-1- 無人島
ジョージ・ロングは嘘をついていた。どこに敵の監視が潜んでいるか分からない以上、今後の勢力図を左右しうる情報を口軽に漏らすのは愚策だからだ。金城湊は、実は国際警察に移送も拘留もされていない。ミナトの身柄がアルストロメリア警察に押さえられた直後に、レストロイ当主に仕えるメタモンの一体がミナトとすり替わった。それを指揮したポワロ・フィッシャーとフワンテ=イチリだけが、ミナトの真の移送先を教えられていた。
書類に記載されないグレーな渡航を経て、ミナトは遠く離れた地方のとある無人島へ隔離された。その島は海神を信仰する由緒ある神社の御神体であり、島全域が禁足地なのだ。唯一立ち入れる宮司の梅雨子は、ミナトの母方の血のつながらない祖母である。人生初の対面は冷えきった雰囲気に終始し、ミナトは状況が飲みこめないまま、一切質問に答えてもらえないまま、いかなる理由があろうと島外へ出ることを禁じられた。
有人の本島は遠泳に自信があれば渡れなくもない距離に見えていたが、あえなく見張りのキングドラ達の『渦潮』に妨害された。無人島の周辺には義祖母と“北風の使い”の力を掛け合わせた強力な蜃気楼の結界が張られており、外部に助けを求めることはできない。本島からこっそり通っていた旧知のガブリアスも、義祖母に見つかって折檻されてからというもの、姿を見せなくなり、本島からたまに悲しげな遠吠えを響かせるだけとなった。
三日に一度のペースで、生活物資の供給とゴミの回収のために義祖母の遣いのマンタインが浜にやって来た。もしそのサイクルが途絶えたとしても、この無人島はサバイバルに向いている。気候は温暖で、食料は磯では貝や甲殻類、内陸では食用にもバトル用にもなる木の実がたわわに実っている。のんびり昼寝をしている野生のトロピウスからは、首に生っている甘い房が取り放題だ。島の中央部にそびえる荒々しい岩山には、真水も湧いてた。
ミナトは海岸が見える岩場の洞窟を寝床に選んだ。壁に硬い石で印を刻み、日付感覚を鈍らせないようにした。アルストロメリアでは冬が過ぎ、早い春に差しかかっている。親友。上司。ガーディ達。今頃どうしているのだろう。腕を組んで枕にして寝転がるたびに、皆の顔を思い浮かべた。レストロイ城での監禁生活と比べれば、光も風も緑もある無人島生活はまるでリゾート地だった。見てろ、必ずあいつらのところへ帰ってやる。と、ミナトは自由の身になるチャンスを虎視眈々と狙っていた。
島にひょっこり現れたネイティから、“種明かし”されるまでは。
クソみたいな陰謀に、自分や周りが巻き込まれていたと知った。人間、脳がキャパシティを越えてブチ切れると心が一周回ってどうでもよくなり、怒らないでやるから二度と目の前に現れるなと拒絶を突きつけ、少し時間が経つと、何もかもが嫌になり不貞腐れることしかできず、現実逃避で二十四時間の単位の浪費をだらだらと繰り返すことしかできなくなるのだ。と、惰性で三日目の印を壁につけたミナトは半分人ごとのようには振り返る。自他ともに認める陽気でバイタリティ溢れる人格を打ち砕かれ、その残骸を作り直すモチベーションは簡単には見つからなかった。
退屈という感情がようやく芽生えたミナトは、朝釣りに出掛けることにした。竿を担いで寝床の洞窟から出ようとし、出口で立ち尽くした。久々に、自分の体のどの位置に心臓があるかを思い出した。
これは幻か?
と、のっぺりした青い顔についた黒い二つの点目を、注意深く睨む。
本物だ。そう確信したミナトは竿を投げ出して駆け寄った。
「留紺!」
ミナトは抱きつこうとしたが。
ゆるいほほ笑みのヌオーに、横っ面をぶん殴られた。
頬を蝕む鈍痛が、無沙汰になっていた社会生活の復活のように感じる。
「怒んなよ! 急に消えて悪ぃ、でもオレもワケ分かんねえことばっかりだ!」
(喜べ、レストロイの息子。おぬしの使命は失われたぞ)
ヌオーの後ろからぴょこっとテレパシーの主が飛び出してきた。
「消えろ!」
ミナトが剛速球で投げつけた石ころは、『テレポート』でかわされた。
呆れ顔のネイティは安全なヌオーの頭に移り、やれやれと羽をすくめた。
(これ、乱暴はよさんか)
「使命!? ただの敷かれたレールだろうが!」
(とにかく、わしらが争う理由はない……他の者はおぬしが国際警察におると信じたが、勘の鋭いヌオーだ。おぬしを探す放浪の旅をしておった。偶然わしが見つけて、連れてきたのだぞ。少しは感謝する気になったか?)
激しい憎しみを向けるミナトの反応の正常さに、ネイティの精神的な優位性は揺らぐことはなかった。ジョージ・ロングはハイフェン・レストロイ卿の息子――ミナトを人柱に、世界の歴史改変が完遂される危機を、人類が消滅する危機を回避するつもりであった。そのすさまじいまでの執念の一端は、かつて国際警察側に属したネイティオに責があろう。改変前の正史において、時渡りに巻き込まれることを予知したロングを含む国際警察官たちに、必ず任務をやり遂げよと遺言に等しい呪縛をかけたことは認める。当時の記憶を持つ者として、倫理をかなぐり捨ててまでネイティの肉体で再起した者として、修羅の道を彼らと共に歩む腹はとうの昔にくくっている。
(さて。おぬし、この島から出る方法を聞きたくはないか?)
ミナトは聞こえよがしにハッと鼻で笑った。
「てめえが使ってる裏口でも教えてくれんのか」
(“隠し穴”は繊細ゆえ。ましてこの島のように堅牢な聖域はのう。後学のために知っておくとよい。おぬしの母はおのが才を疎んじ、霊能の封印の方法を求めて旅に出た。おぬしの祖母は……血縁のない忘れ形見を憎んではおらん。それどころか国際警察を信用できるまで、“孫”を島の外へは出せんと言うてきた。おぬしがわしらを擁護すれば、祖母と交渉できよう)
「ざっけんな!」
怒声が、薄暗い洞窟の中で跳ね返った。
「てめえもジョージ・ロングもクソだ! 長いあいだオレを騙しやがって!」
(ロングを侮辱するのは、やめよ)
ネイティが静かに、眉間にしわを寄せた。
(ハイリンクの森の護り神、セレビィは“時渡り”で過去の時空へ飛び、歴史に手を加えた。世界は作り変えられたが、奴は奴が誕生する歴史が消滅せぬよう、元の世界と今の世界が“同質”になるよう綿密に調整しておる。わしやファースト、パラディン、ロングやフィッシャーたちの“巡り合い”は、“正史の残滓”じゃ。おぬしはロングの情けで、比べ物にならんほど陽の当たる人生をやり直せておる)
「情けだと!? オレの知らねえ『オレ』を恩着せがましく語るな!」
(長老、俺に代わって下さい)
謎の声の介入に、ミナトは身がまえた。
まん丸い緑の小鳥の足元から、質量をもった影がせり上がる。
ゴーストと似て非なる希少な悪の種族、ダークライ。
(久しぶりだな、ミナト)
「久しぶり?」
そう言われても、最初の出会いに心当たりがない。
ヌオー=留紺がダークライと肩を組んで、親しさをアピールした。
(この喋りで分からへんか? 俺や、俺)
「……あ?」
分け目の偏った白い前髪から覗く左目は、親友と同じ青い色をしていた。
良い天気だ。波の音が穏やかで心地良い。
砂浜の木陰の下で、ミナトはごろんと大の字になった。
「自然のなかで暮らすのも悪くねえよ。でもオレ、やっぱ人間が多い場所が好きだ。特に女子! 女子がいねえとつまらねー!」
隣でくつろぐダークライはあえてノーコメントを貫いた。
ミナトの口数の多さは、本調子が戻りつつある証拠だ。
「ところでさあ、気になってんだけど。お前の恰好……」
急にミナトがシリアスな目つきになり、声を低めた。
「全裸って、人間的にハズくね?」
(言うな!)
「ぷっははは! おっし留紺、本島の宮司さん呼んで来てくれ」
(いいのか、月白のことは)
「誠意見せるなら、土地に還すのが一番だろ。タイミングも悪くねえ」
自分の手元に引き留めておくより、ここで生きていくほうが仔ルギアにとって幸せだろう。ミナトがそう考えた理由は色々ある。これは今生の別れではない。会いたくなれば会いに来られる。会いに来てくれる側になるのでも良い。神様と神に仕える人間でもなく、トレーナーと手持ちでもない、対等な関係を夢に描ける。
よっ、とミナトは上半身を起こし、砂を払い落とした。
「クソ当主もロング警部も長老もどうでもいいけど、お前がやる気なら最後まで付き合うぜ。片付いたらみんなで、ぱーっと慰安旅行だ。その後は、オレとお前で旅に出よう。人間に戻る方法、世界一周してでも見つけてやるっ」
(旅先で美人をナンパしたいだけじゃないのか?)
「ばーか! 素直にありがとうって言えよ、相棒!」
ざあっと風が頭上を揺らし、木漏れ日を振りまいた。
輝く海を眺めるふたりの視線は交わることのない、並列だった。
神秘的な咆哮が大気を揺らした。
真っ白なしぶきを纏って、親子のルギアが海中から身を躍らせた。