NEAR◆◇MISS















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第九章
-10- 原点
 鼻へ抜ける潮の香り。打ち寄せる水音。真夜中のアルストロメリア港に、静謐な星明りが降りそそいでいる。片側のほっそり欠けた、真円落ちの月が迷子のような雲に隠されていた。コンテナヤードを一望できる波止場の先端で、ダウンジャケットを着込んだジョージ・ロングロードが紫煙をくゆらせていた。外回りのオーバーワークで褐色が染みついた五十代の肌を、一か月半後には花見ができるという季節感の不足した厳しい冷気が刺す。屈強に鍛えた筋骨も百九十センチを越える大柄も、寄る年波に勝てない。
 
「おお、来たか。急に呼んで悪いな」

 『テレポート』で現れたサーナイトは片ひざを折り、胸を手に当てる。
 貴人に対する騎士流の挨拶を一瞥し、ロングは吸い殻を携帯灰皿にしまう。
 表向きは、国際警察の同胞としての不定期な情報交換。
 しかし、既存の枠を外れた密談になると両者は分かり合っていた。

「昏倒したあの晩、なぜ俺がこの埠頭にいたのか……喜べ、微妙に思い出してやったぞ。メギナの件で、重要な報告があるとかで誘い出されたんだったな。『ドルミール』を信用して、長女の捜索を一任していた俺がクソだった。なにが行方不明、十年近く騙しやがって。猿芝居もここまでだ、パラディン。いや、コードネーム『ドルミール』」

 男の殺気を気に留めず、パラディン――サーナイトは悠然と役者を演じる。

(失礼ながら、おっしゃる意味が分かりません。我が主、『ドルミール』は――)
「とぼけるな」
(ゆゆしき誤解です。独断で私を暗殺すれば、上層部で物議を醸すのでは?)
「シラを切っても無駄だ。貴様の多芸には手を焼いたが、“俺たち”を侮るな」
(死人に口なし……と。ではこれは、正当防衛でよろしいですね)
「命も記憶も希望も、何一つ奪わせやしねえ」
 ロングはモンスターボールを二つ、開放する。
「ロータン、ペール! 岩石封じ、電磁波!」 
 頭の立派な二枚のヒレと橙色のエラが特徴の沼魚。
 黄色で首が長く紅い珠を額と尾にもつ無毛の怪羊。
 ルカリオに率いられてレストロイ城を急襲し、パラディン一派の捨て駒にされる運命だったが、偶然居合わせたラストス=ウルスラ達の機転で九死に一生を得たのだ。召喚とほぼ同時に、ラグラージ=ロータンが鉄槌で地盤のコンクリートに岩エネルギーを送り込み、サーナイトの周囲を隆起物で取り囲む。デンリュウ=ペールが麻痺作用のある微弱な電撃で、標的を狙撃した。反撃の口実を与えられたサーナイトの、唇の端がかすかに上がる。邪魔な檻を粉々にした『マジカルシャイン』がそのまま二体に被弾する。次の攻撃がくる。気の流れに敏感なヒレで危険を予感し、両腕をクロスした青い体躯が四倍の弱点をつく痛手をこうむり、真っ黒な海面に転落した。「守る!」ロングの読みの下に球状のシールドが張られ、必中の『マジカルリーフ』がデンリュウとその主人を傷つけることはなかった。
「十万ボルト!」
 局所的な稲妻がサーナイトを捉える。しかし軽い身のこなしで躱された。
 『電磁波』は『マジカルシャイン』に完全には相殺されず、命中したはずだ。

 ロングは確信を持った。

 『サイコキネシス』で持ち上げられた大型コンテナが軽々と、投擲武器のごとく連続で飛んでくる。二度目の『守る』に多大な物理ダメージが蓄積されていく。このままでは防ぎきれない。トンの単位は手堅い金属製の巨箱が重なり合い、視界を狭めていく。『岩石封じ』の倍返し以上だ。シールドが破れるのが先か、シールドごと押し潰されるのが先か。生き埋めが完成しつつある最中、デンリュウが暗号化された電信をキャッチした。点滅する額の宝玉。モースル信号を読み解いたロングが、頷いた。
(非力な人間を庇いながらの不利な戦闘……良い見本です)
 白い騎士のテレパシーに、歴戦の刑事が猛る。
「なめるな!」
 主人をおぶり、『守る』を解除。指を差された方向へ瞬発的に、デンリュウは遺伝子に潜む竜属性の底力を見せつけた。超特急で隙間をすり抜けた後のコンテナが、ジェンガのように崩落する。ロングが背中を降り、二手に分かれた。身を隠せる遮蔽物の基地が『サイコキネシス』ですべて海に放り出され、新しい魚の住処に内定する。凍える高波をかぶったロングは隠し持っていた狩猟用ハンドガンを構え、発砲した。重量級の強装弾。ロックオンされたサーナイトが『サイコキネシス』で軌道をそらせようとしたが、オルデン・レインウィングスが特殊加工した銃弾には利かなかった。見切りに集中力を奪われた一瞬の隙に、ラグラージによる海中からの『投げつける』を受けたコンテナの破片にデンリュウが跳び乗り、爆速で間合いを詰める。
「フラッシュ!」
 宇宙にも届くという、港のどの照明よりもまばゆい閃光。
 至近距離の目くらましが成功し、負傷したラクラージも陸地に舞い戻る。
「ハイドロカノン!!!」
 特性『激流』状態で発動する、主人への絶大な信頼抜きに習得ならざる究極技。全身を反動に耐える砲台として口から撃ち出す、青白く輝く至高の砲弾。爆音と風圧が外気を震撼させ、高濃縮した水エネルギーがサーナイトの体力を限界まで追い込んだ。一度は腹ばいになった純白の身体を、おぼつかない正座へ立て直す敗者。ずぶ濡れの満身創痍はみすぼらしくとも、赤い眼光は決闘者の誇りを湛えていた。
(お見事。冤罪で生き恥を晒すくらいなら……この命、ここで散らしましょう)
 心臓の真上に祈るように重ねた手に満ちる、自決の念力。
 一発の銃声が、鳴り響く。
「それには及ばねえ。てめえ、メタモンだろ」
 ホルスターから引き抜いた二丁目、拳銃型射出機を使ったロングの早撃ちだった。
 アレストボールを用いた保護が、完了した。
 『電磁波』が無効だったのは、すでに『眠り』に侵されていたからだ。『催眠術』で洗脳され、知覚を共有できる『シンクロ』でリモートコントロールされていたにすぎない。用済みになれば跡形なく自爆させ、本物が死んだように偽装する筋書きだったのだろう。『変身』を使った影武者の正体は、ルカリオに拉致され消息不明だったレストロイ卿の従者。利用価値を見出された囚われの身、という予測は当たっていた。
 虐待を受けたロータン達の借りを、直接的には返せなかった。ロングは寒さで奥歯に力を入れながら、青い肩に軽く手を置き、黒い縞模様の首をさすった。先ほどペールが受信したのは、本物のパラディンの所在を探知したという本隊からのメッセージだ。こちらの時間稼ぎは、上手くいったようだが。

「夢遊病の偽物で、この強さか……生き残れよ、全員」

 曇りはとうに晴れ、仰いだ月は煌々と光に満ちていた。


◆◇


 傀儡に悲劇を演出させようとした寸前、操り師は強制的にワープさせられていた。人工の照明設備が、観客のいないフィールドをくまなく照らしている。コートラインがさだめるトレーナーの定位置に佇むサーナイトは状況を理解し、センタースポットを挟んで線対称に向かい合っている青いマフラーを巻いた同族に、不敵にほほ笑みかける。
「私を捕捉し、気づかれず『サイドチェンジ』を仕掛けるとは。大した連携だ」
「僕たち警察はチームです。誰も信頼せず、孤高を求める寂しいあなたとは違う」 
 エルレイドは真面目な表情を崩さず、一礼した。
「初めまして。僕はクラウ。国際警察官のアシスタントです」
 ゴーストタイプと近縁の『不定形』の体質上、腕を磨けばサイコパワーでステルス能力を発揮できる。クラウはミナトとハイスクールに潜入した際、そのテクニックを使った。霊感の強い者や鼻や耳の感覚が鋭い者も、接近せずには見破れない。木を隠すなら森の中。パラディンがゴースト達の溜まり場にまぎれ込んでいるとすると、発見は見込み薄だった。オルデン達人間と長老たちポケモンが知恵が出し合い、作戦が立てられた。サーナイトはサイコパワーの影響で重力を感じていない、という研究論文に焦点が当たった。数週間をかけて市内在住のサーナイトの行動記録をマッピングし、捜査対象外の目安とした。
 決行の今夜。ハイフェン・レストロイ卿が伝説の神を模して作った最強のしもべであり、万有引力の不安定な亜空間を根城にする反物質を司る冥龍が、一般人には感知できない弱い『重力』でアルストロメリア市全土を包んだ。眠りにつかず異常気象の違和感にさらされている群衆を、長老が『シンクロ』で虱潰しに除外していき、本命の波長を突き止めた。ヨノワールやパリチスたち、ボランティアの後方支援で別動隊のジョージ・ロングロードたちに陽動終了を通達し、位置座標を入れ替える『サイドチェンジ』によって驚異的な遠距離から、パラディンをバトルネーソスの屋内競技場へ連れ込んだのも長老だった。
「君を倒さないかぎり、『黒い眼差し』の地縛は解けないようだな」
「決闘に異存はありません。でもその前に、説得の機会をくれませんか」
「説得? ふふ……遺言の間違いではないのか」
 悪い冗談を延べる、パラディン。
 どんな変化も見落とすまいとしながら、クラウは石橋を叩いて渡るつもりで挑んだ。
「僕は無知でした。皆さんに真実を教えてもらわなければ、この場にいたか分かりません。これから話すのは受け売りですが、最後まで聞いてください。過去に、ある犯罪組織がコピーポケモンの製造を企て、幻の“M型万能因子”を使うロストテクノロジーを復活させました。とりわけ特性『シンクロ』のエスパー種の『試作品(プロトタイプ)』は、因子ホストの新種ポケモンと同じ特性で同じタイプという親和性が高かったのか、知能を含む全能力が著しく飛躍したらしいです。その特殊個体には、人間への慈愛と服従がプログラムされていましたが……明晰な頭脳と高い戦闘能力が自我を強固にし、制御が難しい“不良品”と判断した組織は彼を封印したそうです。『プロトタイプ』から摘出した遺伝子を改良し、より温厚で能力値をチューニングした“完成品”が量産され、成功を収めたコピー技術はその後、人身売買を目的とする人間の複製化に応用されました」

 一卵性双生児が後天的に個性を獲得するように、特に携帯獣は人間以上に環境の影響を受けやすく、成長後の血縁関係を識別するのは専門家であろうと難しい。ポワロ・フィッシャーの実弟『ランド』は在学中、すぐれた観察眼で年齢違いのアシスタントたちの不可解な形質の酷似を見抜いており、悪徳ブリーダー業者(ベイビィ・ミル)の関与を疑って個人的な調査に乗り出した。組織を壊滅させた国際警察はコピー達の救済措置の一環で、タマゴ状態でストックされていた『シンクロ』の優良個体たちをアシスタント候補として、世代をずらして訓練生たちの手に行き渡らせていたのだった。

「僕は肉親の愛情も、傷つけ合いも知りません。アイラさん達を見ていて、幸せなことばかりじゃないと学んできたから、自分のルーツにこだわっていませんでした。でも今は、複雑な気持ちです。国際警察を辞めた知り合いに、言われたんです。僕は『完成品』。『プロトタイプ』と呼ばれたあなたの細胞から培養された、『コピー』なのだと」
 口外へのめり出した言葉が、クラウの肺に溜めこまれていた毒素を薄めた気がした。
「そしてもう一人……あなたは知っていたはずです。金髪碧眼のあの若い刑事が、僕と同じく金儲けのための複製品として生み出されたことを。彼を始末しなかったのは、その素性に情けをかけたからでは? “パラディン”を名乗り続けるのも、心の底ではメギナさんを憐れんで――」

「この私が、か」

 生ける屍のような冷血な声と穏やかな表情の落差。
 クラウは悪寒をおぼえた。

「罪を憎んで人を憎まず。慈悲の心を残した聡明なサーナイトに、人類滅亡の虚しさが分からない訳がない。ハイリンクの森の守り神とは別の思惑があるかもしれないと、あなたの血の継ぐこの頭をしぼりました。たとえば……もし歴史が変わる前に人間がみんな、ポケモンに変身できたらとか。文明がリセットされたら犯罪もなくなって、世界がもっと平和になりそうだとか。だけどそんなの、選民思想と言っていいただの幻想じゃないですか。無益な殺生を悦ぶ亜人だって、いるんですよ。これ以上、不幸の種をばらまくのはやめて下さい……!」
「この話は聞かなかった事にする。命が惜しければ、すべてを忘れて身を引け。と言ったら?」

 赤く染まった双眸同士、阿吽の呼吸で瞳の奥に上がる開戦の狼煙を見る。

「……父さんか兄さん、どちらかの呼び方をしてみたかった……です」
 青いマフラーの裏側に忍ばせていた二球を、フィールドに向けて放つ。
 出現した二体はおのおの、高貴な外見の一部が怪我を負ったように欠けている。
 エンペルトの王冠型の角は目の高さで折れ、ミロカロスの尾ビレは二枚しか無い。
「おのれ、騒乱の首魁め。我々が成敗してくれる!」
「私達を離ればなれにした責任、取ってもらうわよ」
 ガーディ=銀朱(ぎんしゅ)に続き、ミナトを慕う彼らに最近引き取りの話が来たのも、就寝中に洗脳的刺激を与えられた里親という合意のない根回しによるものだ。この二対一、手加減できない。嘴から撃ち出された鋼の光線、『ラスターカノン』。最小限の動きでよけられる。不完全な尾ビレが起こした『渦潮』は威力不足で、たやすく抜け出された。こちらの番、と言いたげな『マジカルリーフ』。エンペルト=雄黄(ゆうおう)は『鋼の翼』を振るって細切れにし、ミロカロス=長春(ちょうしゅん)はあえて攻撃を受け、『ミラーコート』で強化したダメージをはね返す。しかし『マジカルリーフ』の厚い層に防がれ、後攻による反応の遅れが『テレポート』の接近を許してしまった。逃げきれないミロカロスを庇おうと、エンペルトが『アクアジェット』を凝らす。タッグパートナーが一列に並んだ瞬間、まとめて『催眠術』の犠牲となった。
 深い眠りに落ち、二体が倒れる。暫定、戦闘不能。

「先鋒と次鋒……中堅は君か?」

 圧勝だった。聖騎士の名にたがわない。
 長老たちに言われていた。凄腕の『催眠術』は『プロトタイプ』の特権。
 絶対王者を英雄視しそうになるエルレイドの本能を、鎮める。
 挙手するまでもなく、クラウは決戦の舞台に踏み出した。

「劣化“コピー”に勝ち目はない。私の側につくなら、見逃してもいい」
「ない? それを言うなら“オリジナル”に無いものが、僕にはある!」

 資金不足を相談すると、雄黄(ゆうおう)長春(ちょうしゅん)は価値の高い角と尾ビレを寄付してくれた。また生えてくるから気にするなと、懐が深かった。がめつい宝石店の老メレシーは熱意に負け、一回分のレンタル料という契約が成立した。アイラには一緒に戦うと粘られたが、安全な場所にいて欲しいという頼みを聞き入れてもらえた。継ぎ目の綺麗なプロセスがまるで車窓の眺めのように脳裏を過ぎ去り、ここが終着駅だと鼓動が知らせる。
「『絆』が、力を与えてくれる!」
 “バディ”と色違いの、手編みのマフラーを握りしめる。モンスターボールと同じ死角に仕込んでいたのは、進化を超える進化の力を秘めた石。どんなに離れていても、心は共鳴できる。想いをアイラと一つにする。全身をくるんだ煌びやかな光の繭が破れ、浮かび上がった螺旋の紋章が真の戦闘力を布告した。
 体の前面に被ったマント状の背中の膜を、後部へとひるがえす。
 装飾的な兜型の頭部。両の前腕に成形されたプレートのような赤い刃。
 純白を基調とする退魔の剣士へと、クラウが覚醒した。

「勝負だ、パラディン!」
 青いマフラーを、首から脱ぎ捨てた。
「手の込んだ余興だ」
 気だるげに、吹き荒れる『マジカルリーフ』。対する『リーフブレード』が、雄黄(ゆうおう)直伝の二刀流で一枚漏らさず斬り落とした。目撃したサーナイトの顔つきがかすかに締まり、淡紅色の強い光で形づくった大型の弓を引く。長い矢を模した『ムーンフォース』が狙いの中心を射た。しかし発煙後、防御性にすぐれたマント状の膜の盾はほぼ無傷だった。突撃を敢行するクラウを、『ムーンフォース』を変形させた鞭が阻もうとする。執拗な蛇のようなホーミングを俊敏なフットワークでかわしていったが、一度の読み負けで空中に追いつめられた。姿勢を低くしてスケートボードに見立てた背中の膜に乗り、光線鞭の猛追をレールトリックのテクニックで滑りこなす。どちらも野生知らずの成育歴で人間流の体術がベースとなっているが、純粋な筋力で凌駕しているのはクラウのほうだ。加速を利用した、空飛ぶヒーローさながらの『炎のパンチ』。
 その決め時を、『ムーンフォース』のレイピアが無情にも打ち破った。
 強烈な刺突で灼熱の素手を受け止められ、想定外の後退を余儀なくされる。
「狼狽えるな。騎士(ナイト)たる者、剣術はたしなみだろう」
 薄紅色の細身で優美な剣身の鋭利な切っ先がふたたび、くり出された。興奮状態で拳の激痛があやふやなまま、追撃をはじく『リーフブレード』。『テレポート』を駆使した出現と消失の応酬、激しくぶつかる二刃と片手剣。サーナイトの腕前は経験の差でクラウを上回る。スピードとパワーが尽きれば、一気に形勢が弱くなるだろう。命のやり取りを介し、負けじ心の特性『精神力』が向上していく。斬り結ぶたび、クラウは気の流れを読めるようになってきた。このサーナイトは、高潔な魂の持ち主だ。才能で劣るコピーを見くだし、アイラの姉を道具扱いする卑劣漢だとは、冗談抜きで感じられない。
 レストロイ城で立ち会った、ミナト達の剣戟。
 この戦いから、正義の敵は別の正義という、あの二人と同じ泥の臭いがした。
 ブレードとレイピアが糊付けのように膠着し、小刻みに振動しながら力を競う。
 過去を憎みきれず、許しきれず、はざまの停滞を受け入れているサーナイトの顔。
 そうか、そうなんだ、と間近で検分したクラウは出せる限界の声を振りしぼった。
「あなたが絶望しているのは、人間でなく、未来そのものなんだ。この時代でハイリンクの森の神の『時渡り』を阻止できても、人間が存在するかぎり、同じ危機が繰り返される。運命という自己暗示をかけて、立ち向かうことを諦めて、逃げてるだけだ!」
「精神攻撃のつもりか? くだらない。言ったはずだ、君に勝ち目はない」
「“負けない”とは、言われてない!」
 クラウはガードを解き、無防備に棒立ちした。すかさず胸を突こうとしたレイピアが、毛筋ほどの差でぴたりと止まる。体に満ちる陰のオーラ、『道連れ』。見抜いた騎士の英断により、花が散るように淡紅の片手剣が消滅した。『道連れ』状態を保ったまま、咆哮をあげたクラウが殴りかかった。誘い水をかけたのだ。俗に打たれ弱いサーナイトに素手の一発でも入れば、逆転も見えてくる。一方で“技”で倒された瞬間、相打ちが決まる。
 どちらも後に引けない丸腰の肉弾戦に持ち込まれようと、動揺する聖騎士ではなかった。『鬼火』を食らわせ、攻撃をかわし続けて火傷による消耗を待つ戦法を取る。へばりつくような疼きに耐えながら、クラウは『技』を封じた格闘技をやめない。()りそうな足の機動力を、真っ白な美脚の下段回し蹴りで奪われた。緑の拳でアッパーカットを叩き込まれ、吹き飛ばされる。これほど武芸の多彩な強豪との手合わせを、素直に楽しめない立場が残念だ。顎の揺れが脳に伝わり、眩暈で起き上がれない。手を伸ばすと、毛糸の感触があった。防寒より大きな意味をもつそれを、ぐっと掴む。まだ、やれる。やらなくてはいけない。
 
「往生際が悪いのう、クラウ」

 神出鬼没な声の主。
 片膝立ちに漕ぎつけたクラウはびくっと、横を見た。
「長老……」
「わしが大将じゃ。よしなに」
 見た目は若鳥、精神は老鳥の溝をはらむ、クラウから長老と呼ばれたネイティ。
 口ぶりは好々爺だが、サーナイトを見据える真っ黒な両目は笑っていなかった。
「久しぶりじゃな、パラディン。わが一番弟子よ……と言いたいが、歴史が変わって覚えておらんじゃろ。違法なコピー技術はわしらの希望であったというに、おぬしらにとって試練になろうとは。なんたる皮肉じゃ」
 大きな黄色い嘴を下に向け、嘆かわしいかぶりのように振る。
「三つ名のサーナイトよ、個の力の小さきを忘れたか。才子、才に倒れたのう。わしらの偵察が途切れて不審に思っておったが、クラウの話でおぬしがアイラ達の監視に特化したんじゃろうと納得したわい。その隙にほれ、世界各地を飛び回った甲斐があったぞ。これより裁きを下すは、怒れる副将じゃ。いざ、神妙にせよ」
 青いマフラーに隠されていた、最後のモンスターボールのスイッチを嘴で押す。クラウは狂犬と紙一重のエースの登板に血の気が引いた。警戒したサーナイトの臨戦態勢は、まったく役目を成さなかった。球の開口部から放たれた光が『神速』で攻め入り、動体視力を越えた突風の通過後に空っぽの右肩口が残されていた。用済みの強奪物がぼとりと捨てられる音を、緑髪のうなじで聞く。サーナイトは噛み千切られた腕を『サイコキネシス』で引き寄せ、痛覚が戻る一分一秒を争って断面を接着させる。眠らせたエンペルト達から『夢喰い』で体力を吸い上げると、瞬く間に重傷が完全に治癒した。「回復の保険にしておったか。利口じゃの」と、一頭身の小鳥が苦笑した。
 五体満足で仕切り直す、実体化した“副将”との対峙。
 弱きを助け強きをくじく、燃えるような瞳。
 威風堂々とした姿が逞しくも美しい、火焔の守護獣。  
 ウインディ――ファースト。
「なぜ、ここに……」
 呟いたサーナイトの目元は怨霊を見ているかのようだ。
 ネイティは「わしと森の神の魂が分離して以降、」と述懐しはじめる。
「ロングとともに調査しておったのは『時の波紋』、すなわち天然の時空エネルギーの発生源じゃよ。オルデンが大胆な仮説を立ててのう。未来で人類が滅びておらねば、危篤のファーストから病因のCギアをサルベージする技術が発展しておるはずじゃと、歴史改変前にならって『タイムカプセル』を発明しおった。あとは、賭けじゃった。未来から未来へ、折り返して過去から過去へ……時間の旅から現代に戻ったファーストは、完治しておった」
「まさか」
 知的で高潔な声色が、ほのかに上ずる。
 右目のみ瞑り、達観した地鳴きが肯定した。
「その、まさかじゃよ。こうなるともはや、八百長じゃな。今を生きるわしらが手を尽くせば、人間との共存が守られる。約束された将来にとって、おぬしの計略はとうに無意味。獄炎の牙が、その首を刎ねてくれようぞ」
 陣貝を吹くような鼓舞の遠吠えが風を呼び、『炎の渦』が巻き起こる。火責めの螺旋に囚われ、無敵を誇った騎士がその場を動けず、防戦を強いられている。クラウの表皮に負った傷の熱をじくじくと増幅させる、お遊びに付き合わせたにすぎない力不足。嵐に飛び込む一匹の小虫と自分を重ねつつも、クラウは大声を抑えきれなかった。
「待って!」
「そやつは父でも兄でもない、裏切り者に情を移してはならん!」
「分かってます、長老!」
 悪の力をまとった鋭い犬歯を剥き、全速力で走り出そうとしたウインディの真正面にクラウが『テレポート』で回りこんだ。バリケードにしたマント状の膜を前足が直撃し、大穴が開きかける。そこをどけ、とは口に出さず大きくなっていく怪力で踏みつぶされそうだ。ただでさえ東洋の伝説に名を刻む傑物の風格は膝を震えさせ、腰砕けになりそうになる。長老の叱咤がクラウの耳に届いた。言われなくても、サーナイトにがら空きの背中をさらすなど血迷っている。『黒い眼差し』の使い手であるエルレイドを倒し、『テレポート』による戦闘離脱ができる千載一遇のチャンスを与えているのだ。『炎の渦』の中心で、淡紅色のレイピアが復活する気配を感じ取る。そこまでの悪手を打ってでも、“あの人”の大事な相棒の復讐心を引き止めたかった。
「パラディンとの勝負はまだ、終わってません。あなたの出番は、決着を見届けてからにしてほしい! 僕らは遺伝上の分身で、ロングロード家の姉妹と深い縁があった……何かが少しでも違っていたら、立場が逆だったかもしれない。甘いけど、内輪の問題に悔いを残したくないんだ。だから最後まで、見殺しにできない!」
 背後に充溢していた『ムーンフォース』が減退し、やがて消え去った。
 乱れた戦意の果ては、放棄。あのサーナイトが剣を捨てたのだ。
 半信半疑で振り返りたい衝動をこらえる、クラウ。
 精悍な獣の眼はまだ、紅蓮に照らされている宿敵を捉えたまま。
 悪の牙を打ち切り、遠隔の炎技を口腔に蓄えだした。
「ファーストさんの気持ち、分かるなんて気軽に言えないです。僕だって悔しい。でも殺してしまったら、死者は改心も償いもできなくなる。それにあの人は優しいから、あなたに汚れ仕事をさせたくないはずだ! こんな敵討ち、喜ばないよ!」
 狼耳がぴくりと揺れた。あごの隙間から漏れていた光と熱が引いてゆく。
 長老のため息を尻目に、味方を押し伏せようとしていた前足が下ろされた。
 集中力の切れたクラウがへたり込んだ途端、赤い二刃も膜もない元の姿に戻った。

レイコ ( 2018/12/21(金) 23:02 )