-1- 学校潜入?
前夜の会合は、建設中のビルでおこなわれた。
筋骨に黒衣をまとう波動使いの獣は、目深にフードを被り、世を忍ぶ。
「ジョージ・ロングロードの命運が我等の手中にある事を……ゆめゆめ忘れるな」
反骨心を抑えるミズゴロウ。慟哭まで皮一枚のデンリュウ。
四つ目の立ち姿から、狂ったような嘲笑が上がった。
「だって今の、笑うところよね? 平和ボケが吐くのにぴったりな脅迫」
女の装束は波動使いと同型であり、同じく素顔を明るみにしていない。
「人間なんて全員クズなんだから、適当にやっちゃえばいいのよ」
黒い外套の男が諫めた。
「痴れ者よ。油断は、そなたの足を掬おうぞ」
女はせせら笑い、ジョージ・ロングの手持ちらに一瞥をくれる。
己のフードを、長い爪を赤く塗った指でめくり上げた。ばらりと踊った栗色の髪が、毛先を下にして一律に揃う。可憐な少女の容貌を、化粧が華美にしていた。ミズゴロウが睥睨し、デンリュウが怯えた。黒い外套を脱ぎ捨てる。真っ赤なミニ丈のドレス姿を露出した女は、二体の反応を見くだし、妖しく微笑した。
「ごめんね。私のために、協力してちょうだい」
切なる作り声で、アイラ・ロングロードの生き写しはそう命じた。
◆◇
アルストロメリア警察は、試用期間中の国際警察官を出向研修生として受け入れた前例がなかった。にもかかわらず、現市警本部長の鶴の一声で受け入れが実現した。キズミ達の肩書きは、刑事部携帯獣犯罪課臨時特務班。ある時は凶悪犯の武力的鎮圧、ある時は人手不足の補充要員、その実態は課内の雑用係である。
少年捜査官のアドバンテージは、成人捜査官と比較しての警戒されにくさにある。子どもが自分を探っていると、真っ先に疑ってかかる犯罪者は少数派だ。こと少年犯罪においては、学校現場などに介入し、未成年被疑者を内偵できる意義は大きい。
白いシャツを身につけ、無彩色のチェック柄スラックスを穿き、無地の紺ネクタイを締め、仕上げに胸ポケットにエンブレムが刺繍された深緑のブレザーに袖を通せば変装完了。
警察庁舎内の更衣室からオフィスに戻ってきた金城湊(キンジョウ・ミナト)は、どの角度を取っても、シュナイデル学園の男子生徒にしか見えない。仕上がりに満足げなミナトの、警察学校とは違う一般的な学生生活への憧憬を知るラルトス=ウルスラは、黄緑色の前髪に隠れた赤い目を細めて微笑んだ。
(よくお似合いですわ、ミナト様)
「だろ? サンキュー、ウルスラ」
濃淡パンツスーツにダークブラウンの髪色の女性刑事、アイラが念を押す。
「本当に、私たちがいなくても平気?」
問い合わせがあった国際警察支部によると、アルストロメリア市郊外の山地に到着したという早朝の報告を最後に、単独任務にあたっていたムクホークと連絡が取れなくなったらしい。事件性は不明だが、消息の確認を依頼された。
キズミとアイラはこれから、衛星測位システム上のムクホークの位置情報が途切れた地点へ向かう。潜入するミナトを学外からバックアップする計画が、少なくとも未然にこけてしまった。学校関係者をはじめ多方面にかかる迷惑を考えれば、捜査開始日はずらせない。
「私の不在中に、無茶はしないこと。定期的に連絡を入れること。女子生徒をナンパしないこと。学校関係者に失礼のないように。くれぐれも、危険な行動は慎みなさい。いいわね」
「あなたは、ミナトのオカンですか」
キズミが皮肉を言った。
ミナトがけらけら笑った。
「そんなにオレが心配かよ警部補、いじらしいぜ!」
「からかわないで。クラウ、彼のアシストと見張りをしっかりね」
キルリア=クラウがぴしっと気を付けの姿勢をとった。
(お任せください。ミナトさん、よろしくお願いします)
「おう。こっちこそな。キズミ、警部補に優しくするんだぞ」
肩にショルダーバッグのベルトを引っかけ、デスクの下から引っ張り出したスケードボードを脇に抱える。ミナトは額の傍で中指と人差し指の二本を揃えたピースサインを、「んじゃ!」と手首のスナップを利かせて振った。
目標の障害をロックオン。ミナトは膝を曲げて腰を落とし、後ろ足の親指付け根に力を込めてスケートボードのテールをピンポイントに踏み込んだ。パン! とテールが地面に叩きつけられ、反発力でノーズ部分が立ち上がる。前足でデッキをノーズ先端まで擦り上げ、テールを弾いた後足をタイミング良く引き上げて、地面からフワッと浮き上がったデッキを平行に誘導。
しばし、滞空した。
狙った階段(ステア)を飛び越えた後は、膝のクッションを使って四輪を滑らかに着地させる。オーリーが決まった。平地をプッシュで進みながら、ミナトは笑顔で振り返る。念力で体を浮かせ、守護霊のように付き従っているキルリアが、大きな瞳を磨き上げたルビーのように輝かせていた。
(カッコイイ!)
「もっと言ってくれ!」
へへっと得意げなミナト。
「クラウも滑ろうぜ。オレ、教えるよ」
(でも僕、この見た目に進化してからは何やっても、可愛いと言われてしまって……)
「そりゃキルリアは可愛いけど、中身のカッコよさまで諦めるのは違わねえか?」
そういうものだろうか。
素直な赤い瞳が、余裕のある黒髪青年の言動に吸い寄せられる。
「じゃあ、サーフィンは? 夏本番はみんなで海、行こうぜ」
ミナトの色黒は日焼けも含まれていたのか、とクラウは気が付いた。
「親善合宿してえー。警部補の水着姿、見てえーっ」
はっきり宣言した下心を注意する気も起きない。
苦笑いを浮かべてから、クラウは視線を下向けた。
(異性に積極的ですよね……ちょっと羨ましいです)
「そういやお前、ウルスラに惚れてんだっけ」
(え!?)
念力の操作を誤ったキルリアが、脳天を街路樹の太い枝で強打した。
「すっげー音したぞ。大丈夫か?」
(ぼ、僕がウルスラさんにひと目惚れ!? な、なにを根拠に!?)
「いや、ひと目惚れとまでは言ってねえ」
ミナトが小憎たらしいニヤニヤ攻撃を浴びせた。
空中でにょろにょろと身悶えするクラウ。わああーっと発狂したい気持ちと、それはみっともないという理性が叩きのめし合う。どっと心が疲れて、憔悴したテレパシーでミナトの温情にすがった。
(ウルスラさんには、言わないでもらえますか……)
「ごめんごめん、落ち込むなよ。チクる気は最初からねえ」
(うう……ありがとうございます)
「礼はいいよ。それより、ちょっといいか?」
ツインテールのような黄緑の髪がぴょいと水平に浮き上がった。
(なんでしょう?)
「ウルスラ、もう他に好きな奴いるんだよな」
念力の操作を誤ったキルリアは、額をコンクリートの路面で強打した。
「またすっげー音したぞ。マジで大丈夫か?」
(はは……あはは……)
陰鬱に笑いはじめたキルリアを、いきなりミナトが脇に抱えた。スケードボードに勢いをつける。行く手には、下り階段。またスケードボードで飛び降りる気だろうか。クラウの予想は、オーリーの要領で、ミナトがデッキを浮かせたところまでは合っていたのだが。
(ぶわあっ!?)
ボードスライド――手すりの上を滑るとは聞いていない。小刻みで激しい、摩擦の振動がミナトを通じて伝わってくる。手すりから落ちたらどうしよう、という視覚的な恐怖を味わったのに、五秒間にも満たないライディングは未知のスリルで、スポーティに爽快だった。
「頭スカッとしたろ。つってもウルスラも、片想い中なんだぜ。頑張れクラウ!」
抱きかかえていたミナトの腕がそっと離れた。
まるで、怪我の治った小鳥を空へ放つかのように。
クラウはふたたび念力をまとい、浮遊した。
(ミナトさんは……良い人ですね)
「そーかあ?」
とぼけて、スケートボードをぐんと足で漕いだ。
二分ほどして、シュナイデル学園の正門前に到着した。
「打ち合せ通りにな、クラウ」