NEAR◆◇MISS















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第三章
-2- クラウ、バレる 
 白いカッターシャツを身につけ、灰色を基調とする無彩色チェックのスラックスを穿き、無地の紺ネクタイを締め、仕上げに胸ポケットにエンブレムが刺繍された深緑のブレザーに袖を通せば変装完了。
 アルストロメリア署の更衣室から戻ってきた金城湊(キンジョウ・ミナト)はどの角度を取ってもシュナイデル=ハイスクールの生徒にしか見えない。ミナトがまだ国際警察のタマゴだった頃、一般的なスクールへの憧れを――ただし男女共学に限ると語っていたことを思い出し、ラルトス=ウルスラは緑の硬い前髪に隠れた赤い目を細めてそっと微笑んだ。
 今、少しだけ彼のその願いが叶えられようとしている。だがウルスラの嬉しさは一片の雪のような切なさも伴っていた。

(お似合いですわ、ミナト様)
「サンキュー、ウルスラ! まあ似合って当然だけどさ。キズミは刑事のコスプレかよ?」
「黙れ」

 愛想のあの字もない。潜入しないので着替える必要のなかったキズミ・レスカに向かって、「似合わないとは言ってねえぜ」と言って小麦色に日焼けした顔をニヤッと緩ませる。
 そんなミナトを見たキルリア=クラウはきょとんと不思議そうな顔つきをした。この黒髪の少年は変わっている。国際警察の養成所でも制服を着ていたはずなのに一般校の制服を着られることがそんなにも嬉しいのだろうか。そうまでもシュナイデル=ハイスクールへの関心が強いのだろうか、と。
 濃淡パンツスーツにダークブラウンの髪色をした女性刑事、アイラが簡素なオフィスチェアから立ち上がる。あちこち眺めても彼の制服姿にはこれといった不備もない。生真面目からの変化に乏しいが、ひとまず納得がいったと見える表情でアイラは言った。

「まだ夕方には早いわよ。手引きはマスター出来たのかしら?」
「ノープロブレム!」

 白い歯を見せて笑う。筒のように丸めて手に持っていたマニュアルの冊子をデスクの上に置かれた大きなスポーツ用ショルダーバッグの中に仕舞う。ベルトのホルダーからモンスターボールを一つ掴み、宙へ放り投げる。そして飛んでいったボールがキズミの手にぽっと収まったのを見届けると、

「デキる落ちこぼれなんで」

 そう言ってミナトは、上着の胸ポケットに印されたエンブレムを親指の先でトントンと叩いた。
 明るすぎる。何か気に入らない。アイラの眼光はミナトの藍色の瞳の奥へ迫ろうと試みる。しかし真意を見透かせるにはまだ遠い。せいぜいそのあまりにも前向きな思考回路に釘を刺しておくしかないようだ。

「……学校側に対して失礼のない行動を。くれぐれも、危険な真似は慎みなさい」
「了解っ」

 肩にショルダーバッグのベルトを引っかけ、あらかじめデスクの下に備えておいたスケードボードを脇に挟む。ミナトは額の傍で中指と人差し指の二本を揃えたピースサインを、あばよと手首の力を利かせて振って。

「バックアップはまかせますんで。キズミ、あとは頼んだぜ」
(あ、僕も行きますっ)

 クラウはその場で華麗にターンして方向転換すると、バレエダンサーのように軽やかに跳ねてミナトの後を追いかけた。


◆◇

 
 目標の障害をロックオン。ミナトは膝を曲げて腰を落とし、後ろ足の親指付け根に力を込めてスケートボードのテールをピンポイントに踏み込んだ。「パン!」とテールが地面に叩きつけられ、反発力でノーズ部分が立ち上がる。前足でデッキをノーズ先端まで擦り上げ、テールを弾いた後足をタイミング良く引き上げて、地面からフワッと浮き上がったデッキを平行に誘導。そうしてしばらく滞空する。狙いの階段(ステア)を飛び越えた後は、膝のクッションを使って四輪を滑らかに着地させた。
 オーリーが決まった。平地をプッシュで進みながら、ミナトは「な、行けたろ?」と楽しそうに振り返る。念力で体を浮かせて守護霊のように付き従っているキルリアが頷いた。大きな赤い目を磨き上げられたルビーのように輝かせながら。

(カッコイイですね!)
「だろ!」

 へへっと自慢げに答えるミナト。

(はい! でも、どうしてスクールまで自転車で移動しないのですか?)
「チャリも悪くないけどな、スケートが好きだ。それに校舎内を乗り回すにはコイツじゃねえと」

 それを聞いて、すとんと穴に落っこちるようにクラウの興奮が冷めた。
 
(乗り回すって……あの、ミナトさん、ちゃんと資料を読みましたか?)
「当然! だってあの冊子、アイラ警部補のお手製だろ? 美人の手作りはなんでもありがたく頂かねえとな」

 なんだ、気づいていたのか。アイラの手間が報われていたのだと知り、クラウは少し嬉しくなる。ミナトは国際警察官に必要な観察眼があるようだ。きっとこれから先、常識外れで軟派な男という以外の側面も見せてくれる。そう信じよう。

「なあクラウ、お前も滑ろうぜ!」
(はは……市民権を持つ“亜人(ヒューモン)”ならともかく、僕は一介のキルリアに過ぎません。あなた方人間の乗り物に興じればきっと滑稽に見えますよ)
「誰が何を好きになったって、そいつの勝手だろ?」

 そういうものだろうか。クラウは少しばかり真剣な表情をして、そして見つめた。気持ち良さそうに向かい風を受けている、黒い髪をした新米刑事の横顔を。微笑みから余裕を感じる。自分の言葉に自信を持っている時の表情だ。
 何を好きになっても……か。

「今度サーフィン見せてやるよ。もうちょい暖かくなったら、みんなで海へ親善合宿に行こうぜ」

 海か。察するにミナトの色黒はそれが原因らしい。

(みんなと言うと、僕やアイラさん達もご一緒?)
「当然! 警部補の水着が目玉だぜ!」

 もう怒る気も沸き上がらない。にへらと笑うミナトに合わせ、苦笑いを浮かべながら、クラウは視線をぽとりと地面に落とした。下心は褒められたものではない。それでも、やはり……

(ミナトさんは異性に積極的なんですね……ちょっと羨ましいです)
「羨ましい? そういやお前、ウルスラに気があるんだっけ?」
(えっ!?)

 その瞬間念力のコントロールを誤ってブーンと上昇したクラウは、緑毛で覆われた脳天を街路樹の枝でしたたかに打った。

「おいおい、今すっげー音したぞ。大丈夫かよ?」

 心配される声も耳に入らない。ウルスラとは、キルリアの彼がアイラ・ロングロード捜査官の第一級補佐(アシスタント)であるのと同じく、アイラの部下キズミ・パーム・レスカのアシスタントを務めているラルトスの名前だ。
 クラウは再び念力で宙へ舞い上がり、スケートボードでの移動を再開したミナトの正面に回り込む。そしてマトマの実のように顔を真っ赤にして、普段は顔の横に垂れているおさげのような緑毛を忙しなく羽ばたかせながらめちゃくちゃにテレパシーを送った。

(ぼ、僕がウルスラさんに一目惚れ!? そんな滅相もないっ! だって初めてお会いしてからまだ日も浅いですし、た、確かに素敵なお嬢さんですが、でも僕は、僕みたいな女々しいキルリアが……)
「もういいぜクラウ。オレの勘違いだった、悪い」

 ミナトが小憎たらしい顔をしてうんうんと頷いた。
 嫌だ、こんな生殺しは。空中でにょろにょろと身をよじり、やがて糸の切れた操り人形のように手足をぶらりと垂らして止まるクラウ。どんな言い訳をしても自分の首を絞めるだけだろう。このままミナトのニヤニヤを黙って耐え続けられる自信もない。わああーっと叫び出したい気持ちと、そんなバカなことをするものかという理性が押し合いへし合い、若いキルリアの心はばーんと一気に破裂してしまいそうだった。
 そうだ。選択肢なんて最初から無かった。もういい。自棄だ。
 
(おっしゃる通りです……)

 ガックリとうなだれているせいで敗北に濡れた表情は見えない。判るのは今にも泣きそうなトーンのテレパシーだけ。キズミ相手のノリで、ついクラウの性格もわきまえず虐めすぎたか。あまりの落ち込みっぷりにさすがのミナトも罪悪感を覚えた。

「おいおいほんとに悪かったって。別にウルスラにチクろうなんて気はないぜ? お前の弱み握ってやろうっなんてつもりもねえし」
(うう……)
「あ、ほら、なんでこんな話したかっつーとさ、一つアドバイスしたかったんだ」

 ツインテールのような独特の髪がぴょいと水平に浮き上がる。反応が素直だ。

(と、言いますと?)
「おう。ウルスラさ、もう別に好きな奴いるんだよな」

 その瞬間念力のコントロールを誤ってヒューンと下降したクラウは、緑毛で覆われた額をコンクリートの路面でしたたかに打った。

レイコ ( 2012/04/16(月) 01:02 )