NEAR◆◇MISS















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序章
某日 -朝-
 プラズマ団壊滅からおよそ三十年後、イッシュ全土では高度な知能をもつ携帯獣、別名ポケットモンスターがモンスターボールによる従属ではなく、自立的に人間社会への帰属を志願した場合、難関の試験と審査の合格を経て市民権を付与する制度が普及していた。
 しかし人間的身分や人間的資格を取得した『複合能力者(フル・タイプ)』、通称、人間(ヒューマン)と携帯獣(ポケモン)の複合語である『亜人(ヒューモン)』と呼ばれる携帯獣市民の増加は新たな社会問題を生んだ。従来の人間主体の犯罪と一線を画す、携帯獣主体の犯罪である。
 国際警察は『Get(通常捕獲)』『Capture(一時捕獲)』といった拘束手段に加えて、これまで犯罪行為『Snatch(強奪)』との類似性から議論されていた強制確保『Arrest(逮捕)』を合法的に行使する権限を、国際警察職員に認めることとなった――



 開店前の店先に積もったアーモンドの花びらを掃いていたドーナツ屋の女主人は、ヒッ、と使いこんだ箒にしがみついた。乱暴に脇をかすめて走り抜けたチンピラ風の男が後続のタックルを食らい、倒れ伏す。「もう逃げられんぞ!」と馬乗りになったまま一喝する中年の巨漢。灰色の背広が筋肉ではち切れそうな彼が手錠をかけている横で、ブランド物の紺のスーツを爽やかに着こなした黒髪の青年がモンスターボールを放った。
「みんな、どけー! 留紺(とめこん)、泥爆弾!」
 白光から形づくられるオオサンショウウオのような水色の携帯獣、ヌオー。ぷくっと頬を膨らませ、ぎゅっとすぼめた口から暗い土色の塊を発射。『電光石火』を使うターゲットによけられた砲丸は技名の通り、人々が退避済みの公道で爆発した。水上花火のように激しく、ねちょねちょする泥を大量にぶち撒けた。
「あ。おーい、ブラッキーがそっち行った! あと任せたキズミ! さてと……」
 小麦色の肌。藍色の眼。
 アイドルのように整ったルックスが人目を引く、東洋系の黒髪青年。
 ドーナツ屋の女主人に、はつらつと笑いかけた。 
「怪我はねえか、レディ? 驚かせてごめんな。刑事の仕事って荒っぽいから」
「へっ、口説いてんじゃねえミナト。すいませんねえ、しつけのなってねえ部下で」
 チンピラを尻の下で大人しくさせている巨漢が豪快そうな見た目と遠からず、気風のいい口調でクレーム対処のフォローに回る。まったく気にしていない女主人は聞こえたワードを頭の中でパッチワークにすると、ぽんと手を叩いた。
「もしかして、金城湊(キンジョウ・ミナト)くん? 娘のナティから聞いてるわ。同じ十六歳でも、しっかりしてるのねえ」
「ナティちゃんのママさん!? なんつう奇遇! お近づきの印にドーナツ買うっすよ、オレ朝メシ食いそびれてて」
「あら、まいどあり! おばちゃん、サービスしちゃう!」
 会話がはずむ二人。接点のない中年男ひとり、状況に下手に流されない上司の貫禄をただよわせてにやにやと笑いの中身を異ならせていた。
「ついでに奥さん、こいつに掃除道具を貸してもらえないですかね。あれ、片づけさせねえと」
 くい、と皮膚の厚い親指で泥まみれの事故現場を指し示す。
「俺ぁ、このポケモンハンターをしょっぴくのに忙しい。まあ頑張れ。わっはっは!」
「ちょ、手伝ってくんねえのかよロング警部。そりゃないぜー!」
 ぶうぶう言い出したミナトを共犯のヌオー=留紺までもが見捨て、地面にころがっているモンスターボールにすっと触れると、口の形が微笑んでいるようなポーカーフェイスでちゃっかり吸い込まれていった。 

 
◆◇


 どこからやって来たのか、近頃アルストロメリア市に黒毛に青輪金目の一体のブラッキーが出没している。一般的に『色違い』または『光るポケモン』と呼ばれる個体は希少価値が高く、密漁や不正取引が後を絶たない。インターネットを中心に目撃情報が出回り、全国から珍しい物好きのポケモントレーナーが集まる。軽視できないのは悪質なトレーナーや、金のためならいくらでも手を汚すポケモンハンターたちだ。
 逃げのびているブラッキーの利口さは見上げたものだが、弊害も出ている。深夜営業の有人コンビニ店で食料の盗難未遂が起きた。放っておけば、被害届けが出る騒ぎにつながるだろう。アルストロメリア警察としてはブラッキーを保護する方針である。
 とりわけ金髪の新米少年刑事、キズミ・パーム・レスカは捜索にこだわっていた。

 個人的な事情から、色違いのイーブイへの思い入れは強い。
 ひょっとしたら、自分が知っているブラッキーかもしれない。
 そうでなかったとしても、その個体を金儲けの道具にされたくない。

 今日はチャンスだった。しかし、あと少しのところで追跡を振り切られてしまった。多機能モバイル端末であるスマート・ポケギア越しに直属の上司ジョージ・ロングロードから撤収するよう言われ、仏頂面でアルストロメリア市警察本部庁舎へ引き上げた。刑事部の大部屋、携帯獣犯罪を担当する課の職員のデスクが固まる一角、パーテーションで仕切られている持ち場の席に着くやいなや、白い歯をにっと見せた金城湊がドーナツの入った紙袋を押しつけた。                       

 同じ施設で育った幼なじみ、キズミ・パーム・レスカと金城湊は同期で親友の国際警察官なのだ。養成センターでは特殊訓練を受ける精鋭クラスに在籍し、優秀な成績を納めたが、訳あって卒業審査は不合格。退学処分はまぬがれたものの、アルストロメリア市を管轄する自治体警察への出向を命じられ、一年におよぶ要観察兼試用期間を設けられた。人事評価の基準を満たさなければ、後がない。
 
 キズミはミナトからの差し入れを受け取るなり、デスクの端に置いた。小腹を満たすより、対携帯獣用特殊警棒トランツェンを手入れしたい。人工ミラーコートを発生させ規格内の特殊技の軌道を歪められる他、鋼ポケモンの皮膚に匹敵する硬度で武具、防具としても優れている。これまで幾度となく命を守られてきた。
 ラルトス=ウルスラがドーナツのお礼に淹れたコーヒーをひと口すすり、ミナトは言った。
「あんま根詰めすぎんよ。シュナ校のスージーちゃんにダブルデート誘われてんだけど、一緒に……って、来るわけねーか」
「この間は、キャサリンって子とメシ行くと言ってなかったか」 
 キズミがげんなりする。
「オレって罪な男! 妬んでいいぜ、カタブツ」
「ほざいてろ、ナンパ野郎」
 
「おう、戻ったかキズミ」
 と、三人目の声が加わった。  
 国際警察本部から派遣された指導監督官、五十代のベテラン刑事ジョージ・ロングロードは理想的な上司だ。たくましい体格と高い指揮能力はキズミとミナトの憧れで、骨格のいかつい顔立ちから繰り出される堂々とした表情は人好きがした。

「国際警察本部から連絡があった。来週にゃアレストボールの予備が届くらしい。お前ら、在庫の点検手伝えよ」 

 個体情報を記録したモンスターボールが機能するかぎり、対となるポケモンには半永久的な拘束力(ロック)が働く。ロックの解除は通常、モンスターボールの記録情報を消去またはボール本体を破壊しなければならない。国際警察が考案したアレストボールは高い性能に加え、ロックの上書きをおこなえるので捕獲済みのポケモンにおいて、かのマスターボールに劣らない拘束力を発揮する。厳重な管理が義務づけられているため、取り扱える国際警察官は少ない。 

 ミナトは思いついた。
「了解! ところで警部、キズミを気分転換させたいっす。また家(ウチ)呼んでくださいよ。おこげパリパリの具だくさんパエリア! 旨みたっぷりのピリ辛なペスカトーレ! コーチの作るシーフード、マジ最高!」
「なんだあ? 急に。よし、次は和食にするか。海鮮丼なら白いライスに生の魚介を盛りつけて薬味を利かせ、ソイソースをたらりと……待てよ、ぷりっぷりの海の幸を熱々揚げたて天ぷらで頂くのはどうだ。いや、しゃぶしゃぶもいいな。熱い出汁にさっとくぐらせた刺し身に野菜、味の染みた〆の雑炊……」
 ミナト、ウルスラ、キズミが順番に食いついた。
「やっべ、ぜんぶ食いてえ!」
(わたくし、レシピが知りたいですわ!) 
「……トマト味じゃなければ、なんでも」

 部下の良い反応を得て、まんざらでもなさそうにあごを触る。
「腹が減っては戦はできぬ、と言うからな。俺が責任もって、お前らを世界に通用する国際警察官に育てる。みっちり仕込んでやるから、タダ飯と思うなよ?」

 ジョージ・ロングロードの鷹揚な笑顔。
 それがこの日で見納めになるなど、誰も想像していなかった。

レイコ ( 2011/04/10(日) 01:12 )