NEAR◆◇MISS















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序章
Night -夜-
 天を仰ぐは夜陰の華。体の曲線は墨に浸した筆で縁取るかのように滑らかに、浅く充足した被毛は黒曜石の影を踏むばかり。すらと地に向かう四足、額、紡錘形の耳と尾には快晴のごとく青き輪模様が刻印され、瞳はまさしく闇に冴えた月輪か。
 アルストロメリア港の埠頭に佇む美しくも威圧的な横顔は、ひとり未知なる地へ赴こうというかすかな哀愁を漂わせていた。

 希少な色違いのブラッキー……彼女の名はダッチェスという。
この街に辿り着くまでの苦労を思うと飽き足りない再会とはいえこれ以上の長居は無用。効率よく行方をくらますには来た時と同じく夜の闇に紛れ港から船に忍び込みどこか遠くへ出発するのが一番だろうと考えた。
 生憎これといった隠れ家が見つからず人気のない埠頭で小休止していたのだが、こうも孤独を強調されるとかえって気が滅入る。ただでさえ目の前に横たわる境界の区別も付かない黒い空と海は無明の先行きを彷彿とさせるのだから。

 ぴくっと紡錘形の長耳が動く。こんな夜更けに作業員だろうか。エスパータイプほどの精度はないが特性シンクロは周囲を探るのに重宝する。ダッチェスはコンテナの影に身を隠し息を潜めた。慌ただしい複数の足音が近づいてくる。誰かが倒れるような音に続き、知らない携帯獣の声が聞こえてきた。

「起きて、起きてよロング! キズミと、ミナトには……ロングがいな、きゃ……」

 キズミ。顔馴染みの名にダッチェスは思わず耳を欹てる。しかし再び何かが倒れるような小さな音がして声は途絶えてしまう。悪寒が電流のように黒い体を駆け抜けた。

「!」

 電光石火の早業でコンテナの上へと逃れるダッチェス。瞬間、爆音が耳を衝撃が足を揺さぶる。トラブルに巻き込まれたのは一目瞭然。止まってなどいられない。コンテナからコンテナへ踏めば沈む浮き草の上を渡るかのような速さで跳び移る。襲撃犯と見られる何者かは10メートルほど離れたコンテナ上を併走していた。黒いフードとマントで身を包み闇に溶け込んでいる。幸いダッチェスは夜目が利くがそれは彼女の黒い毛並みを難なく見抜いた敵も同じようだ。

「忌むべきは己の悲運……星と散れ!」

 両手首を合わせ華のように開かれる指、掌から発射される特大の翡翠玉にも似た『竜の波導』。全神経を集中させ回避一心の跳躍から降り立つ直前、ダッチェスの青い輪模様が一斉に『怪しい光』を放つ。意識を攪乱された敵が足つきを乱したことが音で分かる。引き離すなら今だ。彼女は最後のコンテナから吸い込まれるように着地すると、舗装道路を利とし疾風迅雷の勢いで潮の香と決別した。


◆◇

 
 持ち前の持久力と『電光石火』を駆使しなんとかオフィス街に逃げ込めたが、長年の経験から敵の度量が伺える。コンビニの裏に身を隠し、ダッチェスは呼吸を整えて心を落ち着かせる。
 とにかくキズミに会わなければ。偶然にも彼の名を耳にした以上、外野の悶着といえど見て見ぬ振りをしては寝覚めが悪い。しかし今から探していたのでは時間がかかる。今朝のような鉢合わせはもう望めないとなれば……

 がらんとした深夜のコンビニに入店音が鳴り響く。慌てて休憩室から出てきた若い男性店員がレジカウンターに立った瞬間。ダッチェスはカウンターの死角から飛びかかり彼の愛想笑いを一瞬にして奪った。

(警察をお呼び! 無事に朝日を拝みたいならね……!)

 首筋にぎゅっと爪が食い込む。突然胸の上に陣取られたあげく脅迫された哀れな店員は唇を震わせて妙なブラッキーを凝視する。ショックで身が竦んでしまったらしい。苛立ちを隠せない金色の目が敵の接近を察知してぞっと見開かれる。

(色ブラッキーに襲われたと伝えな! そこに隠れておいで!)

 店から飛び出した途端、傍の縁石が吹き飛んだ。ダッチェスは右へ左へ俊敏に移動し照準を狂わせる。彼女の歪な軌跡を辿る『竜の波導』。地雷地帯に踏み込んだかのようだ。アスファルトの路面が次々に抉られていく中、艶やかな黒毛が覆う体躯は熟れた回避行動で掠り傷一つ付かない。
 凶手は渾身の闘志を掌に集中させ、技の精製に付随する蒼き光と風にマントをはためかせながら雄々しく哮る。

「汝、儚き定めに抗うか!」
「夢想だね!」
 
 ぴしゃりと撥ね付けつつ忌避困難の重い一撃を予感する。ダッチェスは一切の干渉を排するバリアで半球状に体を取り囲む。
辛くも肉体の損傷は免れたが『波導弾』の威力は予想に違わなかった。僅かに『守る』を押し切る形で爆風に昇華し、黒くしなやかな体躯は吹き飛ばされてしまう。
 追撃を許すまいと爪を路面に突き立て踏み止まるダッチェス。響き渡る『嫌な音』。
 不意の耳痛に警戒した黒マントの男は攻めを辞し、見えない手に摘み上げられたかのように大きく後ろへ跳び下がる。『怪しい光』は射程距離外。二度目ともなれば警戒されて当然か。
しかし間合いを取られるのは好都合。ダッチェスは踵を返し再び逃走を図った。

 本質は鈍足。純粋なスピード勝負に持ち込まれれば勝ち目はない。それでもキズミとウルスラが到着するまで持ちこたえなければ……いや、それ以前に彼らが来るのかどうか。不安と焦燥で胸の中がちりちりと焦げるようだ。
 どれくらい経つのだろう。夜更けの街の静けさは時に耳を弄ぶ。遠くで車のエンジン音やサイレンが聞こえる気がした。しかし過度な期待は禁物だ。

 攻防の舞台は公園に移された。豊富な遊具が防壁となりなんとか凌いでいるが形勢は圧倒的不利。『守る』も『妖しい光』も発動に必要なエネルギーをほとんど消費してしまった。反撃に転じようにも火力に欠ける。『電光石火』の多用が祟り体力も限界に近い。
 破損した遊具からやむなく脱し、待ち受けていた敵の『竜の波導』から最後の力を振りしぼり身を『守る』。
 技が相殺した直後、非情な『波導弾』が横腹を捉えた。
 ダッチェスは金網フェンスに激しく叩きつけられ濡れ雑巾のように落下する。
咳を吐くとともに口から雑多な液体が零れ出る。激痛のためにまともな呼吸も出来ず、体も冷たい地面と同化したかのように動かない。

 まだ仕事が残っている。このままキズミ達に会えないまま、そう易々と死ねないのに。凶手がとどめを刺す気か。瞼の向こうに強い光を感じたダッチェスは涙が溢れてもおかしくないほどに悔しかった。

 出し抜けに。
 耳の奥に槍を突っ込まれたかのような轟音。一気に目が冴える。鼻先すれすれでくるくると回っているタイヤ。ダッチェスの顔から血の気が引く。一体何が起きたというのだろう。落ち窪んだフェンス。横転したバイク。その向こうに見える逆さまになった人間の足。まるで事故現場だ。
 足がばたんと倒れ見えなくなった。そしてバイクの裏からよろりと這いずり出てきたのは。立ち上がり、フルフェイスのヘルメットを脱ぎ捨てると同時にホルスターから特殊警棒を引き抜いたのは。

(ああ、わたくしまたテレポートで不手際を……!)
「……気にするな」

 悲痛な思念を発散するラルトスを取りなし、トランツェンを正眼に構える赤ジャンパーの青年。
なんて馬鹿な登場の仕方なのだろう。笑うに笑えないではないか。
 胸を核に燃えるような熱さが全身まで行き渡る。
 庇うように敵との間に割って立つ彼の名を。気遣うように自分の元に寄り添う彼女の名を。ダッチェスは絞り出さずにいられない。ぼろぼろの体に鞭を打ち立ち上がらずにはいられなかった。

(キズミ……! ウルスラ……!)

 差し向けられた棒先に対し掌を突きだして牽制する。フードと辺りを包む濃い闇で黒マントの男の表情は読み取れないが、その思念には侮蔑の色が濃く滲む。

(トランツェンか……非力な人間に過信を招くと聞き及ぶ)
「どうだかな」

 脱兎の如く走り出す両者。振り下ろされるトランツェン。振り上げられる拳。力の押し問答の末に打撃の応酬を開始する。打ち合う度に寒気を覚えるような金属音が撒き散らされた。
 
(……! おやめ! 港で騒ぎがあったんだ、ここは良いから早く……!)
(死に損ないめ。いらぬ差し出口を)

 いずれの攻めもすんでの所でトランツェンによってガードされ、生身に一撃が入らない。まずは動きを止めるのが先決か。マントを翻し、屈むや否や地面と紙一重の低さで回し蹴りを繰り出すも空振りに終わる。凶手は低体勢を立て直すと同時に眉間めがけ振り下ろされた武器を真剣白刃取りで封じた。

(ほう……貴様、国際警察の手練れか)

 脆弱な人間らしからぬ速度と力の根源。アシスタントはブラッキーの隣に控えたラルトスと見て間違いない。両手ごと揺れ動く警棒をじわりじわりと押し戻し。

(嬢子の力を借りねば満足に戦えぬとは哀れな男よ)

 朧気に判別出来る。吊り上がった口角が示す弱者への嘲笑を。

(所詮、姑息な二重奏―――)
「バカが、三重奏だ!」

 キズミの鋭い一声を裏付けるように黒い影が放物線状に空の星を吸った。
接近をそれと気づかせぬ『騙し討ち』。飛躍したダッチェスはそのまま敵の顔面に突っ込み、視界を奪う。
 機を逃さずホルスターから引き抜かれる銀の外観を持つ拳銃型射出機。
 一発の銃声が虚空へ幕切れを告げた。

 主と切り離され泥のように地上に留まるマント。力を使い果たしたブラッキーがその上に横たわっていた。やや息の上がったキズミとウルスラが一目散に駆けより彼女の容態を確かめようとした矢先、只ならぬ気配に身構えを余儀なくされる。

 黒マントで身を隠した新手は同胞の封じ込められた弾丸状のアレストボールを地面から拾い上げ、皮肉な笑みを浮かべるとともに一瞬で闇の中へ消え去った。

レイコ ( 2011/04/11(月) 19:34 )