招かれざる客
「騒ぐな」
冷静な声。
金髪の光沢が薄暗がりで白い。黒いサングラスをかけた、すらりとした不審者だ。
イッシュの地方都市、アルストロメリアは治安の良さが自慢だというのに。こんなことなら近道なんて使うべきでなかった。白昼堂々と路地裏に引きずり込まれ、女子高生ナティの心臓は暴れていた。状況は怖いが、男の肩に乗っている妖精は可愛い。そのギャップに背中を押されて、掴まれている腕を振り払おうとした。
「離して、バイトの面接に遅れるじゃない!」
「騒ぐなと言ったろ。一人になるのは危ない。尾けられている」
「はあ!? つけら……誰に!」
「“招かれざる客”だ」
「それはあんたよ、変態! 警察呼ぶわよ!」
不意に、男の手が動く。スーツの上着の裾をひるがえし、ベルトに装着したホルスターから黒い棒を手慣れた動作で引き抜いた。ナティは大きく目を見張る。短かったはずの棒の丈がすばやく伸び、刑事ドラマでしか見たことがないような特殊警棒らしき物体に変形した。
直後、豪速球で飛び込んできた月光色のエネルギー弾が男のバッティングで叩き落とされた。バレーボール大の跳弾は少し離れた路面にぶつかり、小爆発を起こす。ナティは悲鳴をあげて腰を抜かしかけたが、
「来い!」
ぐいと手を引かれ、サングラスの男の先導でどたばたと走りだす。一日中陽の当たらない石畳を踏み鳴らす二人分の靴音。高い位置で結われているナティのポニーテールが激しく揺れ動く。緑のおかっぱ頭の赤い角の妖精は振り落とされまいと、強い磁石のように男の肩にくっついていた。
「さ、さっきの技って」
「『ムーンフォース』だ」
「そうじゃなくて! 嘘、ピクシー? ……バトルネーソスの!?」
アルストロメリア市にはリーグ公認ポケモンジムはないが、バトルネーソスと呼ばれるレンタルポケモンバトル施設がある。友達の付き合いで初利用したナティは、一緒に戦ったレンタルパートナーのピクシーをすっかり気に入り、施設内に併設された喫茶店のアルバイト求人に応募したほどだった。
「姿も見ずに、決めつける気か?」
「絶対そう! でもどうして? もしかして、ずっと恨まれてた? あたしがバトルの素人で、変な指示出して負けてばっかで、ピクシーを傷つけて……なのにあのコ笑ってて、あたし、もっと仲良くなりたいだなんて……」
「思い込みが激しいぞ」
「少しは慰めたら!?」
男はゆるやかな徒歩になり、路地を抜けて表通りの雑踏にまぎれ込んだ。暖かな日差し。ピンク色の五弁花を咲かせた運河沿いのアーモンド並木。通行車両の走行音。春の陽気と行き交う人々の活気がかけ合わさっている。はらりと解かれる案内の手。むくれながらも急に不安になったナティは自分からスーツの袖の裾をつまみ、金髪の後ろ姿に向かってささやきながら後を追う。
「ちょっと、大丈夫? また攻撃されたら周りの人が」
「あの聴覚は厄介だ。静かな場所より雑踏に足音を紛れ込ませたほうが、時間を稼げる」
「やっぱりピクシーなんだ! なんでごまかそうとしたの? ねえ、ねえ」
「ここにいれば、作戦は聞こえない。靴を脱げ」
「服を脱げえぇ!? 何を言っ」
聞き間違えたナティの憤慨を、良家の淑女のような思念の声がさえぎった。
(どうかお貸しください。わたくしからもお願い申し上げますわ)
トッ、トッ、トッ。
と、石畳の路地に反響するナティの靴音。
先端の黒い長い耳がぴくぴく動き、壁越しに気配を探る。他に、怪しい物音は聞き取れない。気を楽にして、くるんと額の毛が巻いた“彼”は背中の翼を広げた。鳥のように空は飛べなくとも、湖の上も歩けるスキップは優雅な浮力をともなう。リスクを冒してバトルネーソスを脱走し、頭痛のするような都会の喧騒にびくつきながらも。将来に関わる一大事を前に、どうしても会いに来ずにいられなかった。
ところが。
靴音を追って入り込んだ袋小路で、輝いていた黒い瞳を困惑でしばたたかせる。 そこに、ナティの姿はなかった。あるのは、目に見えない力――エスパーの力でぱたぱたと動きを操られているローファーのみ。
「そこまでだ、ピクシー」
闇が人型に寄り集まったような黒いスーツに身を固めた、金髪の若い男が背後を取る。
振り返ったピクシーがぎょっと後ずさった。
「あの『ムーンフォース』は、俺を追い払いたかったんだろ。彼女に危害を……」
超低温の光線に、台詞がぶった斬られた。
胸の正面で構えられた特殊警棒にぶつかり、垂直に進路が折れる『冷凍ビーム』。
「攻撃を中止しろ! さもないと逮捕(アレスト)するぞ!」
凄味を利かせて警告したものの、パニックからの自己防衛は止まりそうにない。
やむを得ないか。特殊警棒の角度が変えられ、冷凍ビームの反射が路面へと向く。氷壁が作り上げられ、ピクシーを包囲しようとする。冷凍ビームが『火炎放射』に切り替わった。灼熱が氷の半分をえぐり取る。もうもうと立つ熱い蒸気を、警棒を盾とした男が火輪をくぐる猛獣のように突っ切った。間合いを詰められ慌てふためき、『コメットパンチ』の予備動作をする薄桃色の拳。男は回し蹴りで五芒星のオーラをまとった腕を弾き、隙だらけの横腹に反対の脚を叩き込む。
が、すれすれで外れた。人目を避けるのに欠かせない特技、【小さくなる】。親しいナティも見落とすサイズまで縮んだのだ。指人形のようなピクシーがちょこまかと逃走を図ろうとした、その時。
(えいっ)
頭上高く死角から落ちてきた赤い角の妖精――ラルトスの足が、ブチッと嫌な音を立てた。ぼよんと元の大きさに戻るピクシー。くるくる目を回して気絶していた。『ちいさくな』った相手への『ふみつけ』は威力が二倍にアップする。
「加勢はいらないと言ったろ、ウルスラ」
ウルスラと呼ばれたラルトスはもじもじしながら、テレパシーで応えた。
(申し訳ございません、キズミ様。でも……)
「いい、分かった」
男は口調がそっけないだけで、怒ってはいなかった。
「俺はピクシーを連れて帰る。あの女子高生に靴を返したら、すぐ戻れ」
◆◇
かっこいい。
喫茶『くさぶえ』の新入りホールスタッフ、ナティは客に見惚れてた。どことなく見覚えがあるので、雑誌かテレビで見かけたことがある人かもしれない。金髪に青い瞳の、シャープな雰囲気をまとう美青年。ハイネックの白いインナー、紺のテーラードジャケットとベージュのスラックスという出で立ちで、座り姿からでもモデル体型だと分かる。
たまたま店に来ていた女友達グループがひやかした。
「面食いねえ、ナティ。気持ちは分かるけどさ。同い年くらい?」
「彼、知ってる! 刑事さんだよ、ミナト君と一緒にいるの見たっ」
役得だ。
客に呼ばれたので、ナティはるんるんと浮かれて注文を伺った。
「ブレンドコーヒーとフルー……」
「あー!」
と、店の外まで響く大声で叫んだ。
「声! 声、声、その声! あんた、こないだ不審者!? 刑事だったの!?」
「……ツパフェ、一つずつ」
青年は慌てず騒がず、言い終えた。
ごまかし、ファイトですわ。
と、隣の席のラルトスはこっそりガッツポーズを作っていた。