NEAR◆◇MISS















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最終章
-1- 無人島
 ジョージ・ロングは嘘をついた。国際警察本部での拘留は敵勢を攪乱するフェイク。アルストロメリア警察による逮捕直後にレストロイ当主に仕えるメタモンの一体との身柄のすり替えを指揮したポワロ・フィッシャーとフワンテ=イチリだけが、金城湊の真の移送先を教えられていた。
 書類に記載されない方法での渡航を経て、ミナトの隠れ家には、御神体のため島全域が禁足地である無人島が手配された。海神信仰の由緒ある神社を守る宮司、母方の義理の祖母である梅雨子は、許可を与えるまで島外へ出ることを禁じた。状況が飲み込めない。どの質問も答えてもらえない。ミナトの十七年越しの老婆との初対面は、冷えきった雰囲気に終始した。
 
 遠泳に自信があれば渡れなくもない距離にある有人の本島への脱出を試みた。あえなく見張りのキングドラ達の『渦潮』に撃沈した。無人島の周辺に祖母と北風の使いの力を掛け合わせた蜃気楼の結界が張られ、いかなる救難信号も外部に届かない。本島からこっそり通っていたガブリアスも、祖母に折檻されてからはたまに鳴き声を響かせるだけで、姿を見せなくなった。
 三日に一度は祖母の遣いのマンタインが物資を届けに来た。もし供給が途絶えたとしても、気候が温暖で食べ物には困らない。磯では貝や甲殻類が獲れ、内陸側はバトル用にも食用にもなる木の実がたわわに実っていた。運が良いと、昼寝をしている野生のトロピウスから首に生っている美味しい房を頂戴できた。島の中央部にそびえる荒々しい岩山のそばには、真水が湧く泉もあった。
 海岸が見える岩場の洞窟を寝床にした。壁に硬い石で印を刻み、日付感覚を鈍らせないようにした。アルストロメリアでは冬が過ぎ、早い春に差しかかっている。親友。上司。ガーディ達。今頃どうしているのだろう。腕を組んで枕にして寝転がるたびに、皆の顔を思い浮かべた。無人島生活は、レストロイ城での監禁生活と比べれば、美しい海も緑もある楽園だ。見てろ、必ずあいつらのところへ帰ってやる。ミナトは自由の身になる野望を捨てなかった。

 ひょっこり現れた、老鳥の喋り方をするネイティから“種明かし”されるまでは。



 数日間、なんのやる気も出ず堕落していた。
 惰性で壁に刻みをつけ、人並みの空腹を満たすだけの生活。
 朝釣りから帰って来たミナトは、洞窟の入り口で立ち尽くし、久々に自分のからだのどの位置に心臓があるかを思い出した。とうとう現実逃避の幻覚を見始めたのなら、笑える。黒い点目と睨み合う。本物だ。竿を投げ出して駆け寄った。

「留紺!」

 ミナトは抱きつこうとした。
 アルカイック・スマイルのヌオーに、横っ面をぶん殴られた。
 鈍痛という感覚が、思ったよりも懐かしい。
「怒んなよ! 急に消えて悪ぃ、でもオレもワケ分かんねえことばっかりだ!」
(喜べ、レストロイの息子。その者は偶然わしが見つけて、連れてきた)
 ぴょんぴょん洞窟から出てきた再訪者が、保存食の干し木の実を嘴に咥えていた。
(他の者は拘留を信じたが、勘の鋭いヌオーだ。おぬしを探す放浪をしておった)
「何の用だ!」
 投げつけた石ころを、『テレポート』でかわされた。
(これ、乱暴はよさんか。おぬしの使命は消えた。わしらが争う理由はなかろう?)
「使命!? ただの敷かれたレールだろうが!」

 やれやれと呆れて、ネイティは洞窟から失敬した干し木の実を丸呑みした。ジョージ・ロングはハイフェン・レストロイ卿の息子を人柱にしようとした。時渡り候補の国際警察官たちに完遂を誓約させた、かつてネイティオであった自分の遺言に等しい呪縛でもあった。ミナトは笑顔を絶やさない陽気な少年なのだが、一度怒らせると父親譲りの気性の激しさでしつこく敵意を向けてくる。

(おぬし、この島から出る方法を聞きたくはないか?)
 ミナトは聞こえよがしに鼻で笑った。
「てめえが使ってる裏口でも教えてくれんのか」
(“隠し穴”は人間には通れぬ。ましてこの島のような堅牢な聖域はのう)
 何段階も苦労をして、ようやく安定して繋がる座標である。
(後学のために知っておくとよい。おぬしの母はおのが霊能を疎んじ、封印の方法を求めて旅に出た。おぬしの祖母は忘れ形見の孫を憎んではおらん。それどころか国際警察を信用できるまで、孫を島の外へは出せんと言うてきた。つまり、おぬしがわしらを擁護すれば、祖母と交渉できよう) 
「ざっけんな!」
 怒声が、薄暗い洞窟の中で跳ね返った。
「てめえもジョージ・ロングもクソだ! 長いあいだオレを騙しやがって!」
(ロングを侮辱するのはやめい)
 ネイティが静かに、眉間にしわを寄せた。
(ハイリンクの森の護り神、セレビィは“時渡り”で多く過去の世界を改変した。奴はおのれの誕生の歴史が消滅せぬよう、入念に調整を入れておる。ゆえにこの時代も、致命的な均衡の崩壊は起きておらん。わしやファースト、パラディン、ロングやフィッシャーたちの“めぐり合い”は、“正史の残滓”じゃ。おぬしはロングの情けで、比べ物にならんほど陽の当たる人生をやり直せておる)
「黙れ、黙れ! オレの知らねえ『オレ』を恩着せがましく語るな!」

(長老、俺に代わって下さい)

 謎の声の介入に、ミナトが身がまえた。
 豆の実のように丸い緑の小鳥の足元から、質量をもった影がせり上がる。
 ゴーストと似て非なる希少な悪の種族、ダークライ。 
(久しぶりだな、ミナト)
「久しぶり?」
 そう言われても、最初の出会いを思い出せない。
 ヌオー=留紺がダークライと肩を組んで、親しさをアピールした。 
(この喋りで分からへんか? 俺や、俺) 

「……あ?」

 分け目の偏った白い前髪から覗く左目は、親友と同じ青い色をしていた。



 穏やかな波の音。
 砂浜の木陰の下で、ミナトはごろんと大の字になった。
「ここの暮らしは平和だ。でもオレ、やっぱ人間が多い場所が好きだ。特に女子!」
 隣に座るダークライはあえてノーコメントを貫いた。
 ミナトの口数の多さは、本調子が戻りつつある指標だ。
「ところでさあ、気になってんだけど。お前の恰好……」
 急に、真剣さをおびた眼差しになる。
「全裸って、人間的にハズくね?」
(言うな!)
「ぷっははは! おっし留紺、本島の宮司さん呼んで来てくれ」
(いいのか、月白のこと)
「誠意見せるなら、土地に還すのが一番だろ。タイミングも悪くねえ」

 自分の手元に引き留めておくより、ここで生きていくほうが仔ルギアは幸せだといえる理由が色々ある。今生の別れではない。会いたくなれば会いに来る。向こうも自由に来たら良い。それでこそ、神様も人間もない対等に近づける。よっ、とミナトは上半身を起こし、砂をはたき落とした。

「クソ当主もロング警部も長老も興味ねえけど、お前がやる気なら最後まで付き合うぜ。片付いたらみんなで、ぱーっと慰安旅行だ。その後は、オレとお前で旅に出よう。人間に戻る方法、世界一周してでも見つけてやるっ」
(旅先で美人をナンパしたいだけじゃないのか?)
「ばーか! 素直にありがとうって言えよ、相棒!」

 ざあっと風が枝葉を揺らし、太陽の欠片を振りまいた。
 輝く海を眺めるふたりの視線は交わることのない、並列だった。

 神秘的な咆哮が大気を揺らした。
 真珠のような真っ白なしぶきを纏って、親子のルギアが海中から身を躍らせた。

レイコ ( 2019/01/30(水) 15:06 )