NEAR◆◇MISS















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第二章
-1- デッドロックバトル! 前編
 弱火で裏表をじっくり炙ったベーコンを皿に移し、旨味の敷かれたフライパンにとろっと割り入れられる二つの生卵。黄身も白身もジョワーと喚声を上げずにいられない。滲んだ油の爆ぜる音はどんより曇った陰気な朝を祓うのにちょうど良い塩梅だ。水を差した後はさくっと蓋をして蒸し焼きに。余熱で蒸気がシュウシュウいっている間に食パンをトースターへセットする。一人でキッチンに立つのは久々だった。普段は料理好きのウルスラが手早く済ませてしまうが、たまの自炊も気分転換になるので悪くない。

(キズミ様、お電話ですわよ)

 鈴を転がすような女声のテレパシーに引き続き、通話着信のメロディを鳴り響かせているネイビーブルーのポケギアが念力の作用で宙を飛ぶ。ぴったりキズミの右手に収まった。
 
「ミナトか」
『おはよう! なーなー今日休みじゃん? どっか遊び行こうぜー!』
「パス」
『お前、警部の件の聞き込みする気だろ』

 図星だった。スピーカーの向こうでミナトがやれやれと頭を掻く気配がする。左手で持ったフライ返しを膜の張った目玉焼きの下に差し入れる。少し焼きすぎたらしい。キズミは焦げ付いた裏をがりっと刮げ、プルプル白身の震える卵を掬い上げた。

『待機命令出てんだぞ。業務は一切停止! 下手に動いて上から怒られんのはアイラ警部補だぜ?』
「……」
『おっし決めた。オレが今日一日お前の見張りしてやるよ。なんたってヒマだからなー』

 ピンポーンと絶妙のタイミングでチャイムが鳴った。はい只今、と発信されるテレパシー。すいーと飛んでいったウルスラがドアの前で一旦停止する。ドアスコープを覗くまでもないのだろう。細い白腕を撫でるように横へ引く。念力でチェーンロックがカチャンと外れ、ドアノブが回り手前へ引かれた。外に突っ立っていた訪問者はにっこり顔を綻ばせ、耳に押し当てていたワインレッドのポケギアをポケットにしまう。まったく予想を裏切らない男だ。

「じゃーん。おはよう、ウルスラ!」
(おはようございます、ミナト様)

 ピンクのチェックシャツにカーキグリーンのミリタリーブルゾンを羽織り、ボトムはライトグレーのダメージデニムとオレンジのマウンテンシューズ。元々バランスの良い体型が外出を意識した春らしい出で立ちとの相乗効果でぐっと冴えて見えた。颯爽と部屋に上がり込んだミナトは、マグカップに低脂肪モーモーミルクを注いでいるキズミの正面に回り込み、テーブルを挟んで無愛想な顔をニカッと覗き込む。

「よっ! 朝っぱらからシケたツラしてんなぁ」

 そう言うとミナトは勝手に熱々のトーストを手に取り、真っ赤なハバンの実のジャムをたっぷり塗りつけてからかぶりついた。外側の皮がパリッと芳ばしい音を立てる。引き千切られた断面は真っ白な綿のようだ。食器棚からガラスのコップを取り出し低脂肪モーモーミルクを注いでからミナトに手渡すウルスラ。芳醇な香りが鼻をくすぐる。素朴な甘みが口いっぱいに広がる。味わいはあっさりしているが喉ごしは滑らかで後味も爽やかだ。冷たいミルクを一気に飲み干したミナトはプハァと息を吐き出し、白いヒゲを手の甲でぐいと拭う。

「んめぇ。あーそうだ、『ポケモンバッカー』の新作買ったぜ。ウチ来る?」
「……」
「気分乗らね? じゃ、ナンパするか!」
「……」
(……)
「なんだよ、その白けた目! わーったよ。それじゃー……」

 一段とにこやかに、胸を張って。

「ポケモンバトルしようぜ!」
「……初めからそう言え」
「あっは、バレてた? じゃあオレ先行ってるからな」

 テーブルの上に置かれてあったバスケットからリンゴを掴み出し、ぽんと天井高く放り投げるミナト。受け止めたそれをシャクッと囓り、彼はリンゴの欠片で片方の頬を膨らませたままニヒッと笑うと軽い足取りで部屋を出て行った。


◆◇


 ポケモンバトル推進協会公認の対戦施設を総じて『バトルファシリティーズ』と呼ぶ。その一角であるここ『バトルネーソス』はトレーナー自らが連れているポケモンではなく、施設のポケモンを使用して対戦が行われるレンタル&バトル専用競技場である。レンタルポケモンはレベル5からレベル70とそれぞれランクがあり、レベル30以上のレンタルには会員登録と一定戦績が必要となるが、利用者は腕に応じたポケモンを借りて気軽にバトルを楽しむことができるため初心者にも優しいシステムとなっている。設備集合区バトルフロンティアのバトルファクトリーと類似するが決定的な違いも多い。
 まず第一にフロンティアの各施設責任者兼最高実力者のフロンティアブレーンに等しいポストが存在しない。勝ち抜き要素よりも娯楽性を重視し新規トレーナー獲得の窓口としての役割を果たしているのである。またポケモンの同意を前提に利用者は金銭によってレンタルポケモンを引き取ることも可能だ。実はレンタルポケモンの一部は犯罪に巻き込まれケアを必要とした個体や、更生した個体であり、バトルネーソスは野生に戻れないポケモン達の保護施設として意外にも一役買っているのである。
 黒いポロシャツ、青いブーツカットデニムとスニーカー。どれだけシンプルな服装でも着こなしているように見えるのがスタイルの良さのトリックだろう。エントランスホールに到着したキズミは総合案内所で女性スタッフと談笑している黒髪の後頭部が嫌でも目についた。またアイツは見境無しに口説いているのか。ウルスラは困ったように微笑んでみせる。

「オレでよければいくらでも手解きしますよ。大丈夫、ポケモンバトルなんて変な客の相手よりよっぽど簡単ですから!」
「変な客ってのはお前のことか」

 さっと振り返るミナトの眉目良い日焼け顔。屈託のない笑みを浮かべたまま指を差す。

「ほらほらお姉さん、あいつがさっき言ったキズミ・レスカです! おーいキズミ、早く来いよ!」
「人の名を勝手に吹き込むな……」
「えっ、でも会員カード出す時点でバレバレじゃんか」
「……」

 頬をほんのり赤く染めてくすくす笑う女性スタッフの手前、キズミは非常に気まずい思いで会員カードを差し出した。



「ごめんごめん、そー怒んなって!」
「お前とツルむとロクなことがねぇ」
「へへっ。オレが見せたいのはさー、あっ、その前に」

 突然声を潜めるミナト。ウルスラは興味ありげに首を逸らした。

「あのブラッキー、ダッチェスだっけ? ネーソスにいるんだよな」
「ああ」
「会わねえの?」
「冷やかしに行く気はない」

 今はそっとしておきたい気持ちが強いのだろう。ミナトは肩をすくめた。声のトーンが元に戻る。

「行ってやったらオレは喜ぶと思うけどな」

 各フィールドの試合模様を鑑賞出来る第1モニタールームは想像以上に混雑していた。同じ平日でも昨日とは打って変わった盛況ぶりである。彼らとそう年の変わらない若い顔ぶれはまだ春休みを終えていない学生達なのだろう。会話を弾ませつつも目はモニターに釘付けだった。

「あ、見せたいのはあれだよ。Cフィールドのスクリーン」
「『くさぶえ』のバイトか」

 バトルネーソスの敷地内に所在する喫茶店『くさぶえ』。常連のキズミは従業員の顔を網羅していたが、特に親しい付き合いがあるわけではない。その点ミナトは積極的だった。画面に映し出された16、7歳の少女二人がバトルフィールドの両端で声援を送る中、それぞれの手持ちがフィールドの中央で組み合っていた。

「うん。先輩のサリーさんと後輩のナティちゃん。ナティちゃんは知ってるだろ?」
「謹慎が解けたらしいな、あのピクシー」

 スクリーンいっぱいにクローズアップされる歯を食いしばった妖精の形相。とても和むような画ではないが、キズミの表情はほんのり丸みを帯びた。何かと素直ではないくせにポケモンが絡んだ時だけはすぐにああいう嬉しそうな顔をして見せるのだ。ミナトはウルスラに向かってこっそりウィンクし、ニヤッと頭の後ろで腕を組んだ。






<使用ポケモンは3体。ルールはレベル50フラット、スリーウェイデッドロックGFW! 両選手どちらかのポケモンが全て戦闘不能となった時点で試合終了デス! 審判はジャッジボット・シリアルナンバーS-492が努めさせていただきマス!>

 先端の丸い銃弾のようなフォルムに赤と青の旗がついたアームのあるドロイドがスピーカーから大ボリュームの機械音声を張り上げる。屋内バトルフィールドの両端、青コーナーと赤コーナーに立つキズミとミナト。互いに性格のよく出た表情で向かい合っている。こういう場では腹の底で何を考えているのか分からない普段通り(ポーカーフェイス)が一番油断ならないのだ。準備が整ったらしい、と判断したジャッジボットが旗付アームをクロスさせる。場内は指揮者が観客席に背を向けて静かにタクトを掲げた時のような静けさに包まれた。

<バトル、スタートッ!>

 切れ味のある宣言とともにクロスした旗アームが勢いよく外側へ開かれる。キズミは右手を頭上にかざす。ミナトは腕を下から振るい空中に放ったモンスターボールに向かって気合い充分で哮た。

「行くぞカメックス! テイクオフ!」

 一同に開放される白い閃光。キズミの掌から飛翔した稲妻が天井近くで前回転し、突如の減速から忽ち橙色の雄壮な体躯と青緑の皮膜の巨大な翼を露わにする。一方ミナトの投げたボールから墜下した光線はフィールドに直撃するや激しい地鳴りを響かせた。独楽のようにスピンする頑丈そうな甲羅から手足頭が伸びて歯止めを掛け、肩口からはガチャリと重々しい大砲が出現する。カメックスの咆吼が大気を震わせると炎竜は牙を剥いて唸り、尾の末端の火力を上げて炎を威嚇的に吹き上げた。

「リザードン! ……最初から大盤振る舞いかよ……!」

 ヒューッと口笛を吹いて言う。白熱した勝負にならない訳がない。興奮で頭が可笑しくなりそうだ。嬉しくて嬉しくて、ミナトは笑いが込みあげて止まらなかった。

レイコ ( 2011/10/19(水) 18:27 )