NEAR◆◇MISS















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第一章
-4- 未だ見ぬ明日
 どしーんと地面に叩きつけられた謎の男。強打した腰を押さえ、声にならない声をあげてその場でうずくまる。が、しばらくすると何事もなかったかのようにすっくと立ち上がった。頭頂部で一つに束ねられた剣山ような緑髪。頬骨が高く卵のようにつるっとした輪郭の顔。パイナップルのような頭も個性的だが、宴会で重宝しそうなオレンジフレームの星型サングラス、ピンクのドレッシーなノースリーブワンピースという常人では考えられないようなファッションが男の変人オーラに拍車を掛けていた。

「やあやあやあキズミ君! 君が来るのを待っていたよ! さあ、ムームーもご挨拶だぁ!」

 マジシャンが布の裏からポッポを出現させるような調子でばっさあと裾を捲り挙げるパイナップル顔の男。露出した生脚にはポッポではなくムチュールがしがみついていた。ぽってりした体には男とお揃いのワンピース。こちらは服装の効果で可愛らしさが割り増しされているが、毎度笑顔で奇行に加担するセンスは特性【鈍感】のせいなのかそうでないのか。キズミはきっちり5秒の間を置き、何事もなかったかのように口を開く。

「待っていた?」
「ちょちょちょ、それだけぇ!? 今の麹塵ちゅあんのパフォーマンス、すごくなかった!? オー、ノー! それとこ・れ! ミナト君なら普通にもっとノッてくれるよー!? オレの方がすごい柄履いてるとか言ってくれるよー!? ね、そこの君もそう思……おや?」

 きらりと光るサングラス。揉み手をしながら大股で寄ってくる初対面の相手に対し後ずさるような礼儀を欠いた真似はしなかったが、挨拶の度を軽く超えた熱烈な握手にのけぞる一歩手前までアイラの背筋は伸びていた。

「いやいやいや、美しいお嬢さんを放置でヤロウと会話していたとは一生の不覚! 申し遅れました、私はアナナス! このバトルネーソスのオーナー兼ポケモン服デザイナーです! ぜひあなたのお名前を聞かせて下さい!」
「あの……アイラ・ロングロードです……」
「アイラさん! いいお名前だ! そうそう、今は人とポケモンのペアルックを考案中でしてね、どうですこのワンピース! 素敵でしょう! なんといってもいぢぢぢぢぢぢぢ!」

 赤い防護膜に覆われた黒い眼を思慮深く瞬き、内心困っているであろう主人を助けようと乗り出す寸前で踏みとどまるフライゴン。騒ぎに乗じ、アイラは解放された両手をさりげなく後ろ手に組んでオーナーから遠ざけた。

「俺の話聞いてますか?」
「ふぉおー、痛かった! いきなり何をするんだねキズミくううん!」

 ゴムのようにバチンと縮んだ耳たぶを押さえ、唾を撒き散らして叫ぶオーナー=アナナス。

「そ、そーいえばキミ預かって欲しいポケモンがいるんだろ!? ん? まさかあのブラッキー……? なんと! おおおおピーンときましたよー、新作のアイディアが沸いてきましたよおおお!」
「レスカ君、あなた最初からそのつもりでここまで?」

 空威張りのように聞こえてなんとなく勘に障る。ついさっきまで硬直していた人物の口から出たとは思えない。切り替えが早いのは結構だがもっと他の諭し方はないのだろうか。キズミはおおっぴらに眉根を寄せると、神妙とは無縁の表情を見てアイラも遠慮無く目尻を上げた。

「少なくとも、あなたよりはあのブラッキーに友好的だ」
「何も後ろめたいことがないなら最初から逃がしたりしないはずよ」
「取り付く島もなかったのはどっちですか……」
「捜査に私情を持ち込まないで。彼女は人を脅したわ。犯罪者なのよ……!」
「だからそれには酌量の余地があると何度言えば分かるんですか!」

 昂ぶった声にあたりが水を打ったように静まりかえった。
 
「あなたなら……人間不信の根深さをよく知ってるはずだ。たかが数日、どうして安定を待てないんですか……!」
「……! 何を急に……なぜそんなにブラッキーの肩を持つの!? ロングロード警部を襲った被疑者を捕らえたくないの……!? その数日が捜査の命取りになるかもしれないのよ……!」
「どのみち、誰かの傷を抉るようなやり方を警部は認めねえ!」

 花を踏んでいたことに気づいた時のような疚しさに襲われて。ぱっと伏せた可憐な容貌に長い睫毛の影がはらりと落ちた。拳を固めたまま、後ろ足を引きずりながら近づいてくる意外な存在にも全く気づく気配がない。視界を浸食する黒い影。アイラはおずおず目線を上げ遮光の正体に絶句する。

(キズミ、そのくらいにしておやり)

 ダッチェスは座ると胸を張って視線を高くした。

(アタシを尋問しようってのはアンタかい。ろくでなしを一人脅しつけたのは認めるよ。だけど警部とかいうのは襲った奴らとは何の因縁もないね)
「……」
(信じないのは勝手だよ。アタシはそんなアンタを鼻で嗤うだけさ。それでもいいなら引っ立てな)
「……」
(たった一人いればいいんだよ……信じてくれる人間(ヤツ)なんて)
「……」

 今の言葉を、アイラ・ロングはどんな気持ちで聞いていたのだろう。ダッチェスを見下ろす名目で顔を背けていたキズミが目の前にいる彼女の表情を知る由もない。時間は川のように流れていかず沼のようにどろりと一所に固まっているようだった。砂が靴底と擦れ合う音に釣られ、面を上げた彼の蒼眼に少女の後ろ姿が止まる。何処かやるせない夕凪のような女声が耳に届いた。

「……ブラッキーの処置を一任するわ。落ち着いたら、署に連れてきなさい」

 騎乗しやすいように屈み込むフライゴン。赤いカバー越しの目を何か言いたげにキズミへ向けたが、アイラが完全に乗り込んだのを確認すると菱形の翼を腕のように広げた。着陸時と同じように砂埃と木の葉を巻き上げながら上昇する。辻風の中心が完全に空へ溶け込んでしまうのを見届けるとキズミは出し抜けに切り出した。

「お前らしくねえな……」
(……上役に睨まれて困るのは誰だい。こんなことで苦労を無駄にするんじゃないよ)

「ップハァ! ぜえぜえ、もー何をするんだ留ちゃん!」

 そういえばオーナーの存在をすっかり忘れていた。振り返ったキズミはなるほどと一人相槌を打つ。姿を見かけなかったのはきっと噴水に身を潜めていたのだろう。オーナーがやけに静かだったのはそういうことか。オーナーの背中に抱きついてこちらを見ているヌオー=留紺のしたり顔と言ったらない。

「いきなり羽交い締めにされて死ぬかと思ったよ! はふう、僕はミナト君じゃあないんだから少しは手加減してくれないと! あーあ、行ってしまったか……キズミ君、一体彼女とはどういう関係なんだ? あのアイラ・ロン……ん、待てよ? ロン……え、ロングロードッ!?」
「今頃気づいたんですか」
「ロ……ま、まさかクソジジイの娘だったのかぁああ!? うわあああなんだこの敗北感は……! し、知らんかったぁー!」

 お構いなしで振動するポケギア。着信はミナトからだった。

「なんだ」
『よう! そろそろ話がまとまった頃じゃないかと思ってさ!』
「……」
『……』


◆◇


 貸し出しの簡易ベッドの寝心地を確かめるように、キルリアがクッションをぽんぽんと軽く叩く。今晩は付き添いとして病室に宿泊することになったが明日以降の見通しはほとんど立っていなかった。ロングの容態の深刻さを受けた国際警察本部からは業務を停止するようにとの勧告があり、今後の正式決定の内容によってどうとでも対応に追われるだろう。手持ち無沙汰の数日間、アイラは気が気でないだろうがそれはキズミとミナトにも言えるに違いない。あのコンビも解消され、異動の恐れもありえるのだから。

(……ではアイラさん、お先に休ませていただきます)
「ええ……おやすみ」

 優雅に一礼し、簡易ベッドの上のモンスターボールに触れるクラウ。光となって吸い込まれる間際に彼の大きな紅の眼が心配そうに伏せったがアイラは気がつかなかった。父と娘、家族水入らずの病室ですべらかな肌の手が無骨な拳に優しく重なる。こうして触れるのはいつ以来か。照合できるような記憶もなくこのぬくもりを懐かしむことも出来ないことに気づかされた。月に懸かる雲のように漂う寂しげな微笑。

「……パパ、ごめんね」

 耳に跳ね返るだけの自分の声。空虚さに胸が潰れそうになる。

「ママもお姉ちゃんも……お願い、パパまでいなくならないで……置いていかないで……」

 何も出来ずともせめて傍にいたい。ささやかでどこまでも身勝手なこの願い。そうかと思えば、我を通すためにどんな代償も厭わない気でいる自分に自己嫌悪を禁じ得ない。今頃どうしているのだろう、あのブラッキーは。簡易ベッドに俯せとなり、枕に火照る目頭を押しつける。感情が醜く入り乱れた今の自分なら父の敵を追ってどこまでも墜ちて行けそうで空恐ろしかった。

レイコ ( 2011/08/05(金) 23:47 )