NEAR◆◇MISS















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最終章
-9- 敬礼
「付き添いはオレ達がやる。さっさと消えろ、ここにてめえの居場所はねえ……!」
「器がちっこいねんな、金城(キンジョウ)。正味、先代の“キズミ”の親友やったと思えへんで」
「気安くあいつの名を出すな、このニセモノ野郎!」
「八つ当たりばっかで、楽しいか?」
 古い傷跡のある右頬に殴りかかってきたミナトの拳を、右手でガッと握り止めた。
「ええ加減にせえ、ここ病院やぞ!」 
 最短距離で救急外来に運びこんだエディオルの検査を待つ間、口論の燃え上がったキズミとミナトが胸ぐらをつかみ合う。他に人がいないのをいいことに、廊下でとっくみ合いが始まった。チルット=アフロがあたふたと頭上を飛び回り、色違いのイーブイはすやすや眠っている。長い金髪が踊った。クリスタルは粉々に吹き飛んだが、さいわい手首は軽い縫合で済んでいた。怪我のハンデは意味をなさず、キズミのほうが喧嘩慣れしている。うつ伏せに転倒させたミナトの背にどっかりと座り、完全に押さえつける。ところが見えない風船が近くで破裂したかのように、勝者がはじかれて立った。待合ベンチの上で、そろえた両手を突き出したラルトスが唇をまっすぐ引き結んでいる。
「すまん、ウルスラ」 
 物腰やわらかく謝った長髪の男を、外から隠れた赤い眼がきつく見つめる。
(もう……もう、沢山ですわ!)
 念力で体を浮かせ、氷上を滑るかのように飛んでいくラルトス。
 てめえは来んなよ、とキズミに凄んでみせ、見失うまいとミナトが走った。


 早朝のうす青い駐車場の片隅で、しょげ切った小さな後ろ姿に追いついた。
(わたくしが目覚めたせいで、キズミ様が消えてしまったのですわ)
「……」
(わたくしが、わたくしがあのお方を(あや)めたのです! ええ、そうですわ!)
「そうじゃねえ!」
(では、なぜ!? キズミ様を止めて下さらなかったのですか、ミナト様!)
 車止めに体育座りしたラルトスが膝に顔を伏せる。ぼろぼろのテレパシー。
 刺さったままの破片を押された疼きをウッとこらえ、青年はしゃがんで語りかけた。
「ムチャ言うなよ、あいつは自分より、お前が大事だったんだ。それに……」
(わたくしの想いをぜんぶぜんぶ踏みにじっておいて、どこが大事ですの!)
 寄り添おうと努力してくれる彼の前で嗚咽すれば、きっと少しは気がまぎれるのに。
 沼地で溺れているくせして、引き上げようとする手に向かって汚泥を浴びせてしまう。
(どうぞ、お引き取りください。そばにいても、お気を悪くなさるだけですわよ)
「泣いてる女の子をほったらかしなんて、そんなのオレじゃねえだろ?」
 ここぞとばかりに、へらっとふざけた口調を作るミナト。
 覚悟のないところにチャンスはない。自分は不謹慎を演じられる男だ。
 怒りをそがれる励まし方を、敏感な角で汲み取ったウルスラが振り向いた。
 ぐいと前髪をなで上げられ、腫れた目元を見られた恥ずかしさは苦い良薬。
 ひっくひっくと喉が震えだし、見通しのよかった浅黒肌の微笑が洪水に溶けた。
 
 
「チーフ……? 先生……?」
 栗色のミディアムボブ、大きな灰色の瞳。夢にまで見た彼女の名も並べたかったが、キズミは感動的な直視がはばかられる空気を読んで自重した。ミナト達と入れ替わりで到着した三名。オルデン・レインウィングスとアイラは彼の長髪や傷んだ私服を目でなぞったが、ジョージ・ロングは光の宿ったまなざしで歩み寄り、丸眼鏡の友と娘の動揺を煽らないことを願いつつ、落ち着きを払って聞くまでもない答えをあえて問うた。
「おいキズミ。“右目は未来を”」
「“左目は過去を”。お久しぶりです。老けましたねチーフ。俺が……分かるんですか」
「相変わらずチャラい髪してやがる。ボロ服以外は最後に見たまんまだな、“最年少”」
 懐かしい、からかいの愛称。呼ぶ瞬間、心が『時渡り』をする前の上司時代へ若返る。
 反抗的に顔をしかめたキズミを見てひと笑いしそうになり、ロングの感傷がほころんだ。
「積もる話はあるが、今は休め。全員、疲れ切ってる。仮眠を取ってからで遅くねえ」
「このイーブイ、外傷ないのに寝っぱなしで。一回ポケセンで診てもろたほうが……」
「アイラ、案内してやれ。俺とオルデンはエディを待つ。ついでに、ポケセンでデイユースの手続きを頼む。予約状況を調べたら、ルームチャージの大部屋が空いてそうだ。あとでミナト達も連れていく。先に行って待ってろ」
 これにダッチェスを容れろ、とロングがキズミに新品のモンスターボールを投げ渡した。


 ポケモンセンターへの道すがら、ぬるい雨がしとしと降り出した。
 準備の良い女刑事は折り畳み傘を差す。が、二人が収まるには小さすぎた。
 猫背になった男が比率を察し、スチールの中棒に右手を当て隣の娘側に傾ける。
「肩、濡れよる」
 キズミがはじめて口を利いた。
 アイラがはじめて目を合わせた。
「大丈夫よ。自分の左手を見なさい、怪我人が遠慮しないの」
 両手で柄を持って元の位置に戻すと、ひょいと押し返された。
「あかんて、風邪ひかれたら俺が困る。それに高校――」
「私は生徒じゃなくて、刑事。ついでに言うと、あなたの上司」
「ウソやん! それでそういう喋りなんか。ほんなら俺、敬語……」
「いい、いいの! そのままがいい! わ、私が堅苦しかっただけっ」
 ほんのり湿気でぱさついた金の横髪が、横倒しに近い喉仏の脇で揺れている。
 気が利かなかった。持ち手を高めにかかげると、彼の背筋がしゃんと伸びた。
「並んでみると背、高いのね。じゃなくて、き、聞いてもいい……ですか」
「どしたんや急に、あらたまって」
「えと、つまり、その、気を悪くしないで。嫌なら答えなくていい、です……」
 訊き方に迷ってますます言葉使いがおかしくなる前に、思いきって。

「髪……長いの、なんでかなって。でもたぶん、知ってるんでしょ。“私”なら」

 どんな反応をされるかと、柄を強く握りしめる形の良い爪の先が青白くなっていたが、返ってきたのは気さくな笑顔だった。減るもんやなし、なんべんでも答えたるわ。そう告げる彼の大らかさに戸惑い、やっぱりいいとアイラは断る。自分の力で考えさせてほしい。正解を当てるから。謎解きの自信がある、ないは関係なしに、そう答えなければという焦りに駆られていた。
「ごめんな、気ぃ使わせて。無理しとるんやろ」
「……うん。それはあなたも、同じじゃない?」
「あはは、見抜かれとる。ほんまはな、『おかえり』ってゆうてもらいたかった」
 彼は時々あっけらかんと、核心を突く。
 切り替えの柔軟さが、自由な風みたい。それに比べて、私は流されるだけの雲だ。
 どんな結果も受け入れる、乗り越えると、別れ際に“彼”と約束したはずなのに。
「ごめんね。あなたが覚えてる、あなたの“アイラ”で待っていてあげられなくて」

 それを言うなら俺のほうこそ、帰ってきたのは――
 しおたれた彼女の横顔を見かねて、力強さのこもる声ではっきりとキズミは伝える。
「あんたはあんたや。俺が俺であるかぎり、何が変わっても絶対に見失ったりせえへん」
「私も。彼が人間でもそうじゃなくても、記憶をすべて失くしても、そばにいたかった」
「あんた、ええ女やな。そうゆうとこに、“キズミ”は惚れとったんやろなあ」
 失言だった。キズミはたった今、気がつく。
「あ……」
「ううん、ありがとう」
 傘は右へ左へ、清らかな雫をしたたらせながらゆったりと、向きを譲り合っていた。


◆◇



 サーナイト=パラディンの保管庫荒らしを幇助した疑いをかけられ、証拠不十分で釈放されたコードネーム『船長(キャピテヌ)』、もといジョージ・ロングロードは立て続けに、国際警察の最上級幹部の一角をなす上官から内密に呼び出された。ロングをバックアップしてきたメンバーの中でも地位が抜きん出ている古参であり、彼が結成した極秘チームの根回しと尻ぬぐいに腐心してきたその年配女性にこってり油をしぼられるのはいつもの事だった。だが露見すれば職を追われかねない地下活動がこれで完了という、長期間の重責からの解放と悪縁の果てに移った同志の情を気難しい態度の裏に忍ばせた彼女に、惰性で聞き流そうとしていたロングも最大限に腹を割って感謝と敬意を表した。今回のセレビィ討伐の件を、上層部は組織が管理していたパラディンの一切の情報を削除して社会的存在を抹消し、超法規的に犯罪行為を看過されてきた霊能一族の現当主ハイフェン・レストロイ卿の死亡に関しては、ロングの十年以上にわたる独断専行の捜査であるものの過失はなかったとし、これを公表しない方針を取るらしい。英雄とみなすか規律を乱したモンスターとみなすか、上層部は彼の処分を検討したが、本人が退職願いを提出したことで評議は決着した。
 建前を抜きにすると、甚大な実害が生じた報告は上がっておらず、民衆が蹂躙されたわけでも、地図が変わる天変地異が確認されたわけでもなく、灰色無実の警官を法の裁きにかける見返りが乏しかったと考えられる。一人の男が時空を越えた生き証人であろうとなかろうと、人類滅亡の阻止に貢献したかどうかさえ重要な問題ではなく、当局にとって未来や過去などという抽象概念に惑わされない不寛容こそが守るべき体制なのだ。何十億という人口が笑い、泣き、学び、食べ、働き、眠り、携帯獣と共生するこの世界は昨日、今日と、厄神セレビィが退場する前と後とで何一つ変わらない顔をして、きたる明日、明後日へとつづいていく。所詮、と言い切るのは語弊があるが、箱庭の覇権争いだったのだから。語り継がれることのない真実は作り話にも劣り、ごく少ない内輪の胸に秘められ一代こっきりでついえるだろう。功績といえるものが残らない、これを超える平和の象徴があるだろうか。いや、無い。与えられた使命という主観でみれば、燃え尽きた。しかしみずからが台風の目となり、巻き込んだ挙句に失ったものを思い返すと、ロングの心は喪服を脱げないままでいる。


 本部ビル内の喫煙所で一服した後、ロングは無人のロッカールームに立ち寄る。
 うっすら臭うシャツ類や備品の断捨離がてら、携帯端末の不在着信に折り返した。
「お疲れさんです。おれのほうも取り調べは適当に切り抜けましたんで、ご心配なく」
 声も表情も気だるげで、掴み所がない。ポワロ・フィッシャーとの、ビデオ通話。
「いい娘さんっすね。今度やるっていう退職祝いのパーティーに呼ばれたんですが、ウチの弟が行きづらいとごねてて……かったりぃ」
「だって、気まずい! 元スパイだぞ、おれコードネーム『ランド』!」
 カウボーイハットを被ったそばかすだらけの童顔が騒ぎながら、カメラに映りこんだ。
「自意識過剰だろ。お前は民間人でただのボランティア。それに、金城は来ない」
「えっ来ないの、金城のヤツ。やっぱでも、兄貴みたいにドライになれねえよ普通」
 ロングは苦笑いを頬骨の裏側で揉む。ミナトの参加はまず、ありえない。
 知らないところで生贄にする計画を進めていた人でなしを、なぜ祝えるというのか。
「フィッシャー、最近変わったことはないか」
 オレンジ髪の男は横向きの紙巻きタバコの端と端をつまみ、手慰みにくるくる回す。
「いえ、特には。勤務外の野暮用がなくなって、眠気覚ましが減ったくらいですかね」
「そうか。ヘビィスモーカーもほどほどにしろよ。刑事を続けるなら、体を大事にな」
「最初の一本を吸わせた男が、それを言いますか。引退生活は男の墓場とかなんとか」
「切るぞ」


 迎えに来たキズミはデニムシャツ、黒いスキニーパンツにキャメル色のレザースニーカーという出で立ちで、毛先を整えた長髪を風圧対策で低い位置で一本に束ねていた。相乗りしたウインディの背で、「退職祝い、俺は行きますよ」とキズミが神妙に告げる。「レスト……ちごた、金城なら、首に縄をつけてでも連れて行きましょうか。部下に頭を下げるチーフ、はじめて見ました。終わったことをネチネチと、あの三流刑事はただ逃げてるだけです」「好きにさせてやれ」
とロングは言った。
 飛ぶように街中を駆け抜けて、エディオルの転院先の大病院に着いた。正面ロータリーで降りたロングへ、キズミは先に行ってほしいと伝え、一人で病室へ向かってもらう。黄昏の赤で容姿の美しさが極まっている愛犬を、少年はひとしきりねぎらった。これが自分たちの、ラストランになるかもしれない。できるだけ、ボールに戻すまでの手間をかけたかった。立派なたてがみを愛情いっぱいに撫で、日向に干した毛皮さながらの太陽のにおいに頬ずりする。野趣がありながら格式高い黒水晶のような瞳がいたいけな思慕に満ちておだやかに閉じられ、彼の顔を無垢な子犬のようにぺろっとひと舐めした。

 医療用ベッドの手すりにとまっているチルットの、悲しげな眼。坊ちゃまをお守りできなかった、と深く責任を感じている。ボディガードとして立ち直るには、まだしばらくかかるだろう。
 昼寝の延長からまだ戻らないエディオルの頭をなでていたオルデンの手が止まる。
 招待したロングに丸眼鏡の男が向き直ると、締め切られた個室の閉塞感が強まった。 
「ダッチェス、メギナさん、キズミ君……彼らは共通して、副作用に記憶障害が認められてました。この子も例外ではないようです。意識が戻って一週間、過去すべての記憶の喪失に加えて、どうやら一晩眠るとその日の記憶がリセットされるらしく、毎日がはじめからのやり直しです」
 エディオルの身体からは、国際警察がコードネーム『No.01 PARASITE(パラサイト)』、『No.05 GLUTTONY(グラトニー)』と仮称する二種類の未確認生命体の遺伝子が検出された。どちらもシレネが実験で移植したと思われる。自己免疫を高める治療によって痙攣などの発作症状の寛解は見込めるが、全治の確率は高いとも低いとも言い難い。『No.01』の神経毒がどこまで抜けるか、実の母親に間接的に手をかけてしまったショックがどのように精神に作用していくのか。今後の不安が枯れ果てることはない。
 父親として尽くしたい思いは、言葉で言い表せないほどに強い。しかし、やらなければならない事がある。未来への、備えだ。『タイムカプセル』で科学の発展した時代から舞い戻ったウインディのデータ体には、テキストファイルが添付されていた。それは、過去にいる自分へ宛てられたメッセージだった。バグに侵された焔犬を治療したのは他ならない、将来のオルデン・レインウィングス自身なのだ。ファーストと壊れた『C-ギア』をふたたび結合し、いつか訪れるその日に向けて治療法を確立する。かならず実る成果が自分の肩にかかっているのだから、過労死しようものなら研究者冥利と言ってみせよう。己に課せられた役目を果したくば、いつまでも病床の息子に付きっきりでいては、ならない。手厚い心遣いが必要なわが子を他人に任せることも、その他人に一日しか記憶が持たない後遺症を受け止める誓いを立てさせることも、オルデンは相当の覚悟を強いられた。しかし三日前、ついに親愛なる盟友ロングにエディオルを託すと決めたのだ。
  
「この子を、守ってくれますか」

 返答の概念は口頭を介さずとも、態度で堅実に示せる。
 養父となる男が黙って差し出した手を、実父が握り返した。 
 ノックをし、入室するキズミ。
 厳粛な儀式に立ち入ったと悟り、ドアを後ろ手に閉めてその場に控える。
 どうぞこちらへ、とすぐにオルデンからお呼びがかかった。
「キズミ君。ようやく会えたファーストを奪ってしまい、申し訳ありません」
「何ゆうてはるんですか。俺は先生を信じとります。何十年先でも待ちまっせ」
 よろしくお願いします、と大切な球を引き渡しながら爽やかな笑顔をたたえた。

 退室後、無菌的に清潔な廊下で少しの間をおいて。
 踵をそろえ、ロングの真正面で直立不動の姿勢をとる。
 掌を下にした右手をこめかみ付近に当てて、キズミが敬礼した。 

「長期任務、お疲れ様でした」

 歴史改変前の記憶を共有できる、唯一の人間の青い瞳。
 若人が歩き去りながら髪の結び目を解くと、さらっと広がった金がなびいた。
 苦労、後悔、郷愁が渾然一体となって投影できる、いっぱしの男の背中だった。
 あの者と同じ顔と名を持つ“もう一人”の青年の消失を、決して忘れてはいない。
 しかし、見ないあいだに娘の想い人は少したくましくなった。その思いも真実だ。
 残されたロングはよろりと、備え付けのベンチに腰を預ける。
 片手の親指と人差し指で、熱くなった目頭を押さえた。

レイコ ( 2019/04/14(日) 14:04 )