-5- 自然保護区
マントをなびかせる騎士衣装のクラウを乗せて、『高速移動』で街を駆け抜けるキリンリキ先輩。二本角から『電磁波』を飛ばし、パチリス所長宛てに電気信号のメッセージを送っている。シッポちゃんはバックカメラ係りだ。先輩は前を向きっぱなしですいすいと、追いかけてくるニンフィアの攻撃をかわしていた。
「遅い遅い。そんなスピードじゃ、王子様は渡せないよ!」
無傷でジョイン・ストリートに戻ってこられた。
ありがとう先輩、休んでくれ。
道ばたに馴染みのメンバーが集まってくれていた。パチリス所長の招集だ。
ところで、所長は? なぜいない?
ドゴームおばちゃんが「しっかりやんな!」と激励した。おばちゃんに頭が上がらないアマチュアロックバンド・グループのオタマロ、ガマガル、ガマゲロゲが自信なさそうに、ささやき合う。寒さにガタガタ震えるリーフィアの不平を聞いて、「だらしないねえ」とマフォクシーのマダムが杖で『日本晴れ』の熱光球を打ち上げた。
日差しが強い。気温がぽかぽかしてきた。炎タイプの赤色にくっついて暖を取ってた他三色のオドリドリ達が、元気を取り戻す。マネネとパッチールはフラフラ、ルンパッパはウキウキしている。
準備はいいか。みんな、頼んだぞ。
体力がとっくに限界なリボンの悪魔を歩かせているのは、恨みの力だ。
クラウが、攻撃性を減退させる『鳴き声』を聞かせた。
「僕を倒す前に、一曲聴いてほしい!」
歌って踊って心を豊かにするのが、ミュージカル。心に浮かんだ替え歌を解放した。
【君の気持ちがわかるよ。】
『チャームボイス』のファルセット。
これが、売れっ子ミュージカル俳優の歌唱力。『スキルスワップ』の応用だ。
原曲は“ワンダー・ペンデュラム”。プクリン夫妻がハミングを『歌う』。『草笛』が奏でられ、ドゴームおばちゃんがボイスパーカッションを披露した。オドリドリ達が踊りながら、『オウム返し』で伴奏を担う。他の有志も『輪唱』や『エコーボイス』で雰囲気を盛り上げていく。
【あこがれの進化、何のため? 鍛えた身体、磨いた技、平和な暮らしで役に立たない。心は張り合い、なくしていくよ。自分の気持ちに嘘はつけない。仕事のやり甲斐。僕の生き甲斐。】
クラウ……
【引退したら、モンスターボールがついの住まい。親トレーナーと心が離れてく。それが常識。自分の気持ちに嘘はつけない。まだこの刃を折りたくない。生きるなら細く長くより、太く短く。高みを目指したい。】
クラウが間奏で、ニンフィアへと手を差し伸べた。
「デュエットしよう。君は主役だ」
「意味わかんない! 狂ってんの!?」
「勇気を出して。君の歌を聴かせて!」
【だ……大好きなあの人の一番は、あんた。あんたにミュージカルの楽しさ、教えるんじゃなかった。可哀想な、私たちのトレーナー。裏切り者。許せない。私ずっと、あんたを恨んでた。】
愛らしい『チャームボイス』が、乗ってきた。
【あんたがいなくなって、大切にしてもらえた。でもその幸せ、続かなかった。】
【君は、後悔してるの? 吐き出して。隠さないで。僕の素顔のように。】
「そうさ。ぜんぶ、脱ぎ捨てて!」
文字通り衣装をまとっていない本物のスターが、サビをかっさらった。
『サイコシフト』だ。騎士姿のクラウとの位置交換は一瞬の出来事で、残像は気のせいと思われたようだ。声変わりへの指摘も出なかった。そんなことより全員、あのニンフィアまでもが、心を揺さぶる絶唱に圧倒されていた。
なんであのエルレイドが、ここに。探偵事務所のドアの裏で驚く俺とクラウに、パチリス所長が「静かに」とジャスチャーする。いないと思ったら、こんな演出を画策していたのか。というか、あれだと依頼者が危なくないのか。
いつでも守れるように飛び出す用意は、ありがたいことに考えすぎで済んだ。
「腐ってもプロね……完敗だわ」
ニンフィアの目には、涙が浮かんでいた。
依頼者と元トレーナーの再会は、苦い終止をしたらしい。
残念だ。
病院への帰り道をとぼとぼ歩くクラウの影に、俺も潜って一緒に行く。
「よく思いつきましたね、ミュージカル大作戦。驚きました」
「俺は、美声とアドリブ力に驚いた」
「全部『スキルスワップ』のおかげです。でもあの歌詞、まずかったですよね」
やっぱり来たか、その話題。
「僕はアシスタントなのに。アイラさんが大好きなのに。自己嫌悪します」
「“親離れ”の気持ちは、成長の証じゃないのか」
賢くて強いクラウなら、
亜人としてもやっていけるだろう。
警部補のことを思えば、このままアシスタントを続けてほしいが。
いつか独立するなら、残り時間を俺ではなく、彼女のそばで過ごさせてやりたい。
病院まで戻ると、弱り目に祟り目だった。
駐車場の隅に作ったヌオーの雪だるまが、誰かに壊されていた。
クラウを警部補の病室に残して、営業時間が過ぎた頃をみて事務所に戻った。
「いらっしゃい。そろそろ来ると思ってた」
先客がいた。マフォクシーのマダム。よく当たるな、マダムの占いは。
ムーディーな夜を邪魔したのでないなら、こちらも引け目なく言わせてもらう。
「『三日月の羽』を手に入れる方法、聞かせてください」
カクテルグラスをマドラーでかき混ぜていたパチリス所長が、俺の頼みごとを聞いて、小さく息をついた。
◆◇
ごくまれに、樹にあいた隙間の奥に、常識外に広い空洞が見つかることがある。それが“隠し穴”と呼ばれる空間のゆがみだ。バトルネーソス敷地内の植木に自然発生していたとは、知らなかった。
夜明け前。
ネーソスオーナーのチャーレムと、マフォクシーのマダムが、サイコパワーを“隠し穴”に注入した。別の“隠し穴”とリンクした、ワープ装置が出来上がる。“サファリツアー”と題した集まりに参加した亜人たちが順番に“隠し穴”を通って、どこかへ転送されていく。貧乏で参加費を払えない俺は最後尾のパチリス所長の影にひそみ、こっそり乗り込んだ。
高台から身を置く、大自然。
深さも広さも、果てが知れない。
「“自然保護区”だよ」
所長が朝日に目を細めて言う。
准人間的市民権をもつ携帯獣・亜人のなかには、ストレスという時限爆弾をかかえた犯罪予備軍もいる。闘争本能に火がついて事件を起こせば、亜人への偏見が人間社会に広がりかねない。ネーソスのオーナーは法律の抜け穴をヒントに、“ツアー”を考案したらしい。野性下では、獣が獣が殺しても犯罪にはならない。人間の居住地と交わらない土地なら、獣返りした亜人たちは弱肉強食のサバイバルに興じられる。
「あっちの奥は黒いオノノクスの縄張りだから、ひとりで近づいてはいけないよ」
了解だ、所長。
集合場所と時間帯を確認してから、解散した。
技を使えない上に丸腰の身で、心は現代人という俺に言わせるなら、この辺で能天気にキャンプしたいとは思わなかった。隠れ家にできそうな岩場でいきなり、引き裂かれたヒメグマの死体を見つけた。草むらから飛び出してきたコラッタを、口元を赤く汚したオオタチが追っていった。あの顔、ツアー参加客の列にいたような気がする。形状から、ここに落ちている骨はププリンだろう。まさかな。嫌な想像を振り払った。
あいつ。あのリーフィア。ネーソスをクビになった喫茶店の元看板ポケだ。狂ったように笑いながら、葉っぱの尻尾を鉈みたいに振り回している。水場に来ていたシママの群れを襲いはじめた。一体が尻尾を斬り落とされた。群れは散り散りとなって、狩りの快楽に取り憑かれているリーフィアもいなくなった。
所長は俺より先に、集合場所に来ていた。
「キミ、野蛮なのは趣味じゃないんだね。僕もだ。でもたまに野生の勘を刺激しないと、探偵の腕まで平和ボケするから。さっき、焼きパチリスにされかけたよ。同じマフォクシーでも、マダムとは別ポケだね。おなか、空いてない?」
くるりと巻いた尻尾からオボンの実を二つ取り出して、一つくれた。
「黒いオノノクスの縄張りに忍び込むよ。ついてきて」
案内されたのは、湖畔だった。
灰汁の皆無な澄んだスープのなかで火事が起きているような、夕焼けの湖だった。
「この湖、伝説があるんだよ。昔々、月に住んでいた人間そっくりの一族がこっちの世界に憧れて、月の石で作った船に乗って移り住もうとした。でも船は事故に遭い、一族は死んでしまった。食料として積み込まれていた月のポケモンたちは、奇跡的に生き延びた。船が墜ちたときに出来た大穴は湖となり、月のポケモンの子孫に月の力を恵み与える聖地になった……おしまい」
ハッピーエンドかバッドエンドか、よく分からないな。
お伽噺は得てして、そんなものか。
「ひと昔前までは、もっとすごい月のパワースポットだったらしいよ。湖に映った満月の像から、ムンナやムシャーナが別空間にある楽園への扉をひらいて、行き来したんだって。だけど楽園は、犯罪集団にめちゃくちゃにされた。それきりムンナ達は、この湖に寄りつかなくなったって噂なんだ」
嫌な気分になる噂だ。
「ムンナ達が消えた後も、湖には月の力に惹かれた他の種族が姿を現すんだ。たとえばピッピ。運がよければ、もちろん……」
クレセリアも、か。
「それにしても、幻滅した? 僕たち、亜人に」
「あまり興味がありません」
俺が答えると、所長は憂鬱そうに微笑んだ。
「きみは国際警察さんに捕まった時、嫌じゃなかった?」
「とんでもない。彼女は恩人です」
「野性ポケモンがモンスターボールで捕まると従順になる原理、まだはっきり解明されてないんだよね。科学の力ってすげーっていうけど、案外アバウト。僕らの場合、遺伝子に受け継がれた集団的無意識だったりして。人間に友好的な手持ちポケモンが野性に流れて、世代交代が進んだ結果とか」
ふかふかの尻尾がゆっくり揺れた。
「受け売りの学説だけど、僕たちポケモンが姿形も鳴き声も違うのに意思疎通できたり、人間の言葉を理解できるのは、全種類の遺伝子をもつ起源種の特性が『シンクロ』だったからなんだって。ようするに、無意識のテレパシーで気持ちで、相手の気持ちを読めるということ。でも体系的な種族語は発達しなかったから、僕たちの言語は人間からの輸入なんだ。パチリスは、僕らの言葉でもパチリスなんだよね」
そう言われると、意識したことがなかった。
「亜人も、人間側からの呼称なんだよね。僕は亜人になった日、昔のご主人からつけられた名前を捨てた。捨てた後から毎日、新しい名前を考えてる。自分で自分を名づけるのって、すごく難しい。ポケットモンスターに替わる新名を考える運動が起きないのも、分かるんだ」
所長が、星を隠している曇り空を見上げる。
「きみは本当の名前、取り戻せるといいね」
結局、三日月の女神さまは現れなかった。
日が昇り、列をなした亜人たちは帰りの“隠し穴”の順番を待っている。
血湧き肉躍る野生を封じ、平穏で文化的な街の日常へ、すました顔で戻っていく。
◆◇
今日のバイトは休みだ。俺はクラウの掃除を手伝いに、マンションの一室にやって来た。このドアの向こうが、警部補の自宅。どうなんだろうな、これ。俺は元人間で、自認は男だ。急に恥ずかしくなってきた。「コソ泥とかじゃないんですから、入ってもアイラさん怒りませんよ」と説得するクラウ。影に引きこもって入室をしぶっていると、隣部屋のドアを黒いものが内側からすり抜け、てってってと寄って来た。
「こんちは、クラウ兄。それ誰?」
イーブイの耳が付いたカチューシャを被った、ジュペッタだ。
ゴーストタイプだからか、影のなかの俺をあっさり見抜いた。
「こんにちは。僕の相棒です。紹介します、お隣のタゥさんです」
「どうも」
俺は、クラウの影から首を出した。
「仲良うしてやー!」
ジュペッタは口のチャックの両端をにこっとつり上げた。
「ええなー、ウチも欲しいわ相棒」
「その方言、よそから移住してきたのか?」
「この喋りなぁ、ウチが居候してる家のあんちゃんの真似やねん。可愛いやろ?」
「せやな。ええんとちゃうか」
「あ、移った移った。あんたノリええなあ、気に入ったわ!」
「どないした、クラウ?」
なんだか、顔色が悪いぞ?