NEAR◆◇MISS















小説トップ
第九章
-9- はじまりとおわり
 俺は悪夢を見せるだけで、夢の内容を覗いたことはない。
 異例の事態だった。
 幽体離脱でもしているみたいに、音のしない桃色の大地を俯瞰していた。
 警部補とゾロアがいる。ふたり分の断片的な感情が流れこんでくる。
 怒り。悲しみ。苦しみ。
 これは、悪夢だ――

 俺の肉体は、この場所にない。ヒールボールの中にある。
 動け。球外に出ろ。早く、警部補を起こすんだ。
 暴れたい意識と全身の重い泥のような感覚が、噛み合わない。
 ――クソだ、俺は。凶悪な能力を封じ込められるようになりたいと、間抜けに期待をかけた。一日でも長く穏やかに、クラウみたいに、警部補のそばで過ごせるようになるという誘惑に勝てなかった。クラウや探偵事務所のメンバーと俺の種族について調べた時、俺は、悪夢で人間の少女を衰弱死させたという記録を見つけていた。平凡な日常を望んではいけなかったんだ。ごめんな、警部補。俺が悪かった。本当にごめんな、ごめん。ごめんな……
 
 いきなり、ボールから現実世界へはじき出された。

 警部補は!? 
 いない。

「お連れした当室は、ジョージ・ロング殿のお住まいでございます」
 警部補からアフロと呼ばれていたな、このチルット。
 親父さんの名前……だったらここは、アルストロメリア市内の賃貸マンションか。 
「拠点とする許可を頂きました。このお方が、オルデン・レインウィングス様です」

 肩にネイティを乗せている、丸眼鏡をかけた地味な風貌の男。
 四十代といったところか。虫も殺さないような顔をして、よくも。

 握りに力を入れすぎて、俺の拳から異音がした。
「てめえが黒幕か!」
 殴りかかろうとしたが、割って入ったチルットの『コットンガード』に防がれた。
「この大嘘つき野郎! 警部補はてめえのせいで、俺のせいで!」
「このお方は嘘つきではございません! 悪夢の抑制と増幅を遠隔で切り替えたのです!」
 チルットが片足を上げて、足輪をよく見せた。
 あれがリモコンになってたのか。ふざけやがって!
 隙をついて、綿のような白い翼から、極小ヒールボールのペンダントをひったくった。出会い方が違えば、この天才エンジニアを尊敬できていたかもしれない。開発者本人の前で逸品を、粉々に握り潰してやった。

「なんてことをー!」と、チルットが翼で頭を抱える。白いアフロヘア。
 丸眼鏡の男が自分の胸に手を添えた。

「私を殴る前に、事情を説明させて下さい」

 この男。
 優しそうな眼の奥が、覚悟を決めている。俺のことが、怖くないのか?
「言い訳なら殴られた後にしろ!」
(うるさいのう、クソガキ)
 飄々とした雰囲気のネイティのテレパシー。
 チルットが補足説明した。
「長老は『シンクロ』で影響圏の音声を一元化、すなわち同時通訳できるのです」
(悪夢をばらまく心配も無用。部屋に張ったわしの『守る』で、一晩は遮れるぞい)
 そんな凄くて便利な力が発動中なら、さっさと言っておけ。
「俺の言葉、人間のあんたに伝わってるんだな!? なぜ警部補を騙した!」

「協力拒否を怖れたからです。時間がありません。私の息子も、拉致されました」

 息子?
 なんだ? この、腹に穴を開けられたような風通しの寒気は。

「精神世界の深部にアイラさんを導くには、君の悪夢をみせる力が必要だったのです。君と彼女の集団悪夢は、ヒールボールの機能で観測させてもらいました。監視官『ドルミール』の報告では証拠不十分でしたが、今夜の様子を見る限り、私は記憶喪失が演技ではないと信じます。君がスパイだとは思えません」
 
 俺が……スパイ?

「ハーデリアの死が、アイラさんの心を弱らせたのでしょう。我々に敵対する一味は隙につけ込み、“夢”を通じて彼女を昏睡状態まで追い込みました。声や足に現れた後遺症の元凶は、彼女と襲撃犯の精神の混線です」
(よからぬ残留思念が、わしには見抜けた。娘の主治医は心因性とだけ言うておったろ?)
 この長老とかいうネイティ、見た目は若い小鳥のくせに喋り方がジジ臭い。
(詳しい事は、わしらが口止めした。思念が主人格を乗っ取る事もあることもあるでな)
「危険の芽を摘むためとはいえ、予告もなく荒療治を。彼女には申し訳ない事をしました」

 この人たち、何を言って……

(残留思念は、わしが封印した。娘の健康を約束しよう)
「もう一つ、確かめなければなりません。君は、元人間ですか?」

 恐怖すら、覚えた。
(あんた、何者だ。俺の何を、知っている)

 男から、一つのモンスターボールを差し出された。
 炎が燃えるような魂の在り処を、感じる。
「この中にいるのは、君の最も古い記憶に近しい存在です。夢の世界で接触すれば、失われた記憶が戻るきっかけになり得ます。こんな提案しかできない私を……親代わり失格の私を、許してください。――ミ・パーム・レスカ君」

 時々クラウが話題にしていたその名が、はっきりと向けられた。

 後悔した。
 ありがとうも、おやすみもごめんも、俺が言いたいから言った。
 なぜもっと早く、警部補へさよならを伝えておかなかったんだろう。

レイコ ( 2018/11/19(月) 22:16 )