NEAR◆◇MISS















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最終章
-7- 再会
 サーナイト=パラディンとシレネの関係は相互不可侵に徹していた。離反後のパラディンが提供できるシレネの情報は少なかった。セレビィの時渡りによる人類滅亡の計画も歴史改変も未把握のシレネは、我が子を人間からポケモンへ生まれ変わらせる狂気に取り憑かれている。実験材料の調達に協力したが、実験内容は秘匿されていた。心を読もうにも独自開発したガジェットで妨害されていた。ラボを兼ねた自宅への立ち入りも制限されていた。
 オルデンが息子エディオルに身に着けさせていた防犯用位置情報装置は、拉致後すぐ発信が途絶えた。オルデンとロトムのタッグは国際警察本部の情報管理システムに侵入し、巧妙に削除されたシレネのログを復元して逃走先につながる手がかりを抜き出した。手がかりをもとに、ハイフェン・レストロイ卿配下のゴーストたちによる情報網が母子の足跡を炙り出した。
 オルデンとロングの最優先任務は、神殺しである。
 現地での捜索は、波動を扱えるルカリオ=ソリッシュが担当した。
 優れた波動使いは過労した肉体を結晶に変え、仮死状態になる体質を備える。外部から波動の力を分け与えられるまで、結晶化が解けることはない。オルデンとロトムが厳重な本部保管庫のセキュリティを破り、結晶化したルカリオ=ソリッシュをジョージ・ロングが連れ出した。ロング達と精神世界上で和解したルカリオは、科学の力による結晶化の解除を受け入れたのだ。
 ルカリオの同行は、ポワロ・フィッシャー班が務めた。

 アイラが『夢島』を停止させ、ミナトがセレビィを滅した裏舞台。

 ウインディ=ファーストは無翼の天馬のごとく、大空を美しく快走する。『空を飛ぶ』を『ものまね』すれば、空中移動が可能である。ウインディに並ぶスピードアップ補正で飛翔するチルット=アフロを、『まねっこ』する先導ランナーのルカリオも、走るように宙を蹴って飛んでいた。

 風圧の冷感が強烈だ。熱気のある体毛に触れていなければ、手が凍傷になりそうだった。ポワロ・フィッシャーを乗せたウインディの、黄金色のたてがみに掴まっているダークライの胸中を追想が流れてゆく。
 オルデン・レインウィングスの製作した悪夢を増幅させることのできるテストボールに入り、テスト用電子空間に移行してウインディ=ファーストと対面した。悪夢をみせる能力を自分自身に逆流させ、奥深くに封印されていた夢の世界を通じて、強く凛々しい焔の犬が幼い頃からの大切な家族であることを、思い出した。サーナイト=パラディンに『催眠術』をかけられた以降の記憶は空白のままだが、自分が何者であるかを示す記憶の大部分を、数日かけて取り戻すことができた。


 
 下に見えるのは、夜陰に浸かった肥沃な自然保護区。
 湖面に、金色のリングが煌めいている。空間をゆがめる力を持つ幻の超霊魔人のリングを夢エネルギーで再現し、改造を加えた特製ワープホールだ。ルカリオに続き、ウインディとチルットが急降下で飛びこんだ。

 数奇な因縁に導かれ、護り神セレビィの故郷に辿り着いた。
 ハイリンクの森。
 天球は薄紅色の霧一色だった。円形大広間のような草原は、鬱蒼とした原生林に囲まれている。草原の真ん中に泉が湧いていた。泉から生えた白と黒の二大樹は絡み合い、幹が螺旋の大樹となって天を突いていた。
 泉のほとりに、救護用ブースを思わせる大型テントが建てられていた。
 突如、一行が蜘蛛の巣にかかった獲物のように、空中に磔にされた。『サイコキネシス』。テントの入り口で番をしていた黒い獣の仕業だ。目が白濁し、唾液の泡を噴いている、色違いのブラッキー。
 テントの中から出てきた女性の眼は焦点がずれ、血走っている。
「ダッチェスに何をした!」
 ダークライが怒鳴り、ルカリオが同じく不快感を隠さずテレパシーで通訳した。

「便利なしもべでしょ。不良品にしてはね」
 女の身なりは薄汚れ、歩き方がおぼつかない。 
「ゾロアークの再生はコストがかかりすぎるから、やめたわ。メギナ・ロングの記憶だけ、サルベージしようとし、したのよ。わ、私とイーブイを使って、精神移植の実験を、でも失敗。大失敗!」
 可笑しさをこらえきれない、世間知らずな令嬢のように声を立てて笑う。
「聞くが、シレネさん。ダークライの被験者はどうした」
 フィッシャーが尋ねる。
「あれのこと? もうないわ」
 思い当たって答える口調は退屈そうだった。
「メギナ・ロングは人体を『夢の煙』の力で突然変異させて、携帯獣へ直接作り変える方法を見つけた。私の研究では再現しきれなかった。だから『シンクロ』をつなぎに使った。コストは携帯獣一体につき人間一体。量産できないせいかしら、パラディンは気に入らなかったみたい」
 と、急にあらぬ方向を凝視し、浮き立って喋り出した。
「分かってくれたのね、オルデン! 私達なら、エディを不老不死にしてあげられる!」

 フィッシャーは、幻覚を見ている被疑者を無感情に睨んだ。
 ウインディは、動揺していない被害者へ、食い入るように視線を送る。

「ダッチェス、やめろ!」
 エスパー技に抗える悪タイプの体をよじり、ひとり空中の拘束から抜け出す。
 急降下して突進すると、ブラッキーが躱したはずみに『サイコキネシス』が解けた。
(貴様らに従っていたのは、主君メギナを蘇らせる為。貴様の私欲に、我が主の研究を利用されてなるものか! 我が贖罪をなさん!)
 ルカリオが両手に気を込め、『ボーンラッシュ』のエネルギー棒を装備した。
「お前とチルットは、あの中調べな」
 フィッシャーはダークライとチルットを先に行かせた。
 ふたりが飛び込んだテント内はまるで手術室だった。ベッド型カプセルに男児が寝かされている。精密機器だらけだ。さしずめブラッキーに『サイコキネシス』で運び込ませたのだろう。チルットはおろおろとカプセルに張り付き、ダークライはオルデンから預かっていたロトムをモンスターボールから呼び出した。制御システム内部に潜り込んだロトムと共同で機械を操作した。
 待たせてすまなかった、エディ。
 兄貴分としての未熟さを責めながら、シャットダウンを開始する。


 ウインディの吐いた炎が青い月輪模様の黒毛をかすった。フィッシャーがミナトから預かったヌオー=留紺を先に片づけようと、色違いのブラッキーが『電光石火』のヒットアンドアウェイを見舞う。攻撃と防御を高める『のろい』の効果により、ぬるぬるした水色の皮膚がほとんど傷つかない。ルカリオの『波動弾』が横腹に決まった。しかし、ブラッキーの機動力は落ちない。
 かに思われたが、動きが止まった。映像が乱れる時のようなノイズが体中に起きた。
 ヌオーの『ストーンエッジ』が真下から突き上げた。
 地面に叩きつけられたブラッキーが、薄紅の煙と化して消えた。
 ルカリオがシレネに飛びかかった。取り抑えた体勢にフィッシャーが手錠をかけた。

 特性『ナイトメア』はエルレイド=クラウの元だ。特性抜きでは、意思に関係なく常時発動している、悪夢をみせる能力が減退する。苦しめる心配はない。チルット達を引き連れて戻ってきたダークライは、投薬で眠らされている男児を横抱きしていた。
 空間をゆがめるリングへ夢エネルギーを供給する装置は先ほど、止めた。
 閉じるまでにタイムラグのあるワープホールから、全員で脱出した。

 下層から上層へ浮上するかのように、ハイリンクの森の空から現実世界の湖面へ。

 薄明がただよっていた。
 行きと同様に空中を移動し、湖畔へ降りる。
「帰れないこと、知ってたのか? 金城たちは納得しないぜ」
 フィッシャーは煙草に火を点けた。一服し、ダークライの無言を埋める。
「見送りの数は、多いほうがいいな」
 ダイブボールから呼び出した、海遊の幻はフィッシャーの肩で触角をくねらせた。
 息子を奪おうともがく女の口を塞ぎながら、ルカリオがつれない素振りで情けをかける。
(言い残したい言葉もあろう。その者に伝えよう)

「ありすぎて、選べない。その気持ちだけで十分だ」
 人間時代と同じ色をした、青い瞳をおだやかに細めた。
 病み上がりのような寝顔のエディオルを、ポーカーフェイスのヌオーの腕に託した。
 チルットが担いでいるラルトスも、ロトムの抱く銀毛のイーブイも、眠り続けている。
 すり寄ってきたウインディの鼻筋を、名残惜しい手つきで撫でた。 
「今まで、ありがとう」

 全身にノイズが走った。
 痛みはない。体内の密度が小さくなり、透けていく。薄紅色の霧状の光をまとい出す。

 まだ消えたくない、というのが綺麗ごとではない本心だ。だとしても。だとしてもだ。エディオルやウルスラを放っておけなかった。まがい物の器で生き永らえるより、大切なものを失いたくない感情のほうが、自分に正直だった。好きで自分のなかの迷いに折り合いをつけて、好きで自分にできる事を妥協しなかった。だから今、後悔していない。
 意識が白く、塗りつぶされていく。雲の中にいるみたいだ。彼方から、抽象的な何かが近づいてくる。生まれる前に、その温かい生命力の持ち主と出会ったことがある気がした。眠くて仕方ない、だるい腕を上げる。軽く触れあうだけのハイッチをした。これでもう、大丈夫だ。そんな安心感で安らいだ。
 返しきれないくらいの愛情を貰った顔が浮かんできた。ファースト。オルデン先生。エディ。ウルスラ。銀朱たち。ロング警部。クラウ。ミナト。アイラ――
 みんながいたから、俺は幸せ者だった。
 
 霧状の光が、夜明けの澄んだ冷たい空気に溶けていった。
 ウインディが遠吠えした。
 光の消失と入れ違いに、ラルトスが目を覚ました。

 
 別れの灯篭のように、心の入れ替えを司る二対の触手の丸い先端が灯っていた。
 己の無力を責めるラルトスの慟哭は、最愛の人物がいってしまったと悟っていた。
 慰めようがない。葬列者のように佇むフィッシャー達は力不足を理解していた。
 もぞ、と揺れる感触がして、ヌオーが腕のなかを見る。
「うっ」
 と、寝起きでぼんやりしていたエディオルが吐きそうに口を押えた。

 指の隙間から、泥のようなものが溢れ出た。 

 恐ろしい早さで、木の幹ほどに太い凶器が生成される。ヌオーが殴り飛ばされた。
 ナックラーの顎型の先端の、触腕のような舌が男児の口から生え、のたくっている。
 国際警察本部が有する地下封印庫から盗み出された天災級危険生物、“Ultra Beast”。
「何年ぶりだてめぇ……やっぱあんたが犯人か、シレネさん」
 煙草を吹き捨てたフィッシャーが臨戦態勢を指揮した。放心状態のラルトスとフィッシャー、蒼海の王子の用心棒を務めるヌオー。エディオルを守るシェルターのように覆いかぶさるウインディ。黒い異形の舌に『メタルクロー』を打ち込むルカリオ。 
「融合が!」
 危機的に叫んだシレネの胴体を、悪食の舌先が挟んで持ち上げる。
 母親を凝視する顔部に飛びついたチルットが白い翼で、幼い目と耳を塞いだ。
 服ごと骨とはらわたが噛み砕かれる音。真っ二つになりそうでならない。
 蛇口を捻ったように噴き出した鮮血。赤く濡れた唇は微笑を浮かべていた。 

「ほらね、オルデン。人間は簡単に、死んでしまう」

 ばくんと、ひと飲みで、二つ折りになったシレネの姿が消えた。

 鋼の爪を乱舞させて切断した舌が、陸地で泳げない生き物のように跳ねた。
 男児から自立した怪物となって、ルカリオに食らいつく。強靭な足の折れる音。  
「おかあさん……!」
 焼けるような喉のままならない発音で、幼い求めを絞り出し、気を失った。

 共鳴したかのように、消えかけていたリングに異変が起きた。
 色が変わった。風を吸い込み、圧縮している。
 爆発した。
 湖の水が吹き飛んだ。一歩間違えば干上がりそうな、水位が減少する規模だ。時空ねじれの特異点から吐き出された、人影。虹が出来るには朝陽が弱い。視界を塞ぐ湖の白い噴霧にまぎれ、空中に舞い上げられている。ウインディの鼻は取りこぼさなかった。『神速』で跳び上がり、首の後ろにしがみつかせる形で受け止めた。
 ヌオーがわずかに口を緩ませる。フィッシャーが目を瞠った。
 フィッシャーの肩に乗る蒼海の王子が頭の二対の触手を灯らせ、喜んだ。

 滞空中、首を後ろにひねったウインディに、顔を舌で舐められる青年。
 振り回している尻尾と同じ色の、たてがみに埋もれながら驚きの声を発した。 
「ファースト!? 進化したんか、おめでとう!」
 なびくのは、長い金髪。輝かせたのは、青い瞳。
 整った容貌の右頬には、傷跡。
「今日が何年何月何日か、確認は後やな」
 着地に向かう空気抵抗を受けて、使い古しの赤ジャンパーが膨らんだ。
 弟同然のエディオルが湖岸に倒れているのを見下ろし、表情を戦闘へ切り替えた。

 切断面がぼこぼこと泡立ち、黒い悪食の異形の本体が再生しはじめた。
 放心から戻されたウルスラが狼狽し、手負いのルカリオが、見上げながら。
(いいえ! わたくしがお仕えしていた、あの方とは……違いますわ!)
(そなた、名は!)

「俺はキズミ・パーム・レスカ。ゼンリョクで行くで、ファースト!」
 バングルにはめ込まれている、菱形の赤いクリスタルが燦然と輝いた。

レイコ ( 2019/03/21(木) 10:52 )