NEAR◆◇MISS















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第九章
-10- 原点
 鼻へ抜ける潮の香り。打ち寄せる水音。真夜中のアルストロメリア港に、静謐な星明りが降りそそいでいる。コンテナヤードを一望できる波止場の先端で、ダウンジャケットを着込んだジョージ・ロングロードは吸い殻を携帯灰皿に仕舞った。任務漬けで長年野外に晒してきた五十代の肌を、春先の厳しい冷え込みが刺している。大柄の体格も屈強に鍛えた筋骨も、衰えに勝てない。
「急に呼び出して、わりぃな」

 『テレポート』で現れた隻腕のサーナイトは、目上の国際警察官に優雅に一礼した。
 
「あの晩、俺が埠頭にいた理由……はっきり思い出せねえが、メギナの件で重要な報告があるとかじゃなかったか? 架空の人間『ドルミール』が実在すると、夢でみせられた記憶を信じこんでいた俺が馬鹿だった。そいつを信用して、長女の捜索を委ねていたこともな。芝居はここまでにしろ、パラディン。いや、コードネーム『ドルミール』」

 男の殺気を気に留めず、パラディン――サーナイトは役を演じる。

(おっしゃる意味が分かりません。我が主、『ドルミール』は――)
「とぼけるな」
(ゆゆしき誤解で私を消せば、上層部で物議を醸すのでは?)
「心配するな。揉み消しは、貴様と同じくらい得意だからな」
 ロングはモンスターボールを二球、解放した。
「命も記憶も希望も、これ以上奪わせやしねえ!」
 頭の立派な二枚のヒレと橙色のエラが特徴の沼魚。
 黄色で首が長く紅い珠を額と尾にもつ無毛の怪羊。
「岩石封じ! 電磁波!」

 攻撃の口実を与えられたサーナイトの瞳と全身が怪しく、念の青い光を帯びる。
(これは、正当防衛ということでよろしいですね)

 ラグラージ=ロータンが鉄槌打ちで、コンクリートにエネルギーを送り込む。サーナイトの周囲を岩状の隆起物で取り囲んだ。デンリュウ=ペールが麻痺作用のある微弱な電撃で、標的を狙撃した。
 障害を粉砕したサーナイトの『マジカルシャイン』がそのまま、二体を襲った。追撃がくる。敏感なヒレで危険を察知し、両腕をクロスした青い体躯が痛撃を食らい、真っ黒な海面に転落した。球状のシールドが張ったデンリュウは、必中の『マジカルリーフ』から我が身と主人を『守』った。
「十万ボルト!」
 局所的な稲妻がサーナイトを捉える。しかし軽い身のこなしで躱された。

 『電磁波』が相殺されたように見えたなかった。命中したはずだ。
 ならば、なぜ麻痺しない。ロングは訝しむ。

 『サイコキネシス』で持ち上げられた大型コンテナが軽々と、投石のごとく連続で飛んできた。トンの単位はくだらない金属製の巨箱が落下して、ロングとデンリュウが生き埋めにされていく。身動きが取れない。『守る』に、重量の負荷がかかっていく。シールドが破れて下敷きになれば、命はない。
 点滅する額の宝玉。
 モースル信号を読み解いたロングが、黄毛におぶさった。
 腕の見せ所だ。
 『守る』を解除。指を差された方向へ瞬発的に、デンリュウは、遺伝子に秘められた竜属性の底力を見せつけた。超特急で隙間をくぐった直後、いびつに積み上がっていたコンテナが崩落する。ロングが黄色い背中から降り立った。
 身を隠せるコンテナが『サイコキネシス』で海へ投げ込まれ、一掃された。凍える波しぶきをかぶったロングは、隠し持っていた狩猟用ハンドガンを発砲した。重量級の強装弾。『サイコキネシス』が弾道をねじ曲げようとしたが、オルデン・レインウィングスが特殊加工を施した銃弾には利かなかった。
 サーナイトが回避に集中した一瞬を突く、合図を受けた海中からの『投げつける』。
 ラグラージの腕力で地上へ送還されたコンテナが気を引いた隙に、デンリュウが構えた。
「フラッシュ!」
 宇宙にも届くという閃光を使った、目くらまし。
「ハイドロカノン!!!」
 しずくを滴らせて上陸した手負いのラクラージが、特性『激流』状態で発動する。主人への絶大な信頼抜きに習得ならざる、究極技。全身を反動に耐える砲台として口から撃ち出す、青白く輝く至高の砲弾。爆音と風圧が外気を震撼させ、高濃縮した水エネルギーが、標的を衝撃に耐えきれなくさせた。
 活動限界に達した隻腕の聖騎士が、蒸気となって掻き消えた。

「身代わり、か」
 
 ロータン達の借りを、直接的には返せなかった。
 先ほどペールがキャッチしたのは、時間稼ぎが成功した通達。
 額の信号は、ロングにそのことを伝えたのだ。

「生き残れよ……全員」

 細月のとうに沈んだ、星夜を仰いだ。


◆◇


 照明設備が、無観客の屋内バトルフィールドをくまなく照らしている。
 白線がさだめるトレーナーエリアに、『身代わり』の操り師は強制移送された。

「『サイドチェンジ』を仕掛けるとは。大胆ですね」
 不敵に微笑する、右腕の肘から先が欠けたサーナイト。
 フィールドのセンタースポットを挟んで線対象のエリアにて、向かい立つ。
 青いマフラーを身に着けた肘刃の剣士が、騎士道精神を表す一礼をする。
「僕たち警察は、チームです。周りを利用するだけのあなたとは違う」

 ゴースト種と近縁である『不定形』の体質とサイコパワーを組み合わせれば、ステルス能力を発動できる。キルリア=クラウはミナトとハイスクールに潜入した際、そのテクニックを使った。同様にパラディンが濃い霊気の干渉を受ける地帯に潜んでいるとすると、発見の困難が予想された。
 オルデン達人間と長老たちポケモンが知恵が出し合い、作戦を立てた。
 決行の今夜。ハイフェン・レストロイ卿の最強のしもべにして、反物質を司る神を模した人造冥龍が、微弱な『重力』でアルストロメリア市全土を包んだ。生態研究の資料によれば、サーナイトはサイコパワーの影響で重力を感じない。あらかじめ捜査対象外にできた市内在住のサーナイトの波長を除き、ネイティ=長老が『シンクロ』を用いて、微弱な『重力』の影響を受けていない生物の波長を絞り込んだ。
 ジョイン・ストリートの住民を中心とする民間ボランティアも、捜査に協力した。時間稼ぎを担当するジョージ・ロングロード班に、パチリス探偵が居場所の特定が完了したと電気信号で通達した。ネイティ=長老は『身代わり』を使役して戦闘中だったパラディンに察知される前に、このバトルネーソスから、『サイドチェンジ』で位置座標を入れ替えてみせた。
「君ですか。私を呪縛する、この『黒い眼差し』の使い手は」
「ここを去るには僕を倒すか、僕の味方になるかです。説得するチャンスを下さい」

 サーナイトの無言の了承を得るまで、クラウは息をつめて瞳を凝らした。

「ある人達から聞きました。昔、ある研究団が幻のポケモン、ミュウの万能遺伝子を用いるロストテクノロジー、コピーポケモン製造方法の再現に成功したそうです。“プロジェクト・ミュウ2”の前臨床研究では、ミュウとタイプと特性が同じポケモンが被検体に選ばれました。その中の一体、全能力向上の改造に成功した“試作品”(プロトタイプ)には、人間への慈愛と服従がインプットされていましたが……高知能な自我が研究団の支配を拒んだため、封印措置が取られたそうです。“試作品”から抽出した変異遺伝子を改良した“完成品”が製作されるようになると、コピー技術は人身売買用の人体複製技術に、応用されて……」

 国際警察の暗部は、押収した優良個体やタマゴを、何も知らされていない訓練生のもとに世代をずらして譲渡し、コピーポケモン達の生き場所を設けていた。携帯獣の個性は後天的影響を受けやすく、外見から血縁関係を推測するのは不毛に近い。観察の才があり、独自に暗部の真相にたどり着けたポワロ・フィッシャーの弟『ランド』は例外だった。

プロトタイプ(あなた)完成品(ぼく)の、オリジナルだったんですね」

 自分を含めて人の手で孵された同胞は皆、顔も見たことない肉親への執着がなかった。フィッシャー兄弟の口から明かされた真実に対して、葛藤がなかったとは言わない。しかし、今になって判明した己のルーツより、アイラ達のような、愛情をそそいでくれる存在がいなかった生みの親の境遇に胸が痛んだ。

「優しかったあなたの全部が演技だったとは、思えないんです。歴史改変が完成する前に、人類がポケモンに変身できたら滅亡を防げるとか。文明も法律もなくなれば、犯罪が定義ごとなくなるとか。そんな暴論、本当はあなたも虚しいんじゃないですか? 僕たちは、人間より美化されて良い種族じゃありません。無益な殺生を悦ぶ亜人だって、いるんです。もうやめましょうよ」
「ありがとう、クラウ。君が、私の捨てた良心を持ってくれていて」

 赤い双眸同士、阿吽の呼吸で瞳の奥に上がる開戦の狼煙を見た。

 エルレイド=クラウが忍ばせていたモンスターボールを二球、放った。
 バトルフィールドに出現した二体は、高貴な外見の一部が損傷していた。
 エンペルトの王冠状の三本角は半分に折れ、ミロカロスの尾ビレは二枚しか無い。
「クラウが同情しようと、我々は貴様を許さん! 成敗してくれる!」
「言い分が平行線なら、戦いで決着をつけるしかないわよね」
 
 嘴から撃ち出された鋼の光線、『ラスターカノン』。最小限の動きでサーナイトによけられる。不揃いな尾ビレが起こした威力不足の『渦潮』は、たやすく抜け出された。こちらの番、と言いたげな『マジカルリーフ』。エンペルト=雄黄(ゆうおう)は『鋼の翼』を振るって細切れにし、ミロカロス=長春(ちょうしゅん)はあえて攻撃を受け、『ミラーコート』で強化したダメージをはね返す。
 しかし『マジカルリーフ』を操って即席した盾に防がれ、対処の遅れが『テレポート』の接近を許してしまった。狙われたミロカロスを庇おうと、エンペルトが『アクアジェット』で駆る。タッグパートナーが前後一列に並んだ瞬間、攻撃技ではなく、『催眠術』が放たれた。
 深い眠りに落ちる二体。
 戦闘不能。

「先鋒と次鋒……中堅は君ですか?」

 隻腕で、この強さ。
 英雄視しそうになるエルレイドの本能を、鎮める。
 クラウは決戦の舞台に踏み出した。

「あなたに無いものが、僕にはある」

 資金不足を相談すると、長春は美しい尾ビレを提供してくれた。美意識過剰な雄黄も、文句を言いながら角を折ってくれた。再生するとはいえ、チャーレムのツテで怪しい売買ルートから高額の臨時収入を得たクラウは、素直に喜べなかった。アイラに一緒に戦うと粘られて、安全な場所にいて欲しい、遠くから武運を祈ってほしい、と説得するのに時間がかかった。継ぎ目の綺麗なプロセスがまるで、車窓からの眺めのように脳裏を過ぎ去り、ここが終着駅だと鼓動が知らせた。

「絆が、力をくれる!」

 バディと色違いの、手編みの青いマフラーを握りしめる。進化を超える進化の力を秘めた、“覚醒のタネ”。大好きな人達を守りたいと、強く想うかぎり、理性は暴走に飲み込まれない。カラフルな螺旋模様の劇薬を齧った。
 全身をくるんだ煌びやかな光の繭が割れ、頭上に浮かび上がる螺旋の紋章。
 体の前面に被ったマント状の背中の膜を、後部へとひるがえす。
 装飾的な兜型の頭部。両の前腕に成形されたプレートのような赤い刃。
 純白を基調とする退魔の剣士へと、クラウが覚醒した。

「勝負だ、パラディン!」
 お守りの青いマフラーを、首からほどいた。

 吹き荒れる『マジカルリーフ』。対する『リーフブレード』。
 雄黄直伝の二刀流で、緑の嵐を斬り伏せた。サーナイトの顔つきがかすかに締まり、淡紅色の強い光で作った大型の弓から矢を放つ。長矢の型をした『ムーンフォース』が狙いの中心を射た。
 矢が砕け、発煙した。
 クラウが盾に使ったマント状の膜はほぼ無傷だった。『ムーンフォース』を変形させた光の鞭が、間合いに踏み込ませまいとする。竜蛇のようなホーミングを俊敏なフットワークでかわしたが、一度の回避ミスで空中へ追い詰められた。体勢を丸め、背中の膜をサーフボードに見立てて乗る。
 猛追する鞭の上を、レールトリックの要領で滑りこなした。野生知らずの成育歴はクラウとパラディンの共通項。どちらも人間流の武術を会得している。純粋な運動能力では、格闘タイプのエルレイドがサーナイトを上回る。
 落下速度を利用した、空飛ぶヒーローさながらの『炎のパンチ』。

 隻腕が突き出す、『ムーンフォース』のレイピア。
 灼熱の拳の決め時を、強烈な刺突で食い止められた。

 クラウは弾き飛ばされ、受け身で姿勢を立て直す。
 細身で優美な薄紅色の切っ先が絶え間なく、繰り出された。拳の激痛を抱えたまま、『リーフブレード』で打ち返す。『テレポート』による出現と消失の応酬。激しくぶつかる二刃と片手剣。隻腕のハンディを物ともしない。パラディンの技量は経験の差でクラウを上回る。
 長期戦は避けたい。パワーが尽きれば、形勢を巻き返せなくなる。窮地に体が燃え、負けじ心の特性『精神力』が研ぎ澄まされていく。息が上がるにつれ、クラウは相手の気配が細かく読めるようになってきた。

 呼吸。肉体の発する声の奥にある、心の声。その神髄に宿る、潔白な魂。
 
 ブレードとレイピアが糊付けのように膠着し、小刻みに振動しながら力を競う。
 そうだったのか、と合点がいったクラウは歯ぎしりの隙間から声を振りしぼった。

「やっぱりあなたは、人間を……救える命を諦めたくないんだ。でも、この時代でハイリンクの森の神の『時渡り』を阻止できても、人間が存在するかぎり、滅亡の危機は繰り返される。未来を、信じていない!」

 クラウの足が、スカート状のひだに隠れていた美脚の下段回し蹴りで払われた。膝蹴りも、顎に叩き込まれた。衝撃が脳をぐわんと揺らし、四つん這いになった背中からマント状の膜の裾が地に広がった。立ち上がれない。手のそばに毛糸の感触があった。防寒より大きな意味をもつ青いそれを、ぐっと掴む。まだ、やれる。やらなくてはいけない。
 降参を勧めるかのように、頬にレイピアがあてがわれた。
 次の瞬間、絶対的有利であったサーナイトが華麗な後ろ飛びで距離を取る。
 
「やっとるのう、小僧ら」

 クラウの真横から、声がした。
「長老……いつ、ネーソスに戻って」
「地道にのう、クラウ。『サイドチェンジ』はさっきの一回でくたびれたわい」
 見た目は若鳥、精神は老鳥。答える口ぶりは飄々としている。
「大将はあなたでしたか」
「いかにも」
 尋ねたサーナイトを見据えるネイティの両眼は、笑っていなかった。

「おおパラディン。わが一番弟子よ……と言いたいが、歴史改変でわしとの関係も消えておろう。違法のコピー技術がわしらの希望をつないだ皮肉は、綺麗さっぱり忘れたほうがいいかもしれんがの」

「私の師?」
 サーナイトが、瞳をわずかに硬くする。
「森の護り神の“魂”と“心”を分断できた理由を、まだ伺っていませんでしたね」

「『大洋(オセアン)』は年月を現職のみに費やしたのではない。わしの最後の大仕事には、わしの自我へ肉体の主導権を戻さねばならん。世界中を探し回り、ひそかに『触角(タンタキュル)』に託しておったのだよ。生物の心を入れ替える異能をもつ、蒼海の王子をな」

 ジョージ・ロングとポワロ・フィッシャーのコードネームである。金城湊に護り神の魂を移し替える儀式の際、妨げとなる護り神の自我を“心”として抜き出し、交換を引き受ける役目は暫定で、ロングと決まっていた。

「国際警察の保管庫ならば、おぬしもおいそれと手出しできん。結晶化したルカリオとは、“夢”を通じて和解した。森の護り神の心をルカリオの体に預けることで、わしの自我は回復した。自動で異能が切れてからは、魂に帰ったあやつの自我を、睡眠を断って抑え込んでおる。おぬしが各地で『夢の煙』を搾取し、オルデンの留守中に息子を攫う独り仕事に追われるあいだ、わしらも遊んでおった訳ではない」
「ぺらぺら喋るのは、敗北前の様式美に当てはまりませんか?」
 耳打ちしたクラウに、ネイティはほっほと気楽に笑う。
「心配はいらん。ほれ、戦うのはわしじゃあなく副将だしの」
 青いマフラーに隠されていた、最後のモンスターボールのスイッチを嘴でつついた。

 球の開口部から飛び出した光が『神速』で駆ける。
 サーナイトの警戒から臨戦態勢への移行が、間に合わなかった。動体視力を越えた突風の通過後に、左肩口から先が得物ごと空っぽにされていた。強奪物がぼとんと捨てられる音を、うなじで聞いた。噛み千切られた腕を『サイコキネシス』で引き寄せ、断面を接着させる。すかさず『炎の渦』が巻き起こり、閉じ込められた。熟睡中のエンペルト達から『夢喰い』で体力を吸い上げ、鮮血の溢れだしていた重傷を癒した。 
 熱気が表皮を炙る紅蓮の檻越しに“副将”との対峙を仕切り直す。
 威風堂々と逞しくも美しい、東洋の伝説に名を刻む火焔獣。 
 
 ウインディ――ファースト。

「まさか」
 隻腕をかろうじて繋ぎとめた聖騎士の声色が、ほのかに上ずる。
 ネイティが右目を瞑った。
「その、まさかよ」
 右目は未来を、左目は過去を。
 精神が老い先短いネイティオの肉体に宿っていた往時、歴史改変前の世界において、国際警察が試験的に設立した、『未来予知』捜査を主体とする犯罪予防チームの最高顧問として掲げていたスローガンだった。
「オルデンが大胆な仮説を立ててのう。未来で人類が滅びておらねばファーストを救う手だてが確立されておるはずと、一か八か賭けに出た。ロングとともに『時の波紋』と『時空ホール』を調査し、『タイムカプセル』を開発した。未来への時間旅行から帰還したファーストは、この通り、完治しておった。おぬしの計略は無意味……さらばだ、『ドルミール』」
「待って、長老! ファーストさんも!」

 跳びかかろうとしたウインディの正面に、クラウが立ちはだかった。
 ひと噛みで首をもがれそうな恐ろしい想像を与える、鋭い牙。
 傑物の風格を持つ獣の眼に射抜かれ、数瞬、気迫負けさせられかけた。

「ファーストさんの気持ちに比べたら、僕は……でもこんな敵討ち、誰も喜ばないよ!」
「クラウよ、そこをどけ」
 睨みつけるネイティに、言い返す。
「僕の大切な人達なら、簡単に肉親を見捨てない。それに、僕はまだ負けてません」
 マント状の背膜を翻し、問いただした。 
「答えろパラディン、なぜ“彼”の脱走を見逃した! なぜ連れ戻さなかった!」
 『炎の渦』の風鳴りだけは変わらず、続いた。
 返答があるより先に、囚われの身が燃え尽きるのではないか、と気を揉んだ。

「……私にも、わかりません」
 
 陽炎にゆらめく、戦意を放棄した儚げなサーナイトの微笑。

 ウインディの耳が余白を聞き取り、ゆっくりと牙が納められる。
 燃え盛る炎がほどけていった。
 クラウの緊張がゆるんだ途端、疲労が押し寄せて元のエルレイドに戻った。

レイコ ( 2018/12/21(金) 23:02 )