NEAR◆◇MISS















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最終章
-7- 流星
 眠れるポケモン全土が共有する集合的無意識ともいえる夢の世界、『夢島』。その最深部に根を下ろし、次元を超えてハイリンクの森を潤わせているのが『夢の樹』だ。謎多き大樹からの極めて莫大な夢エネルギー供給を絶つ間、森の護り神は一時的に神格を失い、凡庸な幻獣に成り下がるはずだった。しかし『C-ギア』の最終調整よりもハイフェン・レストロイ卿の容態を優先した結果、セレビィは神格を保ったまま討伐された。今際のきわに神の怨念が現世のいずこかに残されたとすれば、呼応した『夢の樹』がもたらす“復活”は、タイマーの読めない時限爆弾のようにまぬがれ得ない。
 
 サーナイト=パラディンがエルレイド=クラウとの決闘で翻意した夜、エディオル・レインウィングスの母シレネの自宅が全焼した。火を放って逃走したとみられる彼女の足取りを猟犬のごとく追っていたジョージ・ロングを皮肉るかのように、後日エディオルが誘拐された。レストロイ卿らの凱旋を信じ、夜を徹してホテルで作業していたオルデン・レインウィングスの目の前に元妻シレネが突然現れ、暴挙に出たのだ。次なる狙いは十中八九、夢の力。孤立無援で追いつめられている彼女が、狂気の研究欲に憑りつかれて非道の手段を使おうものなら、『夢の樹』が最悪の形で刺激されるだろう。
 いち早く『夢島』にアクセスし、リスクを取り除かなければならない。幼い息子の安否を憂慮しながらも、オルデンは逡巡した。未来人によって現代の科学レベルに合わせた改造が加えられた復元版『C-ギア』の『ゲームシンク』機能の稼働時間は長く持って、一日に一時間が限度。拙速になって事故が発生すれば、被験者の命に関わる。森の護り神からもぎ取った惨憺たる辛勝の上に、さらに犠牲者を増やせというのか。臨床試験をためらうオルデンの胸中を、盟友としても同じ父親としても理解を示しつつ、事件を防げなかった責任を取らせてくれと、ロングは彼を奮い立たせた。
 父ではなく、自分が実験を受けたい。加えてアイラがこの件で、争議を起こしたか。周囲、特に父ジョージから猛反対されたが、てこでも引き下がらなかった。姉メギナの残留思念が消えずに、潜在意識の奥深くで檻に閉じ込められているような状態だと判っていたからだ。夢エネルギーでゾロアーク化した姉には、他者の『夢』に直接介入できる能力がそなわっていたらしい。ふたたび特性『ナイトメア』で自分の中にとどまる姉を呼び起こせば、『C-ギア』の機能と併せて、夢世界へ精神を接続できるのではないか。この非常時に経験も年齢も関係ないと押し切り、言い返せない皆の総意を勝ち取った。
 あくる朝、ミナト達はエディオルの救出に向かった。客員顧問のオルデンは残業をよそおい、国際警察本部の白衣の面々が全員帰路につくのを待ち、研究所の一室にアイラ達を召集した。警備を請け負ったジョージ・ロングは次女から顔をそむけ、『スキルスワップ』で特性『ナイトメア』を預かったエルレイドは落ちこんだ表情で、彼女の両手を握りしめる。アイラは勇気を持って答えた。 
「心配しないで、クラウ」

◆◇

「大丈夫?」
 はっとして起き上がったアイラの肩に、ゾロアがひょいと跳び乗った。
「お姉ちゃん。私……寝てた?」
「その逆。今ちょうど、眠りのまっただ中」
「じゃあ、ここがライキの『ホーム』なのね」
 『C-ギア』の動力源を務めるフライゴン=ライキの、具象化された夢の中。
 小屋が一軒立てば埋まりそうな広さの、空をただよう草木の生えた小さな島だ。
 寒くも空気が薄くも感じないが、下は雲海。旅客機の巡航高度と五分五分だろう。
 虹の架け橋の終点に見える鉢植えの樹木のような浮き島が、『夢島』に違いない。
 『夢島』に向かって空の色が青、橙、黒と時間帯のグラデーションになっている。
 此方が真昼で彼方は真夜中、夕と朝が一つに融けた、太陽の見当たらない世界観。
 メルヘンチックと言えばいいのか、オカルトが適切なのか。表現に悩む光景だった。
「まったく無茶する。でも、よく思いついたじゃないか。あたしの力を使おうなんて」
 そう?、と生返事をして、アイラは木の実を一つもぐ。父から教わった通りに。
 虹の上を歩けるのかというファンタジックな疑問を、まず勝気な仔狐が解決した。
 続くアイラも、磁力の板が挟まっているかのように直接は七色の橋を踏めない。
 子どもっぽく驚く妹を置いて、姉が駆け足で先を行く。慌てて後を追いかけた。

「お姉ちゃんにまた会えて、嬉しい」
「はあ? 変わった子」
「あのね。パパの肩を持つわけじゃないけど、怒らないでね」
「なにが?」
「ずっと、お姉ちゃんが羨ましかった。だってママは……」
「別に、あの女から愛されてなかった。虐待されないコツを知ってただけ」
「そっか……」
 歯に衣着せない物言いにひるんだが、それさえもアイラには懐かしい。
 気性が激しく、聡い姉。自分には備わっていない多くのものを持っていた。
「あたしがあんたを庇わなかったこと、恨んでる?」
「ううん。二人ともまだ子どもだったでしょ。お姉ちゃんは悪くない」
「そういうところが……いいよ、もう。それより目的は知ってる。急ごう」
「手伝って、くれるの?」
「ただの興味を手伝いと言うならね。元研究者として、こんな機会のがせない」
 嗜好が合わないゾロア=メギナの返答に、アイラは苦笑いした。
「家を出る前のお姉ちゃん、髪が長くて綺麗だった。私も……似合うかな?」
「伸ばすのか? いいんじゃない」
「でも、お姉ちゃんには適わない。それに刑事だし、やっぱり短い方が……」
「何だそれ。ゴマすられても、全然嬉しくないんだけど」
「違うわよ、イジワルな言い方やめて」
「なんか、へんてこ。十四歳と六歳じゃ、こんな言い合いできなかった」
「私、可愛い妹じゃなくなった?」
「まあまあ頼れる妹、に昇格だな」
 
 橙色のゾーンに差しかかる。
 影絵のようだった青灰の円蓋形が、葉や幹の色の判別がつく距離に入った。
 大樹の表面を走る蔦状の白と黒の模様に、めざとく注目したゾロアが言う。  
「ハイルツリーが寄生してる? 世界初の発見かも」
「セレビィと関係あるのかしら。いい予感がしないわ」
 アイラはそう答え、樹の上空に一番星を見つけた。 

 星、ではなかった。
 淡く輝く気泡に密閉され、冬眠状態で身体をまるめているポケモン達。
 何千ものランタンが舞い上がっているかのような、夜の領域に到着した。
 まるで液が無色のホルマリン漬けで、光と闇の景勝に生理的嫌悪がまさる。
 『夢島』に上陸して数歩、ゆらっと正面をふさぐ人影。アイラは驚嘆した。
「フィッシャーさん!?」
「こりゃあ、ぶったまげた。名前、アイラで合ってるか?」
 アルストロメリア警察と国際警察、二つの顔を持つ先輩刑事だ。
 眠そうな垂れ目を丸っこくした男は、古びた立体映像のように透けている。
「てっきり、国際警察官が来ると思ってた。まさか観光じゃねえよな?」
「私は国際警察官です。あなた、一体……」
「あー、正史の人間じゃねえのか。どっから説明したら……かったりぃ」
「聞かせて下さい。私の父は『時渡り』をしたそうです」

 だったら話が省ける、とオレンジ髪の半透明人間は嬉しそうにした。

「おれは歴史が変えられる前の世界の、ジョージ・ロングロードさんの直属の部下だ。おやっさんと現場にいた刑事の一人だった。夢の力から生まれたセレビィの『時渡り』に巻き込まれて、精神だけが事故ってここに飛ばされたらしい」
「生きる力も死ぬ力も持たない、つまり幽霊みたいなモノ?」
「賢いゾロアだな。頭よしよししてやろう」
「グゥルルワシャーッ!」
「お姉ちゃん! では、このシャボン玉のコたちは……?」
「刑事の手持ちと『ハイリンクの森』の野生個体、このオジサンと同類の被害者」
「ほんとに賢いな。ここじゃ歳食わねえから、オジサン以外当たってる。え、姉?」
「すみません、身内が失礼な態度を……話すと、長いんです」
「データ化されたポケモンって、こういう感じで放置されてるんだろうな」
 ゾロアは所在なく彷徨う泡の中の獣たちを見つめたまま、独り言を呟いた。
 
 フィッシャーが孤独に過ごした期間を、アイラは尋ねてはいけない気がした。
 我が道を往く姉と比べて、思ったことをずばずば口に出す無粋に神経を削る。
 ところが遠慮している雰囲気を読まれて、彼のほうからやんわり明かしてきた。
「今日という日を待ってた。とんだサービス残業になったぜ」
 そう返す笑い皺はくっきり深く、停止年齢が二十台後半にしては老けて見える。 
 昔はこんな夜が無い、一面の青空だった。と、白黒の寄生樹を指さして語った。
「この夢の世界の変質が進んでる。蝕まれた『夢の樹』を、なんとかしに来てくれたんだろ? 綺麗さっぱり浄化して、ゆがんだ(ことわり)を元に戻してやってくれ」
「うちの妹に指図す……今なんか、聴こえた? ネイティの声」
 無遠慮なゾロアの鼻面に蓋しようと背後に回っていたアイラの手が、止まる。
 長老だろうか。耳には何も届いてこない。肩をすくめると、代弁してくれた。
「フライゴンのバイタルが危ない、って言ってる」
 知りたくなかった。
 しかし、知らなければならない情報だった。 
「あと……『シンクロ』でバイパスを作るから、あたしに協力を求めてる。たしかに一回昏睡させて“夢”を喰らったから、痕跡をしるべに……あの男とまた心をつなぐのは癪だけど、仕方ない。帰り道の確保は任せて、アイラは自分の仕事に専念しろ」
「う、うん」
 ぶつぶつと早口で右から左へ抜けていった専門的な内容はよく分からない。
 それでもアイラは姉を信頼し、頷いた。

 地上に露出した荘厳な根元の高さは、アイラの身長に負けず劣らずだ。
 フィッシャーの案内で、根の隙間に開いたテント状の穴に木の実を供えた。
 そして必死で、祈りをささげる。
 どうか『夢の樹』とセレビィの悪縁が切れますように。
 儀式のやり方は簡単だが、肝心なのは強い想いだと父が言っていた。
 そうすれば心を通じ合わせた夢世界の住民が、力を貸してくれる。と。

 丸い者。細い者。尖った者。毛深い者。
 走る者。泳ぐ者。飛ぶ者。燃える者。黄色、赤、緑、桃色――
 かたくなに沈黙していた者たちがまぶしく光りだし、泡の膜がはじけた。
 浮力が尽きた順に、ばらばらと雲海へ墜落しはじめた。
 頭上を仰ぐと、星々の豪雨とみまごう天球の大仕掛けが発動していた。
 原型の思念体の大きさに忠実な、光弾。
 力と距離が掛け合わされた衝突はすさまじく、何もかもが破壊されてゆく。
 大樹の枝は吹き飛び、幹には亀裂、地盤は粉砕、クレーターには溶岩が溜まる。
 損害の直後から、樹の組織が蘇り、陸地は新しい土が隆起し欠損を埋めていった。
 『夢島』が、生まれ変わっていく。
 これで正しかったのだろうか。これでよかったのだろうか。
 振動する根にしがみつき、畏怖の念で声が出ず、目配せするアイラ。
 次は自分に直撃してほしそうに、樹に隠れないフィッシャーは微笑んだ。
「これでおれもこいつらも、お役御免。君は恩人だ」
 人差し指を、口の前に立てて声をひそめる。
「おやっさんは部下想いだから、おれの事は内緒で頼む」
 
「アイラ!」
 ゾロアが身軽に、彼女の頭に乗っかった。
「あんたの竜、根性ある。気に入った! ほら、ここから帰るんだ」
 木の実を備えた穴の奥に白い光が満ち、にょきりと黄緑の腕が生えてきた。
 尖った爪の三本指が連れ戻したい相手を探し、がさごそと落ち着きがない。
「この世界なら、あんたと完全に分離できる……本当に本当の、お別れだ」
 メギナが、フィッシャーらと同じ消滅の道を選んだ。
 アイラはほとんど初めから、そんな予感がしていた。
 これで三度目、はっきり覚えていないが正確には四度目の“さようなら”。
 回数は、湿っぽくない笑顔の後押しにならない。やり残した事は無数にある。
「……オハンに会えたら、よろしくね」
「どうだろ。元人間で犯罪者だし。同じ場所に行けると限らない」
 前足で栗色の髪をがしがし掻き撫ぜ、後ろ足でアイラの背中を蹴った。
 膝をついたアイラが決心して愛竜の手を取り、最後にもう一度だけふり返る。
 後ろ向きで座りこんでいる仔狐は、しっぽを立てて終焉の夜空を見上げていた。
「すごい。こんな流星群、前にも一度……覚えてる? 会いたいよ、パラディン」


◆◇

 『C-ギア』が壊れた。
 フライゴンはモンスターボールの中で安静中。
 力を使い果たしたネイティはぐったりしている。
 しずしず泣くデンリュウと、なだめるラグラージ。
 妹を護ろうと結託したメギナが父親にかけた負担は大きく、脳波が戻らない。
 血液に型があるように、娘と『夢』の波長が近い彼は精神接続を強行したのだ。
 実験に協力せざるをえなかったオルデンは、ジョージ・ロングの名を呼び続ける。
 ひどい頭痛も、めまいも、吐き気も、アイラを診察台に縛りつけておけなかった。
「目を開けて! 今度ふりだしに戻ったら、誰も助けないわ。秘密を隠して、私たちを振り回したんだから。パパを起こそうと頑張ったみんなを、二回も裏切るの!? そんなの、許さない……せっかく、仲直りできたと思ってたのに。たった一人の肉親なのに、また大嫌いにならせないでよ! 生きててくれてありがとうって、思わせてよ! この娘不幸者ーっ!」
 男の頬へ平手打ちを食らわせていたアイラを、エルレイドが急に取り押さえた。
 暴れかけたが、重石のようだった瞼の痙攣を示され、大人しく前のめりになる。
 短いうめき声が上がる。眩しげに切れ込みが広がる両目。オルデン達が歓呼した。
 意識が回復した生還者は、じんじんと内出血した痛む頬をさすりながら、言った。
「ゾロアに顔じゅう、『乱れ引っかき』される夢をみた……お前に、叩かれてたのか」
「ごめんなさい」
「バカ言え、謝るな」
 胸の上に突っ伏したアイラを、ジョージ・ロングはおぼつかない腕で抱きしめた。

レイコ ( 2019/03/21(木) 10:52 )