NEAR◆◇MISS















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第九章
-4- 日々是好日
 クラウがテレビに夢中になっている。冬季ポケリンピックの生中継だ。夏季はサーフィンで出場した異色の経歴をもつニューラが、真っ赤なスノーボードで次々と大技を決めていく。さすがはメダル候補の有力選手。高得点で一気に首位に立った。
「すごい、かっこいい! 僕もあんな風に滑ってみたい!」
 大興奮したクラウが歓声をノートに書き、崩れた字を読んだ警部補がにっこりした。
「本当、かっこよかったわね」
 ……俺もスノボの練習、してみようかな。

 青と赤のマフラーを身に着けて並ぶ俺たちは売れないコメディアンのコンビみたいだが、気にしない。 
「冬になったら、スノボー教えてくれるって約束……覚えててくれてるかな、ミナトさん」
 クラウがぼんやりと呟いた。
 駐車場の脇にどけられた雪でヌオー型の雪だるまを作りたいと言い出したので、手伝った。
「留紺さんそっくり! これを見たらきっと、捜してるって気づいてくれます。ありがとうございました」
「早く会えるといいな」
「はい! そうだ。アイラさん、最近お散歩できてませんから、僕たちで外の気分をプレゼントしませんか?」
 ん? 
 
 相手の好きなものを作るという発想がまず、背中がもぞもぞする。しかも悲惨なくらい下手くそだ。
 手乗りサイズの正体不明の雪だるまを意気揚々と警部補に見せびらかす相棒を、遠い存在に感じる。
「合作? これを私に? ありがとう! ちびブイかしら」
 正解。驚いた。どうせ困らせるだけという捻くれた心の準備など最初から無かったみたいに、気分がいい。
 一生懸命作ればどんな出来でも喜んでくれるというクラウの純真を、少しは見習ったほうがいいのかもしれない。
 でもこれ相当、小っ恥ずかしくないか? 


◆◇


 今日は気温が高めだ。事務所に出勤した俺は、パチリス所長のやつれ顔を見てぎくりとした。
 いつも首に巻いているトレードマークのスカーフがよれよれで、大きな染みまでついている。
 尻尾で動かないように押さえている滑車では、三つ子のププリンが木の実ジュースを吸っていた。
「プクリン夫妻がポケフルエンザに罹って、夕べから子守りをまかされてて」
 と、スカーフで口に蓋をして咳込んだ。熱もありそうだ。まさか所長も、夫妻と同じウィルスに。
「悪いけど、検査に行きたいからこのコ達見ててもらえる? これもバイトの時間に含めるからさ」
「了解です。お大事に」

 俺のゴーストタイプっぽい見た目で怖がらせないように、アチャモやハスボーのぬいぐるみと絵本の読み聞かせで機嫌をとった。思ったよりポケ見知りしないらしく、慣れるのが早くて助かった。全国のパパやママ、ベビーシッターはこの比でないハードワークをこなすのだろうから尊敬する。子どもらの昼飯を済ませ、ここからは後半戦。大人しく遊んでいることだし、インスタントコーヒーでも作って小休止しようかと考えていると。
「おバケさん、カノジョいる?」
 いきなり何を訊くんだ、この長男坊は。
「そんな事、知ってどうする」
「きいてみただけ。ねえ、ヤセイのことしってる? たのしい? あぶない?」
 赤い飴玉みたいな目がきらきらしている。この子の特性は『勝ち気』か。下手に好奇心を刺激しないほうがいい。
 まだ言葉をうまくしゃべれない次男と三男が、俺の腕をつつく。お、何を見せてくれるのかな? ああ、さっきの絵本に出てきたビビヨンの宮殿。こっちは煙幕怪盗マタドガスだな。特徴を捉えてよく描けている。催促されたので、俺も画用紙にクレヨンで何か描くことにした。丸を描いてシュッシュ、モンスターボールが完成。なに、こわい牢屋? 偏見はよくないな、ヒールボールみたいに傷を治してくれるタイプもあるんだから。 
 ゴムまりのように弾みだした長男の体が床でプッシュされるたび、マシュマロみたいな甘い匂いが押し出される。 
「たいくつー。はやくヤセイでくらしたいよ」
「外の世界に憧れるのは勝手だが、おっかない奴に食われても知らないぞ」
「いいもーん、だいじょうぶだもーん」
 聞く耳を持たない。携帯獣は同じ種族でも個体差が大きいから、三つ子の性格にも色々あるんだろう。
 弟たちがうとうとしはじめた。
 ――まずい。
「起きるんだ!」
 うっかりしていた。俺の特性は『ナイトメア』。お昼寝との相性は最悪だ。
 これじゃまるで、幼児虐待じゃないか。泣き出したププリン達を慌ててあやしていたところへ。
 ドアノックと、あの声はクラウ。いい所に来てくれた!

「それで今日は、なんだかお疲れなのね」
 医療用ベットの上の警部補はおどけた含み笑いしながら、俺とクラウをねぎらう。
 のん気な反応だ。子守りひとつ安全にやり遂げられない俺のことを、ちっとも危険視していない。
 実際、神経がくたびれた。でもここだけの話、君の顔を見るだけで癒やされる。一番大切な日課なんだ。
 なあ、ププリンの長男坊。
 質問の答えをイエスかノーかはぐらかして、大人げなかった。いる訳……ないだろ。

 後日。
 俺は面会を邪魔しないように影となり、探偵事務所の床で息をひそめていた。
 悲痛に泣き崩れているプクリンの奥さんを、パチリス所長がなぐさめ続けていた。
「心配なのはわかるけど、巣立ちなんだ。野生ならもっと早いくらいでしょ。あの子はたまたま、亜人の暮らしが合わなかったんだね。ほら、このスカーフで涙を拭いて。残った弟くんたちにはママが必要だよ。それに、もうすぐ孵るタマゴも。名前辞典、いつでも貸すから」
 あの長男坊が、行方不明になった。

◆◇

 小雨が降っている。
 影にもぐった俺とキリンリキ先輩は証言を頼りに、マフォクシーのマダムが営む酒場へ向かう。
 いた。家出調査の依頼を受けて捜していたリーフィアだ。べろべろに酔って、マダムに管を巻いていた。
「今にょオーナー、そり合わなふてさぁ。喫茶『くさぶえ』の看板ポケ、クビになりたくぱいよぉ。ヒック。先代オーナーが死んだっへのに、世間は冷たふぎると思わなぁい? ヒック。こー見えてよくしてもらっははから、割と好きらったんだろになぁ。あっ、恋とはちがうよぉ。そらあ人間相手の接客してたら、この人いいなーっへ思う時もあっはろ。へろほれらウルスラちゃんになっぴょうよぉ。ヒック。人間に入れ込むはんて、不幸になるものいいとこねぇ。可哀相に。あの兄ちゃん、一回逆の立場ひなってみえばいいんら。ヒック。ほんと同情するおう。あんれえキキリちゃん、いつからいたの? 一緒に飲むぅ?」

 泥酔したリーフィアをバトルネーソスに運び届け、探偵事務所に首尾を報告しに戻った。
「ふたりとも、お疲れ。ところで、お探しの『三日月の羽』の情報が手に入りそうなんだ」
 パチリス所長が言った。色々あって、俺とクラウはあやうく二回は偽物を掴まされた前歴がある。どちらも、特性『鋭い目』で目利きをしてもらったタチ山さんに世話をかけた。三度目の正直という言葉があるように、今回は信用度の高いルートを教えてもらえそうで期待を持った。所長の顔が「でもね」と神妙になる。
「たぶん命がけになるから、おすすめしない。まずはちゃんと、相棒のクラウくんと相談しておいで」
 相談……か。

 帰り際、キリンリキ先輩に言われた。
「トレーナーとの出会いって、運だよね。君はラッキーだと思う。その人のこと、大事にしなよ」
 大事に、と言われても。
 『三日月の羽』を手に入れれば、悪夢を見せる心配がなくなり、多少は恩返しになる。
 それだけじゃダメってことなのか。
 病室に着いてからも考えこんでいると、いきなり警部補にスナック菓子を口に押し込まれた。
「隙あり。ほら、早く食べないと全部クラウの分になっちゃうわよ」
 俺、この本格的なトマト味、嫌いなんだがなあ。
 

◆◇


 前々から告知されていた、ジョイン・ストリート第一回雪祭りの開催日が近づいてきた。
 さて、公募イベントをどうするか。エントリーできる部門は二つ、雪像とコンテストだ。
「コンテストはペアですから、変装して僕と出場しましょうよ」
 公衆の面前に出るのは自重したい俺の代理をつとめるクラウが、本末転倒なことを言う。
「雪像はあたしに任せて。人間が作るのみたいな、ぐねぐねでコテコテしたヤツにするんだ。ね、シッポちゃん」
 キリンリキ先輩は現代アート志向か。
 ジョイン・ストリートのウェブ広報担当、オタチのタチ山さんも気合い充分だ。
「みんなの活躍、記事にするのが楽しみだよ」
 従業員や支援者がパチリス探偵事務所で顔を突き合わせているのは、ともかく。
 満員電車じゃあるまいし、この密度はおかしい。笑っても誤魔化されないぞ、部外者たち。
「お安くしとく、必要な石。店の宣伝になる、優秀賞を取れたら」
 ストリート内の店舗その一、ストーン・ショップのメレシーことメレ爺(じぃ)は抜かりない。
「打ち上げはウチで決まりだねえ。占うまでもなく」
 そのニ、酒場のマダムで耳毛にかんざしを差したマフォクシーがキセルに火を点けようとすると。
「ここ、禁煙!」
 パチリス所長が止めに入る。
「じゃあ二次会はおばちゃんとこでやんなさい、ね、そうなさい! ね、ね!」
 その三、地下ライブハウスを運営するドゴームのおばちゃんの声の振動でボロい事務所がめりめり鳴った。
 
 万全のコンディションで挑んだ、当日。クラウと所長のペアはコンテスト部門二位、先輩たちは雪像部門で三位を勝ち取った。不参加だった俺としても、チーム一丸となっての健闘が誇らしかった。招かれたゲストの一座によるステージショーの定刻になる。氷のティアラとネックレスで着飾った青みがかった白銀のキュウコンが、局地的に天候を『あられ』に変え、空に出現させたオーロラのベールで会場を包み込むと、美しく大がかりな演出に歓声が上がった。ふわふわした真っ白なロコンと、結び目の先端が赤い黒のバンダナを巻いたユキワラシ、透という漢字の片耳イヤリングをつけたグレイシア、立派な氷柱の針を持つ水色のサンドパンが『吹雪』で即席のスケートリンクを作り上げ、観客を呼び込んだ。俺でも知ってる流行りのヒット曲“ワンダー・ペンドゥラム”がスタートした。ひとときの楽園のような光景だった。滑ってころび、踊って回ってまたころび、上手い下手に関係なく、亜人を筆頭とするポケモンたちと少数の人間たちが一緒になってスケートを楽しんでいる。クラウが物陰にひそむ俺を見つけて笑顔で手を振ったので、小さく振り返した。ジョイン・ストリートの雪まつりは大盛況のうちに、幕を下ろした。

 二次会で遅くなるクラウを残して、俺は打ち上げを離脱した。
 病棟の廊下を影になって進みながら、おや? となる。ということは、今晩は警部補と二人きり。
 そ、それがどうした。たまにはそんな日もある。深呼吸してから、入室した。
「いいなあ。私も行きたかった。この次は一緒に連れてってね」
 俺の筆談でクラウ達の手柄を知った警部補が、ちょっぴり残念そうな、羨ましそうな顔で言った。
 彼女にして甘えた態度が珍しくて、妙にどぎまぎさせられる。
 この次、か。
 それまで、一緒にいられるだろうか。俺には約束……できない。

 いつもより早く感じられた病院の消灯時間が、少し恨めしかった。赤いマフラーをしっかり巻けば、寒さもやわらぐ。今夜も野宿にいい場所を探しながら、物思いにふけった。警部補の口から、楽しかった仕事の話も、早く職場に復帰したいとも聞いたことがない。仕事、きついんだろうな。辛い記憶も多そうだ。もし俺にまともな収入口があったら、ストレス抱えてまで国際警察官を続けずに済むんだろうか。まったく、非現実的な思いつきもここまでくると、一周回って感心する。彼女の人生に深入りするなんて、論外も論外。俺はただの居候。俺がいなくなっても、彼女にはクラウがついている。それを忘れるな。
 

◆◇


 成功を信じて疑わないクラウの声援を受けながら、左手で固定した右手に力をこめ続ける。強く握りっぱなしの手首が痛みだし、頭がふらふらするほど無呼吸で粘ったが、“技”は出なかった。何度チャレンジしても失敗ばかりだ。
「次は、実戦的にやってみましょう。ピンチをチャンスに変える意気で!」
 肘の仕込み刀がひらめく。一発目の『連続斬り』は耐えた。だが二発、三発と食らうと。
 いつの間にやら俺は、ひんやりする長春の鱗肌を枕にして、見事な羽団扇のような尻尾であおいで柔らかな風を送られていた。エルレイド、ミロカロス、エンペルト。大丈夫、誰が誰だか思いだせる。軽い脳震盪でいちいち記憶を失くしていたら、笑い話にもならない。
「そなた、バトルの才能がなさすぎる。いい加減、諦めたほうが良いのではないか」
 雄黄の指摘にぐうの音も出ないまま、この日のバトルネーソスでの特訓は終了した。


 ネーソスのロビー備え付けの自動販売機に、クラウが金額ぴったりの小銭を入れる。
 ゴトゴト音を立てて落ちてきた体力回復に良いサイコソーダを二本取り出しながら、言った。
「悪タイプのことなら、ダッチェスさんが詳しそうなんですけど」
 クラウ達と付き合いがあったという、突然姿を消した色違いのブラッキーの名前だ。
「僕に『炎のパンチ』をコーチしてくた人は、プロの育て屋にトレーニングメニューを相談していたそうなんです。そういえば、ホームページがあった気が。タチ山さんはネットに詳しいですから、代理してもらって申し込んでみますか? お金はかかりそうですけど、自主練だけより早く成果があがると思います」
「信頼できる人間か?」
「元国際警察だそうですよ」
 なら、ひとまずハンターみたいに俺を闇市場に売り飛ばすリスクは低そうだ。どのみちローンは避けられそうもないので、慎重に検討しよう。缶の片割れを受け取り、使い痛みが出ている右手は使わずに、左手だけでフタを開ける。ん? どうした。俺の顔に変なものでもついているのか? クラウの凝視が気になった。
「指先、器用なんですね」
 はっと我に返った様子で、ごまかすような早口だった。何か違和感がある。まあ、いいか。
 言われてみれば、細かい作業は好きなほうだ。こういうのを、バトルに活かせたらいいんだがな。

 病室に戻ると、ドクター・ロビンがいた。また警部補と二人で盛り上がってたのか。
 やっぱりいい気はしないが、今日も差し入れの手作り菓子が美味い。
 なんだと!? 朗報だ。リハビリは順調で、ついに退院のめどが立った。
 よかったな。おめでとう、警部補。俺も負けていられない。技の特訓、頑張ろう。


◆◇


 
 探偵事務所に呼び出されたクラウが、あっ、と声を漏らした。俺も見覚えがある。ドクター・ロビンがクラウ似のイケポケだと有頂天で見せてくれた、人気ポケモンミュージカル巡演のリーフレットに載っていた顔だ。主役俳優のエルレイドの一礼はステージで脚光を浴びるスターのそれで、ファンでも何でもない俺たちを観客の意識に改めさせた。
 
「クラウさんとおっしゃいましたね。どうか私と、入れ替わっていただきたいのです」

 最初、芝居のセリフかと疑った。冗談みたいな依頼のいきさつはこうだった。彼は昔ジムリーダーの右腕で、ポケモンバトルよりポケモンミュージカルにのめり込んでいった。ところがどうしても理解してもらえず、黙ってジムを去った。努力の末に夢をつかんだが、その過去がずっと心に引っかかっていた。偶然、かつてのトレーナーが結婚してアルストロメリアで暮らしているという噂を聞きつけ、直接会って仲直りがしたいと思いつめた。仕事仲間にはプライベートな事情を秘密のままにしておきたい、しかし過密なスケジュールから抜け出せない。そこで、パチリス探偵事務所に助けを求めた。

「そういうことなら……分かりました。遅くても日没まで、ですね?」
 断らないのか。俺のバディはつくづく、ヒトが良すぎる。にしても、結構な無理難題だぞ。
 依頼者のエルレイドは感激して、ラララから始まりそうなメロディに乗せて感謝の言葉を述べた。
「では、『スキルスワップ』を。私のダンス、演技、歌唱力をクラウさんに移します。私は風邪気味という設定なので、スタッフとの打ち合わせ中はなるべく喋らずに、なんでしたら控え室で休んでいてもらえれば。今日のリハーサルは見学ということになっています。万が一正体がバレそうになった時は最高のパフォーマンスで、皆の信用を勝ち取ってください。ただし一時的で不安定な能力ですから、そのことをお忘れなく」


 そして、騒動は起きた。
 大きな羽根つきのつば広帽、マントと模造品のフルーレ、そしてドミノマスク。
 舞台衣装で素顔を隠したクラウと、その影に同化している俺は、全力で繁華街を逃げ回っている。
 腹が痛いといつわって控え室にこもっていると、突然押しかけた身元不明のニンフィアが襲いかかってきたのだ。
「この街に来たのが運の尽き、たっぷり恨みを味わうがいいわ!」
 熱狂的ファンのストーカーによる凶行かと見立てていたが、どうも様子が違う。
 『ハイパーボイス』で歩行者に道を開けさせた。乱暴な娘だ。傷害沙汰になる前に鎮静化しないと。
「なーにがミュージカルの主役よ、ちゃんちゃらおかしいわ。お嬢を捨てて、自分だけ夢をかなえて満足? いいよねー、好きなことばっかしてる抜け駆けヤロウはさあ。お気楽で! あんたのせいで私は退屈なペット暮らし。幸せそうなお嬢たちの横で毎日ニコニコいい子を演じてる私のほうが、あんたよりよっぽど大女優だっつーの!」
 博物館通りの交差点で、赤信号に引っかかった。色が変わるまで待てない。クラウが青信号になだれ込む自動車の屋根から屋根へ跳び移る。後をついてくるリボン状の触角が二体のしつこい蛇ポケモンみたいだ。進行方向でふたたび、赤信号。路肩に寄せられていたヤドン・タクシーのトランクリッドを踏み台に、クラウが大ジャンプ。眼下を通過していく、高架を走るモノレールの屋根に着地した。ニンフィアの執念には底がなかった。触手を使って軌道桁にのぼり、パステルブルーの瞳を血走らせて追いかけてくる。モノレールは立ち並ぶ高層ビルを次々追い越し、俺たちは運ばれていった先の駅のホームにひらりと降りた。乗客を驚かせながら、ショッピングモールへ駆けこむ。有名な専門店がひしめく、透明感がデザインコンセプトになっている垢抜けた建物の中を、買い物客で埋まった上りエスカレーターの手すりを足場に逆走した。後方から、暴走車両が突っこんだような人々の大騒ぎが聞こえてきた。他人のストールが耳に引っかかっているニンフィアの姿が見えた。まだ振りきれない。モールを抜け、走りながら人気の撮影スポットから堂々と君臨する街のランドマークのタワーに見入ったクラウが、急に思いついたように進路を決める。格闘タイプ由来の高い運動能力を活かしたアクロバティックな移動技術で、颯爽と総合公園に到着した。展望台にのぼるために欠かせないチケット売り場や高速エレベーターを待つ行列に見向きもせず、タワーの外壁に飛びついてよじ登りはじめた。俺は平面の影になってするするついてくだけだが、仮面舞踏会から逃げ出してきたかのような派手な格好のエルレイドは観光客たちの度肝を抜いている。ここまで来ればさすがに、と下をちらっと確認する。ところが、だ。とんでもない諦めの悪さだった。
「なんで私ばっかり、押しつけられなくちゃんなんないの! お嬢をほっとけなくて、あんたの分も今までそばにいたけど? 亭主と赤ちゃんが出来たらなに、私は用済み? あのクソガキが耳とか尻尾とかオモチャにしてくるのに、注意もしてくれない。お姉ちゃんだからガマンして、なんて。笑っちゃう。今までさんざん、ガマンさせておいてさあ! 私の苦労なんて、誰もぜんぜん分かってないんだから!」
 リボン状の触角を鉤縄のように使い、般若の形相で登ってきている。
 マントが煽られる。高度が上がるにつれて、強風にさらされ始めた。真っ白な山脈。湾に浮かぶ島々。雄大な自然に囲まれた都市景観を一望できる、三百六十度の大パノラマ。差し迫った状況でなければ、この絶景に浸りたいと思った。この寒さで身体がこごえ、クラウの動きがにぶくなってきた。触角の先端が足に届こうとしている。国際警察の辞書に『捕まえる』の文字はあっても、『捕まる』の文字はないはずだ。 
「行くぞ!」
「え? あ、はい!」
 クラウが飛んだ。挑むのはパラシュートなしの、スカイダイビング。
 ラメ入りのようにチカチカした『妖精の風』が、逃さないと吹き付けた。俺たちは空中でスピンし、ばらばらになる。クラウの奴、どこ行った!? 格闘に転向したエルレイドに物を浮かせる『テレキネシス』や、『サイコキネシス』の馬鹿力は出せない。あそこだ。風圧で顔面がすさまじく変形しているクラウの腕を引っつかみ、俺の浮遊能力を全開にした。『空を飛ぶ』ようにはいかず、流れ星みたいに落っこちていく。このままいくとクラウと心中コースだ。くたばる前にひと目、遠くからでも後ろ姿でもいいから、警部補が元気そうだと安心できたら、他の贅沢はいらないな。生憎、今の俺の肩にはバディの命がかかってる。ふたりで生きて、地上に立つんだ。浮かべ、止まれ、と命令形で祈りつづけた。減速がはじまる。コンクリートの大地に、ふわりとクラウの足が降り立った。キンキンに冷えた皮膚が大量の冷や汗を解禁した。記憶喪失の俺に走馬灯は見えないだろうが、それでも何か見えそうだった。二度とやるもんじゃない。
「怪我はないか」
「ぜぜ、ぜ、全然大丈夫。し、しし、信じてましたから、あなたのこと!」
 その震え方は、寒さのせいではないな。俺は状況を思いだし、注目を浴びる前に影にもぐる。
 通報を受けたのだろう。パトカーのそばにいた警官たちがてきぱきと、クラウに近づいてくる。
 櫛のとおってないオレンジ髪と職務中と思えない寝ぼけ眼の、身なりのだらしない刑事が話しかけてきた。 
「よう、クラウ。かったるそうな事やってんなあ。助太刀無用か?」
 クラウがうなずくと、その刑事はあくびをしてから煙草に火を点け、一言。
「じゃ、行け」
 失礼しますフィッシャーさん。と、クラウがエルレイドの言葉で返した。
 今のやり取り、知り合いの刑事に見逃してもらったという解釈で合ってるか?


 路地に隠れ、作戦会議だ。とりあえず塔登りは時間稼ぎになった。市民の安全が第一、本物の依頼主が狙われるのはまずいという意見で一致した。おとり役を継続したがるクラウの心がけは殊勝だが、このまま不毛な追いかけっこを続けて、俺の大事なバディを怪我させる訳にもいかない。
「あの恨み言……本心では、ポケモンミュージカルが好きだったのかもな」
「えっ! つまりあのニンフィアは、本物の“僕”の成功を妬んでるってことですか? そんな……悲しいです。歌って踊って心を豊かにするのが、ミュージカルのイメージでしたのに」
「それだ」



 
 パトカーのサイレンが聞こえた。どこかで事件が起きたのだ。アイラは病室の窓を見やり、虫の知らせを感じる。クラウ達は無事だろうか。ドアノックが緊張を高める。居ずまいを正し、表情をわずかに固くしつつ、白衣の男性を迎え入れた。
 時間厳守で現れたオルデン・レインウィングスは、すすめられたパイプ椅子に腰を下ろした。

レイコ ( 2018/03/28(水) 15:38 )