NEAR◆◇MISS















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第九章
-9- はじまりとおわり
 俺の『特性』は悪夢を見せるだけで、夢の内容を覗いたことはない。でも今回は、特殊だった。半透明のくす玉に閉じ込め入られているみたいに、ぼやけた光景を俯瞰できた。警部補と、一緒にいる黒っぽいのはたぶん、ゾロアだ。なんの声も音も聴こえないのに、喜びや悲しみや、断片的な警部補の感情が流れこんできた。急に彼女が苦しみだし、俺はこの悪夢を終わらせようと躍起になって大暴れした――
 突然ヒールボールからはじき出され、背中から床に叩きつけられた。ボールの中で大暴れした疲れがどっと出て、身動きがだるい。俺はベッドのヘッドボードにつかまり、おそるおそる警部補の様子をうかがう。目にしてはいけないはずの、寝顔。のろけ話でよく聞く、幼く見えるというのは本当だった。微熱に冒されているような、熟睡できてない表情。今は小康状態だが、『特性』の影響が再燃しないうちに退去しよう。悪夢を見せない――自分に課していた最大のルールを破ってしまった。たとえ彼女が俺を許しても、俺が俺を呪ってやる。鬼気迫る想いで胸の奥で握りこぶしみたいにわななく。広がっていく振動は苛烈で、ブチブチと繊維みたいな何かがキレる感覚につづき、拘束を振り切った攻撃性が草食系の平和志向を一口で丸のみにした。国際警察の知り合いだかなんだか知らないが、くだらない罠を仕組んだ野郎に落とし前をつけてやる。無防備な細い首にかかっているペンダントを盗もうとする手が震えて、気配で起こさないかと脂汗が浮かんだ。バディにまかせたのは失敗だったぞクラウ、お前の代役より先を争う野暮用ができちまった。俺の一存で書き置きも残さず消えたことを、目が覚めたら警部補は怒るだろうな。謝って済むと思えないから、遠慮なく恨んでくれ。ここではっきり、さよならを伝えておかないと、一生後悔するかもしれない。
 ……やなこった。
 さよならなんて、言いたくねえよ。
 どこ行ったんだろうな、事あるごとに縁を切ろうとしていた初期の自分。
 退院後の、二週間にも満たなかったふたり暮らし。
 幸せだった、と胸を張って言い切れる。口には出さねえけど。
 こんなバカによくしてくれて、心から感謝してもしきれない。
 ア……いや、いいんだ。最後に名前も呼べないヘタレのほうが、俺らしくて。
 行ってきます、警部補。

 親玉のもとへ案内しろと、俺の脅しにアフロと名乗ったチルットがやけにあっさり屈したのは、俺と自分の主人を引き合わせることまで計画内だったからだろう。特性ヒールボールの開発者の腕は天才的だが、尊敬の念も湧かない食わせ者だ。約束どおり俺の『特性』を抑制する機能はついていて、ただし内密に仕込んでいた増幅機能との切り替えが遠隔操作で可能だったらしい。チルットの足輪に観測装置とリモコンが内蔵されていて、俺が中からボールをぶっ壊す前に外に解放したそうだ。移動については、“悪夢”のばらまき防止もかねて俺がペンダントサイズの極小ヒールボールに収まり、『空を飛ぶ』ということでチルットと話がついた。『コットンガード』で重装備をした青い小鳥が月のない凍える深夜のフライトを開始する。

 ――いいよな、これだけ遠い空まで来れば、ひとり心の中で半狂乱に陥っても。“本当は”から始まる、離れたくない、残りたい、たい、たいの稚拙な語尾の乱発、泣きじゃくるクソガキ以下だ。どうして俺はこういう半端者で、凶悪な能力を持ってて、みんなが普通に手にしている平凡な日常が約束されていないんだ。何をどう頑張ればクラウみたいな人畜無害になれたのか、誰か教えてくれ。すっかり性格の角が取れて、ぶざまな腑抜けになっちまった。未練たらたらで格好悪すぎだろ、ボケッ。今までの遁走未遂とは、苦悩の重みに差がありすぎる。これから行く先で返り討ちに遭えば、這いつくばってでも恥を忍んで警部補のそばに戻ってこられなくなる。もう二度と会えないかと想像すると、怖くてたまらない。行きたくねえ。行きたくねえよ。でも、行かなくちゃらねえんだ。ごめんな、警部補。これが正しいことかも判らねえのに、ノープランで飛び出して。こんな乱暴な手段でしか、恩返しの真似事ができなくて。ごめんな、ごめん。本当にごめん。ごめんばっかりしつこく連呼して、ごめんな……
 

 ほとんどの星が消えた、明け方。
 アルストロメリア市より規模のでかい都市の上空でボールから解放された俺と、チルットの知り合いでイチリという名の、待機していたフワンテの『スキルスワップ』で『特性』を交換した。裏にいる司令塔の抜け目のなさ、気に入らないな。でもこれでしばらく、地上に降りても眠っている住民に気を遣わなくていい。
「こう見えて、ボディーガードの訓練を受けております。おかちな事は考えませぬように」
 たまに発音が舌足らずでそそっかしく見えるが、チルットの警告は老成した物腰だ。
 質素で零細企業感のただよう、三階建てのこじんまりしたビルを示して言う。
「あれが、自社ビル兼お住まいです。近いうちに会社をお畳みになるので、ここも人手に渡るとか。何か月も副業で別の職場に缶詰めになっておられるので、ご在宅は久方ぶりのことでした。残り短い、親子水入らずのいとまをお過ごちなのです。おいたわしくて、泣けてまいります……」
 二階に、明かりがついていた。中に、人影が見えた。 
「あのお方が、オルデン・レインウィングス様です。社長にして――」
 言い終えるのを待たずに、極小ヒールボールをひったくる。
 人影がこっちに気づいて開けた窓へ、突っこむ。影化すればどんな隙間も通れる。
 ついに対峙したのは、虫も殺せそうにない、温和で地味な顔つきをした丸眼鏡の中年男。
 生みの親の面前で、アクセサリーとしても一級の非凡な発明品を粉々に握りつぶしてやった。

「てめえが黒幕か!」

 タックルを食らわせた男はひっくり返り、はずみで落ちた眼鏡のレンズが衝撃でひび割れた。胸ぐらをつかみ、思いきり後ろに引いた拳を顔面にぶち込む。的に当たる寸前に『コーンガード』が割り込んだ。身代わりになって殴り飛ばされたチルットの、軌道上にあった室内の機材や備品が騒音を立てた。
 慌てて階段を下りてくるような足音が響き、外側からドアがひらかれた。
 パジャマ姿の六歳くらいの男の子が、呆気に取られている。よく似てる。息子か。
「エディ、まだ上で寝ていなさい。心配はいりません」
 この男……
 侵入者に何されるか分からない状況で、なめた事を抜かしてんじゃねえ。
 あのチビを人質にして、洗いざらい口を割らせてやろうか!
 それとも目の前で親父がズタボロにされるトラウマを、負わせてやろうか!
 好きなほう、選びやがれ!
 ――恫喝する図を思い浮かべても、なんの旨味も味わえなかった。
 鎮静剤でも打たれたみたいに、野蛮な熱が身体の奥へ引き返していく。
 おびえた小さい子を巻き込んでまで、俺は暴力沙汰をつづけられない。
「でも、おとうさん……」
 勇気をふり絞る姿がいたいけで、胸ぐらをつかんでいる握力が抜けていく。
「アフロ、エディオルを寝室へ連れて行きなさい」
 仰向けで無抵抗の父親に、勝手に喋るなと口止めできなかった。
 無傷のチルットは言われたとおり、羽量を元に戻して三階へ誘導する。
 ドアが閉じられた後も、青ざめたあの子の半泣きが頭から離れなかった。
  
「私は、卑怯者です。覚悟はできています。しかし……」

 一対一になった途端、男が語りかけてきた。
 俺の激昂が萎えたことを見のがさず、動揺につけ込んでくる気か。
「殴られて気絶すると、説明が遅れます。できれば、先に話し合いをしませんか」
「話し合い?」
「あなたの言葉は人の言葉として、聞こえていますよ」

 な、なんだと!?

「長老の『シンクロ』は、影響圏内の音声情報を一元化できるのです」
(小難しい言い方するのう。ざっくりと、わしを同時通訳と思えばよい)
 ジジ臭いこの口調、テレパシーだ。長老とかいう、使い手の姿は全く見えない。
(そろそろ、オルデンを離してやらんか? その男は逃げも隠れもせんわい)
「お口添え、感謝します。他に質問はありますか。なければ――」
「なぜ警部補に悪夢を見せた!」
 額をくっつけた至近距離で怒声をあげてから、乱暴に突き飛ばした。
 男はゆっくり起き、壊れた眼鏡を拾い、羽織っている白衣のポケットにしまう。
 痛そうに腰をさすり、手近な椅子に座る。目つきが優しい。俺が怖くないのか? 
「ある理論や仮設の実証するには、膨大な臨床データが必要です。最初から成功すると決まっている治験など、どこにもありません。この新月をのがせば、次の機会を待つ間に敵対勢力がどう出るか……時を惜しみ強行したことは、お詫びします。しかし百パーセントの安全性を保障できない状態で、君は素直に協力してくれたでしょうか?」

 それは……

「おそらく忠犬ハーデリアの死が、潜在的にアイラ・ロングロードさんの情緒を激しく揺るがしたのでしょう。敵の一味は用意周到にその隙をつき、“夢の中”で精神を冒された彼女は昏睡状態に陥り急遽入院となりました。意識が戻ってからも運動機能の支障を引きずった最大の原因は、深層心理に憑依した襲撃者の残留思念との霊的混線です」
「残留? 深層? なんだ、それ……どこに根拠が……」
(わしには見抜けたんじゃよ。長年、同じような立場だったからのう)
「君には、ふたりの監視役がついていました。コードネーム『タンタキュル』と『ドルミール』。『タンタキュル』は味方ですが、『ドルミール』は要注意対象です。君をわざと逃がし、アイラさんを“絶望”させる刺客として送り込んだのも、彼の仕業でしょう」

 俺が……逃がされた……刺客……?
 こいつ、何を言って……
 
「一味は予想外の事態を逆手に取り、ゆくゆくはアイラさんの精神を崩壊させ、残留思念に内側から彼女の記憶にもとづく『夢の力』の摂取を促進し、人格の主導権を奪い肉体をのっとる形で当初の“目的”を達成しようとしている……というのが、こちらの掴んだ情報です。私たちは、二つの魂の穏便な接触が対抗策になると考えました。“思いだしたくないこと”や“考えたくないこと”を無意識に封印している深層心理の扉をこじ開けるためには、君の能力が必要だったのです」
「てめえらの敵が、警部補の敵だと言いたいのか? ふざけんな!」
 やけくそで振り下ろした拳骨が、作業台をへこませた。
「ゴチャゴチャと正当化しやがって、先に手を出してきたのはてめえらだろうが。恩人の心を傷つけられて、こっちは頭にきてんだよ! どんな理由があろうと許してたまるか、慣れ合うつもりはない!」
「当然の反応です。怒ってくれて、ありがとう」

 いくら噛みついても、柳に風と受け流されちまう。
 礼を言われる筋合いなんか、ない。どこまで俺を混乱させたら、気が済むんだ。
 その涙をこらえたような微笑みは、一体なんなんだ。もう訳が分からねえ。

「君は私を恩師と慕ってくれていましたが、気を遣っているのではないかと邪推したことも、一度や二度では……私の作った製品を壊すなど、以前ならありえませんでした。このような、反抗的な態度を取ることも。ようやく、親子のような喧嘩ができましたね。願わくば、殴る蹴るに発展するのはこれっきりがいいですが。今後は胸を張って、君をわが子同然に思えます」
「あんた、まさか……」
「元人間であることも、その素性も知っています」

 腹の底から爆発せずに、いられなかった。
 
「いい加減にしろ! そんなバカな話、あるか! 信じられるか!」
「言葉だけで、納得させられるとは思っていません。確かめる方法が一つあります。私は外から観測し、危険があれば即、実験を停止する義務があります。ですが君の幼少期を知り、愛し愛された私以上の適役が、ここに」
 そう言って、一つのモンスターボールを差し出された。
 中から、力強い生命力を感じる。誰かが、燃えるような眼差しで俺を見据えている。
「夢という名の“精神世界”でこの者と触れ合えば、失われた記憶が戻るかもしれません。選ぶのは君です――ミ・パーム・レスカ君」

 クラウが時折口にしていたその名が、今はっきりと俺に向けられた。

レイコ ( 2018/11/19(月) 22:16 )