NEAR◆◇MISS















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第九章
-7- ふたりぼっち
 朝早くから探偵事務所を掃除していると、クラウが来た。
「急用で留守にします。退院日には必ず戻ります。アイラさんを頼みます」
 逃げるような退場スピードだった。俺の返事を聞く気なしか。

 午前中のうちに病室へ顔を出すと、イーブイの耳カチューシャをつけたジュペッタのタゥがいた。クラウのお願いで、警部補の世話や俺の手伝いをしに来たと言っていた。それは良いが、警部補に膝枕されながらゴロ寝しているのは、いさかリラックスしすぎじゃないか?
 当の警部補は、タゥのだらけぶりを気にしていなさそうだが。
「あなた、悪夢の力を気にして一度もヒールボールに戻ってないわよね。寝床を毎日探すのは大変でしょ。知り合いに、モンスターボールのエンジニアがいるの。相談したら、不安を取り除けるかもしれないと思って。どう?」
 エンジニアだと。面白そうな職業だ。そんな知り合いがいたら楽しいだろうな。警部補は俺のトレーナーだから、判断は任せる。三本指をサムズアップの形にすると、警部補が嬉しそうにそっと肩をすくめ、淡いピンク色のペンダントが優しく揺れた。

 杖をついて歩けるほど回復した警部補の影の中に失礼して、病棟内の売店に一緒について行く。お菓子を買ってもらったタゥが喜んでいた。そういえば店員のおばちゃんは噂好きだから要注意と、クラウが言ってたっけな。
 ドクター・ロビンの許可が出た外泊日までに、警部補は俺用に編んでくれた赤いマフラーとセットの赤い手袋を完成させるつもりらしい。手の寸法を測られる。さわられる感触にどきまぎして、体温が無駄にぽかぽかした。
「クラウの急用って何かしら。そんな事言って、私の介助の息抜きだったりして」
 それはない。あいつに限って、まさかそんな。
 急いで書いた俺の否定文を読む警部補の眼差しは、鑑定でもするように固い。
「前に、私とクラウで話したことがあるんだけど、あなたの筆跡って……」
 やっぱりなんでもない、と警部補が取り消した。
「前からといえば、あなたの青い眼。綺麗だなって前から思ってたの」

 綺麗とか、やめろや! こっ恥ずかしい!

 バイトの続きをしに事務所に戻ろうとすると、タゥにしがみつかれた。
「なんや? 俺の仕事は雑用でおもんないで。警部補のお世話したりや」
「でもウチ探偵事務所、行ってみたい! バディやりたいねん!」
 困ったな。
 タゥのやる気を代筆して伝えると、警部補は微笑んだ。
「連れていってあげたら?」
 そう言われたら、仕方ない。

 るんるん歩くジュペッタの影にもぐって、事務所へのルートをナビしていると。
 女の悲鳴!
 場所は見通しの悪い公園だ。駆けつけると、その必要はなかった。若いカップルのじゃれ合いだった。ワークキャップがトレードマークの男子の頬に、痛そうな平手打ちの跡。「馬鹿リュート!」と甲高く怒鳴っているポニーテール女子の顔が赤い。
 痴話喧嘩のたぐいか。
 俺には関係ない。そういえば、元人間の俺は何歳だったんだろう。
 タゥはぶつくさと口のチャックをちゃらちゃら鳴らした。
「なんやのあれ。しょーもなー」
「事件ちごたほうが、ええやんか」
 俺が諭すと、タゥは俯いて少し黙った後に「うん」と頷いた。
「タゥは、なんで探偵に興味あるん?」
「“名探偵ライチュウ”知らん? めっちゃええドラマやってん!」
 知らんわー。
「それに……あんちゃんもウル姉も帰ってけえへん。留守番は飽き飽きや。ウチも探偵のバイトしたい! したい、したーい!」
 そうか。寂しがりやねんな、タゥは。

 事務所に着いて、パチリス所長にタゥをクラウの代理として認めてもらった。
 キリンリキのキキリ先輩はドラマの話が通じ、タゥと大盛り上がりだった。
「ウチ、ヒロイン役の子役ちゃんめっちゃ好き! めっちゃ可愛かった!」
「分かるー! あたしはねー、リアルだと人間の女の子の足の匂いが好き!」

 どういう会話内容だ、これは。
 
 そんなことより俺には俺の、大事な用がある。
「所長。クラウがいつ帰るか分からず、警部補が退院となると、このままバイトを続けるのは難しいです。無期限休職というのも迷惑がかかるので、タゥを後任とすることを考えて頂けないでしょうか。引き継ぎと、文字の読み書きは可能なかぎり俺が教えます」
 先輩の尻尾のシッポちゃんが聞きつけたのか、こちらを向いた。
 第二の脳が、俺の辞職を惜しんでくれているのだろうか。想像が過ぎるか。
 所長はしんみりとして、俺の肩を叩いた。 
「うん。でもぎりぎりまで籍は残しておくよ。君が辞めたら寂しくなるからね」

 そう言ってくれてありがとう、所長。


◆◇

 
 一時帰宅を外泊と呼ぶ病院の慣例はどうも、馴染めない。 
 帰路のついでに、警部補はやりたい事リストを片付けていった。
 
 部下のアシスタントと来たことがあるというカフェに、俺は影に潜って付き添った。女性受けのよさそうな、小綺麗な店だ。タゥは特製フルーツマラサダ、警部補はホイップクリームが盛られたパンケーキを注文した。さらに、マラサダをテイクアウトしてくれた。杖をついているのだし、俺なんかの為に荷物をわざわざ増やさなくてもいいのに。
 総合スーパーにも立ち寄った。部下のお気に入りだというベーカリーも覗いた。ついつい膨れた余分な買い物袋は、表を出歩けない俺に代わり、タゥが運んでくれた。
「もう少しだけ、寄り道していい?」
 警部補の頼みを断る理由がない。
 向かった先は、自然公園の並木道。
 積雪が白い花のように見える枯れ枝の下を歩きながら、警部補がぽつりと。
  
「好き」

 え!?

「桜の花。昔一度、見たきりだけど。ここは春の名所なんだって」
 あ、ああ……あ……そ、そっちか。
 自意識過剰な俺の顔は、きっと赤い。影の中からバレてませんように。
「見頃になったら、みんなでピクニックに来たいわね」 
 賛成! とタゥが手を挙げる。俺も、できればその願いを、叶えてあげたい。
 警部補の頭に、枝から雪がぱらぱら振ってきた。警部補が手で払ったが、取りこぼしがある。周りに人はいない。今なら、影を抜け出せる。なるべく栗色の髪に触れないように、手で払った。

「ありがと」

 近くにある笑顔がいつになく、眩しく見えた。
 おい、待て。今さらだがこの道、デートコースっぽくないか? 
 ……ないな。
 
 
 警部補の暮らすマンションに来るのは、これが二度目だ。部屋の中はクーラーボックスみたいに冷えていた。警部補はベーカリーで買ったドーナツを手早くラッピングして、タゥへのお礼だと言って渡した。バイト先への持っていくとタゥが喜んで、探偵事務所に戻っていった。

 しまった。これじゃ、ふたりきりだ。

 そ、それがどうした。
「悪タイプ用のウェットフード、食べる?」
 警部補は高級そうな缶詰の中身を器に盛りながら、備蓄の理由を教えてくれた。 
「知り合いのブラッキーがね、グルメだったのよ」

 缶詰は、確かに今まで食ったポケモンフーズのなかで一番美味かった。

 好きな番組を見ていいと言われたので、リモコンで適当にテレビのチャンネルを適当に変える。これというのが特に無い。杖を手放し、警部補が編み物をし始めた。タゥのための黄色いマフラーの続きだ。退院までに完成させようとしていた赤い手袋は、俺が後回しにしてくれと順番を譲ったのだ。
 俺は、ポケモン・セラピーの役割を果たせているんだろうか。君はどう感じていたのだろう、療養中の日々を。クラウ曰くばりばり働いていたらしい国際警察官の君には、穏やかすぎて物足りない生活だろうか。俺は、君のそばにいられるのが居心地良くて、自分が胡散臭い記憶喪失者で、厄介者の疫病神であることをついつい、忘れそうになる。

 夕飯は、牡蠣のアヒージョとブルーチーズのパスタ。
 食後のデザートに、板チョコ。
「ちょっと、食べすぎちゃった」
 ちょっと? これが? 病院食のカロリー何日分だ? 
 風呂の支度をする警部補の手には、バブルバスの入浴剤が握られていた。
「もし覗いたら朝ご飯抜きよ」

 心外だ。覗かないに決まってる!

 しかし、水音が嫌でも聞こえてくる待ち時間が気まずい。今晩の寝床を探しにいこうか、とも考えたが、杖をついた警部補を無断で置き去りにできない。書き置きでもしていくか。いや、テレビでも見て暇をつぶすか。選択肢が浮かんでは消えるうちに、湯上りの良い香りが漂ってきた。ふらふらふらーっと頭がポンコツになりかけた。少しもこもこした生地の、パーカーとズボンがセットになった淡いオレンジの部屋着。寝室のドアを開け放ち、ベッドにごろーんと横になると、裾がめくれてふくらはぎが見え……なんちゅう無防備や、少しは人目を警戒せえ! 俺は今、人間ちゃうけど!
 
「あのね、うちに泊まりなさい。今夜は新月だから」

 アホな動悸が、その瞬間に鎮火した。

 知ってたのか。
 知ってて半日も、一緒にいてくれたのか。
 
「改良してもらう代わりに、知り合いのエンジニアの条件を飲んだの。あなたの力が最も強まる夜に、データを取ること。性能が不十分だったら、悪夢を抑制できるモンスターボールとは言えないでしょ」
 
 なんだ、その狂った条件は。
 なんで、警部補が実験台にならないといけないんだ。
 もし失敗作だったら、俺は君を地獄のような目に遭わせるんだぞ。

「悪夢なら慣れっこよ。実は入院中よく見てたの。あなたと関係なしに」

 そうだったのか……鈍感で、すまなかった。
 だが、それとこれとは。警部補がよくても、俺がよくない。

「深刻な問題が起きたら、このアフロが止めてくれるわ」
 警部補が解放したモンスターボールから、チルットが出てきた。
「あなたが、自分を悪い奴だと思ってるところ……私の部下に似てて、ほっとけないの。あなたは無害だと証明したい。私には『三日月の羽』を手に入れられそうもないけど、このヒールボールを試すことならできる。テストが上手くいかなくても、あなたが見せる悪夢なら、後悔しない」
 
 そんな台詞、望んでない。
 溺れているみたいに感情がもがく。どうしたらいい。
 どうしろってんだ。人間時代の俺なら、どうする。教えてくれ。

 どんなに問い詰めても、俺の心の深淵は、答えてくれなかった。
 
 そこまで歩み寄ってくれる彼女に抗えるしたたかさを、俺は持っていない。

 言われたとおりにするしかない。

 今からする事はささやかな抵抗ですらない、低俗な自棄だ。彼女の首に下がっているピンク色の綺麗なあのペンダントが、ふたりぼっちだった俺と彼女を分かつ前に。近づいて、真正面から覗き込んで、雨雲色の瞳を独占する。こんな無礼は、これっきりにしなければ。まるで壊れやすい陶器のように丁重に、彼女の右手を取り、握手とは違う意味で両手で包みこんだ。
 肌と肌の狭間を埋める微熱に、文字にも声にもできなかった言葉を託した。

 ――おやすみ。

レイコ ( 2018/10/03(水) 22:44 )