-5- 氷空
反物質を司る冥竜神ギラティナは、現実世界の裏側に君臨すると言い伝えられる。
儀式によって生み出された守護霊竜は、疑似能力で鏡を出入口とする独自の巣を作り上げていた。青黒い宇宙空間のような世界に、小さな浮き島が点在している。重力が歪んでおり、地面を逆さまや垂直に歩くこともできる。眼下は真っ暗で、奈落の底まで続いているかのようだった。
国際警察を中心とする連合は現実空間から外れたこの亜空間帯を、最終舞台に選んだ。
レストロイ父子の一派およびパラディンと、森の護り神の戦争は緊迫していた。
眠りに囚われたセレビィを心臓部とする破壊の化身、セレビィゴーレム。
褐色の『リーフストーム』が集まって出来た巨神の外観には、節くれ立った双角、皮膜のない竜翼など、優美な緑の妖精姿の触角や翅の面影がある。セレビィの肉体復活の苗床されたハイフェン・レストロイ卿が、植え付けられたヤドリギの種に養分を吸い尽くされた成れの果てだった。
一城を築くに足る頭数の紫色の従者たちが、主君の最期の命令をまっとうする。集団『変身』で結合し、巨神の姿を能力を複写した。以上も以下もない完璧な互角。どちらが本物か見失いそうな二柱の競り合いが、衝撃波を生む。ミナトは振り落とされないよう、不安定な浮き島にしがみ付いていた。
「加減しろ、クソジジイ!」
悪態は、ゴーレムと化した父親に届かない。
「手前のデカブツの足を狙え! 雄黄、冷凍ビーム!」
エンペルトに、薄霧をまとう青白い光線を撃たせた。
「長春、あいつを守ってやれ!」
ミロカロスを、膝を折って苦痛に耐えているサーナイトの元へ向かわせた。
セレビィゴーレムの『破壊光線』が、レプリカゴーレムの頭部を消滅させた。変身中のメタモンたちが捨て身で気を引いていた間に、巨神の足がエンペルトの技で凍りつき、動かなくなった。巨神の首に、百足のようなフォルムの守護霊竜が巻き付いて締め上げた。力尽きかけている守護霊ギルガルドは、すすんで守護霊竜に吸収され、力を与えた。レストロイ当主の配下であるゴーストたちや、当主を恋慕うムウマージとユキメノコが、当主の言い残したとおりに集中砲火を浴びせる。守護霊竜が二重構造のあごを広げ、エスパーの弱点であるゴースト技を仕掛けた。しなびた枯れ葉の山を蹴荒らすように外側の鎧を散らばらせたが、中枢への大打撃とはならなかった。
散乱した植物片が集まり、与えた損害が修復される。
報復で『ヤドリギの種』を植えつけられた亜空間の維持者が、緊縛下でなぶられる。
うずくまっていた隻腕の聖騎士が、ミロカロスの力で癒された。
(遅くなりました……これが、最後です。ミナトさんも、お心の準備を)
凛然とした真紅の瞳が、汗ばんだ白い体躯が、神々しい淡い緑光に包まれた。
短い気絶のあいだに、何があったか知らないが。
天体一つをブラックホールに沈められそうな、絶対的神格を感じる。
サーナイトの身になんらかの異変が起きたことを、ミナトは看破した。
「今さら、クソジジイに情けをかけたりするかよ!」
特殊警棒、トランツェンのグリップに指をかける。
レストロイ卿が愛したのは、妻であって我が子ではない。亡き妻の想いを尊重して我が子を生き永らえさせようとした。そのために施設へ放り込み、国際警察の最新教育下で『シンクロ』の腕を磨かせた。我が子の心に関心はなく、我が子の肉体を、神の魂を憑依させる容器としか見ていなかった。
それだけの男だ。
ミナトの手に、フワンテのハート型の手が添えられた。
(イチリは湊さまにお仕えできて、幸運でした)
警棒のグリップをきつく、握り直した。
「その幸運、過去形じゃなく現在進行で頼むぜ」
(ぷわわー!)
伸長した特殊警棒の先端を、紫色の風船霊がバクンと頬張った。
刹那、青い妖炎が燃え上がる。鎮火の名残の燐光が舞い、鋼の艶を照らす。
国際警察官の必須護身具を依り代にして変化した、異色のヒトツキ。
中核のセレビィが夢から覚める前に勝負をかける。サーナイト=パラディンは『ムーンフォース』の巨大槍を、隻腕で投げこんだ。死力を尽くして精製した武器が巨神の胸に深々と突き刺さった。生き残ったメタモンたちが再度『変身』したレプリカゴーレムが力ずくで巨神の胸部の穴を、裂き広げた。
「雄黄!」と、呼びつけたエンペルトの背に乗り、ミナトが『アクアジェット』で離陸する。干し草の塊を引きちぎったような裂傷の奥。大空洞に漂う本体を発見した。元アシスタントのネイティ=麹塵を依り代としていた魂の持ち主は、『夢喰い』で消耗させられ、茶色くしなびた球根のような醜怪な状態だった。
瞼の裏に音速で連写された思い出を、ミナトは胸の中で平等に抱き締めた。
「あばよ!」
柄頭につながる刀彩風の青布を左手に掴み、右手で霊剣を投げつける。
特性は百発百中の、『ノーガード』。
猟奇的な音、そして感触。
剣先がハイリンクの森の護り神の眉間を刺し貫いた。
聞き間違えるはずもない豆鳥の、吹っ切れたような笑い声が聞こえた気がした。
混合から解かれた魂の断片の大合唱がミナトの音感をつんざいた。ヒトツキに宿る魂の爆発的な浄化に、擦り切れた護り神の魂が巻き込まれていく。『道連れ』からのがれる余力はない。断末魔の『ソーラービーム』が、レプリカゴーレムへ放たれた。
あれは夏の終わりだった。父ハイフェンの手にかかり、焼き滅ぼされたニダンギル=イチルがにっこり笑ったのは。守護霊だった双剣の後を、元フワンテ=イチリが追おうとしている。先端が四又に割れた青い布は、人の手の形に似る。ミナトは、イチリには人間の魂も混じっていたことを思い出した。その影響で『シンクロ』や際立った才能を持たずとも、流暢にテレパシーを使いこなせていたことも。終わりが近づくにつれて憑依がほころび、元の警棒に戻っていく。左手を握り返している青布が蛍火となって旅立つ直前、一瞬おぼろな女性の手に見えた。
「母さ……」
エンペルトにおぶわれて、遅い重力で高所を見上げる浮き島の一つに不時着した。
セレビィゴーレムが透けてゆく。
氷晶のような煌めく粒子へと分解され、天へ昇ってゆく。
レプリカゴーレムは音を立てずにのけぞり、倒れ、静かに灰になっていった。
力を使い果たした守護霊竜が、奈落の底へ落ちていきながら目を閉じた。
(逃げて!)
パラディンの切迫したテレパシーが、亜空間の崩壊を予告した。
気が付くと、ミナトは、エンペルトとミロカロスとともに倒れていた。
誰の技とも分からない『サイコキネシス』に吹き飛ばされたのが、最後に覚えていることだった。広がっている空が、現実空間の色をしていた。露に濡れた柔らかい花々。かすかな霊気をたどる。甘くやすらぐ香りにかまっていられない焦燥の顔色を、清らかな泉が反射した。手を突っ込もうとしたミナトをエンペルトとミロカロスが取り抑えるうちに、残りわずかな鏡面の波紋は沈むように消えていった。
がむしゃらに引っ掻き回す。沈殿物が舞い上がり、澄んだ水が濁っていった。
「オヤジ! パラディン! ちくしょう、ちくしょうっ!」
すでに扉は閉ざされ、ただの泉に戻っている。
「これで、本当に、良かったのかよ……!」
夜明けの水平線と線路を見下ろせる、高台に位置した小さな花畑。
一面に満開している、自生とおぼしき赤みが強いピンク色の六枚の花弁。
感謝の気持ちを伝える花として、その名を知られている。
突然わめき、ミナトは手折った一輪を泉に投げ入れた。
乱暴に散らされてなお、小暗い水面に浮かぶ花弁は美しく色づいていた。