NEAR◆◇MISS















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第一章
-1- 雨雲の瞳
 キズミは壁に寄りかかり、ミナトはパイプ椅子に腰掛けたまま。ジョージ・ロングの枕元に佇む二人の少年は神妙な顔で医師の言葉を反芻していた。強力な『催眠術』による重度の睡眠障害。目覚めるまでにどれくらいの期間を要するのかは誰にも分からない。数日先か数年先か。最悪の場合もう二度と……

 本日未明にアルストロメリア港で発見された時点ですでに彼の意識はなかった。携帯電話やいくつか貴重品が持ち去られていたほか手持ちのポケモン達はモンスターボールごと全員行方不明。趣味のクルージングに興じていたわけでもなく、勤務時間外にわざわざ埠頭へ出向いた動機とは一体何だったのだろう。危険は予期していたのだろうか。
 ロングの表情は穏やかであり病衣を除けばとても入院患者になど見えない。揺り動かせば今にも起き出してきそうなほど自然な寝姿だ。苦しんでいないことはせめてもの救い。この病室でそう考えられる余裕があるのはウルスラを含めた三人の中でミナトくらいのものであろう。
 動きを忍ばせる藍色の瞳。ミナトが流し目で捉えたのは悪友とそのアシスタントの思い詰めた様子だった。尤もキズミの方はウルスラと違い表面上は平静だが。責任感の強い彼がみすみす目の前でロングを襲った被疑者を取り逃がしたのだから気に病まない方が不自然である。

「なぁキズミ、お前一回帰って着替えてこいよ。締まらねえじゃん」

 その口がダッチェスの窮地を知らせたがために寝ていた自宅を飛び出す羽目になったのだとしても。たとえ夜勤で着替えの手間が省けているとしても。ミナトがスーツ姿であることは変わりない事実。上は白Tシャツ、下は黒ジャージ、腰には袖を縛った赤ジャンパー、ついでにテレポート事故で痛めた首横に湿布を貼った姿のキズミにしてみれば反論のしようがない台詞だ。しかし。

「……警部の代理はいつ来てもおかしくない。入れ違いになっても困る」
「だけど第一印象は大事だろ? 相手が美人だったらどうすんだよ」

 気分転換を促すにしろもう少し他の言い方はないのだろうか、とウルスラは思った。

「ところでさ、オレ警部を目覚めさせるいい方法考えたんだ」

 悪戯を思い付いた子どものようにニヤリとするミナト。ふざけた空気を漂わせておきながら何が良い方法だ。どうせくだらないアイディアだろうとキズミは甘く見積もっていたのだが。

「童話で眠れる姫を救ったのは王子のキスだろ。お前、チャレンジしろよっ」

 迷案は予想という名の壁を軽く跳び越え、ついでに顔面に直撃したかのような衝撃を残した。

「どういう理屈だ!」
「警部がビビって飛び起きるかもしんねえじゃん?」
(あ、あの、お二方―――)
「言ってやれよウルスラ、悩む暇があるならなんでも試してみるべきですわぁんって!」
「気色悪い声真似しやがって……!」

 キズミは胸ぐらに掴みかかったものの、さっと躱したミナトは逆に足を引っかけて彼を転ばせる。ドアノックに気づいたのはウルスラのみ。絶妙な角度でロングの上に倒れ込みあわや押しつぶす手前でベッドシーツに手を突いた。大事に至らなかったが顔の上に覆い被さるという怪しい体勢のキズミを最悪の事態が見舞う。
病室のドアが開いたのだ。

 呼吸も、心拍も。時間すら止まった気がした。

「……あなた達、一体何をしているの?」

 至極真っ当な質問が耳に痛い。声だけではない。立ち姿から表情まで、全身に満ちる凜と引き締まった相手の空気に彼らは弁解の余地がないことを悟る。白いブラウスに濃灰のパンツスーツ、ダークブラウンのミディアムボブ、意志の強そうな灰色の瞳と美貌を備えた理知的な女性だ。年は十八前後だろうか。 隣にはキルリアが控えている。キズミが彼女の顔を見ないようにしながら立ち上がる横で色めき立ったミナトが早速声を掛けた。

「もしかして本部の刑事さん!?」
「質問に答えなさい」

 実力の分からない初対面の人間から高圧的に接せられるのは好きでない。正直に答えたところで追及されるのも煩わしい。キズミの物言いはあからさまに投げ槍だった。

「別に何も」

 引き絞った弓弦のように息詰まりのする灰色の瞳。研ぎ澄まされた刃物のように鋭利な蒼い双眼。無言で視線の火花を散らす両者を見かねミナトが間に割って入り、

「ちょっと事故っただけだよな、な!」

 お気楽な声とは裏腹に、そうムキになんなよ、と親友に目配せする。ウルスラとキルリアも人間間の険悪なムードに狼狽気味だ。女性はキズミを見据え、厳格な雰囲気を絶やさずおもむろに口を開く。明かされたのは思いも寄らぬ姓名だった。

「私はアイラ・ロングロード。本部から派遣されたあなた達の指導員の代理よ」

 ジョージ・ロングの正式な姓と同じとは。真っ先に辿り着いてしまったとある推量にキズミの表情が一際険しくなる。アイラと名乗った女性も冷たく彼を見返し真っ向から敵対する姿勢を崩さない。ミナトはアイラの素性についてキズミと全く同じ結論に達していた。しかしこの状況では手放しに喜べず、反目する二人の顔を見合わせ、どうしたものかと自分の頭を掻いた。

「あー……じゃーオレも自己紹介!」
「結構。ミナト・キンジョウ君、キズミ・レスカ君、あなたはアシスタントのウルスラね」
(はい。恐れ入ります……お見知りおきの程を)

 主の態度のフォローを兼ねたのだろう。恭しく一礼するウルスラにアイラの表情がいくらか優しくなる傍らで、キルリアは大きな好感を抱いたようだった。

「こちらこそ。彼はクラウよ」
(! はっ、アシスタントのクラウと申します。お会いできて光栄です……)
「挨拶はこの辺りで。本題に入るわ」

 その気になれば相手の心を読むなど造作もないポケモンだが、ウルスラと同じく能力を濫用しないだけの良識はあるらしい。キズミとミナトはあのキルリアは男だったのかという声を胸の奥にしまい込み、アイラの来るべき言葉に備えた。

「レスカ君、あなた被疑者を取り逃がしたそうね」

 室内に立ち込めていた懐疑の雲が流れ出す。やはり初対面の悪印象は切っ掛けに過ぎなかったのだ。単純明快であると同時にこれほど解決し難いものもないだろう。キズミと彼女の間に生じた不和の本質は。

「事情はのちほど聞くわ。まずは第一の接触者……私をブラッキーの所へ案内しなさい」

レイコ ( 2012/03/02(金) 17:39 )