NEAR◆◇MISS - 第二章
-4- 少年とチルット
結局、ミュージカル部員ことファンクラブ会員たちからの誘いは丁重に断った。学園から引き上げて、警察庁舎へ戻りに路面電車の駅まで徒歩で行く。街中で見かける白く可憐なリンゴの花はぽつりぽつりで、通りすがりにほのかに香ってくるライラックも満開には気が早い。女子生徒に包囲されてキャーキャー言われたアイラは少し疲れていた。あそこでひと息入れませんか、と、ミナトが、雑居ビルの二階にある穴場のカフェを指差した。

 窓から見える道端の並木は花盛りには遅く、みずみずしい青葉を茂らせている。

「潜入捜査はオレ一人で充分です。クラウだけ貸して下さい」
 
 そう言われても。
 部下が格好つけているだけではないか。アイラは疑いを捨てきれない。
「いくら霊感が強いからって、そんなに自信満々で大丈夫?」

 美人上司との初ティータイムを満悦中。
 何をそしられようとミナトは、気を悪くしなかった。
「オレとキズミの個人情報、本部のデータベースでチェック済みですよね」
「ええ、もちろん」
「失礼ですけど警部補の階級だと、全部見たくても閲覧制限かかりません?」
「そうよ」
「興味本位でハッキングとかは?」

 灰色の眼が不愉快そうに尖る。それが返事だ。
 冗談っす、とミナトは笑った。

「もっと仲良くなったら、教えますよ。オレのトップシークレット」

 本気で口説いてるというより、からかっている感がある。デートの誘いは勘違いで、あれはほんとにただのお食事の誘いだったんだ。と、脇に控えて二人の様子を窺うキルリア=クラウ。唐突にミナトから背中を叩かれて、ストローで吸ったぷにぷにグミソーダを誤嚥しかけた。

「黙ってねえで、クラウも会話に入ってこいよ」
(ゴホ、ゴホ。い、いいんですか!)
「みんなで喋ったほうが楽しいじゃんか」


◆◇



 のっそりと週末がやって来た。
 職場環境が変わると、時間の進み方まで変わるような気がする。

 ――父ジョージ・ロングが倒れた夜。
 国際警察本部から知らされるより先に、病院から連絡があった。時間帯の迷惑も考えず至急、直属の上司に電話で報告した。生憎、上司のアドバイスはほとんど耳に入らなかった。人事関係の担当部署に問い合わせ、当直を通じて管理職に必死で直談判して、ジョージ・ロングの臨時代理に就かせてもらった。本部が職員向けにレンタルをおこなっているサポートポケモン、緊急長距離移動御用達カイリューの輸送で、父の入院しているアルストロメリア市に直行した。
 傍から見れば非常識な馬鹿力で、自分の我儘を押し通したのだ。
 今から思うと相当、感情的になっていた。

 現在アイラは、アルストロメリア市で格安ホテル暮らしをしている。宿代を切り詰めたいのは、新居探しと住所変更が未定で、旧居の家賃を払い続けているからだ。元々住んでいたのは、国際警察の本部が置かれている某都市だった。
 夜逃げみたいに飛び出した女一人住まいの部屋を、ほったらかしにしておくのは少々気が咎めていたので、この週末を利用して半月ぶりに旧居に戻った。徹底的に大掃除しておけば、当分は後味よく家を空けていられる。

 処分する本を選んでいると、しまった、と手が止まる背表紙を見つけた。
 最近ミステリー小説に凝っていたのだ。借りた本を図書館に返却し忘れていた。


 
 青年を乗せたサイホーンをよけて、幼い男の子が尻餅をつかされた。助け起こしたチルットが憤慨して、振り向きもしない爆走相手を追いかける。「待って、アフロー!」と呼ぶ男の子の声が哀れっぽい。

「クラウ、サイコキネシス!」

 一瞬で片付いた。

 たまたま用があった市立図書館の近くで、逃走中のひったくり犯に出くわすとは。息を切らせて後から走ってきた女性が、奪われたバッグをひったくり返した。追ってきた制服警官に引き渡すまで、キルリアは犯人とサイホーンを宙に浮かべて拘束していた。その間にアイラは、男の子に怪我がないかを確かめた。
 戻ってきたチルットを抱きしめて、涙目になっている。年は四、五歳。髪と目は茶色で大人しそうな顔立ちをしている。水色のポロシャツ。ベージュのハーフパンツ。履いている靴も、これといってよそ行きに見えない。地元の子なのだろう。緑のリュックサックには本がぎっしり詰まっていて、蓋が締まり切っていない。

「坊や、親御さんは?」
「お仕事中……です……」
「お迎えに来てもらう? 連絡先は分かる?」
「お父さんには、いわないで!」

 涙目が怯えて、いよいよ雫をこぼしそうになった。
 
「ないしょで来たの。本のつづきが読みたくて……ごめんなさい!」
「悪い子ね。なおさら連絡して、お父さんに叱って貰わなくちゃ」

 厳格な声のトーンが子ども相手にも容赦がない。
 クラウがぼそぼそテレパシーでささやいた。
(アイラさん、アイラさん)

 この子の将来を考えるなら。
 ここで、こってり油を搾ったほうがよさそうだけれども。
 アイラは短くため息をついた。
「寄り道しないで帰るって、約束できる?」

「はい!」
 男の子の顔が少しだけ明るくなり、目元を拭い、リュックサックを背負い直す。
「ありがとう、さようなら、国際警察官さん。アフロ、行こっ」
 チルットの、片方に銀の足輪がついた両足がリュックサックを掴む。
 ふわふわの白い翼を羽ばたかせ、安全飛行で、曲がり角の向こうへ去っていった。

 ふと、アイラとクラウが顔を見合わせる。
(僕たち、そんなに分かりやすかったでしょうか?)
「さあ……あの子、まだ小さいのに物知りね。それとも名探偵?」

 それはさすがにミステリー小説の読みすぎでは、とクラウは思った。

レイコ ( 2011/11/03(木) 22:26 )