-2- バトル研究部
放課後の校内。
キルリア=クラウが余所見をしていると、廊下で生徒とぶつかりそうになった。
グラウンドではユニフォームに身を包んだ少年達が基礎トレーニングに打ち込み、テニスコートからはポコンポコンとボールの当たる音がひっきりなしに聞こえてくる。別方向に耳を澄ませると、おそらくブラスバンドだろう、打楽器の厚みのある音に加えて管楽器の透き通るような音色が、ここまで響いて来ている。
階段をのぼる途中、後ろから聞こえてきた足音。男女の言い争う声も一緒に。
「ほっといてよリュート! あたしだってポケモンバトル強くなりたいの!」
「やめろよ、ナティ! バトルなんか時間の無駄だ!」
深緑のブレザー、赤いスクールリボン、タータンチェックのベージュのスカートに黒いソックスと茶色のローファー。制服姿の女子生徒が一人、ポニーテールを揺らしながら階段を駆け上がってきた。
思った通りだ。ミナトはにっこりして「よっ、ナティちゃん」と親しく呼び掛ける。ポニーテールの少女は、こんな所で出くわすと思ってもみなかった知り合い刑事の顔を目に留めるなり、立ち止まって驚嘆した。
「えええええ!? なんでミ――」
「しぃー!」
名前を呼ばれる前に、ミナトが人差し指を口に立てるジェスチャーで止めた。
ナティの斜め後ろにいる男子生徒が、さっきの言い争いと同じ声で喧嘩腰になった。
「誰だ、てめえ」
「オレは、カネシロ・ソウ。よろしくな!」
偽名だ。やな感じの奴に本名を教えたくないんだ。
と、解釈したナティは指摘しそうになった口をつぐむ。
首から赤い円錐メガホンを提げた男子生徒はじろじろと、ミナトを怪しむ。
ついでに、ミナトのそばにいるクラウと一瞬目が合った。
おや? とクラウはまばたきした。
「ナティちゃんのカレシ?」
ミナトからニヤッとされ、ナティが全力で否定した。
「ちがう、全然ちがう! こいつはクラスメイトで変人の、リュート」
「誰が変人だ! どこが変人だ!」
「なーんだ、シロか。もしかして二人はバト研に用事? オレもなんだ」
チッ! と舌打ちをするリュート。
「てめえもか。どいつもこいつも。バト研に何がそんなにいいんだっ」
「行かせたくねえ理由でも、あんの?」
ミナトが訊くと、嘘が下手だと一発で分かる態度を取った。
「べ……別にねーよ」
「なら、いいじゃん。三人で仲良く直撃しようぜ」
バトル研究部の練習場は、校舎の屋上を間借りしているそうだ。
ミナトは愛想よく笑い、くいと親指で上の階を示した。
「ひやかしなら帰って」
即、突っぱねられた。
「他のクラブとの合同コンテストの準備がある、地区予選も迫ってる。この数年の成績不振で、ただでさえ弱小クラブって笑われてる。悪いけど、あなたみたいな素人の面倒みてる暇ない」
つり目タイプの眼鏡をかけたきつそうな女子生徒は、本気で追い返そうとしている。
部長を称する彼女の人当たりの悪さに戸惑いながらも、ナティは食い下がろうとした。
「手持ちポケモンはいないけど、パートナーになってほしいコは決まってるんです。今はバトルネーソスにいるから、もっとバトル勉強して、もっと仲良くなりたくって……」
「泣き落としのつもり? 言っとくけど、顧問に相談しても無駄だから。うちは実力主義なの。つまり、一番バトルに強いこの私が、部内で一番偉いってこと。分かった?」
「分かんねえ」
軽い調子でミナトが会話に乱入した。
「部長さん。オレがあんたに勝ったら、彼女を入部させてもらえません?」
部員三人とクラウも含めた全員が、唖然とした。
「だれ、君?」と、胡散臭がる部長。
「ただの“ウワサ”好きな体験入学生っす」
軽い調子の好戦的な笑顔で、闘争心を駄目押しで煽る。
「実力主義なんだろ? 売られた勝負、買わずに逃げるとか言わないっすよね」
部長の表情がゆがんだ。
「顔がいいからって、いい気になんないで! 副部長は審判、リュートは実況!」
呼ばれた途端に首紐をばっと脱ぎ、プラスチックのメガホンに威勢を吹き込んだ。
「天気は曇天、気は動転! バト研至上前代未聞のギャンブルマッチが、今! 始まろうとしていますッ!」
「おいナティちゃん、なんかスイッチ入ったぜリュートの奴」
「ポケモンバトルの実況アナ志望なのよ。声と滑舌だけはいいから」
ナティはミナトに、小声で解説してあげた。
『赤コーナー、熱血爆走、走り出したら止まらなァい! バトル研最強の絶対女王、部長ゥウッ! 続いて青コーナー、行動予測率ゼロパーセント、大胆不敵なチャレンジャー、カネシロ・ソウーッ!』
ハイテンションな実況の横で、気の弱そうな審判の男子部員がルールを説明した。
「手持ちは一体、使用技は四つまで、制限時間は五分、体力の減り具合から目視で勝敗を判定します。時間内にどちらかが戦闘不能になれば、そこで終了です」
『勝っても負けてもお祭り騒ぎぃ! ヒアウィイイゴウーッ!!』
部長が先にモンスターボールを放った。
「ライボルト、いくよ!」
首の黄と青の体毛の境目にスカーフ状に巻いている包帯のようなものが、たなびいた。
『出たあああ、部長の相棒、雷撃使いのエース降臨! 対するチャレンジャーは!?』
「
長春、テイクオフ!」
ミナトが繰り出された白光は空中でくねり、柔軟にS字を描いて着地した。
優美な触角と赤毛のような飾り鰭を頂く頭部、羽団扇のような尾部が整形されていく。
『な、なんという美しさ! 目も眩むほどとはまさに、この事!』
貝殻の内側の真珠層のように、光線の具合で虹色に見え方が変わる鱗。閉じられていた瞼が涼やかにもたげられ、紅色の双眸が、芸術的傑作の彫刻と見紛う全貌に生命を完成させた。
『別名は慈しみポケモン! ポケモン界最美の麗竜、ミロカロスだああーッ!!』
「本物……見るの初めて!」
溜息がこぼれる。涙まで出そうになる。ナティは感動していた。
ほああとキルリア=クラウも絶世の美魚を凝視して、頬を染めた。
『電気タイプに不利な水タイプ! しかも、水中に暮らすミロカロスに陸上は圧倒的不利! カネシロ・ソウ選手、なにか秘策があるのかァ!?』
メガホンを片手に爆音で実況を続けるリュート。
バトル研究部の部長は、対戦相手を、吊り目型の眼鏡越しにキッと見た。
「もっと不利にしてあげる、『電磁波』!」
状態異常は、ミロカロスの特性『不思議なウロコ』を発動させかねない。ただし、特殊技が主体のライボルトには、防御力のアップは痛くも痒くもない。相手を痺れさせ、スピードを落とさせるメリットだけだ。
「そんじゃ、『神秘の護り』!」
ミナトの指示で、麗竜が羽根扇のような尾ビレを扇いだ。
尾ビレ中央の赤鱗から波紋が起こり、海中の青い光のような結界がたゆたう。
尖った黄色いたてがみから飛んできた『電磁波』が、防がれた。
『これはどうした事だーッ!? ライボルトの技が失敗! ミロカロス、陸上でも侮れないー!』
「おう、名アナウンサー! 陸がどうとか言ったな、目ん玉ひらいてよく見てろ」
ニッと唇の端っこを上げたミナトから、気風の良い前置きが発せられた。
「ついでに、耳の穴かっぽじってよく聞けよ。『フィールドは作るモノ』だってな!」
男子制服の深緑のジャケット袖がまっすぐ伸びて、指を差した。
「いくぜ、『渦潮』!」
頭部の赤い髪のような飾りヒレが、はためいた。ミロカロスの額の上に水エネルギーが集中し、逆円錐型の水の竜巻が生み出され、屋上の平場に撃ち込まれた。青黒い潮流に占拠されるバトルスペース。逃げ場のなかったライボルトが、外周の波にさらわれ渦中に引きずりこまれた。
『な、なんだこれはー! わが校の屋上がさながら、うずまき島です! 膨大な水量を完璧にコントロールしています! おそるべしミロカロス! ライボルトは大ピーンチ!』
「頼むぜ、長春!」
ミロカロス=長春が渦潮に飛び込んだ。
泡立つ白波ではっきり見えないが、長躯がくねりながらピンク色の輝きを帯びる。
「ほ、放電!」
とどめを刺されると焦った部長が、ライボルトの得意な広範囲技を指示した。
尾ビレで一掻き。飛んだ。渦の真上で、ミロカロスのみやびな流線が滞空する。
ライボルトの『放電』は渦巻く水壁に自慢の電気が散らされ、高度が届かない。
「ドラゴンテール!」
身をひねり、竜鱗の尾ビレで渦面を叩き割った。水しぶきが白い翼を広げたかのようだった。青色が蒸発し、陸地に戻る屋上の風景。たったの一振りで、弾き飛ばされたライボルトがモンスターボールへと強制送還された。
「残り二分ってとこか。まだ続ける?」
ミナトは、試合時間を刻んでいる腕時計から目を上げた。
部長が固まっている。水蒸気で、眼鏡のレンズが不透明に曇っている。
「うわーーーーーーん!」
と、泣き崩れてしまった。
『不屈の紅一点、流星のごとき道場破りに花と散る! 勝者、カネシローッ!!』
実況を完遂したリュート以外、審判を含めた三人の男子部員が駆け寄った。
「きみ、新部長を虐めないでくれ! 僕らを引っ張ってくれてるのに!」
「うちの部はコンテスト部の影に隠れてて、他校から見くびられてて……」
「この人はプレッシャーに負けないように、必死なだけなんだよ」
女子の泣き顔の手前、あちゃーと悪びれるポーズを一応は取るミナト。
突き放そうとしていた事情が見えたナティはうろたえて、弱気になった。
「あたし、ほんとに迷惑になるんなら、入部は諦めますから……」
「ううん。意地悪して、ごめん。入部希望、ほんとは嬉しかったのに」
ハンカチでぬぐった眼鏡をかけ直し、部長が鼻声で続けた。
「実力主義に、二言はない。スカウトできなくて残念よ、体験入学生くん」
「詳しい話は後にしないか? 雨、降りそうだし……部室に移ろう」
副部長の提案に、反対意見は出なかった。
ミナトは集団行動からはずれて、最強を勝ち取った特権を濫用した。
「名実況だったぜ! でも一個いいか? こいつちょっと借りまーす」
騒いで暴れるリュートをぞろぞろと置き去りにして、屋上はがらんとした。
逃げられないよう、体格差で上のミナトが一方的に肩を組みっぱなしでいる。
「これで心配が減ったろ。オレのこと、まだ信用できねえ?」
「なんの話だてめえ!」
「ナティちゃんに気があんだろー。デート申し込まれたくなかったら、協力しろ」
「だ、だ、誰が、あんな女! 勝手に誘って勝手にフラれやがれ!」
「しゃーねえ、遠回しはやめだ。実はお前、このキルリアが視えてるだろ」
霊感の強い者にしか知覚できない、不可視モードのキルリアが頷いて念を押した。