NEAR◆◇MISS















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第二章
-7- さよならチルット
 身も凍るような状況で突如背筋に吹き当てられたのは拡散された本物の冷気だった。少年らの背面からの発射を受けて、火の這う枝を直撃する稲妻形の青白い光線。熱い鉄板で物を炙るようなジューッという蒸発音とともに白い湯気が濛々と立ち上る。そうして風で蒸気が晴れると、黒く燃え焦げた枝に青く透き通る氷塊が花をつけていた。火元は冷却され完全に鎮火したのだ。
 一体誰が今の『冷凍ビーム』を。緊張気味に振り返る少年とチルット。
 途端に黒い点のような目と視線がぶつかった。

「怪我はない?」

 ヌオーの顔面どアップに驚いていると、その脇に立っていた濃灰スーツ姿の若い女性からそう言葉を掛けられた。髪は暗褐色のミディアムボブ、大きな瞳は雨雲のような灰色をしている。ヌオーのトレーナーだろうか。年上を可愛いと言うのは違和感があるが、まだあどけなさの残る顔立ちを綺麗の一言で済ませるのも物足りない気がする。立ち振る舞いは落ち着いているものの、ひょっとするとまだ二十歳も過ぎていないのかもしれないと少年は思った。
 一方チルットはパイプからぴょん地上に降りて、チィチィとヌオーに向かって親和的にさえずった。

「はい……だいじょうぶです」

 近くにはオフィスらしい建物もないので、昼食のために外出しているOLという訳ではなさそうだ。この女の人はどういう経緯でこんな公園に立ち寄ったのだろう。チルットとヌオーが知り合いのように見えるのも気になった。少年が怪訝そうに上目遣いをしていると、女性は優しく微笑んだまま、膝を折って屈んで言う。

「このヌオーがね。君が困っているという話をそのチルットから聞いて、私達に知らせてくれたのよ」

 チルットはフルフルフルと感謝の鳴き声をあげる。今回のようなトラブルには人間が関わった方が良いと言いだし、ガーディの銀朱(ぎんしゅ)とチルットのアフロは先に少年を探しに行かせ、その間に知り合いを呼びに行く役を担ったのはヌオーの留紺(とめこん)だった。さえずりを受けた留紺は尻尾で地面をぴたんと打って、それに答えた。

「そうだったんですか。あの、助けてくれてありがとうございました」
「いいえ。私の方こそ、もっと早く駆けつけるべきだった」
「あの……」

 少年は目を伏せ、抱きかかえているガーディの頭を撫でてから悲しそうに顔を上げた。

「この子、お姉さんの知りあいですか?」
「そうよ。今は気を失っているみたいだけど」
「ぼくを守ろうとしてくれたんですが……」
「でもそのガーディのせいで、さっきのボヤが起きたのね?」

 穏やかな声がほんの少し非難めいたような気がして、少年は慌てて言い繕った。 

「ごめんなさい! ぼくが悪いんです。ヤミカラスがすっごく物欲しそうな顔でずっと見てたんで、ついパンをわけてあげたらいっぱい集まっちゃって……本当にごめんなさい、ごめんなさい! だからガーディをしからないであげてください……」

 彼の話は、ヌオーがチルットから聞いたという証言と一致していた。前もって照らし合わせていたとも考えにくく揉め事の種はこれで確定だろう。大体の事情は分かったことなので、一生懸命にガーディを庇う少年に対し女性はそっと何かを言いかけた。するとそこへ、眩いオーラを纏った何かが彼女の隣にふわりと姿を現せる。『テレポート』を使ったと思われるキルリアだった。一見少女のような可愛らしい容姿のキルリアは、高度な能力が必要とされるテレパシーを易々と使いこなして少年をあっと驚かせた。

(戻りましたアイラさん。目視、フィーリングともに調べましたが、留紺さんがチルットさんから聞いたと言うヤミカラスの群れは発見できませんでした。すでにどこかへ姿を隠したものと思われます)
「そう。この件は恐喝というほどでもないようだけど、念のため署に戻って前例を確認してみましょう。キミ、事情は分かったわ。大丈夫。頭ごなしに怒るような事はしないから」
「ほんとですか!」

 ガーディ、キルリア、そして署。トランツェンかアレスターのホルスターは流石に見えないが、特にキルリアの存在を決め手として相手の正体をほぼ確信する。それと同時に顔中をほころばせて、ジャングルジムのパイプをくぐり抜ける少年。チルットがひゅーと息を吐き出して胸をなで下ろす横で、ヌオーは無言で二人を嬉しそうな顔を見つめていた。

「もう行かないと。これから図書館に本を返して、アフロを手当しなくちゃ」
「一人で大丈夫?」
「はい。ガーディをおねがいします。いろいろ、ごめんなさい」

 留紺と銀朱にぺこと頭を下げ、ぴょいと栗色の髪に飛び乗るチルット。少年は腕を掲げてよしよしと青い羽毛を撫でる。そして歩いて向かった公園入り口柵の辺りで、最後にもう一度振り返り笑顔を見せながら手を振った。

「さよなら。ありがとう、――のおねえさん」
(……え?)
「クラウ、どうしたの?」
(今あの少年が小さな声で国際警察って言ったような……気のせいですよね)

 アイラが視線を戻すと、すでに少年の姿はなかった。


◆◇


 バトルネーソス、応接室。
 頭頂で一括りにした緑髪は毛先が全て上向きにツンツンと立っており、パイナップルの葉のようだ。黄色いフレームの星型サングラス、赤いチュニックにベージュのデニムという恰好の男が、踊るようなおかしな足つきで近づいてくる。

「やあやあやあ! 急に呼んで悪いねキズミ君! まあちょうど遊びに来てくれてたみたいだし手間が省けて良かったよ。ところでミナト君はどうしたんだい?」
「上司から急な連絡が入りましたので」

 金髪碧眼の青年、キズミはソファを針でも敷き詰めてあるのかのように敬遠し、ラルトス=ウルスラとともにドアの傍に立っていた。上司とはおそらくあの若い女性警察官を指しているのだろう。君も平常運転だねぇと、パイナップル頭の男、バトルネーソスのオーナー=アナナスがキズミのつれない表情を笑い飛ばした。

「来て貰ったのは他でもない。ウチのレンタルポケモンに特性『悪戯心』のヤミカラスがいたのは知ってるね?」
「……」
「そのヤミカラスが進化してドンカラスになったはいいんだけど、特性が『自信過剰』になった途端ね、脱走しちゃったんだよーヌハハハ! ハ……」

 ガン! とアナナスの鼓膜に衝撃音が穿たれる。うっかり壁際に立ってしまったのが不味かったか。キズミの右足が側頭部横の壁をぐっと踏み込んだままなので、流石のアナナスもわずかに笑みをぎこちなくして言った。

「いやー相変わらずの蹴美だねぇ。ウチのサワムラーも見習って欲しいものだよ。最近ローキックに凝っちゃって上段蹴りはからっきしなんだから。というかまあまあまあ、そんなに怒らないでちょうだいよ!」
(しかしアナナス様、この間ピクシーが逃げ出したばかりですわよ)

 ウルスラが痛いところを突く。ぐりぐりと壁を靴裏で押し回しながら、キズミも苦々しい顔で言い切った。

「ここの管理体制はモンスターボール以下ですか」
「ちょ、壁に穴開くからやめて! まーそう言わないでくれよぉ。僕も色々と忙しいんだしさー、ここんとこ赤字続きでそんなに予算回してられないの。ウルスラちゃん、分かってくれるだろ?」
(そう申されましても……)
「更生したとは言え、多少なりとも前科のある携帯獣達です。野放しにすれば何か問題を起こさないとも限りません。その場合の責任はどう取るおつもりですか」

 ええい、スカした小僧だ。キズミの脚の下をくぐり抜け、後退りで距離を取りながら「もちろん分かってるとも!」とアナナスは苛立った声で捲し立てた。

「だからこうして頼んでるんじゃないか。不祥事があれば僕は解任されて、あげくこのネーソスは閉められちゃうかもしれないんだよ? そんな事になったら、せっかく仲良くなったお客とレンタルポケモンが引き離されちゃうじゃないの。あーあやっと人間不信から解放されたポケモン達が可哀想に。君さえ黙って協力してくれれば、そういう事態は防げると思うんだけどなあ!」
「……」
「それにほら、色ブラッキーちゃんみたいに急に匿わなきゃいけないコがいる時はじゃんじゃんウチを活用してくれていいんだよ! 持ちつ持たれつってワケだ、うん! ね!? 国際警察は弱者の味方のはずだ!」
「お断りします。帰るぞウルスラ」
(はい)

 くるりと踵を返したキズミに、

「あーちょっと待って! あーっ! あーあーっ!」

 呼び掛けたが、ドアはバッタンと大きな音を立て、伸ばした手の先で無情にも閉ざされた。一人部屋に残されたアナナスはソファにどっかり腰を掛け、壁に付けられた足形を見ながら突然カラカラと乾いた笑い声をあげる。そして誰にともなく呟いた。

「ったく、ひねくれ者のクソガキめ。まあ……朗報は期待せずに待ってるよ?」

レイコ ( 2012/04/07(土) 16:54 )