NEAR◆◇MISS















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序章
Morning -朝-
 すうっと胸一杯に息を吸い込みたくなるような清々しい朝だ。ガラガラとベーカリーのシャッターを上げ終えた初老の店長。その顔から笑顔が消えたのは商店街のゲートをくぐり抜け手前に向かって疾走してくる三人の男を目にした故だった。
 先頭を行く中年の男は何やら大きなバッグを胸元に抱え、その後を若い風貌をした黒いスーツの二人組が追っている。間違っても誰一人としてパンを買いに来た客の顔ではない。
 若い片割れの黒髪が放ったモンスターボールから白光とともにヌオーが現れ、声高な指示が飛んだ。

「留紺(とめこん)、泥爆弾!」

 ぷっと水色の頬が膨らみ、間延びした口がぎゅっとすぼむ。発射されたサッカーボール大の泥団子があっと言う間に中年男を追い越し、男とほど近い場所にいた店長とのちょうど中間地点に落ちる。
 文字通り破裂した。まるで花火のように激しく、鮮やかに。
飛び散った泥は店長の顔をチョコパンのようにコーティングし、同じく中年男の目を塞ぐ。その隙に後ろから飛びかかるヌオーと黒髪の青年。
転倒した男の手からバッグが離れ道の上に中身をぶちまける。詰め込まれていたのは大量のモンスターボールだった。転がり落ちた弾みだろう。全員の眼前でその中の一つが勝手に開く。

 それは通常ポケモンの登場時とは明らかに異なる輝きであった。迸った光の粒子は初見の者を魅了して余る美しさだ。店長もその時ばかりは怒りを忘れ見入ったほどだった。
 解放されたポケモンは己の姿をはっきり晒す前に眩さを衣のように纏ったまま、電光石火の速さでその場から逃走する。
 暴れる男と組み合う黒髪の青年と加勢に加わる寸前だった金髪の青年が言葉を一つに岐れた。

「まかせろ!」

 逃走者を追跡する相方を尻目に居残った黒髪の青年は男の背中に馬乗りになり、ヌオーは男の足に全体重をかけて動きを封じる。青年は男の片腕を折り曲げてハンマーロックに極めると後ろ手に素早く手錠をかけて拘束し、時刻の読み上げに続けて宣言した。

「窃盗容疑および携帯獣取扱法違反で現行犯逮捕! しちゃうぜ」

 パンクしたタイヤのように意気消沈する中年男。相手がこんな若造でなければまだ納得できたとでも言いたげな表情だ。ベーカリーの店長は黙って様子を見守っていたが、捕り物が完了すると釜に火をくべたかのように目を燃やし「おい!」と大股で詰め寄った。

「あ、ごめんな! 悪気は無かったんだ、このとーり!」
 
 泥爆弾について反省の意を表す青年だが、どうも浮ついた感じが拭えない。

「誠意が足らん! だいたい本物の刑事か? 若すぎるわい!」
「そりゃ16だし!」
「十六!? どおりでガキだと思ブッ」 

 お前はいいんだよとばかりに中年の顔を地にうずめるヌオー。

「携帯獣課特別捜査員のミナト・キンジョウです。どうもー」

 金髪や青眼といった西洋的なもう一人とは打って変わり、跳ねた黒髪や日焼けした小麦色の肌、悪童のように輝く藍色の眼という東洋系の容姿の彼に色合い的な派手さはあまり無い。
 しかし端麗かつ利発そうな前者の容貌と比べるとやや幼いが活気に満ちた美形と言える。

「じゃ、誠意でパン買うよっ」

 明るく申し出る青年と太いバゲットのような尻尾を振って喜びを表すヌオー。なんと脳天気な。今時の若い警察官とは皆このように軽薄なのだろうか。しかし今は客として名乗りを上げている。店長は大息をつき、仕方がないと苦笑いした。
 

◆◇


 出現時のあの光輝は色素変異体のものに相違ない。その名の通り被毛や虹彩などの色に通常とは大きな差異が認められ、一般的には『色違い』や『光るポケモン』と呼ばれる個体である。希少価値から密漁や不正取引が後を絶たないのだ。取るに足らないポケモン泥棒が手にした幸運と見て取ることも出来るが、逃げた本体から詳しい事情を聴取するまでこの件を捨て置くわけにはいかなかった。

 携えた黒い警棒は念のために伸長させており、攻撃されようものならすぐにでも防御できる体制だ。金髪の青年はラルトス、名をウルスラによる案内を経て朝方の閑静な住宅街を捜索していた。

(あちらから気配を感じますわ)

 訓練を積んだ彼女にとって直接人間に意志を伝達する所謂テレパシーなど造作もない。その思念は必要とあらば対象を特定して送ることさえ可能であり、細く品のある女性の声として認識されるのが常である。
 しかしある民家の屋根上にいると突き止めた矢先のことだった。
 未だ全貌を明らかとしない詮方が彼らに意外な物を寄こしたのは。
 それはなんと、そこはかとなく妖艶な低めの女声として知覚される思念であった。

(やれやれ。またこっぴどく振られに来たのかい?)

 声色に覚えはないが、再会を匂わせる口ぶりは記憶の中のしかるべき答えに結びつく。

「ダッチェスか……!?」
(ふふ。察しがいいね、キズミ・パーム・レスカ)

 女の声は満足げに微笑んでいた。流れた月日を感じさせる事なく、最終的にダッチェスの信頼を勝ち得たかどうか疑問が残る影で彼女は彼の姓名を保持し続けていたのである。それだけではない。そして今やテレパシーを使いこなせるまでに成長した。こまっしゃくれたあの銀毛のイーブイはもはや過去の存在。驚きのラッシュであった。
 しかしダッチェスの変容は青年―――キズミとウルスラにとって喜ばしいものであると同時に、一抹の不安を感ぜざるを得ない。

「姿を見せろ」
(生まれた瞬間から運のツキには見放されたさ。でも近頃空の月に見初められてね)

 ウルスラはダッチェスの語りに漠然とした恐怖を感じていた。意志に反した進化を強要されるほど屈辱的なことはない。ましてやイーブイは環境の影響を受けやすく容易に体質が変化する。全てはか弱い身を脱し生きるために。

(ただしコイツは悪を魅せる色だから、アンタは気に入らないと思うよ) 
 
 キズミはダッチェスの胸中を察した。自由と引き替えに茨の道に身を投じた以上、不要な情けは求めないという筋は通したいのだろう。しかし長く人間の悪意に翻弄され憔悴しているのもまた事実。一言一言は羽のように軽い調子だが、実際は鉄で出来ているかのように重いのだ。
 飾り立てられた皮肉に気骨のある本音が対抗する。

「ブラッキーは堅さが売りだ。お前が苦難に耐え抜いて、打たれ強くなっただけの話だろ」

 一呼吸置き。

「分かったら四の五の言わずに下りてこい」

 どこかで鳴き交わすオニスズメ達。遠くで響くバイクの排気音。直に街は目覚めるだろう。

(……ったく、聞いて呆れるねえ。気が向いたらまた来るよ)

 色気と安定感のある言葉を残し、屋根の向こうの何かが柔らかい足音を立てて立ち退く気配がした。

「捨て台詞にしちゃさっぱりだな。だがまた振られちまったか」
(よろしかったのですか?)

 返事の予想はついていた。咎めを受ける覚悟も十二分であろう。それでもウルスラはキズミに尋ねずには居られなかった。

「今の俺に救えない物は山ほどある……ファーストのようにな」
 
 自戒のように答える彼の面持ちは厳しいものであった。

レイコ ( 2011/04/10(日) 01:14 )