NEAR◆◇MISS















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第九章
-5- 自然保護区
 キリンリキ先輩がアンテナ代わりの二本角から『電磁波』でパチリス所長宛てに電気信号のメッセージを送りながら、マントをなびかせる騎士姿のクラウを乗せて、駿足をとばすポニータのように『高速移動』で街を駆け抜けていく。バックカメラ役をこなすシッポちゃんとの視界同調で、先輩は後ろを振り返らずに追撃をかわしていた。
「遅い遅い、そう簡単に王子様は渡せないよ!」
 馬鹿にされて怒ったニンフィアのリボン状の触角が執念で引き伸ばされ、コーナリングで差を縮めた。俺は路面から上半身を実体化させ、クラウの腰にさげた舞台の小道具のフルーレを拝借し、シッポちゃんに届きそうな触角を追い払う。感謝のつもりなのか、シッポちゃんにかぷかぷ甘噛みされた。よだれで髪がべとべとだ。先輩からは「シッポちゃん、よそ見しない! こんな時にたぶらかさないで、後輩くん!」と怒られた。
「剣術、使えるんですね」
「そうか? クラウ。適当にふり回しただけだ」
「あの時はニダンギルでしたけど、そっくりなフォームを見たことがあります」
 そう言うなら、人間だった頃の手癖のようなものが出たのかもしれない。


 無傷でジョイン・ストリートに帰還できた。ありがとう先輩、ゆっくり休んでくれ。
 大勢が集まってくれていた。さすがは所長の信望。でもどこだ? あとで姿を探して礼を言おう。
「ウチのライブハウスの出禁食らいたくなかったら、しっかりやんな!」ドゴームおばちゃんが激励し、自称ロックバンドのオタマロ、ガマガル、ガマゲロゲがささやき合う。「おい、レディー・ゴゴ怒らせたらマジやべーぞ……」「うー、地獄。寒くて『草笛』吹くどころじゃないよー」ガタガタ震えるリーフィアの文句を聞いて「しょうがないねえ」とマフォクシーのマダムが杖で『日本晴れ』の熱光球を打ち上げた。赤色の一羽にくっついて暖を取っていた黄、紫、桃色の四姉妹で観光客らしいオドリドリも上昇した気温に元気を取り戻す。マネネとパッチールはフラフラしながら社交ダンスのように向き合って組み、ルンパッパはウキウキしている。準備はよさそうだ。みんな、協力を頼んだぞ。
 へとへとになっても復讐心だけで踏ん張っているニンフィアに、クラウが『鳴き声』を聞かせた。
「待って。僕を倒すなら、その前に一曲聴いてほしい」
「はあ!?」
 ニンフィアの顔がブチ切れたが、襲ってはこなかった。まずはうまく“攻撃”性を下げた。
 “歌って踊って心を豊かにするのが、ミュージカル”。そう言ったな、相棒。頼んだぞ。
 この演目が成功すれば、無益な戦いを避けられる。本物との声の違いなんか気にせず、どんとやれ。
 クラウが影の中の俺に目配せし、深く息を吸う。心に浮かんだアドリブを口ずさむ。

【君の気持ちがわかるよ】

 『チャームボイス』をフル活用したファルセット。プロ級に上手い。恐るべき『スキルスワップ』の効き目だ。
 原曲は“ワンダー・ペンデュラム”。ストリートの皆も知ってて歌える選曲だった。プクリン夫妻がハミングを『うた』いながら、地上をファンシーな色のスモークが立ち込める『ミストフィールド』に変える。美しい『草笛』が奏でられ、ドゴームは『チャームボイス』を披露した。楽器の口真似をペラップが使い分け、その打楽器や管楽器の音色をオドリドリ達が踊りながら『オウム返し』で伴奏を担う。その他の有志たちも即興のダンスや、『輪唱』や『エコーボイス』で盛り立ててくれた。
【あこがれの進化、誰のための力? 鍛えた身体、磨いた技、役に立たない。僕の居場所は、前とすっかり変わった。泣いて喜んでいいほど平和な暮らし、でも心はどんどん、張り合いをなくしていくよ。自分の気持ちに嘘はつけない。仕事への誇り。辛いことも良いこともすべて、僕の生き甲斐だった】

 クラウ……

【先輩たちが言っていた。引退したら、ボールに入る時間が増える。トレーナーと心が離れてゆく。それが常識。きっと僕は違う、そう思いたいけれど、本当は怖い。大事な人が望むなら、潔くこの刃を折るべきなのに。自分の気持ちに嘘はつけない。僕も男だ。細く長くより、太く短く生きて、高みを目指したい】
 クラウが、ニンフィアに手を差し伸べる。  
「一緒に歌おう。君のステージでもあるんだ」
「な、何それ、意味わかんない! バカじゃないの!?」
「大丈夫。勇気を出して。君の歌を聴かせて」
 たじろいでいたニンフィアが、『誘惑』に負けた。愛らしい『チャームボイス』で、デュエットを響かせる。
【ず、ずっとあんたが、憎かった。大好きなあの人の一番は、あんた。こんなことになるなら、あんたにミュージカルの楽しさ、教えるんじゃなかった。裏切り者。許せない】
【なぜ、“僕”と共に行かなかったの?】
【言ったでしょ。あの人を見捨てられなかった。ううん、私には見返りがあった。あんたがいなくなった分、大切にしてもらえた。幸せだった。その時間が長く、続かなかっただけ。仕事って、なんの話? 私が思ってるほど、簡単にはスターダムにのし上がってないとでも、言いたいの?】 
【君は昔の選択、後悔してる? さあ、吐き出して。隠さないで。僕の素顔のように。帽子もマントも仮面も、ぜんぶ――】


【脱ぎ捨てて!】
 
 最高潮を、かっさらわれた。まるで舞台の迫上げのように、地中から颯爽と現れたもうひとりのエルレイドの絶唱に。
 と同時に、俺とクラウは足元にぽっかり開いた穴に引きずり込まれた。『スキルスワップ』と主演交代は一瞬の出来事で、美声に驚いて背後を振り向いたニンフィアも他の皆も、身ぐるみ脱いだクラウが『テレポート』したと勘違いしたはずだ。俺たちの協力者が、酔いしれる観客へと鞍替えした。あのニンフィアも。だらんと触角を垂らした。 

「腐ってもプロね。あたしの……完敗だわ」

 皮肉まじりの称賛。敵意が消失していた。これがミュージカルの力。感動させる力。そして絶対的な実力差が、積年の憎しみを洗い流したのだ。予定は狂ったが、俺たちの追走劇がベターな形で終わったなら、何でもいい。最大限の賛辞に値するスターの影武者を務め上げたことを、クラウは後悔していないだろう。俺も同じだ。
 あの登場の演出は、パチリス所長の『穴を掘る』のアシストだったのか。地下で顔を突き合わせながら、「しーっ」とジェスチャーを見て、それに気が付いた。民間者を危険にさらさないという俺たちに対して、所長にも従業員を危険にさらさないというポリシーがある。だから、わざわざ本物を見つけ出して連れ戻したのだ。これだけ見せつけられたら、黙従するしかない。俺とクラウは所長のふかふかのしっぽにならって、掘り進められていく地下道を匍匐前進で退場した。



 元トレーナーは訊く耳を持たず、エルレイドは関係を修復できなかったそうだ。
 さんざん迷惑をかけたのにすまないと謝られたが、無駄骨を折らされたとは思ってない。
 そういうことも、あるだろう。彼は無念な結果をどう受け止めようと、一流の俳優であり続ける。
 苦悩がなければ、あの奇跡のような歌唱力は芽が出なかった。皮肉な話だが、そんな気がする。
 それはクラウにも、言えることで。

 月明かりの下で、俺のバディはぐずぐず野外に居残っていた。
 そりゃ、そうだ。俺も同じ立場なら気まずくて、のこのこ病室へ帰れない。
 誰の仕業か、雪だるまの壊され方には悪意がこもっていた。
 クラウは残骸を見下ろしながら、言った。 
「亜人にならないかと、ある方に勧められたことがあります」
 要介護者の警部補を見捨てれば、自由が手に入る。己の才能を試せる生き方ができる。
 心の奥底に、私欲をひそまさせ続けていた。高潔になりきれなかった自分を責め、恥じているのだ。   
「進化したら、強くなれると信じてました。僕は甘かった。悩みが増える一方です」
「成長して、“親離れ”の気持ちが起きるのは自然なことだ」
 そうすぐに考え方を変えられなくてもいい。クラウがまだ俯いているので、俺は肩に手を置いた。
「ずっと尽くしてきたんだろ。お前のアシスタント魂は、なんて言ってるんだ?」
「だって、大好きな人ですから」
 たどたどしい笑顔を作り、鼻水をすする。少し、元気が出たみたいだ。
「今日のあなた、指揮がすごかったです。アイラさんみたいでした。まるでポケモンじゃなくて――」
 鼻声のクラウが、急に黙る。

 ごまかし通すのも、限界みたいだな。

 
「この姿は、生まれつきじゃない。俺は元……人間だ」


 逆光の表情からは、バディの気持ちが読めなかった。
 じっとしばらく俺の目をのぞき込むと、ぐいと腕を引っぱった。
「行きましょう、アイラさんのところへ」
「今の話、信じるのか……? 待てクラウ! 彼女を巻き込むのはよせ!」
「どうして!? あなたまで、アイラさんを過小評価するんですか!」
「これは俺の問題だ!」
「事件性があるから、黙ってたんでしょう!? 僕たちは国際警察だから!」
 くそっ。警部補が絡むと、俺たちはすぐ熱くなっちまう。
 でもこいつにとっての警部補と、俺にとっての警部補は全然違うんだ。
 分かれよ、なんて言わせるな。俺はお前なんかよりよっぽど、腹に無粋な一物を抱えてる。
 乱暴に腕を振り払い、クラウを失望させてやろうと藪から棒に言い放った。
「それに俺は、お前たちとは別の国際警察の監視がついてる。悪党の疑いありだ。黙ってて、悪かった」
「もし指名手配犯なら、とっくに通達がきているはずです。あなたは記憶喪失で、真実を僕たちの手で……」
「しつこいぞ! これ以上指図するなら、俺は出ていく!」
「指図だなんて! あなたは間違ってる、ひとりで何が出来るんですか!」
「なら、腕ずくで止めるか?」
 感情が暴走して炎をまとっている緑色の二拳を、俺はあごで指す。クラウは無自覚だったようだ。しばらく俺を睨みつけていたが、がくりと膝を折って『炎のパンチ』を積雪に突っ込んだ。高熱が急激に下がる濁音を立てながら、湯気がのぼっていく。
「殴れませんよ! あなたは技を使えない。一方的な暴力になるだけだ。この拳を教えてくれた人は、強い相手の倒し方は教えてくれても、弱い相手との戦い方は教えてくれなかった……!」
 優しすぎるお前の敗けだ。じゃあな。捨て台詞の代わりに、大切な赤いマフラーをほどいて、白い地面に落とした。
 クラウは、後を追ってこなかった。

「占いに出てたよ。そろそろ来る頃だと思ってた」
 営業時間が過ぎた探偵事務所に、先客がいた。酒場の女店主、マフォクシーのマダムだ。
 ロマンティックな夜を邪魔された嫌味ではない、と。牙がちらと見える微笑の意図を汲む。
「どうしたの、血相変えて。クラウ君と喧嘩でもした?」
 カクテルグラスを脇にどけたパチリス所長の、鋭い読み。うろたえを飲み込んで、用件に入った。
「『三日月の羽』を手に入れる方法があると、前に言ってましたね」
 
  


 “隠し穴”は天然の“秘密基地”という例えを聞いたことがある。表からは到底そうは見えないが、ごくまれに特定の樹にあいた隙間の奥に、空間のねじれによって生まれた常識外の広さの洞穴が広がっているのだ。バトルネーソスの敷地内の植木の一つにその現象が起きていたことを、初めて知った。早朝。ネーソスのオーナー、チャーレムとマフォクシーのマダムが強力なサイコパワーを“隠し穴”に注ぎ込み、空間のねじれをパワーアップさせて別の“隠し穴”とリンクしたワープ装置をしつらえた。“サファリツアー”と題した集まりに参加した亜人たちが列を作り、順番に“隠し穴”を通ってどこかへ転送されていく。一文無しで参加費を払えない俺はマダムのコネでパチリス所長の影に潜み、最後尾で乗り込んだ。

 ここはどこかと目星をつける前に、荘厳な大自然が畏敬の念を起こさせた。 
「“自然保護区”だよ」
 所長が朝日に目を細めて言う。“ツアー”の説明は探偵事務所で事前に受けていた。
 人間的権利をもつ携帯獣、亜人は理性を尊重する健全な市民だ。しかし一部、獣性の闘争本能を持て余す少数派もいる。人間と主従関係を結んだポケモンはバトルで発散できるが、抑圧の反動が大きい亜人は小手先のスポーツ競技くらいでは満足できない。街で人や獣を襲う者が現れれば、人間社会全体に亜人への偏見と禍根を残す。そこで、ネーソスのオーナーは法律の抜け穴に目をつけた。人が人を殺すと罪に問われるが、自然界で獣が獣が殺しても、生態系の捕食行為と見なされて罪にならない。人間の居住地から遠く離れた、全域を監視下には置けない未開の土地で、野に放たれた亜人たちは野生を取り戻し、凶暴なハンターと化して暴れまわる。
 これから始まるのは、ガイド付き観光などではない。弱肉強食のサバイバルだ。
「じゃ、日没にこの木の前で。あっちの森の奥は黒いオノノクスの縄張りだから、近寄らないように」
 所長はそう助言を残して林の中へ去った。
 心は現代人の俺に言わせるなら、ここの綺麗な空気は毒ガスじみている。素の戦闘力はからきしで、しかも丸腰だ。影に潜っているからと、一瞬たりと気を抜けない。襲われたら死ぬ。隠れ家に選んだ岩場でいきなり、息絶えたヒメグマを見た。何者かが遊び半分で狩った形跡だった。とにかく、安全そうな場所を探そう。首をもがれたキャタピーやビードルが、あちこちに転がっていた。草むらから飛び出してきたコラッタが地べたと一体になっている俺の頭を踏みつけ、コラッタを追って現れた口元が真っ赤なオオタチを、亜人の参加客の列で見かけた気がする。原型なく食われた骸にも、出くわした。生乾きの散らばった骨の形状から推測して、ププリンだろう。高台で日差しを浴びているあのリーフィアは、ネーソスをクビになった元喫茶店の看板ポケだった。狂気の笑い声をあげながら葉の尾を太刀のように振るい、餌場を求めに来た野生のシママの群れを襲いはじめた。群れは脚を切り落とされた仲間を残して散り散りとなり、活きのいい獲物を狙ってリーフィアも消えた。

 性に合わない争いを避け続け、待望の合流だ。所長は俺より先に来ていた。
「顔が暗いよ。大丈夫?」
「暗いのは日没のせいでしょう」
「キミは、こういう野蛮なゲームは向いてないんだろうね。僕も趣味じゃない。みんなから餌扱いされて、苦労するよ。さっきマフォクシーに狙われて、焼きパチリスにされるとこだった。マダムは女性として申し分ない亜人だから、元々僕らが食うか食われるかの関係だってこと、普段忘れてるけど。でも、こうやって時々野生の勘を刺激しないと、平和ボケしちゃって探偵業の効率が悪くなる。おなか、空いてない? ここでは食べ物にありつくのもひと苦労だから、プクリンさんのお店で買っておいたんだ」
 くるりと巻いたふかふかの尻尾からオボンの実を二つ取り出して、一つを手渡してくれた。
「食べ終わったら、黒いオノノクスの縄張りに忍び込むよ。ついてきて」

 案内されたのは、天上を映す真円の水鏡のような、神秘的な湖だった。

「この湖には、伝説があるんだ。昔々、月に住んでいた人間そっくりの一族がこの青い星に憧れて、月の石で作った船に乗って移住しようとした。でも船は墜落して、一族は全員死んでしまった。奇跡的に食料として積み込まれていた月のポケモンたちは生き残り、この世界に住み着いた。船が衝突して出来た巨大な穴はやがて湖となって、彼らの子孫に月の力を与える効験あらたかな聖地になった……おしまい」

 幸せな話なのか不幸な話なのか、よく分からないな。昔ばなしなんて、そんなものか。

「噂でしか知らないけど、ひと昔前までは満月の夜、ムンナやムシャーナがお祭りみたいに大集合して、湖面に映った月からワープホールをひらいて、ムンナたちの楽園を行き来していたらしいんだ。だけどその異空間を犯罪組織が乗っ取り、ひどい悪事が行われた。国際警察がそいつらを逮捕した後も、もうムンナ達はこの湖に寄りつかなくなったんだって。でもピッピとかプリンとか、他のポケモンは月の満ち欠けに合わせて、姿を現すよ。だからどうかなと思ったんだけど、今夜は……」
 天候は澄んでいるが、雲の量が多い。風の流れで三日月が隠れては現れ、現れては隠れている。
「クレセリアがやって来る気配は、なさそうですね」
「諦めずに、もう少し待ってみよう」
 所長は尻尾を毛づくろいしながら、不意に切り出した。

「幻滅した? 僕たち、亜人のこと」

 フィルムのように、この半日で目にした犠牲者が頭を通りすぎていった。
「この星の歴史に換算すれば、人類の繁栄も数瞬です。文明的に成熟していると言い切れません」
「そうかな。ありがとう」
 所長の半笑いは、うつろだった。
「学者の本の受け売りなんだけど、僕たちポケモンが姿形や鳴き声が違うのに意思疎通できるのは、すべての起源だと考えられているある一種が『シンクロ』という特性を持っていたから、つまりテレパシーを使える潜在能力があるからなんだって。でも僕たちの先祖は、家畜化されるまで体系的な言語を持たなかった。だから、僕たちはポケットモンスターに替わる自分たち種族の呼び名を持たない。適応力の高いポケモンは人間の影響下で、知能を著しく発達させた。これも一つの『進化』とみなす学説もあるらしいよ。そうして、人間に友好的で人間の言葉を理解する個体の血と野生個体の血が混ざり合い、世代交代が進んで、一度捕まるとトレーナーに従順になりやすく、人語の理解能力も高い現代型のポケモンが圧倒数を占めるようになった。だから……」
 読んだ本の中身を暗唱するような口述から、所長自身の弁へと移行していく。 
「共存共栄を謳うなら、亜人は新しい『進化』のステージかもしれない。だけど、所詮まだ“人間もどき”だよ。だって亜人も、人間の決めた呼称だし。僕は亜人になった日、昔のご主人から貰った名前を捨てた。そうしないと、一人前になれない気がしたから。それからずっと、新しい名前を考えてる。でも、自分で自分を名づけるのって、すごく難しい。ポケモンに替わる呼び名が見つからないのも、無理ないって思うよ」

 ふと、所長が夜空を見上げる。願いを叶えてくれる流れ星が見つからないかと、探しているみたいに。

「キミは本当の名前、取り戻せるといいね」

 明け方。
 ぞろぞろと列をなし、亜人たちは帰りの“隠し穴”の順番を待っている。
 血湧き肉躍る野生を忘れ、平穏で文化的な街の“日常”へ、すまし顔で皆が戻っていく。
 
 

 
 俺は、クラウに甘えていた。売り言葉に買い言葉でカッとなった俺がガキで、あいつは悪くない。あのクソ真面目で、なんでも自分の心配事みたいに抱え込むバカ野郎。あまりにいい奴で、俺は劣等感をさらけ出したくなかっただけだ。記憶喪失でも、いつか警部補に違和感をおぼえられると分かっていた。彼女に俺の心は人間だと信じてもらえたところで、クラウと違って俺に彼女を守れる力はない。クソみたいな思考の堂々巡りから抜け出すために、自分ひとりの力で何かをやり遂げてみたかったんだ。でも賭けに出て、戦果はゼロ。三日月の女神さまから羽を授けられるには、未熟すぎたんだろう。
 探偵事務所の玄関前に、青いマフラーを巻いたエルレイドが座り込んでいた。
 所長に頼んで、少しの間部屋を借りてふたりだけにして貰った。
「これ、お返しします」
 きちんと折りたたまれた、赤いマフラー。
 もし危ない目に遭った時、ボロボロにしたくないから置いていった。捨てたと見せかけたのに、このおひと好しめ。
「まず、言わせてください。アイラさんには何も伝えてませんから」
「クラウ、俺は」
「人間でもポケモンでも、あなたはあなた、ですよね。よく話し合いもせず、ごめんなさい。僕が軽率でした」
 俺は俺、か。
「いや、謝るのは俺のほ」
「そんなことより、聞いてください!」
 そんなことぉ? そんなことだとぉ? ちぇっ、仲直りの順序がめちゃくちゃじゃねえか。   
「あなたを探すのに、外泊の許可をもらいました。ですが、連泊の許可はもらってません。前にも、ウルスラさんを追って半分家出みたいな事しでかしましたけど、あの時とは状況が違うんです。今頃アイラさん、カンカンに怒って、ううん、ものすごーく心配して泣いちゃってるかも……ああどうしよう、退院前の大事な時期なのに。ひとりじゃ怖くて、帰れません! お願いです、一緒に病院に行ってください!」
 ……これだから、優等生は。
 了解。どんな罰も、一緒に受けてやる。こっちにも責任があるからな。
 無力で羽一つ手に入れられず、元人間だとイカれた主張をする男には、お前は得難い友だ。
 俺がもし人間のままで、別の出会い方をしたとしても、警部補を挟んで笑い合っていたかった。
 
 
 バイトは休みを取り、俺はクラウの手伝いでマンションの一室を訪れた。このドアの向こうが、警部補の住まいか。人間の男に見られて困るものは置いていない、と言われたから来てみたが、やっぱりこれ、どうなんだろうな。プライバシーの侵害ってやつにならないか。直前になって腰が引けた俺をクラウが説得していると、隣の部屋のドアを何か黒いものが内側からすり抜けて、ぽてぽてと体を揺らしながらこっちにやって来た。 
「タゥさん、こんにちは」
「クラウ兄? 今日どないしたん。まさか、ウチにデートのお誘い?」
 ジュペッタだ。
「アイラさんが近々退院するので、お部屋の掃除に」
「そーなん! よかったやん、おめでとー! お連れはどなたさん?」
 クラウの影からちょこんと首だけ出している俺を指さし、興味津々といった雰囲気だ。
「僕の相棒です」
「あい……ひょっとしてクラウ兄の――」
「ちょ、ちょっと待って! なんでもかんでも恋愛事と結びつけるのはやめてくださいよ」
「暇やもん。ウチの乙女の想像力、あり余っとるんやもん」
 クラウは埒が明かないと見たのか、強制的に俺を会話に巻き込んだ。
「紹介します。こちらはタゥさん。隣部屋の住民です」
「初めまして。よろしく」
「こちらこそお初に……って、あかんわ、堅苦しいわ! 仲良うしてなー!」
 ジュペッタはニコッとチャックの口をつり上げた。
「ゆうて、ウチは居候やけど。こんなかわええジュペッタになったのに、お兄やんもウル姉も帰ってけえへん……」
 元気いっぱいだったゴースト娘が急にしょげる。
 なんとなく哀れになり、気を紛らわさせてやりたくなった。
「あー……その喋り方、出身は西部なのか?」
「ちゃうちゃう。お兄やんの喋りが好きで、真似しとったらクセになってん。どや、ええやろ?」
「そうなんや。ええんとちゃうか」
「あっ、移った移った! あんた、モノマネの天才? イントネーションばっちりやで!」
「ほんまか? ははは、意外な才能があったんやなあ、知らんかったわ……クラウ、腹でも痛いんか?」
 こんな真っ青なクラウの顔、見たことが無い。
「すみませんが、急用ができました。部屋の掃除、お任せします。それと、たぶん退院には立ち会えそうにありません。アイラさんのこと、よろしくお願いします」
「おい、急に何言い出すんや、一体……」
「今は説明できません。でも約束します。僕は必ず、帰ってきますから」

◆◇

『なあ兄貴、やっぱおれ……』
「そろそろ切るぞ。育て屋稼業、しっかりな」
『秘話通信なんだから、もうちょっといいだろ! 逃げんなよ!』
「いいや、お客だ。続きはまた今度な、コードネーム『ランド』」

 夕陽の色をした髪の男は通信を切り、煙草に火をつける。
 対面中のエルレイドは一服を待ち、片腕を胸の前で折り曲げて礼儀を示した。 

(お疲れのところ、夜分に失礼します。火急の用件があって参りました)
「おお、その声久しぶり。『スキルスワップ』で特性を変えてきたか。いいアイディアだな、クラウ」
(流石ですね、フィッシャーさん。いえ、今はこうお呼びしましょうか……コードネーム『タンタキュル』)

レイコ ( 2018/08/03(金) 20:17 )