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第九章
-8- おわりとはじまり
 幻影を使える暗色の仔狐。ゾロア。
 淡い薔薇色の雲に閉じ込められているような亜空間で、視線が溶け合う。
 アイラはひざまずき、声を発した獣を抱きしめた。
 幼い頃、八歳差の何もかもが眩しかった。.
 世界でたった一人の姉、メギナ・ロングロード。
 生き別れてから、風化させたくない思い出を慕いつづけた十年間。
「お姉ちゃん、どういうこと。その姿は何?」
「文句ある? ケダモノ呼ばわりで結構、まだ小さかった妹を見捨てた女なんか……」
「勝手に人の気持ち、決めつけないでよ」
 年端のいかない下の子に戻ったかのような、涙ぐんだ声だった。
 ゾロアは激しく首を振り、尖ったひげの鞭で威嚇する。
「もう充分だろ、離して。感動の再会なんて幻想、今すぐ捨てな」
 辛辣な物言いで突き放し、身をよじって窮屈な腕をすり抜ける。
 すとんと降り立ち、アイラを真正面から見上げた。赤い眉模様がゆがむ。
「一回しか説明しないから、集中して。ジョージ・ロングから夢をむさぼり続けても、メギナの記憶は戻らなかった。アイラは違う。正気に返ったゾロアークはあんたに見せた“悪夢”をなかったことにするために、全員を巻き込む破壊工作で自滅した。“ここ”で何が起きたか、覚えてないだろ? それでいいよ。搾取から解放されたジョージ・ロングは目覚め、“精神世界”に致命傷を受けたあんたの意識不明は長引いた。でも、詰めが甘かった。妹の夢の力を奪って姉の人格がよみがえった時、魂の情報に混線が起きていたんだ。無意識の最深部に寄生する残留思念になり下がるなんて、もう最悪」
「残留思念?」
「分かりやすく言えば、ごく軽度の二重人格。一つの体に二つの魂という状態。自然の摂理に反してるから、肉体の主導権争いが起きないとか無理。あんたが喋れなくなったり、運動機能に支障が出ている原因の半分は、このあたし」
 アイラは、生つばを飲みこむ。ネイティ=麹塵を思い浮かずにいられない。
 根が生えたように、正座を崩さなかった。
「お姉ちゃん、それじゃ……」
「“悪夢”もそう、残留思念という異物から身を守る防衛反応だ。過剰に働いて辛い目に遭ったのは知ってる、でもあたしの存在を気づかせるチャンスだった。近ごろあんたの情緒が安定してからは、そんな希望もなくなったけど。それはともかく、離れていても“心”はつながってるから、分かるんだ。“あいつら”は実験体のイーブイに移植されたメギナの精神データを使って、あの出来損ない……ゾロアークを作り直そうとしてる。性懲りもなく、そいつからあたしの研究を再現に必要な記憶情報を引っぱり出すのが目的だ。“ここ”にあたしを置いとくことがどんなに危険か、どうしてもあんたに伝える必要があった。ああそれから、父親への憎悪。別人格が増幅させてると聞いたら、少しは安心する?」
 ゾロアはふんと鼻を鳴らした。目つきが殺伐としている。
 念願の姉妹の時間を修羅場に変えかねない、デリケートな懸案事項。
 アイラは考えをめぐらせる。受け身なだけの我慢強さは六歳で底をついた。
 子どもから大人に近づいたという自負が、アイラを質問の義務へ回帰させる。  
「パパを、まだ許せない? ママのことがあったから?」
「……あいかわらず家族に甘いね、アイラ」
 口調は固く、額と首元の長毛がぞわっと逆立った。
「家を出たっきり、母親とは絶縁してた。急死とか、ふざけてる。命日に墓参りくらいしてやろうと、気まぐれを起こしてね。そしたら鉢合わせたんだよ、ジョージ・ロングに。アイラを連れてこなかったのかって訊いたら、なんて言ったと思う? あの子はまだ知らなくていい、国際警察官になるために専念するほうが大事だと」
 じゃあ、やっぱり――
 部下の彼へはじめて弱みを見せたアイラの回想を、姉の声がさえぎった。
「嫉妬したよ、何の落ち度もない妹に」
「えっ?」
 思わずの聞き返しに、ゾロアはやつれた微笑をのぞかせる。
「国際警察官の福利厚生、悪くないだろ? 護身術も学べる。ジョージ・ロングはそれを見越していたんだ。あんたが自信をもってまっとうに、生きていけるように。腐っても刑事のあの男に連れ戻されたくなくて、足がつくから公的支援は何も受けられなかった。社会の最下層に転落した不良娘。貧困は自業自得だけど……恨まずにいられなかった。次女にはいっぱしの親父ぶるなら……なんで、どうして、長女の捜索は死ぬ気でやらなかったんだよ。いきがって親元を離れた十四歳の小娘が“きれい”に暮らせるほど、世の中甘くない……ゴミ溜めあさって、腐りかけの残飯で食いつないだことある? 全身垢まみれで悪臭放ったことは? 欲望を満たしたいだけの男どもを金ヅルにしたことは?」
 アイラの記憶から消せない、自分を置いて去っていくつややかな長い後ろ髪。
 勝気で可憐だった少女の生霊が、仔狐の口を介してまくし立てているかのようだ。
「人間に生まれたことを、呪わない日はなかった。平和ボケしたヨーテリーが、野生のマメパトが、なんでも消化できるヤブクロンが……羨ましかった。全部最初からやり直せるなら、数百種類いるあの生き物たちの、どれでもいいからその一匹になりたいと、何度思ったことか。路上生活に疲れきって、暴漢の集団にいいようにされかけたところを、救われた……強くて優しい、サーナイトに。あんな完璧な騎士(ナイト)、他にいない……」
 ぬいぐるみを思わせるあどけない容姿の鼻面が、女の顔になる。
 重苦しく耳を傾けていたアイラの胸にびくっと、小動物のような震えが走る。
「彼はテレパシーを使えた。素性をほとんど教えてくれなかったから、勝手に呼び名をつけた。頼みこんで、守ってもらえるようになった。何かの組織に属してるとかで、留守も多かったけど。『テレポート』で地方を点々として見聞を広めるのは、楽しかったよ。ふたりボロ布にくるまってタマゴを温めて、リオルを孵した夜が昨日のことみたい」
「お姉ちゃん……」
「……そうだよ。本気で結ばれたいと思った。人間の女に興味ないとはっきり言われても、諦められなかった。逆に、燃えたよね。裏組織にもぐりこんで、科学部門に配属されるよう必死で努力した。どうせ元々、ヒトを捨てる未練はなかったし。組織の壊滅後も研究に没頭して、ようやく見返せる段階にこぎついたと思ったら……彼の、本当の狙いを知った。自分が利用されていただけと、やっと分かったんだ。歴史改変で滅亡する人類に、歪んだ救いの手を差し伸べるために……名無しのほうがいくらか、真名の『プロトタイプ』より可愛げがあるよ。愛憎いり交じる天使みたいな思想は責めない。でも、気持ちをもてあそばれた復讐がしたかった。彼が欲しいのはテクノロジー開発者の頭脳。あたしは不安定な実験を強行して、記憶喪失の怪物に生まれ変わった」
 おわりは、はじまり。
 はじまりは、おわり。
「ゾロアークを復活させようとしてる“あいつら”って、国際警察?」
「いい線だ。とりあえず、あんたの知人はシロ。でも名前くらい、聞いたことあるだろ。ひとりは……“聖騎士(パラディン)”」
 自称怪物の残留思念は言外に、名付け親の栄誉を含ませた。
 空虚で不合理、波乱に満ちた姉の盲目。
 アイラの握り拳はほろほろと崩れ、うなだれて問う。
「まだ、愛してる?」
「まだ、愛してる」
 語尾の上がり下がりを除いて、正確に一致するこだま。
 一拍おいた。
 二、三、四と。非生産性なモラトリアムを、アイラは捨て鉢で止める。
 引っ込みがつかない共感。疼痛。喉の安全装置が外れたのは、直情径行。 
「もう、人間には戻れないの?」
「あたしの研究はね。戻らないためのものだよ、アイラ」
「じゃあ、じゃあ……“彼”はもう……!?」
 瞬間、バネが弾けて鎧戸が下りたような暗さが、意識に覆いかぶさった。
 うずくまって顔を腕で隠したアイラに、ゾロアは毛むくじゃらの頬ずりをする。
 なめらかな肌の抱擁を憧憬させない、なぐさめの全霊を獣の仕草に打ち込んだ。
「あんたの……」
「何も言わないで」 
 くぐもり、ぐらぐら揺らいだ声。湿り気と伯仲している。
 手で塞がれていない耳元に、ゾロアはため息を吐きかけた。 
「いいや、言わせてもらう。しばらく“ここ”にいたんだから、お見通しだよ。力技で忘却させても、目に見えない“傷跡”は残ってる。心のどこかで、あいつに……あの黒いボーイフレンドに、“記憶喪失の怪物”のデジャブを感じてたんだろ? 今の暮らしが気に入ってるなら、目を背けつづけてもいい。その代わり、どこの誰が最悪なやり方で片付けようと文句は言えない。それが嫌なら、あいつを生かすも殺すも、自分の手で決着をつけるしかないんだ」
「何も言わないでったら!」
 ばきん、と亀裂音。
 アイラは上を向き、口を覆う。中空に、地割れのような裂け目が生じていた。
 空間が振動し始める。あたりが白一色に塗りつぶされていく。
「やるね、あいつ。内側からヒールボールを破壊して、あんたを助ける気らしい」
「“彼”に、私たちが見えてるの?」
「さあね。でも両想いなら、本能的にピンチを感じるんじゃない?」
「両……そんな皮肉、取り消してよ。お姉ちゃんに、何も分かってほしくない!」
 ゾロアが、消えていく。 
「お姉ちゃん!?」
「気づいてなかった? 今夜は新月。あの改造ヒールボールは制御と真逆の、あいつの『特性』の増幅装置。被験者に不都合な情報をもたらす深層心理の異物との接触はまさに、“悪夢”だ。計算ずくであたし達を引き合わせたオルデン・レインウィングスは、噂以上の天才だね」
 見解が真実ならば、言葉が出てこない。
 信頼していた人物に、裏切られた。
「忠告は済んだ。お別れの時間だ。疲れただろ、朝まで休むといい」
 まだ聞き足りない。積もる話がうんとある。待って。置いていかないで。
 すべてを叫びたいのに、定数越えの錯綜に圧されて脳の指令が口に届かない。
 解体されていく力をかき集めて、お姉ちゃん、の一声を送り出した。
「あんたは唯一まともな家族で、可愛い妹だよ。そうだ。もしパラディンに――」
 最後まで聞けずに、アイラは光に飲み込まれた。

 
 差し込む朝日で、アイラの寝室はうす明るい。
 アラームに叩き起こされるよりも早く、深い暗黒から現世に戻ってきた。
 首にかけて寝たはずのヒールボールが、ない。
 慌てて寝ぐせのついた髪を振り動かし、壁際に佇むクラウと男に気づいた。
 アシスタントの帰宅は喜ばしいが、なぜジョージ・ロングが同伴なのか。
 眉をひそめる。
 この光景はもとを正せば、立場があべこべのはずだった。病室でついに目覚めた父に、夢の中でのゾロア化した姉への抱擁に負けず劣らず、取りすがっただろう。二人の部下が、視界の一部を占めていたと思う。何も知らず、純粋に父を慕っていた頃の自分には、もう退行できない。
「私の“部下”はどこ?」
「オルデンの所だ。心配ない」
「話が早そうね。私に見せた“悪夢”、グルだったんだ」
「それ以外に、俺がこの部屋に陣取ってる理由がありそうか?」   
「“彼”に謝って。これが国際警察のやることなの?」
 コンプレックス同然の『特性』を悪用されて、傷つかない訳がない。
 知らずに巻き込んだ自責の念を感じる。こんなやり方、汚なすぎる。
 いつから姉の残留思念を把握していたのか、問いただすのも腹が立つ。
 乱暴にベッドを降り、敵意を込めて立ち上がった。補助なしで。
 途端にアイラは体の軽さに戸惑い、クラウは目を輝かせた。
「お前の正しい認知で、主人格が確立した。混線中の魂は封印状態に入った」
 ロングが言う。手放しで喜べないアイラは不機嫌を増した。
「昏睡中の娘をほったらかして、今までどこで何してたのよ」
「お前が“悪夢”から得た情報と交換で、質問に答えてやる」
 クラウがすり足で足幅をずらす。いつでも両者の仲裁に入れるように。 
「情報? そうね、一つあるわよ。私はあなたが、大嫌いってこと!」 
 
 生やさしい反抗期ではない口答えをした少女を、ジョージは見つめた。
 この世で一番大事な男の称号を剥奪された父親の無表情に、抑揚がつく。

「俺はお前を嫌いになれんがな」
 アイラの眼が泳ぐ。
 この世界を壊させない動機には充分だといわんばかりの、わが子を愛おしむ、ほほ笑み。仕事中毒の刑事はどこへ、雲隠れしたのか。足しげく見舞った、血のつながった男の寝顔が植物状態から息を吹き返し、昨日の今日のごとくブランクを感じさせずに普通の会話、というより人生初の親子喧嘩ができている、日常と非日常をこんがらがせる体験を、これは夢ではないと受容するゆっくりとした手間が、アイラの胸にあいていた穴を裁縫のように塞ぎはじめた。あの遺言じみた、原稿を平坦に読み上げるような音声メッセージ。あれに自分を含めて大勢の良心が踏みにじられた苦汁を飲まされたのは、一体なんだったのか。混乱に乗じて、意識が戻ったジョージ・ロングとオハンを会わせてあげられなかったという無念がフラッシュバックする。まだ――、と、姉の告白もしんと舞い降りてきた。誰もが何かを守ろうと躍起になっている戦場に、一身を投げ出し続けてきたジョージ・ロングをこれ以上罵倒する気力を、自給自足できなくなった。父娘の信じる道は別々だと、何を根拠に言い切れるのだろう。論理的な思考形態を崩したくないのに、へ理屈に対抗できるのはへ理屈のみという辻褄合わせに、ぐったりした。感情の勢力図が変わっていく。沈殿していた黒ずんだ澱が散り散りになっていく。完全な雨上がりとまでは、いかないけれども。
「言い忘れてたけど……退院おめでとう、パパ」
「お前もな。そういえば髪、はねてるぞ」
 しかめ面のアイラが、手ぐしをする。
 クラウはひと息つき、ひとまず無用となった体の力を抜いた。

レイコ ( 2018/10/15(月) 19:56 )