NEAR◆◇MISS















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最終章
-6- 流星
 ハイフェン・レストロイの寿命が近いことを知ったシレネは、ハイリンクの森の護り神の復活と夢エネルギーの枯渇を焦り、実験の予定を早めようとした。被験者である息子エディオル・レインウィングスの誘拐には成功したが、サーナイト=パラディンは寝返った。孤立無援で逃走中の彼女が、手段を選ばなくなるのは時間の問題だ。


 現実世界から少しずれた空間帯で結界に守られた、ハイリンクの森。森をはぐくむ力は、携帯獣の夢エネルギーから成り立つ睡眠世界『ドリームワールド』から供給されている。ドリームワールド最深部の『夢島』に根を下ろす『夢の樹』が供給路である。謎多き大樹からの莫大な夢エネルギー供給を絶つ間、ハイリンクの森の護り神、セレビィの神格は一時的に失われ、凡庸な幻獣へと弱体化する。
 妻の暴挙に先んじて『夢島』にアクセスしなければならない。未来世界で復元された通信装置に搭載されている『ゲームシンク』機能の稼働時間は長く持って、一日に一時間が上限。オルデン・レインウィングスは寝る間を惜しんで『C−ギア』の動作確認を徹底した。
 
 国際警察本部の特殊装備の研究と開発をおこなう部門がオルデンの職場である。残業をよそおい、同僚の研究員が全員帰路に着くのを待った。ロトムには、オフィスの監視カメラにダミー映像を流させた。
 未知の世界での安全は保障できない。転送者へのリスク確認を、オルデンは再三おこなった。ジョージ・ロングロードは怖気づかなかった。盟友として、しがない父親のひとりとして、オルデンを奮い立たせた。

 準備が整った装備開発研究部の実験室に、アイラが飛び込んだ。

「私を使って下さい!」
「お前は引っ込んでろ、アイラ!」
 恐ろしい剣幕で一喝する父ジョージ。
 エルレイド=クラウが辛い面持ちで『催眠術』をかけて、黙らせた。
 目を閉じて脱力した巨漢を、クラウが肩を支えて、手近な椅子に座らせる。
「お願いです。失敗できないならなおの事、私が適任です!」
 この非常時に、経験も年齢も、関係ない。
 姉メギナの残留思念は消えずに、潜在意識の奥深くに閉じ込められている。夢エネルギーから生まれたゾロアを特性『ナイトメア』で揺り起こせば、『C-ギア』の機能と併せて、夢世界へ接続を強固にできるかもしれない。

「アイラさん、よく考えてください。二度と帰れないかもしれないんですよ」
「二度と帰れない覚悟は、私の部下も同じですから」

 灰色の瞳を圧し返せる説得力を、丸眼鏡越しの眼差しは持ち合わせていない。
 クラウが『スキルスワップ』で、特性『ナイトメア』を預かっていた。
 両手で手を握りしめる無二のアシスタントへと、アイラは勇気を持って告げた。 
「心配しないで、大丈夫よ」



◆◇



「大丈夫?」

 呼ばれて、起き上がったアイラの肩に、ゾロアが跳び乗った。

「お姉ちゃん……」
「成功したみたいだね」

 歴史改変前と改変後では、夢世界が変質している。送り込んだアバターを操縦して探索する『C-ギア』の機能が適用されない以上、現実世界から直接侵入せざるをえない。転送した人間の精神は現地で夢エネルギーにより半実体化される。
 
 ここが、夢の世界で最も現実世界に近い空間座標、『ホーム』なのだろう。
 『C-ギア』の動力源を務めるフライゴン=ライキの夢が具象化された小拠点。
 小屋が一軒立てば埋まりそうな広さの、空をただよう草木の生えた小さな島だ。
 寒いとも空気が薄いとも感じないが、下は雲海になっていた。
 手前から奥に向かって空の色が朝、昼、夜のグラデーションになっていた。
 メルヘンと言えばいいのか、オカルトが適切なのか。表現に悩む光景だった。

 小島からのびている虹の架け橋の終点に、巨大樹の植わった空中島が見える。
 夢エネルギーの巨大結晶集合体――『夢島』に違いない。

「また会えて嬉しい。でもごめん。ゆっくり話していられないの」 
「あんたの目的は知ってる。急ごう」
 ゾロアは小島に生えていた木の実を一つ、口でもぎ取った。
 虹の上を歩けるのかというファンタジックな疑問を、率先して解決してみせた。
「手伝って……くれるの?」
「ただの好奇心。元研究者として、こんな機会のがせない」

 アイラは苦笑いして、目を落とした。
「お姉ちゃん、ごめんね。私が馬鹿な妹で」
「それ嫌味? 年の離れた姉はもっとしっかりしろって?」
「そんなこと言ってないのに」
「そう聴こえる。あたしへの恨みが言い方に滲み出てる」
「じゃ、そうかも」
「あ! 言ったなー、ガキ」
 ゾロアがふんと鼻を鳴らす。
 アイラは、ふさふさ揺れるたてがみに昔を重ねた。
「家を出る前のお姉ちゃん、髪が長くて綺麗だった」
「何言ってんの、ばっさり切って短かっただろ?」
「嘘! 私、覚えてるもん!」
「絶対、間違い。小さい子の記憶なんか、あてにならない」
「お姉ちゃん、こんなに性格悪かったんだ」
「あんたこそ、昔のほうが可愛い妹だった」
「私、可愛い妹じゃなくなった?」
「姉に口答えできる妹、に成長したかな」
 
 虹橋の上の雑談をまじえた並走が、橙色の空に差しかかる。
 夜の色でかすんでいた空中島の全貌が、葉や幹の色の判別がつく距離に入った。
 大樹の表面を走る蔦状の白と黒の模様に、めざとく注目したゾロアが言う。  
「ハイルツリーが寄生してる」
「セレビィと関係あるのかしら」
 アイラはそう答え、樹の上空に一番星を見つけた。 

 星――ではなかった。
 淡く光る泡に密閉され、身体を丸めている目を閉じたポケモン達。
 何千ものランタンが舞い上がっているかのような、夜の領域に到着した。
「なんだか、ホルマリン漬けみたい。みんな……眠ってるの?」
「たぶんハイパースリープ。データ化されたポケモンの休眠状態に近い」
 ゾロアは所在なく彷徨う泡の中の獣たちを見つめたまま、呟いた。
 『夢島』に踏み込んで数歩、ゆらっと正面を塞がれた姉妹は驚愕した。
「あんた!?」
「パラディンさん!?」

「アイラさん!? どうやってここに!」
 アイラを抱擁しようとしたサーナイトの体が、ホログラムのようにすり抜けた。
「そうでした……今の僕は、幻でした」
「どういう事ですか? パラディンさんはミナト君達と一緒じゃ……」
「マナー違反ですが、ちょっと失礼しますね。考えを読ませてもらいます」

 サーナイトが、灰色の瞳の奥を見つめる。二秒とかからなかった。

「把握しました。僕はコードネーム『パラディン』。改変前の世界の国際警察官です」
 自己紹介をしたサーナイトの目元が、にっこりとした。
 笑うとクラウの顔つきにそっくりで、アイラはふっと息を飲む。
「『時渡り』の現場にいました。ハイリンクの森の住民も巻き添えで、精神だけがこの閉鎖世界に飛ばされたみたいです。アイラさん達も、僕たちよりは影が濃いですけど、精神体ということは……やっぱり、この世界の変質は深刻なのですね」
 見てください、と緑色の指が『夢の樹』を差した。
「セレビィの浸食で、この樹はエネルギーを送り続けてます。まるで機械です」
 利発な紅の瞳は、揺らぎの芽生えた女刑事の目的を見透かしていた。
「壊れた理を正すために、来たんですよね?」

 携帯獣がみる夢のエネルギーで構成された世界だ。異生物である人間を実体化させるエネルギー総量は、巨大クレーターを作る隕石の密度に相当する。携帯獣の一存が海に雫を垂らすようなものだとすれば、人間の一存は海水を干上がらせ、生態系を壊すこともできてしまう。

「あなた達は、どうなるんですか」
 冷え冷えと予感がしながらアイラが尋ねる。
 サーナイトは遠慮がちに微笑んだ。
「無期限待機から解放されて、楽になります。東洋の宗教語でいう、成仏です」

 返事が、何も浮かばなかった。

 ゾロアがぴんと耳を立てる。
「アイラ、ネイティの声だ」
 フライゴンのバイタルが危ないと言っている。 
「たしかに、一回昏睡させて“夢”を喰らったから、痕跡をしるべに……あの野郎とまた心をつなぐのは癪だけど、仕方ない。帰り道の確保はあたしらに任せて、アイラは自分の仕事に専念しろ!」
「僕も手伝います!」
 両名にせかされて、アイラは走った。
 極太の根本が身長の高さ近くまで、地上に露出している。
 パラディンの案内でテントのような三角形の根の隙間に、木の実を供えた。
 跪いて手を組み、瞼を閉じる。祈りを捧げる。
 『夢の樹』とセレビィの悪縁が切れますように。
 肝心なのは強い想いだ、と父が言っていた。
 アイラの手を、パラディンが重ねて握った。
 肌の重みの感触はない。クラウの手と同じ大きさの、同じ温度だけがあった。

 特性『シンクロ』が増幅する。

 冷凍睡眠にある夢世界の住民が、呼応した。
 丸い者。細い者。尖った者。毛深い者。走る者。泳ぐ者。飛ぶ者。燃える者。黄色、赤、緑、桃色――多種多様を閉じ込めている泡が光りだし、打ち上げ花火のように連鎖的にはじけていく。光の粉が降りかかった部分から白い炎が上がり、『夢の樹』が包まれていった。

 真夏の太陽より激しい輝度に、アイラは直視を細めていた。
 自分はただ、祈っただけ。
 たったこれだけの、誰にでもできそうな役割。それを果たす人間が訪れる日を。パラディンは孤独に、生か死かも分からない虚無を背負いながら、待ち続けていた。時間の概念の曖昧な牢獄から消えゆく彼らにも、何もしてあげられない。
「ごめんなさい。来るのが遅くて」 
 謝る少女に、サーナイトが優しく首を横に振る。
「一つだけ、お願いを聞いてもらえませんか」

 なんでも聞きたい。アイラの心情は乞うように前のめりになった。

「彼に伝えて下さい。僕の本名。全部終わったという約束は、守れそうにないので」
「彼?」
「もちろん、僕の一番の親友であなたの大切な、あの彼ですよ」

 テレパシーが、名を告げる。
 見開いた灰色の瞳が、絞られて、潤んだ。
  
「……うん。必ず」

「アイラ!」
 黒い仔狐の体が、すとっ、と足元に降り立った。
「接続は不安定だ。橋を渡って『ホーム』へ!」
 白い炎の延焼に、夢島が飲み込まれていく。夢島が焼失したこの世界は、エネルギーの法則性が乱れて一旦崩壊する。供え物の木の実が結晶核となり、夢の樹と夢島が新生し、空間が再生して寄生樹が生え変わるまでの経過を、現実世界で換算した時間が、弱体化したセレビィ討伐のタイムリミットである。
「あたしは……こっちに残る。正真正銘の、お別れだ」
 姉が、消滅の道を選んだ。
 涙声を抑えることは、妹として出来なかった。
「お姉ちゃん。どこかで……オハンに会えたら、よろしくね」

「会えたらね。ほら、さっさと向こうへ帰りな!」
 
 振り返りたさを堪えている背中を送り出し、手を振るサーナイト。
「さようなら、アイラさん! ずっとずっと、いつまでもお元気で!」

 メギナは、隣を見上げた。
 どこまでも誠実で、無垢な、天使みたいに気の良い間抜け面。
 怖くない。寂しくもない。
 生き様にけじめをつける正念場で、隣にいてくれるのがこの彼で良かった。
「あんたに惚れたのは、この瞬間のためだったのかもね。パラディン」


 大気が振動している。
 橋がたわみ、消え始めた。無を踏み抜いた。ホームの縁に手が届かなかった。
 真っ逆さまに落ちるアイラは、空中で、翼を持った腹と細い腕に受け止められた。
「ライキ!」


◆◇


 アイラが飛び起きた直後、『C-ギア』が壊れた。
 治療中である身を酷使したフライゴンは疲労困憊となり、モンスターボール内で絶対安静を余儀なくされている。力を使い果たしたエルレイドとネイティはぐったりしている。国際警察が管理する職員用レンタルパートナーであるデンリュウは不安で涙を浮かべ、同僚のラグラージが背中をさすり励ましていた。
 妹を帰還させるルートを確保した姉が父親の精神にかけた負担は、大きい。
 メギナに全エネルギーを託したジョージ・ロングロードの意識が戻らない。
「ロングさん、ロングさん!」
 オルデンが肩を揺すって呼びかけるも、反応がない。衰弱して、危険な状態だ。
 副作用の強い頭痛も吐き気も、アイラを診察台に縛りつけておけなかった。

「罪滅ぼしのつもり!? バカにしないで。こんなの逃げよ。負い目があるなら、地道に私とみんなからの信頼を回復して! 自分の父親を、また大嫌いにならせないで。生きててくれてありがとうって、思わせてよ。起きてお願い、パパ!」

 痛みを与えて無理やりにでも目を開けさせようと、鎖骨下を殴るように叩いていたアイラを、慌ててクラウが引き離した。皆で、声を殺して容態を見守った。短いうめき声と咳き込み。生気なく閉じられいた瞼が薄く広がる。
 永遠の昏睡に堕ちる寸前だった男が、からくも戻ってきた。
 オルデンが安堵の息を漏らし、クラウ達は歓声をあげた。
 唇を引き結んで胸の上に突っ伏した娘の頭を、おぼつかない父の手が撫でた。

レイコ ( 2019/03/09(土) 23:56 )