某日 -夜-
赤いジャンパーを羽織った金髪の青年の名はキズミ。色違いのブラッキーを見かけると噂が立つ深夜の閑静な住宅街を訪れ、業務外の自主捜査に打ちこんでいた。つき従うラルトスの名はウルスラ。テレパシーを使いこなし、国際警察官を超能力で補佐するパートナーは通称アシスタントと呼ばれる。
(あそこから気配を感じますわ)
新築の民家の屋根の上。ウルスラの可愛らしい令嬢のような上品さと別の、妖艶で落ち着きがある声質の思念が寄こされた。
(随分ご執心だね。アタシはそんなに金になりそうかい? ……キズミ・パーム・レスカ)
「ダッチェスなのか……!?」
まさか、本当に。出来すぎた再会はありえない、と諦めていたのだが。今までどうしていたのか。なぜこのアルストロメリア市にいるのか。いつ進化したのか。冷静さを失いそうになる。
「なんで、俺から逃げた」
(アタシが進化したように、アンタも変わったかもしれないだろ。よく値踏みしないと)
この街でもハンターたちに脅かされつづけ、イーブイ時代からの人間不信が悪化したようだ。軽くあしらうような語り口だが、奥底はわだかまっている。
「バカ言うな。お前を助けたいだけだ」
(ファーストを守れなかった、アンタが?)
ひどく、静まり返る。
ひと呼吸置き、屋根を蹴るかすかな足音が鳴った。
「待てダッチェス! ウルスラ、追えるか!?」
(や、やってみますわ!)
天を仰ぐ夜陰の華。彼女の寂寥をこらえた横顔は人目にそう映るだろう。後頭から尾先にかけた輪郭線はひと筆書きのように滑らかだ。黒曜石の色をした被毛の脚、額、耳と尾には青い輪模様が刻まれており、瞳の風合いは月のごとく闇に冴えている。
ダッチェスはポートエリアに着くと、海面を割る一本の道のようにまっすぐ伸びた防波堤に向かった。先端には、レトロな美観の白灯台が立っている。夜釣り客をおどかし、釣果を横取りするのも生きる知恵だ。
素直にキズミを頼っていれば。失敗を振り返ると空腹が増す気がした。真っ暗な空も海もきらめく工場夜景も、いつになく孤独を感じさせた。
立ち止まり、きりりと暗視力の高い金眼を細める。灯台下に、何かいる。ハンターの待ち伏せだろうか。磯のにおいで鼻が利きにくい。特性シンクロを使って索敵をおこなったダッチェスの体を、悪寒が電流のように走り抜けた。
目にも止まらぬ『神速』で背後へ回られた。『発勁(はっけい)』の衝撃が全身の骨を砕きそうに揺さぶった。視界はちかちかと星がはじけ、激痛で起き上がれない。咳こんだダッチェスの口から消化液がこぼれ出る。
冗談がきつい。
殺されてたまるか。
気を失いかけている金色の薄目に、ヘッドライトの激励が舞い込んだ。垂れ下がった耳を鼓舞するエンジン音。防波堤を渡ってくるオートバイへ、ダッチェスを襲った何者かが手のひらから『波導弾』を撃つ。とっさに乗り捨てたライダーは爆発炎上をのがれ、ころがって受け身を取る。倒れているダッチェスを赤いジャンパーの背中にかばい、特殊警棒トランツェンをかまえた。
「警察だ! 攻撃を中止しろ!」
地属性の細長いビーム棒を虚空から呼び出した襲撃者が、くぐもった声の警告を無視して飛びかかる。淡いブルーに光る『ボーンラッシュ』で半分叩き割られたフルフェイスのヘルメットを脱ぎ捨てた素顔は、金髪に青い目の青年。
「ウルスラ!」
アシスタントの特殊スキルを発動要請した。『特性』と『技』をその身に受け、力と速度が人間の領域を超える。強化された若き国際警察官は襲撃者の猛攻に食い下がった。命を懸けた棒術の決闘さながら、トランツェンと『ボーンラッシュ』が激しくぶつかり合う。
よろよろ立ち上がるブラッキーに気づいた。
キズミは、劣勢の踏ん張りでスニーカーの底をすり減らしながら叫んだ。
「逃げろダッチェス、こんな所でくたばるな!」
(……誰に命令してんだい!)
全身の青い輪模様から放たれた、『怪しい光』。立ちくらみする襲撃者。はじめて隙ができた。鼻面を思いきり殴り飛ばすトランツェン。鋼の皮膚が甲高い音を響き渡らせ、襲撃者はひとっ跳びで後ろに下がった。白亜の灯台より奥は暗黒の海だ。みずから袋のネズミになった。しかしその行動は、混乱による誤判断ではなかった。
灯台の裏に隠されていたものが引きずり出され、よく見えるよう高く掲げられた。
首吊り死体のように襟を掴まれている、動かないジョージ・ロングロード。
馬鹿な。
動揺したキズミをあざ笑うかのように、上司の体が海に投げ捨てられた。「くそっ、ダッチェスを!」とウルスラに後を頼み、キズミは上着や靴、装備をすばやく取り払うと冬の冷たさの残る波間に飛びこんだ。
◆◇
ジョージ・ロングロードを海から引き上げた後、“副作用”に襲われた。
キズミの意識が戻ったのは、搬送先の病院だった。
襲撃犯を取り逃がしてしまった。ラルトス=ウルスラの通報で緊急配備が敷かれ、ミナトも動員されている。留守電に折り返すと、オレがホシをあげてやるから見舞いに行くまで休んでろ、と言われた。
ブラッキー=ダッチェスはポケモンセンターで治療中だそうだ。四時間も失神していた自分に代わり駆けずり回ってくれたラルトス=ウルスラには、モンスターボールの中で休んでもらっている。時間外の退院を断念したキズミはベッドを抜け出し、上司が寝静まる個室のドアと並んで番人のように廊下に居座った。
診断は、なんらかの方法をもちいた昏睡状態。いつ目覚めるかは見当がつかないらしい。数日先か数年先か、最悪の場合はもう二度と。ウルスラから又聞きした医師の通告が、胸に重くのしかかっていた。
なぜ上司がこんな目に。
狙われたのか、偶然起きた事故か。自発的にあの場所に出向いたのか、それとも連れ去られたのか。携帯電話をはじめ貴重品が持ち去られており、手持ちのポケモン達はモンスターボールごと全員行方不明。ダッチェスを攻撃した被疑者と同一犯とみて良いのだろうか。動機は。関係は。
憶測ではどうにもならない。そう思いつつも、心の中が蒸したように熱い。ジョージ・ロングとは、私生活でも付き合いが深かった。自分やミナトのような問題児にも偏見なく接してくれる、仕事上の父親のような指導監督官だった。
――ファーストも助けられなかった、アンタが?
ダッチェスの言うとおりだ。消波ブロックをよじ登る際に擦りむいた、絆創膏だらけの手がちりちりと疼く。傷なんか負ったところで、誰も守れなければ情けないだけ。もしこのまま、事件が迷宮入りするようなことになれば。お前が最初に取り逃がしたせいで、と恨まれる役に徹したなら、上司の家族にわずかでも報いられるだろうか。真相を解明するその日まで、許しを乞う資格などある筈がない。
(こんばんは。僕はアシスタントのクラウです。キズミ・レスカさん、ですか?)
「そう、だが」
テレパシーで話しかけられるまで、下から覗きこんでいるキルリアの存在に気づかなかった。同時に視界に入る、ストラップ付きのローヒール。巡回の看護師の足ではない。疑問をはらんだ視線を上向きに吸い寄せられる。
呼吸も、心臓も、時間さえ一瞬止められたかのような気分がした。
グレーのパンツスーツ。栗色のミディアムボブ。純真で使命感の強そうな、灰色の瞳。キズミがぞくりといだいた感傷の正体が、可憐な容貌を近寄りがたく研ぎ澄ました女性の口から明かされた。
「私はアイラ・ロングロード。国際警察本部から派遣された、指導監督官代理よ」