NEAR◆◇MISS















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最終章
-10- 多角形
 ジョージ・ロングの引退パーティーを、欠席した。
 お祝い騒ぎができる人達に毒されたくない。無神経を分かりたくもない。
 思い詰めて、真っ暗なミナトの部屋に居候中のラルトス=ウルスラは窓辺に頬杖をつく。
 つい先日、誰かにとっての大切な誰かが失われた。世間的には無かったことにされようと、自分たちひとりひとりの胸に深い傷が残されたはずなのに。どうして今晩の出席者たちは、吹っ切れたふりをするのが至高という図太さで団結しているのだろう。空虚でしめやかな無気力に倒れこんでいられる時間と場所を欲しがったり、泣いても泣いても涙が枯れない情緒不安定を白い目で見られている気がして、彼らの心の強さがうとましくなる。
 インターホンが鳴った。
 
「こんばんは。お邪魔してもいいですか」

 ははあ、とエルレイド=クラウは入る部屋を間違えた面持ちできょろきょろした。劇的なビフォーアフターだった。ベッドの上まで物が散らかってほとんど床も見えなかった趣味人の自宅マンションが、すっきり片付いている。玄関先を狭くしていたサーフボードも置き場所を変えてみると、格好いいインテリアだ。入手ルート不詳の成人向け雑誌の束が紐でくくられ、可燃ゴミのゾーンに追いやられていた。綺麗好きで家事上手なウルスラが頑張ったに違いない。大掃除する元気はあったのだなと、逃げるようにして長髪のキズミと別居したと聞いていたが少し安心した。

 これよかったら、とほほ笑む彼に差し出された手土産を受け取った。 
「解散には早いですわよね? よろしいですの、途中で抜け出したりして」
「僕、まだテレパシーの特訓中で。筆談だと皆さんの会話に混ざりにくくて」
 包みの中身は、パーティーで出された菓子のテイクアウトだろう。
 いくら美味しそうでも、別に食べたくない。ウルスラは唇をとがらせる。
 飲み物探しにかこつけて冷蔵庫の奥に表情を隠しながら、クラウに尋ねた。
「……レスカ様もご参加ですわよね。あのお方のこと、どう思われます?」
「気さくな優しい熱血漢で、見かけより真面目で意外とシビアで、怒ったらガラが悪いですけど、ちょっとおっちょこちょいなところもあって、一緒にいるとなんだか笑顔が増えるというか……元気がもらえます。僕は、好きですよ」
 感情をキャッチできる仲間内で嘘は滑稽だからといって、この彼の素直さには幻滅した。
 はきはきした健全な回答に頭の芯がぐらぐら煮え立ち、冷蔵庫の戸を思いっきり閉めた。
「レスカ様、わたくしも好青年だと思いますわ。アイラ様と良い雰囲気ですわよね。キズミ様の件、もう少し悲しまれるかと勘違いしておりました。アイラ様ったら切り替えが早くて、わたくし驚いてますの。外見が同じなら中身はどうでもいいのでしょう? あの節操のなさ、女として見習いたいですわ。あら失礼、そもそもアイラ様とキズミ様は交際中でもなんでもなかったのでし……」
「ウルスラさん!」
 厳しい剣士の顔つきと語気に、びくっと口が止まる。
 あの穏やかな彼が。進化前はどんなに凄んでも迫力不足だった美少女顔が。
 大切な人を侮辱して怒らせても怖くないと、なぜ決めつけて傲慢になれたのか。
「わたくしの気持ちなんて、お分かりにならなくて結構ですわ!」
 くる日もくる日も周りを悪者にしていた逃げの輪郭を一気に太く塗り上げる、毛筆線。
 めそめそしても醜いだけと分かっていながら、前髪をタオルのように眼に押し当てる。
「ごめんなさい、取り乱して。もう関わらないで下さい。ご不快な思いをさせますわ」
「そんな、急に大声出したのは謝ります。おひとりにできませんよ、だって僕はあなたが」
 好っ、と勢いで出かかった告白を、クラウは喉の奥の奥へと引っ込ませた。
 赤々と熱くなった耳もとで、早縫いの電動ミシンのように脈が打っている。
 心が弱っている女性の隙につけこむ、そんな姑息なアプローチはしたくない。
 
 めいめいにモノローグを迷走させるどんよりした沈黙を、ふたり同時に破った。
 呼んでいる気配を感じたのだ。開けた窓から一緒に外へ首を出す。やはり、いた。
 こちらを見上げているガーディが、尻尾をいそいそ振っていた。



◆◇


 水の抵抗が少ない、丸みをおびた翼竜的なフォルムは万能だ。ルギアは主な生息域の深海のみならず、発達した両腕とエスパーの地力をもって大空をも自在に舞う天性に恵まれている。エキサイティングなアクロバットあり、野生のホエルオーの群れの遊覧あり、の沖合の夜間飛行をミナトは謳歌し、電力できらびやかなアストロメリア市に帰投した。埠頭を過ぎたあたりから、宮司である祖母にやむをえず預けた白銀の聖獣の“鏡像”が解けていく。街へ入るには、海の神や伝説などともてはやされる格好だと目立つからだ。長寿の生物によくある発育の遅い体格や顔立ちのあどけなさが、遺伝子組み換えの光を発しながらまったく別の携帯獣へ作り直された。おっとりと着陸した気球霊、フワライドが頭に乗せていたミナトをバトルネーソスの正面ゲートの手前に降ろす。途端にぐにょりとフワライドの体がまた光り、新しく炎色の子犬に『変身』した。垂れ眼で毛質が柔らかく、人懐こいガーディだった。ぶんぶん尻尾を振って、ミナトの顔面を舐め尽くそうと後ろ足で立って飛びかかる。

「出血大サービスかよ! あいつらにそっくりだぜ、さっすがメタモン!」
 ありがとうの言葉を安売りできない代わりに、朗らかに褒めた。月白と銀朱、どちらとも状況に流されるまま慌ただしく別れを迎えてしまった。両方になり替わろうとしてくれている安直で少しズレた人ならざる者の感性を、優しさと呼んでやりたい。ミナトは本物と見分けがつかないふさふさの頭を撫で、あごの下をこちょこちょくすぐった。
 引き笑いでむせ返ったガーディがちかちか点滅して、でろりと真の姿に戻る。護り神セレビィの肉体に化けて城から連れ去られ、サーナイト=パラディンの身代わりに利用され、単独で背負わされ続けた不条理がめぐりめぐって、生き残りにつながった。父ハイフェンに隷属させられたせいで全滅した大量の同族の二の舞を避ける生き方、それがただ一体の末裔にミナトが与えてやれる権利だった。
 ぷるぷるともちもちの中間の感触が気持ちいい、薄紫色の軟体を抱き上げる。
「さあ、行け。お前は自由なんだ。二度と、レストロイに関わんじゃねえぞ」

 何か伝えたそうに見つめていたメタモンの表情が、これからの孤独に負けない希望に満ちる。主君、レストロイ卿の心を歌で慰めていたあの妖精を思い浮かべ、そうなりたいと憧れが高まった。長い緑髪をなびかせる通称ボイスフォルムが光のベールを脱ぎ、廃絶するであろう名門の子息のために癒しの美声を響かせる。無邪気に彼の手を取って、社交ダンスのようにくるくる回りだす。オレンジに変色した髪がターバンのように巻き上がった。ステップを得意とする身軽さへチェンジした踊り子は手を放した後も回り続け、とびきり可愛らしい笑顔を浮かべると、仮そめの念の力で消えていった。
 
 そんなことしなくても、ありのままでいい。
 途中でそう言えばよかったのか、言わずにいてよかったのか。ミナトはサプライズの『変身』を終わりまでさえぎれなかった。本物を演じようとしてくれたメタモンの気持ちが嬉しかった。ちぇっと舌打ちしたくなるくらい、矛盾している。のうのうと親友の空席を奪ったあの男のことはニセモノだと生理的に拒絶し、逆恨みをやめられない。毒父だったハイフェンならともかく、キズミの存在がこれほど大きな心の支えであったのと、いなくなって初めて思い知らされた。本物も偽物も関係ないまごころもあるのだと、たった今身をもって教えられた。けれども強情っぱりを理詰めで卒業してしまったら、生者の思い出の中でしか生きていけなくなった者たちは――どうなるのだ。
  
 
 バトルネーソスの館内カフェ、旧称『くさぶえ』改め『あくび』。
 閑古鳥ならぬネイティの先客が一羽だけいる店に、ミナトが顔を出す。
「よっ。就職おめでとう」
 『あくび』の新マスター、ヌオー=留紺が、カウンター越しに会釈する。
「オレが無人島に軟禁されてるあいだ、お前は亜人になる猛勉強してたなんてな」
 嫌味ではなく、感心しているのだ。適当なカウンター席に座り、メニューにざっと目を通す。新作、胡椒入りモーモーミルク。パス。新作その二、どろんコーヒー。これに決めた。早速、興味本位でホットを注文した。こうばしい豆の香。湯気が立つカップを運んできた盆に、ミナトがコツッと生体承認を解除済みのモンスターボールを乗せる。ごたごたで延ばし延ばしになっていたこの記念品の贈呈が、今夜ここを訪れた理由の一つだ。手で持っても反応しない野球ボール大の古巣をまじまじと眺めるヌオーは、いつものポーカーフェイスだった。
「亜人生活は応援するけど、飽きたらこれ持って来いよ。いつでも歓迎するからさ」
 こんな虫のいい復縁話、できた身分ではないのだが。一応、ダメ元で言っておきたかった。挑発に乗せられて元ネイティ=麹塵の自白強要を暴力に訴えたミナトは、刑事としてもトレーナーとしても留紺から見損なわれ、大喧嘩に発展して出て行かれた。ゲットした当初から主体性が強く、人間に仕えるのは莫迦莫迦しいと究極的に愛想を尽かされたのだろう。軽口を叩くニュアンスには、オレが悪かった、とミナトなりの反省が含めている。
 留紺のほかに手元を離れた月白と銀朱、特に銀朱は無断で里子に出されたようなもので、たった一度の不覚でトレーナーの資格を失くした代償は大きすぎた。あの時、狡猾な小鳥の思うつぼにはまった自分をぶん殴ったヌオーの鉄拳は、正しかった。現行のバトルネーソスの制度では、社会的身分を回復できたとしても原則、すでに他人に譲渡された元手持ちポケモンを取り戻せないのだ。裁判で争うことも考えたが、散歩の最中を見かけた銀朱は幼児の遊び相手にぴったりな家庭犬という天職を得て、幸せそうだった。戻ってきてほしい思いは強くとも、諦める方向にほぼ傾いている。

 もう一つの理由は、ネイティ=長老がこの店を指定したからだった。
 密談するのに最高の穴場と言わしめた閑散ぶりに、ミナトも納得している。
(さて、今後の身の振り方じゃが)
「オレ、行くよ」
 国際警察から、しばらく距離を置きたい。甘えるなとそしりたい奴がいれば勝手にしろ。この開き直りは重大なギャンブルなのだ。認めたくないが、度重なるストレスに起因してミナトの霊能は亢進した。寝ても覚めても第六感が超常的な情報を拾ってくる、第二次性徴もびっくりの体質変化で生活の質が下がっている。長老から霊能を封印するというアイディアをすすめられ、良い機会だと考えた。両親がなし遂げられなかった修行とやら、やってやろうじゃないか。ドクター・ロビンに相談して大げさな診断書を作成してもらった。長期病休ということにして、師を求めて旅に出るつもりだ。サラブレッドになりそびれた出来損ないと呼ばれるような、無力な男として再出発する野望を叶えたい。 

(ミナト様!)

 高温のコーヒーが間一髪、気管へコースアウトするところだった。
 店に飛びこんできたペアを、咳こみながら見やる。ラルトスが何か抱いている。
 タマゴだ。
 彼女、ウルスラとエルレイド=クラウに向かって、ミナトはぐっと親指を立てた。 
「そうか! おめでとう!」
(んもう、よくご覧下さい! ミナト様に貰ってほしいと頼まれたのですわ!)
ぐりぐりと丈夫な殻の顔面攻撃を食らい、かえって見えづらい。視界をピンぼけさせる、オレンジ色と黒い縞模様。豚鼻になっているミナトが目の色を変えて、超がつくお宝であるかのようにタマゴの特徴を見極めた。
「おい……まさかこれ、銀朱の!?」
 ウルスラとクラウが顔を見合わせ、うずうずと機嫌のいい笑みでこくんと頷く。
 口笛を吹き、のけぞって椅子から落ちかけた黒髪の男はぺちっと額を手で叩いた。 
「あいつが親に!? 全然子犬と思ってたのに、先越されたのかよ信じらんねえマジか!」
 腹の底から沸き上がった、陽気な大笑い。
 ある意味で、忠犬の器量がファーストを越えた。よりによってタマゴとは、いい度胸じゃねえか。孵化が待ち遠しいなんて気持ち、イチル達の儀式を引きずるかぎり理解できないと思っていた。犬生をエンジョイしやがって、末永く幸せでいろよ。生まれてくる仔は大事にする。オレも負けてらんねえな。そういえばあの話、まだウルスラにしていなかった。クラウもいるし、ちょうどいいや。思考をすらすら駆け足させて、ミナトは笑いすぎて涙が出た目尻をぬぐって言った。
「ウルスラ、あの長髪野郎のことでうだうだ悩むのはやめにして、オレと一緒に来ねえか?」
 失恋の特効薬は、新しい恋だ。
 異性の警戒心を無効化する黄金スマイルの弓を引き、弦を放した。
「オレって普通にハイスペックだし、遺伝子上はメタモン入っててかなり優良物件だろ? あーっでも、人間の女子とも付き合いてえ! だから二股、いや三……とにかくハーレム前提になっちまうけど、それでもいいならウルスラのことは好きだし、オレに惚れてくれたらすっげー嬉しいよ!」
 
 こんな風にストレートに口説かれた経験がない。頭の中身がすっからかんになった。
 矢で射抜かれた心臓はきりきり舞い、恥じらうウルスラの真っ赤な顔がぽっぽと熱い。

(ちょっと待った!)
 結婚式場の道場破り、というハチャメチャな造語で表せる心境の大爆発。
 ここで邪魔しなければ片想い歴がすたる。クラウの思念の声が宣戦布告した。
(ナ、ナルシストはご勝手ですけど、タイミングが非常識ですよっ。い、今は黙ってそっと見守るのが愛情じゃないんですか!? 失礼ですが、ひとりの女性として大切にする気が感じられないです! あなたみたいなルーズな恋愛観の男に、ウルスラさんは渡せません!)
「そうこなくっちゃ、ライバル! ていうかテレパシー聞こえたぞ。やったな!」
 へ? と表情をゆるめたエルレイドの肩を抱き、あれよあれよと一大ヒロインに祭り上げられてあたふたしているラルトスを腕に捕まえる。エンペルト=雄黄とミロカロス=長春もモンスターボールから呼び出した。両腕がタマゴとアシスタントでいっぱいのミナトが写真撮影をするようにダブルピースを決め、にこにこしながら叫んだ。 
「よーし、新・三角関係の結成を祝して乾杯だ! 今日はオレのおごり!」
(はてマスター、ラストオーダーは何時じゃったかのう……)
 長老が振り向くと、留紺は閉店時間が載った張り紙を千切ってしわくちゃに丸めていた。

レイコ ( 2019/04/25(木) 11:59 )