NEAR◆◇MISS















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第二章
-4- はぐれチルット
 しゅわしゅわと弾ける炭酸ガス。甘味と辛味のタイムラグ。ジンジャーエールは口に含んだときの感触が楽しい。ショウガの独特な風味も癖になる。
ミナトが円柱型のガラスコップがコースターの上に置くと、褐色の液体に浮かんだ氷がコップ内を一周してカランと清い音を立てた。
喫茶『くさぶえ』の空席はもう目立たない。雑談するにはちょうど良い混み具合だ。
 
(留紺さんと銀朱は今頃どうしているでしょう)

 チョコソースのかかった真っ白な生クリームをスプーンで掬いつつ、テレパシーで意思の疎通を図るラルトス=ウルスラ。身の丈30センチほどの彼女に合わせて小さな器に盛られたパフェは玩具のように可愛らしい。
 腕組みをしたキズミは青黒いベリブタルトには手を付けず、ミルクが滲んでくコーヒーの黒い水面に目を落としている。向かいのミナトは真っ赤なトマトソースと緑のバジルがたっぷりのグリルチキンを咀嚼しながら言った。

「昼メシ食ってんじゃねえ? まあ某Iさんの動きによるか。つーかあの美人、やべえくらい警部に似てねーよな」

 後半で完全に話題がすり替わっていたがウルスラはあえて口を挟まなかった。
 彼女自身、ジョージ・ロングロード警部の荒れ地の岩のようなごつい顔面と体格の遺伝子がどこでどう欠落したのか不思議に思ったせいも少しある。

「……髪の色は同じだ」
 某Iさんことアイラの、手触りの良さそうな焦茶色のボブカットを思い浮かべたキズミが言う。
おそらくコーヒーの深い色から連想したのだろう。意外と細かいとこ見てんな、と相槌を打ったもののミナトはまだ何か腑に落ちない顔つきで再びジンジャーエールを煽った。
 ウルスラは緑色の前髪に隠れた赤い目でキズミの表情をじっと見守り、一番妥当な意見を述べた。

(お母上の眉目をそっくり引き継がれたのでしょうか)
「そこなんだよ」

 ミナトはガラスコップを脇に置いて身を乗り出した。
「思えば警部、奥さんの話全然しなかったよな。娘の自慢話っても小さい頃の思い出ばっかで家族写真は一枚も見せて貰ってねえし。おかげで最初Iさんが誰か分かんなかったぜ」
 そして、余計とも言える一言が最後にミナトの口を突いて出た。
「……ワケあり、かもな」

「詮索はよせ」

 キズミの碧眼が冷ややかに見据えていた。威圧を歯牙にもかけない口ぶりでミナトは言い返した。

「一番気になるのはスリーサイズだけどな!」

 間違っても胸を張って言うような台詞ではない。どこまで本気なのか。真面目に取り合って馬鹿を見たとしか。右手に聳える三本指とヘラヘラした小麦色の笑顔にウルスラは苦笑する。キズミは溜息をつくと律儀にメニューを振り上げた。


◆◇


 植え込みに隠れ、病院の正面玄関を見張る二体のポケモンがいた。起伏の少ないつるんとした水色の体にぼんやり間延びした顔のヌオー、留紺(とめこん)と、橙色とクリーム色のふさふさした毛並みのガーディの方は銀朱(ぎんしゅ)という。
 ヌオーにとってはゆるいリーダー、ガーディにとっては忠誠を誓うボスと認識されている少年ミナトが課した任務はこうだった。

「お前ら、アイラ・ロング警部補としっかり仲良くなってこいよ!」

 曰く、円滑な人間関係に先立つ物はポケモンの好印象らしい。ちなみにミナト本人は昨日の今日で落ち込んでいるであろうキズミを励ますという理由でこの場にいない。バトルネーソスというバトル施設で遊んでいるのは分かりきったことだ。それに万が一何かあっても他の仲間にまかせておけばいい。体表はウェットでも心はドライなヌオー=留紺は彼らを心配していなかった。
 それよりもターゲットとどう接触するかが問題だった。昨日見かけたあの若い娘がジョージ・ロングロードの娘だとまだ信じられないのはさておき、一昨日まであんなに元気だったロング警部の病室へ下心満載で赴くのはさすがのヌオーも割り切れない。
 昨夜は付き添いで泊まり込んだらしいのでこうして病院から出てくるところを待ち伏せているわけだが、アイラはなかなか姿を見せなかった。このまま時間ばかり食うようであれば別の方法を考えなければならないだろう。

 ヒャァンと欠伸をするガーディ=銀朱。暇で暇で仕方がないという顔だ。悪名高い甘えん坊はぼんやりした頭でミナトとキズミは今頃どうしているのだろうかと考えた。一緒について行きたかったのに。留紺の太い尻尾が目に入る。ちょっと噛みついてみようか、と悪戯心が湧いた。しかし本気で叱られると嫌なのでやめておいた。一枚の毛皮のように寝そべるとちょうど鼻先に雑草の葉が当たった。くしゃんとクシャミをした。日差しが気持ちいい。眠ってしまいそうだ。

 頭の上から囀りが聞こえてきた。
ヌオーとガーディが見上げると、木の枝に二羽のポッポが寄り添っていた。

 雄のポッポが雌のポッポの首を嘴で毛繕いしている。それが終わると今度は雌のポッポが雄のポッポの胸を嘴で毛繕いをし始める。やっと聞き取れるような甘い囁きが交わされていた。
 美味しい木の実がなってる公園を見つけたんだ。案内するよ。
 あら素敵……私はどんなお礼をすればいいのかしら。
 お礼だって? そうだな……じゃあ―――

 ラブラブだね〜。と銀朱が留紺を見ながら鼻をヒンと鳴らす。
 あー春だなぁ。と留紺はむず痒くなった顎の下をぼりぼり掻いた。
 ちょうどその時だった。

 どこからともなく隕石のように落ちてきた影がポッポのアベックが止まっている枝に衝突した。突然足場の急落したアベックが泡を食って逃げていく。滑稽な光景だったがヌオーもガーディも呆気に取られ笑う余裕はまったくない。枝の激しいしなりがようやく収まると、謎の物体は数枚の葉っぱと一緒に芝生の上にぽとりと落ちた。
 ホエルオーの噴水を簡略化した絵のような二枚の冠羽がついている。丸っこい胴体は青い羽毛に覆われていた。ふわふわの雲のような翼だ。それは青空を小鳥の形に切り取ったような姿だった。
 ……チルットだ。

 ぶつかった弾みかどうかは分からないが、翼を怪我しているらしい。
 危害を加えるような相手には見えなかったのでヌオーとガーディは急いで駆けよった。心配そうに顔を覗き込む二体を円らな黒い眼が見上げる。大丈夫? という銀朱の問いかけにチルットの白い嘴がかっと開いた。「チチチーッ!」とけたたましい鳴き声が鼓膜をつんざいた。

 ぼっちゃまをお残しちて吹き飛ばされてしまうなど……! このアフロ、オルデン様に申し訳が立ちませぬ!

 言葉の意味は分からなかったが五月蠅いのは敵わない。ひとまず落ち着かせようと留紺は傷ついたチルットを抱き上げたが、逆効果だったようだ。

 はっ、どなたか存じませぬがお力添えを願いたい! お仕えしているお方のご子息とはぐれてしまったのです! きっと今頃……ああ……!

 無事な方の翼で顔面を押さえ悲嘆に暮れるトラブルの種。果たして水を与えてやっても良いものか。うーんと悩むヌオーに向かってガーディは何を迷うのだと吼えかかる。気は進まないが確かに放っておけば寝覚めが悪そうだ。
 こうなればさっさと解決してここに戻ってくるまで。ヌオーは腹をくくった。

レイコ ( 2011/11/03(木) 22:26 )