NEAR◆◇MISS















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最終章
-9- 敬礼
 当時、『時渡り』をしたジョージ・ロングは己の無力さを痛感した。警鐘を鳴らそうにも、証拠がなければ国際警察は動かない。下手に突っ走れば、被害妄想を疑われて同僚からの信頼をなくし、組織内で身動きが取れなくなる。口で説明することしかできない歴史改変を信じる頭の柔軟さを持ち、人類滅亡を食い止めるという無謀な裏活動に賛同してくれる味方の精鋭集めは、骨が折れた。
 古株同志の一人は、馴染みの飲み友達にして同期で一番の出世頭である女性国際警察官であった。味方内で最も地位が高く、最も根回しと尻ぬぐいに腐心させられていた彼女、ミモザは人事担当セクションの長官である。サーナイト=パラディン一味に襲撃された後の覚醒以降、退院を本部に未報告で神殺しの最終局面に奔走していたロングは、彼女から個人的に呼び出される前に事後報告に当たった。全責任は自分にある。加担させたオルデン達たちの不問を訴え出なければならない。

 過去に干渉する歴史改変は、過去に飛んだセレビィが巧妙に並べたドミノ牌のようなものだ。並べ上げた最後尾にあたる時間軸の『時渡り』の完遂によって、舞い戻った列の先頭の牌が倒される。すでに並べられた牌を撤去することはできないが、ドミノ倒しは阻止できる。
 甚大な数の死傷者はなく、天変地異が確認されたわけでもない。内輪のみが知る戦争は箱庭で起きた。歴史改変をなかった事にできずとも、ハイリンクの森の護り神の存在はなかった事として揉み消せる。そのためなら、神殺しに貢献した犠牲者を無記録にすることも厭わない。ロングは最初からそのつもりだった。部下の金城湊を生け贄に捧げようとした覚悟は、人類を救う英雄になるためではない。元いた世界を奪われた雪辱を遂げるため。娘の存在を過去からの攻撃による消滅から守るためだった。
 
 この世界は何一つ変わらない顔をして、明日、明後日へと、未来を紡いでいく。
 それでいい。
 それがいい。



 女性幹部の尽力により、セレビィ討伐に精魂を捧げてきたロングの公務逸脱行為は、国際警察内で公になることはなかった。上層部は機密事項の携帯獣捜査官コードネーム『パラディン』を失踪扱いとし、一切の記録情報を抹消した。ロングはパラディンの残した汚点を知りすぎている。裏社会の霊能界隈で悪名を轟かせていたレストロイ家当主の脅威を取り除いた功労に報いるという体裁が取られ、組織から穏便に追放する建前である依願退職が認められた。

 ラグラージ=ロータンとデンリュウ=ペールは本部の公用貸出戦闘員だ。返還しなくてはならない。ロングは手持ち達に歴史改変をはじめ、真の目的を伝えていなかった。詮索せずに支え続けた忠義の友との別れは、辛いものがあった。
 使い収めになる本部のロッカーを整理中、ロングの携帯端末が着信を振動で知らせた。

「いいなー、引退生活。早くそうなりてえです」
 皮肉ではなく本心から羨んでいる、スピーカー越しの眠そうな男の声。
 あの面倒くさがり屋が、私事で自分から電話をかけてきただけでも珍事だ。
 ロングはしんみりと笑い、ゴミ箱行きの私物を脇に抱え、肘でロッカーを閉めた。
「言ってくれるぜ。左遷らしいな、フィッシャー」
「おれからしたら栄転っすよ」

 ロングの腹心であったフィッシャーもまた、監察から逃げられなかった。
 仕事らしい仕事のない、暇で平和な地域への異動だ。

「ヤニ、吸いすぎるなよ」
「人生初の一本を吸わせた男が、それ言いますかねえ」
「とにかく……達者でな。苦労をかけた。お前にも、お前の弟にも」
「まあ、ぼちぼちです。おやっさんのハードモードに比べたら」
「今度飲もう。俺のおごりだ。待ち合わせがあるから、切るぞ」





「チーフ! ご無沙汰です」
 大病院のロビーで待っていたスーツ姿の少年は、金髪を低い位置で縛っていた。
「相変わらず暑苦しいぞ、その髪。まだゲン担いでんのか」
「トレードマークですわ。ここまできたら」
 少年が開き直った。
「チーフは老けましたね。雰囲気も丸くなったような」
「渋くなったと言え。電話のほうが口の利き方がなってたぞ」
「この感じ、久しぶりやなあ。やっぱり直接会うてなんぼですわ」

 無鉄砲で頑固で扱いにくい鼻垂れ小僧。娘のカレシだったと思うと難癖をつけたくなる。スパルタ指導が招いた反抗期の荒れた態度も忘れてはいない。公正に見れば真面目で快活、表情豊かな好男子。仕事熱心で情に篤い、有能な部下だ。元気そうな様子の裏に、ロングは若干の疲労感を洞察した。
「事情聴取、切り抜けたか」
「なんとか。なりすましみたいで、気が引けましたが」
「言い忘れてたな。おかえり、キズミ」

 名前を呼ばれた青い瞳が、ぎこちなく和らいだ。
「……ただいまです」

 入院棟へ、連れ立って移動する。
「オルデンから聞いたぞ。ファーストの件」
 エレベーターのドアが閉まった瞬間、ロングが言った。
 キズミは、モンスターボールを手に取って見つめた。
「相棒は迷いませんでした。ほんま、かっこええ奴です」
 内側にいる愛犬と気持ちを通わせる。そして、寂しげに苦笑した。
「俺のほうが名残惜しくて、昨日はライドに付き合ってもらいました」

 進化したら背中に乗る、乗せると、幼少より互いに憧れていた。
 金髪の部下とウインディの数奇な絆を知るロングは、そうか、とだけ答えた。

「あと、あの話もな。正気じゃねえ。俺は反対だ」
「もう決めたんです。エディのために、なんかしたい」
「どうなっても知らんぞ」
「でも、決めたんです」

 出た、とロングは内心歯噛みした。
 一度言い出したら聞かないのだ。

「クソガキ、少しは耳を貸せ。俺は反対だからな」
「こんなクソガキに育てたんは、チーフですやん」

 表情はロングの部下として、他愛ない口答えを懐かしんでいた。
 


 
 脳波計を取り付けられた幼い男の子が、ベッドの上で眠っている。
 手すりに掴まっているチルットの、入院患者を見下ろしている心配げな目。
「外で待ってましょか?」
「そのままで大丈夫ですよ。キズミ君」
 丸眼鏡の紳士、オルデンから言われた。
 ロングが静かにドアを締め切ると、個室の閉塞感が強まった。 

 ダッチェス、メギナ、キズミ。転生実験を受けた者は共通して、記憶喪失に見舞われた。オルデンの息子であり、シレネに実験されたエディオルの身体からは、二種類の未解明生命体、コードネーム『PARASITE』の神経毒と『GLUTTONY』の遺伝子が検出された。肉体をむしばむ『PARASITE』の神経毒と、実の母親に間接的に手をかけた精神的ショックが、エディオルの副作用を重症化させている。他の者たちのように記憶を失ったにとどまらず、毎日の記憶が一晩眠るとリセットされてしまう。前向性健忘症と診断された。
 最初のリセットが起きたきっかけは、オルデンの留守中に起きた。国際警察官がエディオルの入院先に無断で押しかけ、母親殺しの容疑で聴取が強行されたのだ。組織内の過激派はエディオルの身柄を収容し、UBの貴重なサンプルとして徹底的に調べ、UB対抗策につなげようと目論んでいる。実験に目がない狂気的な研究員は、なにもシレネ一人ではない。
 

 『タイムカプセル』で科学の発展した未来の時代へ送られ、帰還したウインディ=ファーストのデータ体には、テキストファイルが添付されていた。過去の時代にいる自分宛てのメッセージであった。
 ウインディを治療したのは他ならない、未来のオルデン・レインウィングス自身。
 壊れた『C-ギア』と健康なファーストをふたたび結合し、バグを修正する治療法を見つけ出す。研究が報われる将来は、結論を根拠に確約されている。我が身をラボに縛り付けて年月を捧げなければならない使命に絶望はないが、心残りはある。我が子のそばに父親として付いていられないことだ。
 国際警察に圧迫されない土地で静養させる、とロングは誓った。
 里親にならせてほしい頼む盟友に、オルデンはエディオルの保護を任せると決めた。
  
「息子を……守って下さい」

 堅い握手が交わされた。
  
 立会人のごとく見届けたキズミへ、オルデンが向いた。
「君とファーストを引き離す事、なんと謝ればいいか」
「謝るやなんて。俺たちは先生を信じて、待つだけです」
 大切なモンスターボールを引き渡しながら、別れの辛さを乗り越えた笑顔をみせた。


 退室した。
 無機質で無菌的な廊下をエレベーターに向かって歩く。病院内で怒鳴り散らすほど恥知らずではない。危うい陽動を背負い込もうとする部下の決意を変えさせようと、ロングは収まらない腹の続きをこぼし始めた。
 階段を指差し、振り返った眼差しに、ロングの小言が塞がれた。 

「チーフ」
 踵をそろえ、ロングの真正面で直立不動の姿勢をとる。
 掌を下にした右手をこめかみ付近に当てて、キズミが敬礼した。 

「長期任務、お疲れ様でした」

 歴史改変前の記憶を共有できる、唯一の人間の青い瞳。
 少年が階段を下りながら髪の結び目を解くと、さらっと広がった金がなびいた。
 苦労、後悔、郷愁が渾然一体となって投影できる、いっぱしの男の背中だった。
 あの者と同じ顔と名を持つ“もう一人”の青年の消失を、決して忘れてはいない。
 しかし、見ないあいだに娘の想い人は少したくましくなった。その見解も真実だ。
 残されたロングは備え付けのベンチに腰を預ける。
 片手の親指と人差し指で、熱くなった目頭を押さえた。

レイコ ( 2019/04/14(日) 14:04 )