NEAR◆◇MISS















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序章
Uninvited Guests -招かれざる客-  下
 コツン、コツン、コツン、コツン。一定のリズムを刻みつつ高鳴るヒール音。
 先の黒い桃色の耳が拍に合わせて上下に動く。気持ちの上では今すぐにでも飛び出していきたいところだが、その点彼は慎重だった。ひんやりとした壁に張り付き自慢の長耳を欹てて様子を探る。だがナティの足音以外に不審な雑音は聞こえない。怪しい黒服は傍にいないようだ。彼女は自力であの男から逃げ果せたらしい。
 ほっと気が楽になる。背中の羽を羽ばたかせふんわり踏み切る。ただし空を飛ぶのではなくスキップのような足取りで地上を跳ぶのだ。
正直に言うと彼は街に繰り出したことを少し後悔していた。勝手に施設を抜け出した理由は、いつも彼女の方から会いに来てくれるのだからたまにはこちらから会いに行きたいという些細なものだった。ボールを壊してしまったのは少々やり過ぎたと思うが。
 ところが人間社会は狂騒の坩堝だ。想像を越えた音の責め苦に心も荒れ果てていた。だがもう心配はない。ナティに会えばこの刺々しい気分も取り除かれることだろう。彼女は喜ぶだろうか。それとも驚くだろうか。

 身も心も軽やかな追跡がいよいよ終盤に差し掛かる。左だ。今度は誰の邪魔も入らない。足音の聞こえてくる方向を目指す。次の角を右に曲がればもうすぐそこだ。
 甲高い靴音に導かれるままに突入したのは暗い袋小路だった。
 ピクシーの楽しげなスキップが止む。黒い瞳を瞬き、行く手を塞ぐ壁に向かって恐々と近づいていく。
 目の前の不気味な光景が信じられなかった。
 そこにナティの姿はない。あるのは彼女が愛用していた一組のブーツのみ。
それがなんと一人でにカツンカツンとコンクリート固めの地面でステップを踏んでいる。
 ごくんと鍔を飲む。茶色い革地に桃色の指が触れるか触れないかのタイミングだった。

 かすかな足音に反応するピクシー。同時にブーツが掻き消える。
 振り返った彼の目に飛び込んできたのは、闇が人型に寄り集まったような黒いスーツに暗中で銀に甘んじた金色の髪。沈着に構えた例の若い男だった。

「本人を囮に使う訳にはいかねえからな」

 ピクシーは緊張した面持ちでわずかに後ずさる。逃げ場がないのは明白だ。

「元からあの女に危害を加えるつもりはない。お前が追っていると踏んで……」

 ぬいぐるみのような外見には似付かない超低温の青白い光線が攻めかかる。両手を支えに胸の正面で水平に構えられた警棒にぶつかった冷凍ビームは直角に折れ曲がり上空への直進を余儀無くされる。

「攻撃を中止しろ! さもねえと逮捕(アレスト)するぞ!」

 氷山にひびが入るような光線の衝突音にも負けず凄味の利いた警告を発したものの猛攻の手が緩む気配はない。戦う意志があるならばやむを得ない。
警棒が傾けられ冷凍ビームは上ではなく下方へ誘導される。道の中央に突然発生した氷塊は見る間に迫り上がり攻者と防者を分かつ巨大な壁と化していく。
 ピクシーも切りがないと悟ったのだろう。冷凍ビームが火炎放射に切り替わる。その刹那を逃さずに青年は氷壁の頂上まで跳躍し、そこから一発の蹴りを推力とし業火を眼下に妖精との間合いを一気に詰めた。
 ビュッと額を目掛けて空を切る警棒。炎の放出を中断しあわやの所で前のめりに滑り込み事なきを得るピクシー。

 特徴的な頭の渦巻き毛並みを死守した後、方向転換の途中で桃色の拳から発せられた金の五芒星型のエネルギー体がその拳を螺旋状に取り囲む。
 助走をつけたコメットパンチが無防備な背中に風穴を開けるかと思いきや、青年は振り返りざまに左回し蹴りで光り輝く腕を弾き、素早く軸足を入れ替えるとガードの開いた桃色の脇腹へ今度は右脚を叩き込む。
 直撃を受けたピクシーの体は横様に吹き飛び壁に強かに打ち付けられた。負けるものかと言わんばかりにすぐさま掌の上で形成される黒いエネルギー球。真横に振り切られる警棒。

 近距離から射出されたシャドーボールは相手に痛手を負わせることなく予定外の方向へ突き進むこととなり、障壁となった巨大な氷に激突し粉々に打ち砕くとともに昇華した。
 有無を言わさず警棒を持たない方の拳がピクシーの顔面に迫る。が、殴打は空振りに終わる。戦闘離脱手段を使えないはずの妖精が突如その姿をくらましたのだ。

 原因は変化技の一種、【小さくなる】。ナティが発見できなかったのはこの技によって体が小さく保たれていたせいである。ミニサイズの利点は回避率の上昇と攻撃の威力に関係性が無い点だ。ピクシーは地面を転がるビー玉のように移動し、奇襲に相応しい頃合いを見計らって高く高くジャンプした。その瞬間。
 蝿でも叩くかのように振り下ろされる平手。コンクリートに全身を強打したピクシーをさらなる悲劇が待ち受けていた。追い打ちをかける靴の裏。

 ブツッと嫌な音がした。気絶とともに補助効果が解け、ピクシーが元のサイズに戻る。
 マシュマロのように柔らかい腹から足を下ろしながら、青年は誰にともなく呟いた。

「【踏みつけ】の威力は2倍。ちとマイナーか」


(終わりましたわ)

 相変わらず姿の見えない不思議な声に知らされたナティは、身を潜めていた近くの建物から飛び出すと現場に直行した。ブーツはしっかり履き直していた。
 青年と初めて正面から向き合う形となったが、ナティは目もくれず横たわったピクシーの隣に跪き、悲鳴に近い声をあげた。

「ピクシー! 本当にいたんだ……この傷あんたのポケモンがやったの!?」
「さあな」
「これからどうしよう……ポケモンセンター? ネーソスの方がいい?」

 首を横に振る青年。サングラスで目元が隠れたその顔はやはりどこか覚えがある。ナティの胸に嫌な予感が広がった。

「これは殺人未遂だ。身柄はしばらく預からせて貰う」
 取り出したのはありふれたモンスターボール。

「何それ!? 捕まえる気!? ピクシーはあたしに会いに……」
「逃亡の際にボールは破壊された。再捕獲(ゲット)が必要だ」
(ご安心を。いつかはネーソスに帰れますわ)
「本当に……? ちゃんと戻ってきてくれる……?」

 ボールに吸い込まれていくピクシーを見ていることしか出来ない。最後まで無力な自分がやるせない。しかし、少しだけ変われたと思うのは。

「あたし、絶対またこの子に会いたい。それまでもっと腕磨く、だから……」
「じゃあな」
「え? あ、ちょっと! 最後まで聞いてよお!」

 青年がするっと脇を素通りし、建物の角を曲がって見えなくなる。慌てて後を追ったナティはその場で棒立ちとなった。
 誰も、いない。

「うそ……」

 呆然としていた彼女がバイトの事を思い出し、腕時計を見るなり顔から血の気が引いたのはそれから少し時間が経ってからだ。


◆◇


 数日後。

(いかがなさいますか? キズミ様)
「なんとか誤魔化せるだろ。顔は隠してたしな」
(わたくしもティータイムは静かな方が好みですわ……)

 南国の島のようなパフェを今から運ぼうかという一人の新入りウェイトレスに、空のサービストレーを携えて戻ってきた先輩ウェイトレスがニヤッと笑みを向けた。

「来たわよー、あんたの好きな常連さんが」
「ほんとですか!?」

 ナティはパフェを放置しキッチンの影からそそくさと確かめる。
 紺のブルゾンに白いインナー、ベージュのスラックス。ふよふよと肩の傍に漂うラルトス。金髪に映える青く凛々しい瞳が中性的とも形容できる端整な容貌を引き締めることにより、すらりとスタイルの良い体躯や長身と相まって全体から受けるシャープな印象を際立たせているようだ。

「やーっぱかっこいいですねえ、くふふふふ」
「あんたホント面食いねえ。あたしも好きだけど。むふふふ」
 
 バイトを始めて日は浅いが見かけるのはこれで三度目になる。先輩とともに怪しい忍び笑いをしていたナティがふっと真顔になった。食い入るように見つめていたかと思うと。

「あああああああ、分かったああ!」
「!? どうしたのよナティ! 待ちなさい!」

 先輩の呼びかけに耳も貸さずテーブル席の青年の元まで突っ走るナティ。シックな内装には似付かない怒声が響き渡った。

「やっと分かった! どっかで見たと思ったらこの間の刑事さん?はアンタだったのね!」
「何の話だ?」
「ほら! 声とかそのまんまじゃない! ていうか若っ! サングラスかけてたから分かんなかったけど……でも絶対あんたに間違いないわ!」
「顔もろくに見なかったのか。なら別人だろ」

 思わず黙り込んだ。こんな嫌みな言い方をする者が他にいるのだろうか。しかしそこを突かれては言い返しようがない。怒りと悔しさが閉じられた彼女の口の中で燃え上がっているようだ。その隙に彼はドン引きしていた近くのウェイトレスにしれっと言った。

「おい、皿のついでにこのウェイトレスも下げてくれ」

レイコ ( 2011/04/10(日) 01:12 )