NEAR◆◇MISS















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第九章
-6- 兄弟
 空き巣のようにエルレイド=クラウが塀をのぼり、縁から顔を覗かせた。
「こんばんは。それとも、おはようございます?」
 夜更けの暗い校庭に向かって、こそこそと呼びかけた。
 地面の下からすり抜けて実体化したヨノワールが、同目線まで浮上する。
「あの時のキルリアか」
「はい。突然ですみません。実は、お尋ねしたいことが」
 口に出すと恐ろしい事が起こりそうな躊躇を感じたが、頑張って質問した。

「死者の魂がゴーストポケモンに生まれ変わったら、記憶はどうなりますか?」

 赤い単眼は、クラウの望むような反応を示せなかった。
「タマゴ孵りの我が身にも、未知だ。一般論では物足りなかろう。この者に問うてみよ」
「ぷわわー! イチリでーす」
 
 ぎょっとしたクラウは、塀の縁を掴んでいる手を離しそうになった。

「どうしてここに!?」
 角ばった大きな手が、中からフワンテが飛び出してきた口付きの腹をさすった。
「カネシロ・ソウには借りがある。縁者を粗末に扱えぬ」

 そういうことを聞きたかったのではなく。

「まさか、流れ者のゴースト達も戻ってくるんですか? 街にミナトさんいないのに?」
「それはないですよ、旦那さま的に。イチリの雑用にも色々あるんですよー」
 フワンテ=イチリは凝った肩を自分で叩きほぐすような仕草をした。
「さっきの質問、さては記憶喪失の相棒くんのためリサーチですねー」

 当たりだ。そして、情報通だ。

「でも悪とゴーストじゃ、事情が違うんじゃないですかー?」
「そう……ですよね。ごめんなさい。お邪魔しました」
 金城湊と親しいエルレイドに、フワンテは特別に忠告してあげた。
「相棒くん、ヤバい事情ありそうです。バディ解消するなら今のうちですよー」

 塀を降りて帰ろうとしたクラウの動きが止まった。


◆◇

  
 相棒は夜勤だ。アイラにも、真夜中の帰りを怪しまれていない。クラウは病室で浅く眠り、朝一番に院内の公衆電話でオタチ=タチ山に連絡した。アイラの朝食時間に合わせて、食欲が湧かないのを隠しながらポケモンフーズを摂った。
 寄り道してタチ山に頼んでおいた物を借りてから、バトルネーソスに到着した。

「今の『インファイト』は見事であった!」
 ガードに用いたエンペルト=雄黄の翼から、軽い蒸気が出ていた。
「雄黄さんが、特訓相手になってくれたおかげです」
「足りん! もっと褒め称えるのだ!」
「はしたないわよ、雄黄。おめでとうクラウ」
 ミロカロス=長春が微笑んで、尾びれでクラウが立ち上がるのを手伝った。
 嬉しい雰囲気を悪くするかもしれないと思うと、クラウは言い出しにくかった。
「あの、その、実は折り入って相談が……お金の……ことで……」
 
 詳しい理由はまだ明かせない。それでも信頼してくれた。ふたりともオトナだ。僕は進化してもヒヨッコだなあ、とクラウは思う。雄黄と長春からの恵み物を、大事に青いマフラーに包んでいる。協力してもらえたおかげで、ジョイン・ストリートの店と交渉する見込みがついた。
 バトルネーソスのオーナー、チャーレムが『サイコキネシス』で正面ゲートの雪をどかせていた。クラウが挨拶をすると、いつもの調子で挙動不審になり、凍っている足場ですっころびそうになった。
「や、やあ。今日はもう、お帰りかい」
 クラウはまっすぐに見つめて、頼んだ。
「お願いがあります。僕と、『スキルスワップ』してください」


 タスクの並行処理に追われ、たっぷりあった一日が『高速移動』のように過ぎていった。『スキルスワップ』の継続時間はまちまちだ。基本は、技の使用者が任意で解除できる。モンスターボールに入れば強制解除。外に出ずっぱりだと丸一日ほど持つ。鍛えれば、半永久的な特性の入れ替わりもかなうらしい。
 アイラの病室を抜け出し、今日最大の修羅場に挑む。
 黄昏どきの、アルストロメリア警察庁舎屋上。
 呼び出しの時刻を過ぎて現れたヘビィスモーカーが、気だるく紫煙をくゆらせた。

(僕の相棒を見張っている国際警察官というのは、あなただけですか?)

 青いマフラーを巻いたエルレイドを見澄ます、オレンジ髪の刑事。
「特性『テレパシー』か。『シンクロ』より高音質だな」
 
(答えて下さい。コードネーム『タンタキュル』)

 おもむろに、ポワロ・フィッシャーは咥え煙草をやめて、指に挟んだ。
 
 ジョージ・ロングロードから同志の勧誘を受けた当時、フィッシャーは十代の国際警察官であった。歴史が改変される前の世界があり、そこではお前は俺の部下だったと説かれた時、すんなりと受け入れた。性格的に、労力を割くのが面倒くさかったのだ。無名の若造相手に、根も葉もない嘘をついてなんの得もなさそうな中堅刑事を、疑う労力を。
 貴重な同志の一人である国際警察上級幹部が、個人的にアルスロトメリア警察のトップと密約し、フィッシャーを国際警察本部の照会データベース上で生死不明と書き換え、アルストロメリア市に潜入させたのが、約五年前。ロングの補佐および、緊急時に金城湊たちの監視を引き継ぐという任務に帯びたフィッシャーは、いちから就職して地元警察官の身分を手に入れた。 
 状況は二転、三転と変化した。
 昏睡から回復したロングの指示で、アイラとクラウだけには、コードネームを持つ国際警察官であることを明かしていた。現状の任務はアイラ達のボディガードに相当する。とはいえ、身分を偽っていたフィッシャーへの、クラウからの信頼は揺らいだままである。

「答えるも何も。おれぁ、お前らのただのボディガードだ」
(アイラさんをおとりにして敵に尻尾を出させるのが、あなたとあなたのバックの、真の目的でしょう。その敵が、僕の相棒だとでもいうんですか。違うなら、なんの嫌疑がかかってるんですか)
「ロングのおやっさんに聞いてくれ。こっちは指示通り動いてるだけだ。十年以上な」
(聞いてもらちが明かないなら、質問を変えます)
 情報源は、フワンテ=イチリだ。
(パラディンさんが……生きているというのは、本当ですか)

 半透明な副流煙だけが、両者のあいだを揺蕩う。
 
(彼が、裏切り者なんですか)
 肯定も否定も、クラウの耳に返ってこない。
 肘の刃を、伸ばした瞬間に振るう。飛ばした風圧は、煙がのぼる先端を削ぎ消した。 
(答えてください)

 点け直すライターの火で、フィッシャーの顔の凹凸が暖色に照らし出された。暗がりのなか、紙巻きの先端の豆粒のような赤熱が置き忘れられる。禁煙を成功させた試しのない男の口から、白煙が吐かれた。
「吸ってみるか。気分がすっとするぞ」

(はぐらかさないで下さい!)
「はぐらかすなよ!」

 テレパシーと重なった機械越しの人声は、保温している首元からだった。

 今ので、フィッシャーを不利に追い込む隠し玉がばれた。しかし落胆はない。クラウはタチ山から借りた携帯端末を取り出した。青いマフラーの裏でオンにしていた通話状態を、ビデオ通話に切り替える。どうしたらいいのか分からなさそうな、そばかすだらけの童顔へと繋がった。

「もうやめようぜ、兄貴。昼間、クラウからメール貰った。すげえ、気味悪ぃこと書いてた。おれ……ミナトたちを騙してた」
 実兄に言われ、目的も分からないまま、訓練生時代にミナト達に近づいた。スパイ活動は情が移るにつれて重荷になっていった。己の適性に見切りをつけた国際警察を辞め、育て屋に転職後も、友人の立場を利用して情報を送るように頼まれた。兄の力になりたくて、惰性で偽名の『ランド』を使いつづけてきた。
「でも、本気の気持ちはダチなんだ。あいつらの危機を見過ごせねえ!」」

「かったりぃぜ、クラウ」
 弟を懐柔された上に反抗されては、それなりに効く。
 無精ひげの顎を撫でるフィッシャーに、クラウが訴えた。
(パラディンを見つけます。僕に、彼を止めるチャンスを下さい)
「やめとけ。逆にほだされちまうぞ」
(僕と彼に、血縁があるからですか?)

 これは、受け売りだ。
 イチリの推測はクラウを戦慄させ、本能的に異論を却下させた。
 追求という自発行為に、緊張で吐き気がするほどの使命感を覚えている。

(話してもらえませんか)
 灰になっていく先端がゆるやかに、無情に、黙秘を秒刻みしてゆく。
 兄にその気がないなら役目は自分だ、と、画面の『ランド』が決心を固めた。
「血縁どころじゃねえ。お前は……改良個体。パラディンから生まれた“完成品”だ」

レイコ ( 2018/09/13(木) 16:01 )