NEAR◆◇MISS















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最終章
-6- 夜桜
 神殺しに挑むミナトらの武運を祈ることしかできない、眠れぬ夜。
 自分たちの知る世界が終焉するかもしれない。
 味方の誰かが命を落とすかもしれない。
 ――明け方まで、一緒にいさせて。
 アイラの頼みを断れる筈もなく、“彼”はふたりきりの散歩に応じた。
 アルスロトロメリア市内の自然公園。春の名所と人気の高い、並木道。
 肩を並べてベンチに腰を下ろし、曇天を覆う繊細な枝ぶりを仰ぎ見る。
 鈴なりになった蕾は色づいているが、まだ一輪も咲いていない。
 景観に合う色調の照明が、“悪夢”の力を憂う碧眼に光沢を出していた。
 アイラはこっそりと横目を流し、同じ方角の物見に巻き戻した後で言った。
  
「好き」

 白髪の毛先に渡って緊張する“彼”。
 その反応を知らんぷりし、頬の火照りを自制したまま涼しい抑揚で。
 どんな嘘をつくより高等な隠し布、裏の裏を行く本音の半分を続けた。

「桜の花。昔一度、見たきりだけど」

 そっちか。
 心の声をスイッチに、人型の黒い身がしゅんと脱力した。
 とても口外できない赤っ恥を、“彼”は不愛想に埋没させる。  
「見頃になったら、みんなでピクニックに来たいわね」
(できない約束は……)
 ネイティ=長老の集中特訓を受け、短期間で習得したテレパシー。
 元人間の素質は、夢の力で造られたゾロアークとの共通点だろう。
「できる約束なら、してくれる?」
 微妙な声色の沈みを聴き漏らさず、はっきりと“彼”は頷く。 
「ウルスラを、お願い」
(必ず、無事に連れ戻します)
「彼女を悲しませないで。私にとっても大切だから」
(それは難しいですね。あの好意に、俺は応えられないので)
 傷つき、傷つけるジレンマを恐れていては、成長できない。
 三角形の頂点の一つにずるずる居座る男になりたくなかった。
 甘えを撤去した誠実を重んじる断言は、残酷なくらい芯が強い。
 アイラは思わず、口調に目頭の熱い等身大が出しゃばりかけた。
「……まだある、でしょ。私の姉とあなたの体質がどこまで同じか……」
(その時は……)
「ご、ごめんなさい。こんな話、するつもりじゃなかったのに」
 “彼”は静かに首を振る。
 責める気持ちが無いどころか、踏み込んでくれた勇気が愛おしかった。
 失敗しない慰め方が見つからなくて、脈絡のない言葉に尊さを込める。
(あの、警部補。今まで、ありがとうござい――)
 異形の黒手に手を重ねて、灰色の瞳がじっと訴えた。
 手に異形の黒手を重ね返し、言い直す。
(ありがとう)
 瞼の弧にうずまる碧眼。
 こんなに優しい笑顔と、「私も」の返事は桁が釣り合わない。
 アイラはぐしゃぐしゃの心模様の言語化を見限った。
「一分だけ」
 肩にもたれかかり、睫毛のとばりを下ろした。
 素人の不安を覚えながら、“彼”は固い所作で栗色の髪をなでる。
 胸の中で一から数え、六十ちょうど。
 ゆっくりと離れ合い、何事もなかったという雰囲気の他者同士へ還る。
 微睡(まどろみ)の終わりを告げる時計台の鐘のように、アイラの携帯端末が振動した。
 
 
◆◇


 オルデン・レインウィングスの息子、エディオルが誘拐された。

レイコ ( 2019/03/09(土) 23:56 )