-4- 日々是好日
冬季ポケスポーツ国際大会が生中継されている。夏季はサーフィンに出場していたらしいニューラが、真っ赤なスノーボードに乗って大技を決めていく。結果、高得点で首位に立った。
「かっこいい! 僕もあんな風に滑ってみたい!」
病室のテレビに一番釘付けだったクラウが、ノートに文字を書き殴る。
下手くそな筆談を読んだ警部補が微笑んだ。
「本当、かっこよかったわね」
俺もスノボの練習、してみようかな。
病室の窓の外から見える駐車場の脇に、雪が掻き寄せられていた。
それを見たクラウが、雪だるまを作りたいと言い出した。
クラウは首で、俺は腕に、青と赤のお揃いマフラー。細かいことは気にしない。
「冬になったら、スノボー教えてくれる約束……覚えてるかな、ミナトさん」
雪をぽんぽん押し固めながら、クラウがぼんやりと呟いた。
「留紺さんがこれを見つけて、僕たちが捜してると気づいてくれたら嬉しいです」
「そうか。早く会えるといいな」
ヌオーの白い像がほのぼのとほほ笑むように、口の形の彫りにひと手間かけた。
◆◇
今朝は気温が高めだ。溶けた雪で道がびちゃびちゃぬかるんでいる。
探偵事務所に出勤すると、パチリス所長がげっそりしていた。
首に巻いたトレードマークのスカーフがよれよれで、染みがついている。
愛用の大滑車には三つ子のププリン達。ちゅうちゅうジュースを飲んでいた。
「青果のプクリン夫妻がポケフルエンザに罹って、夕べから子守りを……」
話している途中で、所長がスカーフで口に蓋をして咳込んだ。
ウィルス、感染してないか? 所長も診察してもらったほうがいい。
ちびっこ達は、俺の見た目を怖がらなかった。所長からバトンタッチした子守りはなんとも、微妙に、成立している。ちびっこ達の昼食後の後半戦が鬼門だ。なんとしても、お昼寝を阻止しなければならない。
俺の特性は『ナイトメア』だからだ。
「シッターさん、カノジョいる?」
マセガキか、この長男坊。
「知ってどうする」
「きいてみただけ。じゃあねえ、ヤセイのことしってる? たのしい? あぶない?」
真っ赤な飴玉みたいな目を夢見がちにして訊く。
この子の特性は『勝ち気』か。好奇心を刺激しないほうがいい。
次男と三男が、画用紙にクレヨンで描いた絵を見せてくれた。さっきの絵本に出てきたビビヨンの宮殿。煙幕怪盗マタドガス。特徴を捉えている。何か描けとねだられたので、丸を描いてシュッシュ。モンスターボールが完成。全然喜ばれなかった。ヒールボールを描けばよかったか。体毛がピンク色つながりで。
長男坊がぽよぽよ弾むたびに、優しい甘い匂いが漂った。
「たいくつー。ヤセイでくらしたいよー」
マセガキというか、悪ガキだな。
子守りのバトンタッチを、さらにキリンリキ先輩にバトンタッチした。
『バトンタッチ』は得意だと、先輩は笑っていた。
笑うといえば。
帰りに病室に寄ると警部補に、慣れない事をした疲労を見抜かれた。
「それは、大変だったわね」
俺の手書文を読んだ感想が、緩い。ひと事だと思って。だが腹は立たない。
なぜかって、君の笑顔を見ると安らぐんだ。一番大切な日課なんだ。
俺と長男坊の会話は、あの日が最初で最後になった。
突然いなくなったらしい。相談にきた両親を、所長が慰めていた。
誘拐ではなく、巣立ち。そう考えよう。
どこかで元気にしている事を、願う。
◆◇
小雨が降っている。
影にもぐった俺とキリンリキ先輩は、マフォクシーが営む酒場へ。
情報は正しかった。
家出調査の依頼で捜していたリーフィアを、そこで見つけた。
「喫茶『くさぶえ』の看板ポケ、クビになりたくぱいよぉ。こー見えて先代オーナーのこと、好きらったんらよ。れも恋じゃないよぉ。それらほウルスラちゃんになっぴょうよぉ。あんべえキキリちゃん、いつきはお?」
べろべろに酔って、マフォクシーのマダムにくだを巻いていた。
リーフィアをバトルネーソスに送り、探偵事務所に首尾を報告しに戻った。
「新しい『三日月の羽』情報があるよ。でもね」
パチリス所長が言いよどむ。
「入手方法が、危険そうなんだって。クラウ君とよく相談しておいで」
所長の友達のオタチ、タチ山さん、の歯切れも似たり寄ったりだ。
キリンリキ先輩も気乗りしないらしい。
「あたしが君らのトレーナーだったら止めるなあ。ね、シッポちゃん?」
同意を求められた尻尾のシッポちゃんは、相槌を打たなかった。
病室に着いた。
冬季ポケスポーツ大会のテレビ中継に見入り、スナック菓子を無心にぱくついているエルレイドの横顔を見ていると、言い出せなかった。言えば、なんの躊躇もなく、一緒な危険に飛び込んでくれる。クラウはそういう性格だ。
急に警部補が、つまんだスナック菓子を俺の口に押し込んできた。
「ぼーっとしてると、全部クラウのお腹に入っちゃうわよ」
俺、この本格的なトマト味、嫌いなんだがなあ。
◆◇
運営委員の知り合いから、所長に、ジョイン・ストリート第一回雪まつりのイベントに出場しないかと声がかかったらしい。エントリーできるのは二部門。雪像と、コンテストだ。俺以外はみんな乗り気で、内輪の作戦会議になぜか部外者も集結していた。
「お安くしとく、必要な石。店の宣伝になる、最優秀賞を取れたら」
ストリートの店舗その一、石屋の店長でメレシーのメレ爺。
「打ち上げはウチで決まりだねえ。占うまでもなく」
そのニ、酒場のマダムで、耳毛にかんざしを差したマフォクシー。
「二次会はおばちゃんとこでやんなさい、ね、そうなさい! ね、ね!」
その三、地下ライブハウスの主でドゴームのおばちゃん。
ばかでかい声量で、古びた建材がめりめり鳴った。
この頃思うが、ここは探偵事務所というより、地元の溜まり場だ。
イベントの開催当日。
クラウと所長のペアはなんと、コンテスト部門二等賞。
先輩とシッポちゃんは雪像部門で三等賞だった。おめでとう。
ゲストに招かれたプロパフォ−マーの氷雪ショーが、イベントのラストを飾る。氷のティアラとネックレスで着飾った青みがかった銀色のキュウコンが、局地的に天候を『あられ』に変え、上空に起こしたオーロラのベールで会場を包み込んだ。美しく大がかりな演出が観客を沸かせた。ふわふわした真っ白なロコンと、結び目の先端が赤い黒のバンダナを巻いたユキワラシ、透という漢字の片耳イヤリングをつけたグレイシア、勇ましい氷柱の針を背負った寒色のサンドパンが『吹雪』で、即席のスケートリンクを作り上げる。俺でも聞いたことがある流行曲“ワンダー・ペンドゥラム”がスタートした。街のポケモン、観光のポケモンが音楽に乗って、氷上を滑りだした。
ジョイン・ストリートの雪まつりは大盛況のうちに、終了した。
二等賞の商品は、プレミアム付き商品券だった。
病室に帰ったクラウがさっそく、警部補にプレゼントした。
「私も応援したかったな。次は一緒に連れてってね」
手柄を喜んでくれた警部補が少し残念そうに、羨ましそうに言った。
次、か。
それまで、ここにいられるだろうか。俺には約束……できない。
◆◇
今日の特訓でも、“技”は出せなかった。
雄黄に敗れてダウンした俺は、ひんやりして気持ちがいい
長春の鱗肌を枕にして、見事な羽根扇のような尻尾で扇がれながら、しばらく介抱された。
エルレイド、ミロカロス、エンペルト。
大丈夫。脳震盪は起こしたが、誰が誰だか、思いだせる。
こんな事でまた記憶を失くしたら、洒落にならない。
バトルネーソスのロビー備え付けの自動販売機に、クラウが小銭を入れる。
ゴトゴト音を立てて落ちてきたサイコソーダを取り出し、俺に渡してくれた。
「悪タイプのことなら、ダッチェスさんが詳しそうなんですけど」
クラウ達と付き合いがあったという、色違いのブラッキーの名だ。
「僕に『炎のパンチ』をコーチしてくた人は、プロの育て屋さんに特訓メニューを相談してたんです。僕、家出の真似みたいなことをしたことがあって。その時、その育て屋さんのご厄介に……手先、器用ですね」
ああ、これか。
話を聞きながら無意識に、片手持ちした缶のタブを指で引き起こしていた。
病室に寄ると、良い知らせがあった。
警部補の退院のめどが、ついに立った!
◆◇
「日没まで、私の影武者になって頂けないでしょうか」
冗談みたいな依頼を探偵事務所に持ち込んだそのエルレイドは、巡行ミュージカルの主演俳優だった。ドクター・ロビンがリーフレットを片手に病室ではしゃいでいた通り、クラウによく似ている。大きな違いは、ステージに立つスターのオーラがあるかないかだ。
依頼のいきさつは、こうだ。依頼者は昔、バトルよりミュージカルを極めたくなり、分からず屋のジムトレーナーのもとから逃げ出した。その人がジムを引退してアルストロメリア市に移り住んでいたと偶然知り、直接会って昔の短気を謝りたいと考えた。しかし、ミュージカル関係者に事情を悟られずにこっそり抜け出せそうな日程は、今日しかない。
「そういうことなら……分かりました」
俺のバディは相変わらず、断るということを知らない。
ワラにもすがる顔をしていた依頼者は、感激していた。
「私は今日は休みで、宿にこもっているという設定です。これから『スキルスワップ』で、私の演技力をクラウさんに移します。正体がバレそうになったら、華麗なパフォーマンスで乗り切ってください。ただし一時的で不安定な移植ですから、その点はご注意を。ああそれと、過激なファンもいるので気をつけてください」
日暮れまでには依頼者を連れ帰ると、パチリス所長が約束した。
そして、入れ替わった後に事件は起きた。
突如ニンフィアが、宿の部屋の窓を突き破ってきたのだ。
過激なファンってあれか!?
クラウの変装は完璧だ。大きな羽根つきのつば広帽に、模造刀のフルーレとマントつきの衣装に、ドミノマスクで正体を隠している。おまけに念には念を入れ『匂い袋』で本物と異なる体臭を誤魔化している。
「積年の恨み、たっぷり味わうがいいわ!」
ニンフィアの目が血走っている。ここで騒ぎになるのはまずい。
クラウと、その影に同化している俺は、全速力で宿から逃げた。
「なーにがミュージカルの主役よ! 自分だけ夢をかなえて満足? いい気になるなよ、脱走ヤロウ! お嬢たちの横で毎日ニコニコ可愛いペットを演じてる私のほうが、大女優だっつーの!」
通行人には目もくれず、後ろから喚き散らす大声が追ってくる。博物館通りの交差点で、赤信号に引っかかった。青信号へ向かって流れる自動車の屋根から屋根へ、クラウがジャンプして横断した。
長く伸びたリボン状の触角が執拗について来る。ふたたび、赤信号。路肩に停まっているヤドン・タクシーを踏み台に、クラウが大ジャンプ。高架を走るモノレールの屋根に着地した。
ニンフィアは執念で軌道桁をよじのぼり、レールを走ってこちらへ向かってくる。モノレールはビル街を進み、俺たちは到着駅のホームに飛び降りた。乗客を驚かせながら、ブランド店がひしめくショッピングモールへ駆けこんだ。
人の列で埋まった上りエスカレーターの手すりの上を、クラウが俊敏に逆走した。良い子は真似してはいけない。追手は買い物客の頭を飛び石のように踏みつけている。
ショッピングモールを抜けた。まだ振りきれない。この周辺は、ランドマークの市営タワーの映りが良いことで人気の撮影スポットだ。何か閃いたクラウが行き当たりばったりをやめて、進路をさだめた。格闘タイプの高い身体能力を活かしたパルクールで、総合公園に到着した。
クラウの狙いが読めた。
展望台行きのチケット売り場や高速エレベーターを待つ列を通り過ぎ、タワーの外壁に飛びついて、よじ登りはじめた。俺も影にもぐって、ついて行く。仮面舞踏会から逃げ出してきたかのような格好のエルレイドの奇行に、ガラス窓の向こうにいる観光客が度肝を抜かれていた。
ここまで来れば、と俺たちは下を確認する。
たまげた。
ニンフィアは諦めていなかった。
触角を使い、クラウより器用にのぼってくる。
変装のマントが煽られる。高度が上がるにつれて、風が強くなってきた。豊かな自然が周辺に広がる地方都市の景観を一望できる、三百六十度の大パノラマだ。状況がまともなら、最高の見晴らしに浸れただろう。
寒さで、クラウの動きがにぶくなってきた。触角がじわじわ迫っている。
被疑者を捕まえるのが仕事の国際警察が、素人にとっ捕まるのは恥だ。
こうなれば、とっておきの手段だ。
「クラウ、行くぞ!」
「え? あ、はい!?」
「やればできる!」
「は……はい!」
せえの、で手を離した。
パラシュートなしの、スカイダイビング。
風圧で顔面がもみくちゃになったクラウを、ぶら下がるように下から抱えて、持てる浮遊能力を最大にした。『空を飛ぶ』のようにはいかない。無慈悲な重力に必死で抗う。特殊技が心許ないクラウも『サイコキネシス』を全開にしている。地表に激突は絶対にお断りだ。クラウ警部補をひとりぼっちにしたくない。バディらしく、ふたり一緒に生還してみせる。
記憶喪失のせいで走馬灯は見えないはずだが、それでも何かが見えてきそうな大ピンチの最中に、ようやく減速がはじまった。いける! やったぞ! 出迎えた地面に、ふわりとクラウの足の裏が着いた。キンキンに凍えた俺たちの肌から、ぶつぶつと脂汗が噴き出した。
「怪我は、ないか」
「だ、だだ、大丈夫。し、信じてましたから、あなたのこと!」
急ごう。まごまごしてるとニンフィアが降りてくる。警備員や、通報を受けたパトカーが集まる前にその場を離れた。ひとまず路地に身を隠し、作戦を立てる。替え玉だとバレたら、依頼者に危害が及ぶ。だがこのまま、クラウに怪我をさせる訳にもいかない。
「あの恨み言……本心では、ポケモンミュージカルが好きなのかもな」
何が作戦のアイデアに結びつくかは分からない。
だからどんな些細な気づきも、まずは共有だ。
「歌って踊って観客を喜ばせたい、ということですか?」
クラウの言葉に、ピンときた。
「それだ、その手だ」