NEAR◆◇MISS















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最終章
-1- 無人島
 金城湊(きんじょうみなと)がアルスロメリア市から神隠しにあったのは、紅葉目当ての観光客で自然豊かな近郊が賑わっている季節だった。目的は拉致ではなく保護、と弁明したのは母方の祖母。由緒ある神社を守る家系から勘当された跡取り娘の遺児であるミナトにとって、一生会うことがないと思っていた女性宮司だ。書類に記載されない方法での渡航を経て、隠れ家として手配されたのが、島全域が御神体というこの無人島だった。質問は禁じられ、時が来れば自由の身にするとだけ告げられた。無口で厳格そうな老婆との十七年越しの初対面は冷めきった雰囲気に終始した。
 気候は常夏。過ぎ去った時間は四季で測りにくい。サバイバルグッズとともに持ち込んだ卓上カレンダーに印をつけ、日付け感覚を鈍らせないようにしていた。アルストロメリアでは冬が終わりかけ、早春に差しかかっている。親友や上司、引き離されたガーディ達。忘れられない皆のもとに帰りたかった。しかし島全体に祖母による蜃気楼の結界が張られ、『渦潮』使いのキングドラ達が縄張りにしている周辺海域をわざわざ航行する船舶も見かけない。大海原にひっそり浮かぶこの巨大な太古の独房はまるで、幻の孤島なのだろう。
 レストロイ城での陰鬱な監禁生活と比べれば、美しい海も山も楽園じゃないか。迎えが来ないなら、自力で脱出のチャンスを掴んでやる。ミナトは希望を手放さないようにしていた。

 思いがけない訪問者――麹塵(きくじん)
 その依り代から解放されたネイティの“種明かし”に、打ちひしがれるまでは。

 週一回は本土から祖母の遣いが食料などの物資を届けにくるが、依存したくなかった。海岸の洞窟は住み良い寝床だ。潮が引いた磯では貝や甲殻類が手に入り、砂浜には実をつけたヤシの木が豊富に生えている。小さな入り江の先にある透明度の高いラグーンは切り立った石灰岩に囲まれた、清浄な大聖堂のような場所だ。さらに奥へ進むと険しい岸壁を細々と下り落ちる、真水の滝の脚下につながっていた。熱帯の植物が生い茂る内陸では食用にもバトルにも重宝する木の実が採れ、運が良いと野生のトロピウスの隙をついて首の美味な房をかすめ取れた。
 ナイフを片手に、波打ち際でひなたぼっこ中のヤドン達に忍び寄っていく。うたた寝している二体から、尻尾の白い先端部分をすっぱり切り取った。魚やシェルダーが好む甘い汁がしみ出す釣り餌の補給に、仏心は邪魔なだけだ。ヤドンの尻尾を密漁から防ぐ国際警察のモラルにしがみついていても、無人島暮らしではなんの得にもならない。
 釣り竿を取りに戻ったミナトは、洞窟の入り口で固まった。
 五日ぶりの再訪者が、保存食の干し木の実をついばんでいる。
「今度は何の用だ!」
 投げつけたナイフを、『テレポート』でかわされた。
 黄緑の泥棒小鳥は怯えるどころか、居直って念話を送りこんできた。
(これ、乱暴はよさんか。おぬしは滅びのさだめに勝った。なぜまだ怒る?)
 煽られているとしか聞こえない。脳内で雷雨が吹き荒れている気分だ。
 ウインディ=ファーストとサーナイト=パラディンの件がなければ。
 何も知らされないまま森の神の依り代に利用され、いつか殺されていた。
「さだめ!? ただの敷かれたレールだろうが!」
(確かに、ロングはおぬしの命を使おうとした。わしの遺言にも等しかったからのう)
 やれやれ、とネイティの両目を瞑る。基本的には笑顔を絶やさず人当りがよい少年なのだが、一度怒らせると父親譲りの気性の激しさでしつこく敵意を向けてくる。少しは頭が冷えることを願って日を置いた効果も、全然だった。
(前回の話の続き、聞きたくはないか?)
「うるせえ!」
(なら、勝手に喋るわい。ミナトよ、この島から出る方法がある)
 ハッ、と聞こえよがしにネイティの誘い文句を馬鹿にした。
「てめえが出入りしてる裏口を教えてくれるってか?」
(“隠し穴”は人間には通れぬ。ましてや、この島のように堅牢な聖域は苦労してやっと繋がる座標じゃ。話を戻すぞ)
 つんと上向く嘴。一頭身で分かりにくいが、胸をそらしているのだ。
(後学のために知っておくがよい。おぬしの父母はおのが身を“化け物”と蔑み、尋常ならぬ霊能を封印する修行の旅先で出会った。似た境遇の者同士、惹かれ合うところがあったんじゃろう)
「封印? 旅? なんで……そんな事、知ってんだよ」
 傲慢な父、ハイフェンの青年期の苦悩。考えたことも無い。
 夭折した母、雨音(あまね)の半生を誰にも聞けずにいたので初耳だった。
(わしもまた、読心に長けた“化け物”じゃからな)
 翼を付け根を足で掻きながら、ネイティが平然と答える。
(おぬしの祖母は、わしら国際警察への不信感を強めておったようじゃ。ああ見えて、忘れ形見の孫を憎んではおらん。おぬしと月白の身を案じ、“式神”を使ってアルストロメリア警察から無理やり引き離したのはさすがに、擁護できんが)
 心を通わせた少女時代の雨音を母同然に慕い、幼い月白は故郷の海を捨てた。仕えるべき巫女が“海鳴り様”の上に立つなど、あってはならない大罪だった。ミナトの祖母は祭神への回帰を望み、過度な人慣れに穢された神格を呼び戻そうとしている。
(おぬしが月白との絶縁を条件に国際警察に戻りたいと言えば、島を出る取り引きができるはずじゃ) 
「ざっけんな!」
 壁に拳を打ちこむ音と怒声が、薄暗い洞窟の中で跳ね返った。
「てめえもジョージ・ロングも信用ならねえ! なんの義理で国際警察に戻らなきゃなんねえんだよ、どうせまた裏切られるのがオチだろ。オレを騙して人生めちゃくちゃにしやがって、あの腐れ上司!」
(ロングを侮辱するのはやめい)
 ネイティが静かに、眉間にしわを寄せた。
(ハイリンクの森の護り神、セレビィは“時渡り”で多く過去の世界を改変した。じゃが奴はおのれの誕生の歴史が消滅せぬよう、入念に調整を入れておる。ゆえにこの時代も、致命的な均衡の崩壊は起きておらん。わしやファースト、パラディン、ロングやフィッシャーたちを巡り合わせた“運命”は、“正史の残滓”じゃ。特におぬしはロングの情けで、比べ物にならんほど陽の当たる人生をやり直せておる)
「黙れ黙れ、黙れ! オレの知らねえ『オレ』を恩着せがましく語るな!」
(なんと物分かりの悪い……もうわし、疲れた。選手交代じゃ)
(了解です)
 謎の声の介入に、ミナトが身がまえた。
 小鳥の足元から、質量をもった影がせり上がる。
 ゴーストと似て非なる希少な種族、ダークライ。
 赤い突起の生えた暗黒の体が滞空し、視線の高さをミナトに合わせる。
 半仮面のような白髪に覆われていない側から、青い瞳が覗いていた。
「チッ、新顔か。“悪夢”の拷問でもしようってのかよ」 
(イメチェンどころじゃないからな。目の色で分からないか?)
 相手は混じりけのない光彩を指さすが、苛立ったミナトには伝わらない。
(あかんか。俺や俺。この喋りに聞き覚え、あるやろ?)
 手振りをつけて、親しげな雰囲気を強調した。
 ミナトは目を見開いた。が、すぐに思い過ごしの意で首を横に振る。 
(ほんなら、これでどうや)
 落ちていたナイフを拾い、自分の右頬を掻き切る仕草をしてみせた。
 三度目の正直にこらえきれず、ぽかりと口を開けてミナトの腰が抜けた。 
「……ウソ、だろ」
 うずくまり、支離滅裂な奇声をあげた。ごわついた黒髪を掻きむしる。
 文明から隔絶された期間が長引き、ついに幻覚を見るようになったのだ――
 心を無にして顔をあげた藍色の目に、はっきりと変わらない像が結ばれる。
 立つ支えに差し出された三つ指の手を払いのけ、飛びかかるように抱擁した。
「ばっきゃろーっ! お前!? なんだよ、その姿! 冗談キツイぞ。一体何が、どうなっちまったんだよ。おい。おい! 説明しろ、この野郎! なんでそんなに、落ち着いてやがる! もっとパニくるだろ、普通!」
 人の形を欠いた無二の友は、苦しいほど力の強いミナトの背を優しく叩いた。
(最初はな。俺の話は長くなるから、先に結論を出しておいたほうがいい。聞きたい返事は一つだ。力を借してくれないか、ミナト)

◆◇

 穏やかなヤシの木陰の下、ミナトは砂浜で大の字になっていた。
「セレビィが目的を果たしたら、世界中がこの島みたいになるんだろうな」
 間違っていないだろう。隣のダークライはあえて、返事をしなかった。
「平和って意味じゃ悪くないぜ、ここの暮らしも。人類滅亡がどうした、守りてえヤツが勝手に守れってんだ。オレは親族にいい思い出なんか、これっぽちもねえし。薄汚ぇオトナ共にさんざん振り回されて、モチベがゼロ通り越してマイナスだっつーの。なあ、オレとお前でバックれちまおうぜ?」
 愚痴と本気を混ぜた口数の多さは、本調子が戻りつつある兆しだ。
 目に暑苦しい黒ずくめの親友は、肩をすくめる仕草で勧誘を却下する。
「ノリ悪ぃな。国境なきガールハントの旅! 百パー、楽しいぞ!」
(バカを言え。国際警察が森の神に負ければ、全部“パー”になる)
「だよなぁ。ところで気になってんだけど、その見た目……」
 急に真剣さをおびた眼差しになり、声を低める。
「万年全裸って、人間的にハズくね?」
(ドあほう!)
 裾がぎざぎざのキルト状の腰部に収納されていた脚が、脇腹を蹴りあげた。
 痛みで転げ回るミナトの動きに、体を小刻みに震わせる笑いがとって代わる。
「ぷっははは! おっし、なんか元気出た! 長老、ばあさん呼んでくれ」
 調子に乗りおって、とネイティは足をそろえてぴょんぴょん跳んで行った。
(いいのか、月白……)
「おう。ぶっちゃけオレも、巣立ちのタイミングはずっと考えてた。人間の世界は、あいつには狭すぎる。絶縁だぁ? んなもん、口先だけで充分だろ。一生の別れじゃなくて、同窓会の楽しみが一つ増えると思えばいいんだ」
 よっ、と上半身を起こす、砂だらけのミナト。
「レストロイ城からこっち、お前に助けられっぱなしだからな。ひと働きしてやるぜ。人間に戻れたらアイラも誘って、みんなで打ち上げだ。慰安旅行も捨てがたいな。とにかく幹事はオレにまかせとけ。期待してろよ、いひひっ」
(……ああ)
 ざあっと風が吹き、ヤシの葉の向こう側の快晴に太陽を透かし見る。
 二つは交わることのない、横並びの視線だった。 

レイコ ( 2019/01/30(水) 15:06 )