NEAR◆◇MISS















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第一章
-1- 雨雲の瞳
「随分早いご到着ですね。しかも、こんな夜明け前に」
 ジョージ・ロングと同じ姓。キズミは真っ先につながりを推察した。
 アイラと名乗った十代とおぼしき若い女性は、冷ややかにキズミを見据えた。
「私を、第一の接触者……色違いのブラッキーのもとへ案内しなさい」

 不穏な空気が濃くなった。

「どうするつもりですか」
「決まってるわ。取り調べるのよ」

 情報は鮮度が肝要。
 初動から時間が開くほどに、その価値は目減りする。

 キズミの碧眼が睨み返した。
「彼女は負傷者です。休息と怪我の治療が最優先です」
「元々素行不良の個体のはずよ。怪我の程度を詐称してないと言い切れる?」
「強要すれば、人間不信を悪化させます。それこそ聴取に益なしです」
「被疑者を取り逃がしたダメな部下が、上司の私に偉そうにしないで」

 雨雲のような灰色の瞳が威圧する。立場を持ち出して怯ませようとした。
 だが、雨を期待して晴天を仰ぐようなものだった。激しいまでの青さだった。

「信用できない人間に、あのブラッキーを会わせる気はありません」
 宣戦布告と同質の告知。
 キズミが素早く紅白の球を開放した。直後にラルトスもろとも姿が消えた。
 アシスタントの技で、テレポートしたのだ。

(アイラさん、キズミさんが!)
「落ち着いて。闇雲に探すのは効率が悪いわ、クラウ」
 アイラは携帯端末を操作し、耳に当てた。
「番号合ってるわよね、金城湊くん? 急用で話せるかしら」
『うーっす。警部補殿からの初コール、光栄っす!』
 デジタル変換された本物と遜色ない、朗らかな音声が応答した。
「レスカ君が逃げたの。彼の行きそうな場所を教えなさい」
『だと思ったぜ。タダでダチ売るのは、ちょっとなー』
「くだらない取引には応じないわよ」
 アイラの声が身構えた。ミナトの声はあっさり笑った。
『オレが代わりに詫びるんで、逃げたあいつへのお咎めはナシってことで』
「それだけ?」
『いやいや、次が本命のお願いですよ。今度オレとメシ行ってください』
 
 出会って数時間の女性上司にデートを申し込むなんて、すごい精神力の持ち主だ。
 キルリア=ウラウはさっき一瞬見えたラルトスを思い浮かべ、慌ててかぶりを振った。

 
 ミナトが言うには、キズミはバトルネーソスへ向かった可能性があるとの事だった。
 レンタルポケモンの中心は犯罪者の元従者や、犯罪に巻き込まれケアを必要とする個体、更生した個体である。バトルネーソスはさまざまな理由から野生に返せない個体を収容する、事実上の拘置所として周知されている。
 各個体には監護権の譲渡金額、いわば保釈金が設定されており、条件を満たす里親は引き取ることもできる。レンタルバトルを楽しめる施設にとどまらず、社会復帰と縁組を斡旋する保護と福祉の側面も持つのである。
 耳元で唸る風。アルストロメリア市中央区を都会たらしめる交通網は毛細血管さながらに綿密に張り巡らされている。高度を落とすほどに、航空写真のような景色から一つの生き物のような街の息遣いが感じられるまでになる。

「ビルに接近しすぎないようにね、ライキ」

 緑竜はドーム状の赤い防護膜を透かして見える黒い目を応えるように瞬かせた。建物を強風で煽らぬよう羽ばたきを最小限に抑える代わりに、斜方形の翼をうんと膨らませ悠々と滑空する。濃紺のレディススーツを着用した乗り手はヘルメットとゴーグルで表情が見えないが切迫した空気を漂わせていた。
 被疑者を取り逃がすミスを犯したキズミ・パームレスカの好きにはさせない。ジョージ・ロングを襲った襲撃犯と接触したブラッキーの証言が、初動捜査の明暗を分けるかもしれない。アイラはゴーグルを掛け直し、愛竜に方角を示した。

◆◇


(わたくし、これに懲りて当分テレポートは……)
「分かってる。ボールのなかで体力を温存してくれ」
 結果から言えば、病院からの緊急脱出は成功した。
 ウルスラの下手くそな転送で、走行中のトレーラーの正面に飛び出しかけたが。
 とにかく、ダッチェスのいるポケモンセンターへ急いだ。
 
 正面入口が見えてくると、自動ドアのそばに丸まっていた燃えるような暖色の塊がむくっと起きた。ぅわん! わん! とはしゃいで吠えながら、胸に飛び込んできた毛むくじゃらをキズミが受け止めた。
「待て待て、銀朱」
 長い舌で顔を舐め回される。ミナトのガーディだ。
「ミナトの指示か? ここでダッチェスを守ってくれてたんだな」
 わん! と近所迷惑なくらい良い返事に、やっぱりなと納得した。親友のミナトは言動が軽薄に見えて、頭脳も要領も同期トップの男だ。ただ今回は少し手回しが良すぎて、二、三手先のどんでん返しを警戒したくなった。
 
 夜勤スタッフに警察官の身分を説明し、時間外の面会許可を承諾させた。場所は、脱走防止のランクが高い入院ルーム。ブラッキー=ダッチェスは前足の間に埋めていた顔を上げた。目立った傷は癒えても、疲労は目に見えて残っている。キズミの後について入ってきた見慣れない警察犬に、盛った黒土のようだったダッチェスがさっと立った。それ以上近づいてごらん、とばかりに毛を逆立てると、まだ子どものガーディは尻尾を股の下に巻きこんで固まってしまった。

(アンタもしつこいね。話だけなら、聞いてやるよ)
「ロング警部の代理がお前を探してる。事情聴取したいそうだ」
 ダッチェスの金色の眼が尖り、青い輪模様が威嚇するようにゆっくり点滅した。
(来るなら来いだよ。気に入らないヤツは、喉笛に噛みついやるさ)
「だから、困る。バトルネーソスに行くぞ」

 何だいそれ? と黒い紡錘形の耳の高さが左右でひょこと変わった。

「レンタルバトル施設だ。オーナーにお前を匿って貰えるよう交渉する」
(アンタ、刑事だろ? そんなことして大丈夫なのかい)
「俺は被疑者を取り逃がした。上司からの印象はとっくに最悪だ」
 キズミの淡々として厳しい声に表れた、ヤケクソに低い自己評価。
 責める対象が自己に向きやすい真面目な根っこを、ダッチェスの耳は聞き取った。
(仮にそこで養生したとして、その後は?)
「聴取に応じて、捜査協力してほしい。警部を襲った連中を放っておけない」
 刑事として事件を追うスタンスの本質は、キズミとアイラとで似通っている。
 挟まれた私情を丁寧に取り除けば、アプローチが直線か、遠回りかの差異だ。
 ブラッキーはわざと人を試すような、澄ました物言いをした。
(嫌だと言ったら?)
「警部の代理は諦めないだろう。俺は職を追われる覚悟で、お前の味方になる」

 なぜそこまでして世話を焼くのか、と訊きかけて。
 ファーストの件で煽ったことを、ダッチェスは思い出した。
(つまりアンタらに手を貸せば、アタシもアイツらへ借りを返せるわけか)
 少しのあいだテレパシーを黙り、後ろ足で耳の付け根を掻いた。
(そのネーソスって場所は、たらふく食わせてくれるんだろうね)

 キズミの説得が通じた。
 途端に、ガーディが耳を広げて嬉しそうな顔をした。
 すかさずダッチェスが睨みつけると、キズミの足の後ろに隠れて縮こまった。

レイコ ( 2012/03/02(金) 17:39 )