NEAR◆◇MISS















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最終章
-8- 夜桜
 傷んだ衣服は小汚く、丈の短さが背格好に合っていなかろうと。
 前髪以外のまばらに長い金髪の平均が肩を越えていようと。
 キズミは、キズミだ。
 本人の自認。中身と外見。それらを完全否定できうる証拠を、誰ひとり提示できない。
 人里離れた山奥から最寄りの救急病院へ、意識のないエディオルと色違いのイーブイを運ぶ。冷たい冬の朝焼けを切り裂く風のように空を飛ぶ道中、フィッシャーはジョージ・ロングとオルデン・レインウィングスに秘密回線で状況を伝えた。二人の声を聞きたかった長髪のキズミは、複雑な立場を弁えて通話を交代しなかった。焦らなくても、ゆくゆくは直接会える。
 時空のねじれを通過した影響で脆くなっていたクリスタルは、異界に棲まう怪物を焼き滅ぼす全力の一撃を放った負荷に耐えきれなかった。破片で軽い怪我をした手首をついでに病院で手当てしてもらった。キズミは薄暗い照明の長い廊下に置かれた待合ベンチに腰を落ち着け、ポワロ・フィッシャーから大体の説明を受けた。視線を合わせようとしないラルトス=ウルスラを除く、ウインディ=ファースト達から事情も聴いた。

 
 自分たちの元いた世界が、森の護り神によって上書きされたということは分かった。
 今度はキズミが語る番だった。ロングが過去へ飛ばされた現場に、直属の部下である自分も同行していた。『時渡り』に巻き込まれ、気づいたら、携帯獣たちに介抱されていた。村の外の危険な荒地に倒れていたらしいと、テレパシーを扱える通訳者を介して知った。
 村の言い伝えでは、人間は大昔に滅びた幻の生物だった。未来は未来でも、森の護り神の歴史改変が完遂された殲滅後の時代なのか、自然の摂理で絶滅した気の遠くなるような時代なのか、真実を突き止める方法はなかった。
 先祖が人間と暮らしていた文化的な携帯獣は自治制コミュニティを作り、野性的な携帯獣はダンジョンと呼ばれる過酷な環境地帯を根城とし、棲み分けがなされていた。助けられた村でしばらく世話になり、救助や開拓などを請け負う村の活動隊に志願して、過去に帰る手段を探した。一年近くかけて、ついに発見した時空ホールと呼ばれる特異点をくぐって行き着いた過去の座標が、あの湖だった。
  
 未来にいる自分の空白を現代で埋める存在が、消えた“キズミ”だったのかもしれない。
 あるいは、“キズミ”が消えた空白を埋めるために呼ばれたのが自分なのかもしれない。

 キズミは、右の掌を見つめた。時空ホール通過時の経験は人間の脳の処理能力を越えている。記憶は曖昧だが、そういえば、右手で何かをした。自分にしかできない、と力強い因果を感じた何かを。すれ違いざまにハイタッチしたかのような、形のない触感がかすかに残っている。

 

 混んできた院内に、キズミは長い山岳修行から戻ったような軽い人酔いが身に沁みた。
 昼過ぎだった。オルデンが出せる最速で大都市から辺境へ、我が子の面会に駆けつけた。丸眼鏡越しの温厚な目で、病室の前にいたキズミは名前を確認された。深い洞察力のある恩師だ。この短時間で、ありのままを包容しようとしてくれている。引き止めてはいけないと感じた。
「中へどうぞ、先生。話ならまた今度……いくらでも」
 と、昏睡状態のエディオルのもとへ急がせた。

 チルット=アフロとルカリオ=ソリッシュはオルデンに同行する。国際警察本部の職域病院への転院手続きを終えたオルデンと、近いうちにまた会おうと約束して別れた。事後処理で立て込んでいるロングからの待機指示が解けるまで、キズミはアルストロメリア市にあるフィッシャーの自宅アパートに身を隠すことになった。行方不明のキズミ・パーム・レスカが見つかったと分かれば、本部に出頭させられる。キズミの記憶を持たないキズミが真実を伏せて事情聴取を乗り切るには、準備が必要だ。
 ロング父子に会えるにはしばらくかかるだろう、とフィッシャーから言われた。移動途中、とある無人駅の単式ホームに立ち寄った。鏡面を通じて辺境へ転送された国際警察官と合流する。教えられた名は、キズミを内心動揺させた。元いた世界では、親友になりえない因縁深い男だ。
 夕方は色の濃い曇り空で、夜が早く来たように暗い。
 ようやく到着した逆方向の列車から、金城湊がホームに降りてきた。
 目が合った瞬間に、水と油を直感した。互いに敵愾心を止められなかった。
「失せろ、ニセモノ! ここにてめえの居場所はねえ!」
「お前になんも言われる筋合いあらへん、レストロイ!」
「オレは金城湊だ!」
 ミナトが、キズミの胸倉をつかんだ。
 藍色の瞳がゆがみ、ぽろっとこぼれた大粒が、無機質な床面に落ちた。

「オレが、オレ達が会いたかったのは、てめえじゃねえんだよ……!」

 押し黙っていたラルトスの、テレパシーが発作のようにはち切れた。
(みんな、わたくしが悪いのですわ!)
 顔を覆い、ひっくひっくと全身で泣き入った。
(わたくしが目覚めなければ、キズミ様が消えてしまうことも……なかった……)
 
 中立を守るフィッシャーのくゆらせる紫煙が催促したかのように、霙が降り出した。



 古アパートに着いた初日、毛玉の出来た青いセーターと膝の薄い黒いジャージパンツを貸してもらった。袖と裾は、つんつるてんの着たきりスバメでいるよりだいぶ良い。マイペースでルーズで意外と年下に優しいフィッシャーの性格は、キズミの知る先輩刑事とまったく一緒だ。自分を覚えていないふりをしてからかっているのでは、と冗談でも疑いたくなった。
 ウルスラを苦しめてまで自分勝手に“自宅”に出入りする気はない。足りないものはフィッシャーに代理で取ってきてもらうか、町で目立たないように買い足した。歴史改変前の世界の衣服を処分し、肌身離さず持ち歩いた財布の中身を減らす事は、執着から離れる断捨離に近い感がある。
 部屋の窓は立て付けが悪く、隙間風が入る。長い金髪を束ねると寒いので、下ろしておく。ぼさぼさの毛先をセルフカットで整えると、洗面台の鏡に映る見てくれが少しは文明的になった。

 人や携帯獣と接するのが好きで、笑顔を見るのが好きだ。国際警察は働き甲斐があった。昔からそれなりに死にかけては、生き延びてきた運のしぶとさに関しては、刑事は天職だと思っていた。
 未来世界へ飛ばされたのは、自分で引き寄せた結果だ。それは受け入れても、大事な約束を守る努力もしないで、じっとしていられなかった。戻りたい過去の世界がすでに、もし失われていたとしても、覚悟の上だった。
 覚悟の問題なら、自分ひとりでも解決できる。だが新しく直面しているのは、誰かの喜びが誰かの悲しみという壁だ。帰還を心から認めてくれたファースト達がいる一方で、ウルスラ達を深く傷つけてしまった。

 三日目。
 今夜は、アルストロメリア警察の残業でフィッシャーの帰りが遅い。
 キズミからキズミへ所有権が移った携帯端末に、メッセージが一件届いた。



 バトルネーソス屋内の併設カフェを閉店時間後に使わせてもらっている。
 オーナーの特別な計らいだ。不要の外出がしづらいキズミへの配慮だった。

 呼び出したのはアイラだ。なのに、挨拶に詰まる。目も合わせられない。
 彼の、右頬の傷跡。長い金髪。あの青い瞳に映るこちらの印象を意識してしまう。
 どう接すれば良いのか。心臓の音が大きくなったり、小さくなったり乱れている。
「……こんばんは」
「……どうも」
 キズミは向かい席から、じっと見つめすぎないように目反らしに気を使った。
 彼女の、大きな灰色の瞳。栗色の髪。一日も忘れたことがない相手がそこにいる。
 思わず抱き締めてしまいそうで、感動を、早く収まれと胸の中で抑え込んでいた。

 脱いだコートを椅子の背にかけたきり、両方とも動作が固まっている。
 研修中の雇われマスターが、当店からのサービスでコーヒーと紅茶を提供した。
 体の内側から温まると、疲れの溶け出すような、芯のほぐれが二人を歩み寄らせた。
「連絡が遅くなって、ごめんなさい」
「かまへんて。仕事で忙しかったんやろ?」
 アイラの知っている声が、気さくな物言いをした。
「そうだけど、刑事は……しばらく休職するつもり」
 昔馴染みのように話しやすい。彼の飾らない雰囲気が、一緒にいてしっくりくる。心に着込んでいた喪服を脱がされそうだ。違う部分も同じ部分もひっくるめて、別人だとは思えない。一卵性双生児でも二重人格者でもない。いなくなったはずの部下と数年ぶりに会ったかのような感触。

「大学受験するんか?」
 歴史が変わる前のアイラは学業優秀なハイスクール生だった。
 うっかり引きずられた質問のチョイスに、同い年の少年は苦笑した。
「すまん、つい。ズレたこと聞いてしもた」

「考えた事なかった。でも、面白そう」
 来年十八になるアイラは、大学生活に夢を馳せた。
 心を休めるにも、やり方は色々ある。目標を作って打ち込むのも良いかもしれない。
「勉強とか美味しい物とか、おしゃれしたり髪型も……あなたは長いのが好きなの?」
「これか。切らん理由あんねんけど、二回も説明するほど大層ちゃうで」
「ごめんなさい。あなたが覚えてる、あなたを知ってる“アイラ”じゃなくて」
 
 返事の前に、ひたむきで穏やかな愛情がにじむ男の目をして微笑んだ。

「歴史が変わっても、アイラはアイラや。俺の気持ちは変わらへん」

 聞き知った声に初めて名前を呼ばれた瞬間、心臓がきらきらと火照った。
 自然体がすぎる直球。感情が迷子になりそうで、アイラはそっと視線を落とす。

 不用意な発言で彼女を困らせたと思いつつ、キズミは言い訳をせずに突き進んだ。
「俺には一年くらい、腹くくる時間あったしなあ。でも君には、急な別れやったんやろ。謝らなあかんのは、俺のほうや。ごめんな。帰ってきたのが、君の部下やなくて。責めるなら俺にして、部下の奴は許したってくれへんか」
 
 アイラは伏せていた睫毛を上げた。思考にまとわりつく切なさが、自分がどうしたいかを濁らせる。でも、彼の真剣な願いをないがしろにしたくなかった。今夜呼び出した理由の一つを、重大な役目を、やり遂げる勇気を奮い起こした。
「伝言があるの。消えてしまったパラディンという国際警察官から、あなたへ」

 僕の本名は、クラウです――

 聞き届けたキズミは青い瞳を揺らし、ゆがめた眉とともに数秒閉じた。
 最後の任務に向かう前、何があろうと再会して、教えてもらう約束を交わした。
 親友はアイラのおかげで、なんの言葉も残せない無念から、救われたことだろう。
「ありがとう。もう一つの約束は意地でも、守らなあかんな」
「私にも、手伝える?」
「そら助かるわ」

 急に予知能力にでも目覚めたかのように、アイラは見当がつく気がした。
 親友を失ったと知った直後の空元気であろうと、キズミの笑顔に嘘はなかった。

「いつか一緒に、夜桜を見に行く約束や」

レイコ ( 2019/04/01(月) 09:15 )