NEAR◆◇MISS















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最終章
-5- 氷空
 時神、空神と三つ子の反物質を司る神ギラティナは、現実世界の裏側に君臨する――
 儀式で生み出された守護霊は伝説の冥龍をかたどり、その模擬能力で鏡を出入口とする独自の巣を作り上げていた。昼も夜もないどんよりした暗色が全天をめぐり、大地と呼べる部分は狭く、宙に固定された浮き島は重力がゆがみ、逆さまや垂直に歩くこともできる。大小さまざまな漂う泡には多様な景色が映り、空間座標のほぼ一致する現実世界の鏡面と対応していた。掟破りのやぶれた世界、と異名がついて差し支えない。次元のずれた異空間内であれば、戦闘の被害を最小限に食い止められるだろう。人類滅亡の阻止を目的として結ばれた同盟の読みは外れていないが、現地に赴いたメンバーであるレストロイ親子の一派およびパラディン対、森の護り神の攻防戦は緊迫している。
 
 眠りに囚われたセレビィ本体を心臓部とする巨神、セレビィゴーレム。
 意思なき破壊に特化した『リーフストーム』の鎧、怪物的な自己防衛の成れの果てだ。節くれ立った双角、皮膜のない竜翼、深海魚の退化を彷彿する消失した両眼。邪悪な外見に、優美だった妖精風の触角や翅の原型が奇しくも反映されている。
 ハイフェン・レストロイ卿は象とネズミの体格差を一笑し、総力戦にそなえていた薄紫色の従者たちに向かって軽快に指を鳴らした。マスゲームさながらの集団『変身』で一城を築くに足る頭数の軟体に群がられ、人とメタモンの間に生まれた世界有数の霊能者が“心臓部”を担う。写し取った姿と力は、以上も以下もない完璧な互角。どちらが本物か見失いそうな二柱の競り合いを、ミナトはこれが映画の撮影なら踏み潰されている一般人のエキストラ視点で逃げまどっていた。
「下見て歩け、クソジジイ!」
 悪態は、偽ゴーレム化した父親に聴こえていないらしい。ただの無視なら最低だ。
 でたらめな足踏みで短い地震が起こされるたび、よろけて動きづらいのが苛々する。
 腰にからみついてミナトのウエストポーチ状態を選ぶ、風船をやめたフワンテ。
「手前のデカブツの足を狙え! 雄黄(ゆうおう)、冷凍ビーム!」
 共に逃げるエンペルトに、薄霧をまとう青白い光線を撃たせた。
長春(ちょうしゅん)、あいつ様子が変だ。守ってやれ!」
 ミロカロスを伴走から外し、膝をついたまま動かないサーナイトの元へ向かわせる。


 急行で着いたが、聖騎士の内側で起きている重態を感じ、長春は物憂げに囁いた。
 気絶から覚めるかのように汗ばんだ瞼がひらき、優しく高貴な瞳をした彼が答える。
「なるほど、応急処置か……しかし、私のモンスターボールはここにはない。その身を守り抜く誓いとして、メギナに託した。これも、何かの因果だろう……心は私のものだが、命は彼女のものでもいい」
 苦しげに一呼吸おき、続ける。
「君は美しいな、長春。世界一と称される麗竜にふさわしい。私はかつて人間を学ぼうと、宗教の知識も得たが、神への信仰心は理解できなかった。死して迎え入れられるという、楽園や天国の類も。今は、考えが少し変わった……君のように美しい場所ならば、見てみたい気がする。その新天地こそ、我々が種族を越えて共存できる、理想郷なのかもしれない……」
 伝え終えると、決意を秘めた紅の眼を瞑る。偉大な力を与える光が白き体躯に満ちた。


 セレビィゴーレムの足は凍らされ、胴体はムカデ状のオリジンフォルムに締め上げられている。十年前にセレビィから呪いを受けたレストロイ家当主の寿命は近い。生気に感応する守護霊ギルガルドは主君の霊力の温存をはかろうと、冥龍の一部となることを受け入れた。統率に精神力を使う野生ゴーストたちや心優しく仕えたメロエッタ、当主を恋慕うムウマージとユキメノコたちも現実世界に残された。冥龍があごを広げてエスパーの弱点である霊技を仕掛けたが、枯れ葉の山を荒らすように乾いた植物片が散らばるだけで、すぐに寄り集まって再生する。報復で『ヤドリギの種』を植えつけられ、緊縛状態が逆転した。このままでは、この空間の維持者がじわじわとなぶり殺しにされてしまう。
「ったく、この状況でオレにどうしろってんだよ!」 
 セレビィの本体にとどめを刺せ、と。
 事前に取り決めた役割分担で、一方的に父親から無謀を押しつけられていた。
 アイツの息子ってだけで人生大損してる、と毛嫌いを募らせる心に念話が届く。
  
(遅れを取り、申し訳ありません)
「パラディン、大丈夫か!?」
(これより奥の手を使い、荒神の魂を鎮めます。ミナトさんも、お覚悟を)

 沁み出したミナトの感情は、どろりと粘着質だった。
 どいつもこいつも、無かった事にしたい人の過去を蒸し返しやがって。
 孵化前のタマゴの魂を剣で奪う儀式に疑問を持たなかった幼心には、戻れない。
 やるしかないのか、本当に。特殊警棒、トランツェンのグリップに指をかける。 
(だらしねえな、ミナト。発破をかけてやろうか?)
 レストロイ卿が唇の端を上げる高慢な気配まで、テレパシーは運んできた。
(オレが大事なのは雨音(あまね)だけだ。別に産んで欲しくもなかったガキを命に代えて愛した雨音が不憫でならねえから、仕方なくお守りしてやってるんだ。器になったお前が人並みに生きられれば良し、お前の死後、神の魂の封印が解けて世界がどうなろうと知ったことか)
「国際警察で『シンクロ』を鍛えさせたのは、てめえなりの思惑があったのか」
(ジョージ・ロングロードを信用してなかった。というか、今も信用できねえな。いずれあの刑事は消すつもりだった。あっちの計画は魂の完全な融合。こっちはお前の人格を残す、魂の同居。どうだ、良心的だろ?)
「この……」
(ミナト)さま)
 怒りで震えるミナトの拳に、フワンテのハート型の手が添えられる。
(湊さまが守護霊ヒトツキのイチルをお創りになられた時、付喪神になりそこなった魂の欠片が固まって、イチリになりました)
「ああ、聞いた。でもだからって……」
 レストロイ卿の高笑いが脳内に食い込み、頭痛を引き起こした。

(そいつはただのフワンテだ。死者は蘇らない。よく覚えとけ)

「……分かってる。言われなくても分かってらぁ、そんなこと」
 グリップをきつく、握り直した。
「どうなっても知らねえぞ、イチリ!」
(ぷわわー!)
 伸長した特殊警棒を先端から、紫色の風船霊が丸ごとバクンと頬張った。  
 刹那、青い妖炎が燃え上がる。鎮火の名残の燐光が舞い、鋼の艶を照らす。
 刑事としての半生を語るに欠かせない護身具を依り代にした、異色のヒトツキだ。
 変化(へんげ)は長く持たないだろうが、持久戦に持ちこむ気はない。ミナトの霊感が急転直下を察知した。セレビィの生命力が一足飛びに弱まっている。パラディンが身を粉にして劣勢を巻き返しているのだ。父ハイフェンの化身が鋭利な両指を、ほぼ活動停止している巨神の胸部に突き刺し、力押しでこじ開ける。「雄黄!」呼びつけたエンペルトの背に乗り、『アクアジェット』で離陸する。干し草の塊を引きちぎったような裂傷の奥、大空洞にひそむ本体を鋭い視力で捉えた。パラディンの精神攻撃が効いて細胞を老衰させているのだろう、茶色くしなびた球根としか言えない醜怪さだった。
 あれの仮の姿が元アシスタント、ネイティ=麹塵(きくじん)
 どんな思い出も、別れというものは平等に抱きしめる。
 光速で映写された神経のはからいに、歯を食いしばった。
「あばよ、相棒!」
 柄頭につながる刀彩風の青布を左手に掴んだまま、右手で霊剣を投げつける。 
 特性は百発百中の、『ノーガード』。
 猟奇的な音、そして感触。
 布は飛行機雲状に長く伸び、切っ先がセレビィの中心の一点を貫いた。
 聞き間違えるはずがない小鳥の、吹っ切れたような笑い声が聞こえた気がした。幻聴かと確かめる暇もなく、欠片たちの生前あげられなかった産声の大合唱がミナトの音感をつんざいた。ヒトツキに宿る魂の爆発的な浄化に、弱りきった神の魂が巻き込まれていく。『道連れ』からのがれる余力はない。父に焼き滅ぼされる間際、にっこり笑ったニダンギル=イチル。その後を迷わず追おうとしている奇妙な縁の双子、変化(へんげ)したイチリ。先端が四又に割れた青い布は、人の手の形に似ている。不意にミナトは、イチリには人間の魂も混じっていたことを思い出す。その影響で『シンクロ』や際立った才能を持たずとも、流暢にテレパシーを使いこなせていたことも。使命の終わりが近づくにつれて憑依がほころび、元の警棒に戻っていく。左手を握り返している霊布が蛍火となって旅立つ直前、一瞬だけおぼろな女性の手に見えた。
 
「母さ……?」

 『ソーラービーム』の閃光と爆音で、瞬間的に五感が混ぜこぜになった。
 降下の実感がないまま、ミナトは地上から高所を見渡す目線に帰ってきた。
 氷晶のごとく煌めく粒子へ分解されて昇ってゆく、セレビィゴーレムの消滅。
 その最期のあがきを受けた瓜二つの変身体が、全身から業火を噴き上げている。
 雄黄がミナトを抱え、灼熱の落下物や倒壊の下敷きになる危険をしりぞけた。
 父とメタモン達は沈黙を守り、元から遺骸のような静かさで灰になっていく。
 ヤドリギに屈した冥龍の体も透け始め、切なげに炎を看取りながら目を閉じた。
 ミナトは言葉が出なかった。
(退避して下さい!)
 パラディンの切迫したテレパシーが、維持者を失った異空間の崩壊を予告した。
 誰の仕業か分からない『サイコキネシス』でミナト、エンペルトとミロカロスが吹き飛ばされ、大型の泡にねじ込まれた。鏡面からはじき出された現実世界。朝露に濡れた柔らかい花々が彼らを緩衝した。かすかな霊気の源へ取って返すと、甘く良い香りにかまっていられない殺伐とした顔を、澄んだ泉が反射する。まだ残っていた暗色の波紋へ手を突っ込んだミナトに、エンペルトとミロカロスが組みついた。二体がかりの制止を振り切れる訳もなく、がむしゃらにしぶきを上げる。波と波がぶつかり合い、激しく白いあぶくが立つ。ばしゃんばしゃんと無作法な音がほとばしり、沈殿物が舞い上がり、清らかな水が濁ってゆく。
「オヤジ! パラディン! くそ、くそっ!」
 すでに、ただの泉だ。
「なんだよ、これ……数が、生け贄一人どころじゃねえよ……」
 びしょ濡れで雫を垂らしながら、ぼうっと座りこんだまま現在地を調べた。
 夜明け色の地平線と鉄道が通る街を見下ろせる、高台に位置した小さな花畑。
 一面に満開している、自生とおぼしき華やかな赤みが強いピンク色の六弁。
 その名称は広く知られている。
 花言葉は、感謝。
 突然わめき、ミナトは手あたり次第に折り取って泉に投げ入れた。
 狂った勢いで散らされてなお、小暗い水面にたゆたう姿は美しかった。

レイコ ( 2019/03/04(月) 17:35 )