NEAR◆◇MISS















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第九章
-6- 兄弟
 歴史改変前の世界線に存在した、国際警察の予知捜査本部。お前はそのメンバーで腕利きの捜査官だったと語ったジョージ・ロングロードの目には一点の曇りもなく、命さえ預けられる仲間の獲得に執念を燃やしていた。当時十代だったポワロ・フィッシャーの全身を覆いつくした感覚は、妄言を聞かされた失笑ではなく、真実への戦慄だった。
 年の離れた実弟には詳細を伝えず、偽名を名乗らせ、訓練生時代から同期としてミナト達の監視役に就かせた。情が移るにつれて乗り気でなくなっていく弟をなだめすかせ、任務を継続させた。育て屋に転向後も、交友関係を利用してミナト達の情報を流させていた。
 フィッシャーがジョージ・ロングの指示を受け、アルストロメリア警察に採用されて四、五年になる。ロングに理解のある国際警察の上級幹部が情報を操作したので、潜入任務を怪しむ者はいなかった。赴任して来たロングと示し合わせていた通り、あたかも地元警察官の先輩づらをして、ミナト達をコードネーム『タンタキュル』として見守ってきた。“森の神”をあざむくには、国家機密クラスの重要事項の漏洩を防がなければならず、総勢十名に満たない有志の極秘グループに課せられた膨大なタスクは、隙あらば怠けたいフィッシャーにとって良い迷惑だった。睡眠時間を奪われ、眠気目覚ましの煙草の消費量が右肩上がりに増え、ヘビィスモーカーがすっかり定着した。
 ある夜の二人だけの飲みの席に偽装した密談の場で、珍しくジョージ・ロングがくだを巻くような口ぶりを発した時は、大抵のことに淡白なフィッシャーも、ただ事ではないと居ずまいを正した。「俺の他にも、候補がいた。そいつらと現場にいた。だが、時を超えたのは俺だ……なんで、こうなっちまったんだろうな。おう、フィッシャー。それくれえドライに仕事を割り切れるのも、才能だ。もし俺の身に何かあったら、悪ぃが後を継いでくれ」。のらりくらりと受け流すのも、きっちり断り続けるのも億劫になり、面倒くさがり屋のフィッシャーはロングという男の決意の固さに降参して、承諾した。その後も口癖の「かったりぃ」を使った回数以上に、ロングからは事あるごとに、もしもの時は俺の役目を、と耳にオクタンができるほど言われ続けた。 
 ミナトが失踪し、その親友が消え、ジョージ・ロングードは行き先を告げずに姿をくらました。
 必要に応じて身元を明かしたが、引き続き『タンタキュル』として、アイラ達のボディガードを務めていた。

(僕の相棒を見張っていた国際警察官というのは、あなたですか?)
 アルストロメリア警察の庁舎の屋上。夜中でも目立つオレンジ髪の男を見澄ます、青いマフラーを巻いたエルレイド。
「相棒、ねえ」
 ロングコートを着込んだフィッシャーがフェンスにもたれ、熱々の缶コーヒーを素手から素手へ持ち替えていた。
「質問に質問で返すがよ。こっから本題、お前の予想が当たっててもいいのか?」
 
 エルレイド=クラウは銅像のように身動きを固め、己の浅はかさを回想する。
 記憶を取り戻す手伝いは正しいと、信じていた。過去を思い出した相棒が深く傷つくと、考えもしなかった。
 良心の押し売りが、どれだけの逆効果を生んでいたのか。光で直射するほど、濃くなる影もあるというのに。
 
「まあいい、答えてやるよ。“半分”正解だ。しかし普通、アイツの正体に気づかねえだろ」
 クラウは沈んだ口調で、返した。
(僕たちは、進化します。でも姿かたちが変わっても、変わらないものもありますから)
「なるほどねえ。そんなもんか。気が済んだら、帰んな。今夜も冷える」
 全身の強張りが解け、自分では意識をしない攻撃的な一歩を、クラウはフィッシャーに向かって踏み出した。
(この緊急事態を、あなたは黙って見ているだけですか!? 僕にもそうしろと!?)
「おれは、そういう指示を受けてる。警察は集団行動が基本。抜け駆けは示しがつかねえ」
(集団行動? ご冗談でしょう。裏切り者に尻尾を出させるために、あなた方は身内を危険にさらしているんですよ! アイラさんをおとりしているだけでも酷いのに、今まさに助けを必要としてる僕の相棒まで、利用するだなんて!)
「そう熱くなるな」
 コートのポケットに、カイロ代わりの未開封缶を滑りこませる。男の両手は火傷寸前までぬくもった。
「なら言わせてもらうが、お前ひとりに何ができる?」
 死線を超えた数だけ実年齢より老けて見える、敏腕捜査官の目元。
 色覚がにぶる暗夜の下で、あざやかさの失せた二つの緑の光彩は返事を待つ。
 ぐうたらで、居眠り常習犯で、周囲の評価が低迷しているアルストロメリア警察の刑事の裏の顔。
 アーボックに睨まれたニョロトノの気分を味わいながらも、クラウはテレパシーを絞り出した。
(その答えを出せたら……少しは僕の言うことに、聴く耳を持ってくれますか?)


 クラウの気が休まらない野宿生活がはじまった。アイラ達には相談できない。完全な別行動を取った。
 パチリス所長に協力を求めたかったが、鉢合わせるリスクを考えると足が事務所に向かわなかった。
 勘の鋭い相棒は作り笑いに誤魔化されず、厳しく追及するだろう。勝てない駆け引きには応じない。 

 お前ひとりに、何ができる?

 フィッシャーの声で。己の声で。一音ずつばらばらにして、繋ぎ直して。悩み抜いた。
 まず見当をつけたのは、アイラの隣人である『彼』の部屋だった。

「ないなぁ……行方不明のカギになりそうな物……」
「ええのん、クラウ兄。家探しなんかして」
「シッ。僕がここに来たことは、内緒だからね」
 ジュペット=タゥは「怒られても知らんでえ」と返事をすると、中断していたテレビゲームを再開した。
 あれで、みんなで遊んだっけ。懐かしい。怒涛の日々がつづいて数か月前の出来事が遠い昔のように感じる。
 アイラの歓迎パーティをここで開いたとき、タゥは霊化する予兆のある、まだ名無しのぬいぐるみだった。
 転生の瞬間を皆で祝おうと、オルデン・レンウィングスの幼い息子と交わした約束を、誰も守れなかった。
「あっ」
 一冊の筆記ノート。表紙に手書きされたタイトルに、クラウの胸がぴょこんとはずむ。見覚えのある几帳面な筆跡と、それがすらすら頭に入る速読力。後者はアイラとの筆談で上達した。ほろ苦い笑みがもれる。びっしりと書き込まれている、『炎のパンチ』習得のトレーニングメニュー。没案には罫線が引かれ、消しゴムの跡や追記、メモの走り書きも多い。
 手垢のついたページをめくるのに合わせて、頭の内側でぱらぱらと、思い出のアルバムがめくられていく。
 『鬼火』を転用できるようになってからは、ガーディ=銀朱の炎技や『手助け』でステップアップを目指した。もちろん失敗談も沢山ある。銀朱が火加減を間違えて、前髪を焼失しかけた。一緒に筋力を鍛えたり、体力をつけたりもした。怖がりで落ちこぼれの国際警察犬、そんな陰口は言わせない。銀朱は天才的な嗅覚の持ち主で、犬一倍の頑張り屋だった。銀朱がいなければ『炎のパンチ』を最速でマスターできなかっただろう。気まぐれなヌオー=留紺も、たまに特訓相手になってくれた。そして、一番忘れてはいけない。このノートの著者で、どれほど仕事で疲れていようと休日返上でコーチを務めた“彼”が勇気を与え続けてくれたから、自分たちは強くなることを諦めなかったのだ。
 自分にも、アイラにとっても大切な彼の身に、何が起きたのか。突き止めたい。
 その事件には十中八九、ウルスラも関わっている。
 彼女の無事を信じて帰りを待つ、そんなバカな辛抱はきっぱり、やめにしなければ。
 役目を終えたはずの『炎』のノートが、ふたたび燃えあがり、進むべき道を照らしてくれている気がした。
「クラウ兄? いつもより目ぇ、赤いで? ちょっとうるうるしてへん?」
「ん、気のせいだよ。それよりタゥさん、頼みたいことが出来たんだけど」
 ノートにクリップで留められていた育て屋の名刺を、抜き取って見つめながら、クラウが言った。
 
 
 片付けのなっていない、大量の私物でぐちゃぐちゃのあの部屋の捜索は大仕事だった。
 明日もう一度、ミナトの自宅を洗い直そう。収穫のなかったクラウは別のアイディアを思いつく。
 深夜になるのを待ち、校庭に忍び込む。逮捕されたら大変だ。周囲を気にしながら、声量をぎりぎりまで下げた。
「こんばんは。えっと、おはようございます? 僕のこと、覚えていますか?」
 応答がない。
 辺りを呼びかけて回る。校舎の時計が予定外の経過を示していた。出直そうと考えた、その時。
「その方、あのキルリアか。よくぞ参った」
 陽炎のように視界の中央が揺らぎ、ぬっと実体化したヨノワール。クラウの進化前と変わらない笑みをこぼした。
「お久……! シーッ、ぶりです。突然伺ってすみません。実は、お尋ねしたいことがありまして。イチリという名のフワンテをご存知ないですか? 僕の知り合いで、この街にいるという噂を聞いたんです」
 クラウの知る限り、このヨノワールほど市内のゴースト事情に詳しい情報通はいない。アルストロメリア校を中心に広い縄張りを持ち、特殊な電波を受信できる頭の黄色いアンテナで、霊界のネットワークを通じてゴーストポケモン達の動きに目を光らせているのだ。
「ほう、それなら」
 腹部の口が開き、体内から紫色の風船霊が飛び出してきた。
「ぷわわー! どうも、イチリでーす!」
「うわあっ!? あっ、シーッ、静かに……でも、どうして」
「月白がお屋根に大穴を開けて、あなた達もろとも脱走した騒ぎがあったでしょ。その後で、追放されたんです。ハイフェン様ったら、ご自分の舐めプが悪いのに、ひどいと思いません? 最初は湊様を頼ったんですけど、お前はスパイの疑いがあるとか言って、門前払いされて。それでさまよってたところを、拾ってもらいました」
「カネシロ・ソウには借りがあるのでな。その縁者を悪霊化させるわけにはいかぬ」
「そうだったんですか。僕たちのせいで……」
 フワンテ=イチリは恨み言どころか、けろっとしてクラウに友好の握手を求めてきた。
「でも意外です。こうして探しに来てくれるなんて。どんなご用件でしょう? 長話は大歓迎ですよ。イチリはいっつも暇なので。校内の監視カメラは全部、心霊映像が映る細工をしておきました。あなたの姿は記録に残らないですから、ゆっくりしてってください」
「そ、それはご丁寧に……」
 “半分”、正解。つまり、“もう半分”の対になる監視者がいる。
 その者こそ、ロング警部達を裏切ったのではないか。与えられたヒントとチャンスを、無駄にはしない。
 クラウはヨノワールに失礼を詫びてから、フワンテを引き離して一対一の距離を縮めた。話し声はもちろん小声だ。
「イチリさん、レストロイ家に仕えていたあなたには、強力なコネがありますよね? その情報力を使って、調べてもらいたいことがあるんです」
「おっと、おっと? つづけて下さい」
「コードネーム『タンタキュル』を除く、アルストロメリア市に潜伏中の国際警察官のデータを掌握したいんです」
 ぷわわわわ! とバツ印の模様の真ん中にある口をぱっくり開けてフワンテが笑った。
「いやー、大胆な! ごめんなさい、あなたを見くびってました。ようするに、こういうことですか? 国際警察の中に敵がいて、その正体を掴みたい。ちょっと失礼、これはタダ働きとはいきませんねえ」
「僕の考えが正しければ、手持ちの情報が一つにつながった時、なぜ、誰が金城湊が連れ去り、今現在どこにいるかを推測できるようになります。彼が無事に戻ったら、僕が口添えをしましょう。あなたの身柄を引き受けるように、と」
「連れ去り?」
 野太い声の横入り。ヨノワールの赤い一つ目が見開かれている。
 クラウは「あーっ、地獄耳!」と慌てふためき、イチリの顔から茶化すような笑みは消えていた。
「ふーん。意外と、交渉上手なんですね。いいですよ、取引成立で」
「カネシロ・ソウのためなら力を貸そう。我がアンテナを使い、探し霊に事の次第を告げるがよい」
 問答無用でフワンテが手づかみされ、ぷわーっと叫び声ごと腹の口に投げ込まれた。静かになった。
 まるで彷徨う魂の棺桶だ。弾力のありそうな体内の真っ暗闇に誘惑を感じ、クラウは冷や汗を流した。
「僕は、ゴーストと近縁の『不定形』です。そのアンテナで強い霊気を飛ばして頂ければ、キルリア時代の『シンクロ』には劣りますけど、かならず心が感じます。何かあったら知らせてください」
 ヨノワールは、そうしよう、と請け合った。

 何も手がかりが見つからない。その日は夜まで、ミナトの自宅の整理整頓にいそしんでいた。
 識字教室から生徒が出払ったタイミングを見逃さず、クラウはオタチ=タチ山を突撃訪問した。
「どこ行ってたの! みんなに心配かけて!」
 いくら質問責めにされても、詳しい事情は話せない。平謝りに謝って、落ち着かせる。
 例の育て屋の名刺を見せ、どうか何も訊かずにアポ取りを代行してほしい、と頼みこんだ。 
 どうしても、接触したい。『炎のパンチ』の影のアドバイザーは、ミナト達の友人だ。きっと何か知っている。
 
 タチ山はむすっと固めた口元を緩めていく。まじめで優秀な生徒の懇願に、根気を折られた。
 便利な機械がなくても、指と地面があれば文字を書ける。文章の極意は手書き。それがタチ山のこだわりだ。
 器用なクラウはキーボードもタッチパネルを使いこなせる。そのほうが筆談に用いる紙とペンにも困らない。
 ごそごそと荷物から取り出したタブレットを、ちょっぴりぶっきらぼうに手渡した。
「貸してあげる。直接、連絡取りなよ。ちょうど買い換えようと思ってて、しばらく二台持ちでもいいから」
「ありがとうございます! あの、僕のことは内密に……」
「君とあの刑事さんには、ヤミカラス達から助けてもらった恩がある。でも、これだけは守って」
 尻尾を立てて身の丈を伸ばし、目線の関係でしゃがんでいたクラウの肩をつかんで、言い聴かせた。
「どんなことがあっても、君は無事に、これを返しに来るんだよ」

◆◇


「おかげで寒さをしのげて、よく眠れました。ありがとうございます。ところで、お代は……」 
「いいって、いいって。君の知り合いの刑事さんは常連でね、色々世話になったんだ」
 街を流れる支流に架かった橋の下で眠りこけ、油断して凍死しかけたところを、『壁屋』のバリヤードに助けられた。
「最近見ないけど、元気にしてる? あの刑事さん」
「……それは今度、本人に直接会ったときに訊いてもらえますか」
 力なく笑い、橋の影を出たクラウは朝日のまぶしさに目を細めた。

 営業時間前のバトルネーソス。オーナーの背後から、おはようございますと挨拶をする。
 『サイコキネシス』で正面ゲートの雪かきをしていたチャーレムは、驚いて足を滑らせかけた。
「や、やあ。今日も、『スキルスワップ』で特性『テレパシー』を借りに?」
 相変わらず警察関係者への警戒心が解けず、会話中にほとんど目と目が合わない。
 クラウは「それはまた今度お願いします」と苦笑で応えた。ここに来た目的はいつもと一緒だ。

 獰猛な水の迎撃を身軽にかいくぐり、守りを固めた鋼鉄の懐に飛び込んでラッシュする。
 洗練された会心の早業が、竜巻のような風切り音と白光とみまごう残像で練習相手を飲み込んだ。
「見違えたぞ。今のは完璧な『インファイト』であった」
 堂々と大の字に倒れたままのエンペルト=雄黄が、メインウェポンの完成に惜しみない称賛をくれた。ミロカロス=長春が尾ビレで起きあがる手伝いをしながら、「素晴らしかったわ」と整った水棲の顔立ちを微笑でさらに美しくする。照れ笑いを浮かべていたクラウはうっかりと手加減不足で追わせてしまったダメージにハッとなり、タチ山が餞別に持たせてくれた木の実のうちの回復用をいそいで、バトルコートの入り口に放置していたリュックサックから取り分けた。
「雄黄さんのおかげです。自己鍛錬だけでは、習得に後どれくらいかかったか、分かりません」
 手荷物の一つ、タブレットのメールアプリの受信トレイに届いた、目から鱗のアドバイスの件は伏せておいた。
「感謝するのは早い。分かっておろう。おぬしはまだ、エルレイドの血に秘められた究極の強さを手にしておらぬ」
「またそうやって、雄黄――」
「いいんです、長春さん。実は、おふたりにしか出来ない相談があって……あのく、そのぅ、お金の……ことで……」
 ある希少な秘石が以前から、メレシー=メレ爺が営むストーンショップに目の飛び出る高額で陳列されていた。

 分厚い雪雲が夕陽をせぎっている。部屋を訪れると、ジュペッタ=タゥが中からドアを開けてくれた。
「調子はどう、タゥさん。やっぱり難しい?」
「うん。せやけど、探偵みたいで楽しいわ。ウチ、才能あるかも!」
 にこー、と口のチャックを頬のはじっこまで伸ばして笑う。
 ソファで全身を楽にしながら、ここで寝泊まり出来たらいいのにな、とクラウは小さな欲をおぼえる。来る者は拒まずの部屋の主もウルスラも、きっと怒らない。しょっちゅう入り浸っていた代表が、ミナトとガーディ=銀朱だった。隣にあるアイラの部屋を自宅扱いして差し支えないけれど、入院中に好き勝手に使うのはアシスタントの領分から外れている気がする。他者に悪夢を見せまいと、毎晩寝床を探す相棒の苦労に共感できて、今頃彼らはどうしているだろうという気持ちが強くなる。
 タブレットを充電しながら育て屋宛てに返信メールを出した直後、不定形特有の鋭い第六感が霊属性のシグナルを感知した。

 草木も眠るという、未明の校庭。クラウは読み取れた集合時間より、早めに着いた。
「実は、送信先を間違えるところであった。波長の酷似した者がおってな。親族が街に滞在中か?」
 ヨノワールにそう訊かれ、考えても思い当たらない無知を素直に謝った。
「とにかく、皆さんありがとうございました」
「ぷわわー、口を割らせるのにマジで骨が折れましたよ。あいつ、旧友のくせに頑固すぎぃ。その分、たしかな情報源です。オルデン・レインウィングス氏の助手なので」
「ええっ! まさか、アフロさん!?」
「いえ、チルットじゃないほうです」
 フワンテはクラウに近づき、耳打ちする。
「この街に高確率で潜伏中の国際警察官は、コードネーム『ドルミール』」
 瞬間、クラウは脳を手品で消されたような、未体験の思考停止に陥った。
 名前だけなら、国際警察内で知らない者はいない。
 担当事件の解決率は百パーセントと噂される、謎に包まれた伝説のエージェント。
 その右腕、サーナイト=パラディンは全アシスタントの尊敬の的。そんな大物たちが、どうして。
 思い込みで虫食いの全体像を補うのは危ない。しかしフワンテは、この情報を聞き出すので精一杯だったと言う。
 クラウは真剣な表情で、頭部に高性能なアンテナを持つ巨体に向き直った。
 この頼みごとが直接、ミナトに関わるかは分からない。巻き込むのは厚かましい。だが遠慮している場合ではない。
「協力してもらえませんか。あなたもご存じの『シンクロ』使い……居場所も生死も不明なあのネイティに僕の声が届くか、試したいんです」
 一つ目が、潰された赤いゴムボールのようにゆがむ。
「あの小鳥が稀代の天才であることは認める。しかしゴーストではなく『不定形』ですらない。たかだか『シンクロ』のみでは……」
「イチリの旧友、電波のことなら、あなたに劣らないエキスパートですよ」
 フワンテが口をはさんだ。
「クラウさんがおなかに入って探し相手のイメージに意識を集中させて、あいつが侵入した国際警察の通信衛星に向かって電波を送信すれば、範囲も強度も星全体の規模にパワーアップできるのでは? このところレインウィングス氏は忙殺されているらしくて、仮眠中に雑務だけなら手を貸してくれるよう、話をつけておきましたので。呼んでみます?」
 クラウはありえないようでありえそうなアイディアで頭の中をぐるぐるさせながら、でも、と素朴な疑問を口にした。
「そんなピンポイントの空き時間に、どうやって来てもらうんですか?」
「なーに、心配ありません。あいつ、レインウィングス氏の下に就いてからめきめき腕を上げて、今じゃ電子空間でほぼ無敵で。これだけ情報機器があっちこっちにあったら、イチリたちの監視くらいワケないです。今の会話もたぶん筒抜けですよ。ほら、さっそく」
 クラウの持参していたタブレットの画面が、すさまじい音量の砂嵐に切り替わった。
 もしや壊してしまったのか。クラウの焦りがつのる。画面中央の、ノイズの解像度が高まってきた。
 一本角が生えたように尖った頭の、プラズマで出来た小さな身体。オレンジの体表が薄緑の電磁波で覆われた――


◆◇ 


 深夜の警察庁舎の屋上で、フィッシャーの顔が一瞬暖色に浮かび上がった。
 ライターの赤熱が消え、豆粒のような煙草の灯が置き忘れられる。禁煙を諦めた男の口から、煙と所感が漏れる。
「思ったより、早かったな。宿題の答えを聞かせてくれよ」
 青いマフラーを一張羅のネクタイのように巻いたクラウは、借り物の『テレパシー』で返事をした。
(はい。僕ひとりでは、何もできません)
 深刻な自己否定にもかかわらず、にっこりと爽やかに笑う。 
(ですが、僕にも心強い味方がいます。少し違うけれど、あなたが言っていた集団の力です。皆さんすごい長所があって、色んなことをやってのけるんです。だから僕も、僕にできることを考えました)
 予備動作のない、肘の抜刀、そして納刀。
 居合で起こした風圧は針の穴を通すコントロールで、先端の脆くなっていた灰ごと小火を削ぎ消した。 
(大切なものを守るために、闘うこと。強くなること。言え替えれば、それしか能がありません)
 プッと吐き捨て、二本目を咥えるフィッシャー。煙の臭いが新調される前に、クラウは畳みかけた。
(あなた方は、裏切り者を法的に拘留する口実が欲しいのでしょう? それだけ注意深いのは、簡単には実力行使が成功する相手ではないということですよね)
 肯定も否定も返ってこない。だが男の無反応は発言以上に対話的に感じられる。クラウは躊躇しなかった。
(国際警察官とアシスタントは一蓮托生。僕に、『ドルミール』のアシスタントを説得させてもらえませんか。それでもダメな時は、決闘させてください)
 フィッシャーはぽろっと落として勿体ないゴミにする前に、つまんで唇から外した。滑舌はこれで良い。
 いい線をついているが、その情報は誤りがある。ただし訂正すれば、この若いエルレイドはもう引き下がれない。
「おいおい、なんつうこと言いやがる。勝算のねえ冷やかしは勘弁しろ」
(僕とパラディン……濃い血のつながりがあるのではないですか)
 それもヨノワールが混乱するほど“波長”……“心”が似通っている。
 共通項の多い遺伝子情報の持ち主。となれば、関係性は絞られる。
(弟が兄と話すと思えば、希望はあります。身体の作りが近いなら、僕には強さの伸びしろがあります)
 立ちのぼる、副流煙。
 フィッシャーの指に挟まれた嗜好品が、両者に等しく流れる時を、ゆるやかな見た目に反して無情に数えてゆく。
 膠着状態の彼らが同時に、驚きの声を飲まされた。
 突如降臨した、太陽の化身のような巨大蛾。「よっ」と飛び降りた帽子少年が、クラウを見てにやりとする。
「そいつは惜しいぜ、おれのペンフレンド」
(あなたは……)
「育て屋だよ。悪いっ、連絡もせずに。このバカ兄貴に直接言いてえ文句があってな。けどその前に」
「よせ。出しゃばるな」
 紙に巻かれた火付きの加工葉を投げ捨て、靴底ですり潰した。睨みつける緑目は、実弟を脅している。
 カウボーイハットを目深にかぶり、反旗をくじく直視を避けた『ランド』の顔の下半分がまくし立てた。 
「秘密主義にはウンザリだ! なあ、兄貴。途中からしか聞いてねえけど、ようはそういうことだろ。こいつが兄弟なんて抜かしたら、火に油をそそいじまう。おれだって在籍中に、こいつらのことで勘づきたくなかったよ。でも、酷い話だろうがなんだろうが、こうなったら本当のこと知っとかねえと。おいクラウ、聞いても絶対後悔しねえ自信、あるか?」
 口をふさごうと前に出たフィッシャーを力ずくで押しとどめながら、クラウが(はい!)と叫んだ。
 果敢に肺いっぱいの空気を吸いこんだ『ランド』の鼻の奥で、湿った水っぽい音が小さく鳴った。
「お前とお前の言う、そのそっくりな奴は兄弟じゃない。クラウ……お前は“完成品”なんだ」

レイコ ( 2018/09/13(木) 16:01 )