込めて長春の赤い飾り鰭を下から手の甲ですーっとなぜる。

「……さーてと」

 ナティが部員たちを呼びに行った隙に、ミナトは声を潜めて。

「おい、気分はヘーキ? 時間ねえから勿体ぶらず言えよ」

 問いに反応して、閉じられた瞼がぴくりと動き、ひび割れさながらの細さで開いた。ごほごほと咳を吐き、目付きがぼんやりとしているが、なんとか会話できる状態まで持ち直したようだ。

「……礼は……言わんぞ……」
「いや、そっちもじゃなくて。つーかリュートじゃなくて『居候』だな、オマエ?」
「……」

 質問が気にいらなかったのか、『リュート』は威嚇するような視線を向けてきた。
 そんなに力むなと言いたい。一応病み上がりの相手に、体に障るような刺激はどこまで許されるだろう。加減というものを考えながら、ミナトはキャップの鍔を持ち、病人の顔を団扇でするように扇ぎながら言った。

「あのキルリア、霊能ないヤツには不可視の仕掛けしてたんだぜ。なのにオマエには視えてた」
「……」
「“うん”でも“はい”でも“参りました”でもいいけどさ、認めるよな?」
「……貴様、何者だ……」

 ミナトは笑い、風を起こす手を止める。

「オレ? 勘のいい『被疑者』なら速答じゃね?」


◆◇


 出発の前に、ムクホーク捜索の件をミナト達に伝えておく必要があった。
 しかし。
 手にしたポケギアを見つめるアイラの顔が、曇る。
 発信を中止していないのに。

「まさか……ジャミング?」
「心配いりません」

 横から、かすかに苛立ちの混じった声が飛んでくる。
 アルストロメリア警察署の壁に黒いスーツの金髪の青年が背中で寄りかかっていた。
光の世界で質量を持った長い影のようだ。無駄のないすらりと引き締まった体型なので余計に伸長して見えるのだろう。
 独り言に構わないで欲しい。頭半分ほど背の高いキズミ・レスカの横顔を睨め付けて、アイラはムッとする。

「なぜそう言い切れるの?」

 答えの前に、じろりと目尻に青い瞳が寄せられる。無愛想さにかけて今日一番の流し目だ。

「ミナトは腕が立つ。手持ちも全員優秀です」
「待って」

 ドンカラスの時のように、戦闘で気絶する小心者がいては困るのだ。全員という括りにアイラがくすぶった。

「銀朱に警察犬の適性があるのかしら」
「あいつの嗅覚の右に出るヤツはいません。……ただ一体を除いて」
「説得力がないわね」

 その『一体』とやらに関心を向ける義理はない。解せない矛盾を孕んだ分際で利いた風な答弁する彼があまりに不当で、アイラの苦々しさは口調にも溶け出していた。
 
「だって、そうでしょう? そんなに人の手持ちを信頼できるなら、あなたは何故ウルスラしか連れていないの?」

 ずっと不審に思っていた。国際警察のデータベースに、手持ちがウルスラを除いて一体も登録されていない理由をまだ彼の口から直接聞いていない。

「初歩的なことを言わせないで。移動も戦闘も、私達の仕事は携帯獣のサポートにかかっているのよ。リスクの大きさを考えれば、最低二体は連れておくのが常識でしょう? 現場を舐めているとしか思えないわ……!」
(アイラ様)

 ほっそりとした、残響のかかった声が彼女の頭をキンと爪弾いた。はばからず、両腕を広げた小さな白い体が目の前を塞ぐように割り込んだ。緑の前髪に隠れた赤目がちの双眸が、真っ直ぐこちらを据えて嘆願している。これより先に踏み込まないでくれと、主人を庇うウルスラの一途さがアイラに伝わり、火の付いた追及にかすかな躊躇いを生じさせる。

 ジャリッと硬い砂粒を踏みにじる音がした。ウルスラは逃げるように場所を開け、砂を踏んだ靴の持ち主の後ろに回り込む。空いた正面を占有した黒いスーツの背格好の良い立ち姿は、もとより薄い暖かみを欠いてますます人型を模した異邦の影に似ていた。

「俺は生身でも強いからいいんです。非力なあなたと違って」

 一日の間に何度こうして険悪に正対しただろう。そういえばあれが今日のはしりだったか、とアイラは振り返る――ぐいとネクタイを緩めた彼の仕草が、自分が結び目を掴んで引き寄せた今朝の記憶と一瞬重なったからだ。無意識の皮肉だったのかもしれない。

「……私が、非力?」
「なんなら素手で闘いますか?」

 さりげない物言いも落ち着いた佇まいも上辺に過ぎない、全て。
 アイラの見抜いた彼の心根はぞくりと身の危険を感じさせるほど凄みが効いていた。
 傍目には短絡的と映るだろうと知っても、彼女は返事を選ぶのに長考しなかった。両脇に下ろして拳を固めていた腕を、静かに胸の前で組んで答える。

「あなたになんか……負けないわ」

 先が不安でいたたまれない。ウルスラは自分の無力さに目を覆いたくなった。

レイコ ( 2012/09/07(金) 23:26 )