NEAR◆◇MISS















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第九章
-3- 隠しごと
 病室に踏みこんできた知らない男が、俺の恩人に抱きついた。
 ひと晩泣き明かした疲れがいっぺんにかすむ。なんだこの光景。彼女とどういう関係だ。不審者なら叩き出す、と拳骨にこめた気合いを、男の腕の中でこそばゆそうにしているあの微笑みにくじかれた。落ち着け、二人の仲は良さそうだ。でも素直に喜べないような、舌打ちをしたいような気分が残る。エルレイド型の影にひそんだまま観察時間を持てあましていると、思いもしない涙声が男の口から飛び出してきた。 
「良かったわねえ、アイラちゃん! 自然に声が出たの? 何かきっかけがあるのかしらん」
 朝一番に体調チェックに来た女性看護師が言ったのとほぼ同じフレーズだが、まったく印象が違う。
「心療内科の担当医、ドクター・ロビンです」
 クラウが教えてくれた。そうか、と納得した返事を一応しておく。だからって、あのリアクションは職権濫用してないか? いい大人が年頃の娘にベタベタと。「実は……」と彼女があいまいな前置きをして、こっちに目を向ける。それもそうだ、口で説明するより早い。騒ぎになっても責任は取れないが、お望みなら姿を現そう。実体化した俺を見て、男がギョッと口を抑える。ここまでが慣れっこの範疇。その先は、未曾有のハイテンションだった。
「うっそ、ダークライ!? 本物? 触っていい? キャーッ髪の毛ふわっふわ、ねぇ編ませて編ませて!」
 耳がキーンとする。
「あたし“夢”の研究してたから、論文でしょっちゅう名前を見かけてたのよぉ。いやーん、学生時代のあこがれが叶っちゃったぁ。これってつまり、ポケモンセラピーの効果かしらん。それとも、夢つながり? アイラちゃんは思いだせないって言うけど、夢の中で体験した精神的ショックが絡んでるとしか考えられないのよねえ。もしかして、あなたたちが一緒にいると回復にいい影響が出たりして?」
 こら待て、医者。いい加減なことを言うな。
 症状が心因性だとして、癒しとか安らぎとか、一番かけ離れている俺に、何ができるというんだ。
「本当ですか! 次は足がよくなって、退院もできるんですね!」
 信じこんだクラウは俺の両手を取り、大げさに振り回して喜ぶ。おいおい、よしてくれ。おかしな握手を見守る、警部補の笑顔。目の端にいれた途端、胸元がきゅっと苦しくなる。あの男の言うとおり、俺は彼女を助けるにここにいるべきなんじゃ。と、馬鹿げた幻想を一瞬いだきかけ、猛烈に穴があったら入りたくなった。
「しっかり経過観察しなくちゃ。焦らずいきましょ、アイラちゃん。坊や達も」
 と言って、ドクター・ロビンがウィンクを寄こした。
 片手間にちゃっかり俺の白髪をてっぺんまで結い終わったので、気が済んで帰る。かと、思いきや。
「そうだわ。お祝いに今度、お菓子作ってきてあげる。『ニコル』って雑誌に超キュートな『ちびブイ』チョコタルトのレシピ載ってたから、ちょうど試したかったのよぉ。あっそういえば新しくオープンしたニャン・カフェ、聞いてちょうだい。看板ニャンのシシコとニャスパーが可愛くって可愛くって、悶絶モノ! ガオガエンの胸筋がこーんなムキムキで、お姫様抱っこしてくれてキャーッウフフ――」



 それが、一昨日のことだった。
 後で知ったが、ドクター・ロビンはこの病院の名物医らしい。ウェーブのかかった長めの脱色髪。黒褐色の肌。バレエダンサーのような体型で、ランウェイで気取るモデルも圧倒する勢いで腰をくねくねさせて歩き、乙女心と侠気に富んだキャラクターで親しまれている。俺の恩人――警部補が大部屋にいた頃、よその見舞い客のオヤジからセクハラ発言を受けたり、男性看護師につきまとわれたりと、聞けばとにかく俺の腹が立つようなトラブルから警部補を守ってくれたのだ、とクラウ経由で知った。
 今日の昼、ドクター・ロビンは手づくりの甘い差し入れを持ってくる。
 俺はというと、朝っぱらから丸焦げだ。徹夜明けからのアルバイトデビューと翌日のクラウの市内案内にもまれ、久しぶりに爆睡してしくじった。後からやって来た野生のルクシオが知らないあいだに俺の近くで眠り、悪夢をみて『放電』。とばっちりが命中。これに凝りてもう、あの場所を寝床には選ばない。やっぱりな。俺は疫病神。ドクターとは住む世界が違うんだ。警部補はドクターに医者と患者の垣根をとっぱらった笑顔を見せ、彼にすすめられたという編み物にいそしみ、借りた雑誌を何回も読み、数時間後に果たされる約束をずっと心待ちにしている。
 自分自身に期待しないコツはとうにつかんだが、石ころをつま先で蹴り続けているようなこのムシャクシャは新型のウィルスみたいに、特効薬がまだ見つからない。全員分作ってきてくれると言っていたチョコタルトを、俺は心底うまいと感じながら食えるんだろうか。

「なくした記憶について、新しく思いだしたことは?」 
「いいえ、特には」
 バイト先の探偵事務所でパチリス所長に訊かれ、正直に答えると。
「ぼくに何か、隠してない?」
 焦りを顔色に出すまいと、ひそかに腹に力をこめる。
 俺の中身と外見に種族のずれがあると、バレたのか。
「実はね。国際警察の一員が、きみを監視しているという情報が入ったんだ」
 予測不能の変化球でデッドボールを食らったかのような、別の意味で言葉を失いかけた。
「俺に……犯罪の容疑が?」
「さあ、そこまでは。コードネームは『ル』で終わるとかなんとか。ほにゃららル? の目的がはっきりする前に慌てるメリットはないし、そうやすやすと顧客兼従業員を売るつもりはないよ。気分直しに一緒に朝食どう? ああ、まずその焦げ臭いのをなんとかしよっか」 

 クルミをごちそうになった後、キリンリキ先輩の素行調査を手伝い、午後半ばには引き上げた。
 パチリス所長に言われたことが、しつこく頭をもやつかせている。俺を見張っているのは、言ってみれば警部補やクラウの仲間だ。いい気はしない。影から影へするすると渡り、道往く大勢の人やポケモンに踏まれながら病院に向かう。どの顔もみんな仮面に見えてくる。長々と居座った場合の、恩人たちを面倒ごとに巻き込むリスクを嫌でも考える。根を詰めたままで、到着した病室のドア下の隙間をすり抜けた。  
 警部補と目が合うより早く、回れ右で逃げ出した。息を切らせて、気づくとどこかの公園の植え込みに隠れていた。

 着替え中だった。

 今にも心臓が爆発して、あの世に行っちまいそうだ。
 いつかこういう事故が起きると、なぜ今の今まで思いつきもしなかったんだ? いや、うろたえるな。冷静になれ。ビーチに行けば、格段にきわどい格好の連中がわんさといる。素材の種類とかホックのある無しとか。違いなんて、その程度じゃないか。というか一瞬すぎて、見間違いの可能性は?
 バカ野郎! 
 てめえは何を、自分を正当化しようとしてやがる。現実をねじ曲げるな。
 全部、俺が悪い。彼女は勝手な出入りを禁じたり、他にも自衛できたはずなんだ。
 俺が元人間で、たぶん男だったと打ち明けておけば。
 こんなにひどい自己嫌悪、生まれて初めてだ。
 見舞客のオヤジや看護師のことを言えない。悪夢の使いになりすました卑怯者め。人間の意識が抜けきらない。誰にも秘密にしていた。一生に一度の出会いを感じたこの居場所を、守りたくて。異常な化け物だと追い出されるのはまだ序の口で、冗談だろうと笑って聞き流されるのではないかと、膨らみあがったイメージに今まで足がすくんでいたんだ。一緒にいたい相手から信じてもらえない。挫折の芽を摘んでおきたった。そういう保身にかまけて、恩人のプライバシーを侵してしまった。そんなつもりはなかった、で解決しない。つもりがなかったら何をしてもいいのか。相手が嫌がることをしていいのか。犯罪も許されるのか。ごめんで済んだら警察はいらない。
 携帯獣だと思われているから、彼女に恥をかかせた内に入らないとか。そういう問題じゃないんだ。
 ちくしょう。俺なんか、またハンターに見つかってボコボコにされちまえ。
 
「こんな所で何してるんですか?」
 ひょっこりと青いマフラーを巻いたクラウが顔をのぞかせた。おどかすな。
 でも、いい機会だ。俺なりに最善だと考えた結論を、今から伝える。

「コンビを解消したい」

 寒さにめげない鳥ポケモンのさえずりが、透きとおって聞こえる。
 どうしてですか、と尋ねてきた声と視線の重さを、受け止める用意は出来ていた。
「俺には、隠しごとが多すぎる」
 感情を無にして、そう告げた。
 頼む、察してくれ。ところが、だった。
 クラウの痩せた身体にぐっと力がみなぎり、俺の願いは棄却された。
「じゃあ訊きますけど。僕がエルレイドに進化するまで、どれだけ周りの方々のお世話になったか、知ってますか? 好きなアシスタント仲間が行方不明って、知ってましたか? 知りませんよね。まだ話してなかったですから。そんなこと言ったら、僕だって隠しごとだらけじゃないですか。たった数日でお互いを知り尽くすなんて、無茶ですよ。そんな理由で、いなくならないで下さい。アイラさんも納得しません……ああ見えて、すごく心が傷ついてきたんです。あなたが現れて、声が治ったのは奇跡なんです。僕ひとりがそばにいるだけじゃ、ダメなんです!」
 語気を強めて、片膝をついた。忠誠心を示す騎士の敬礼だ。
「あなたの悩みに気づけなくて、すみません。でもそれとこれは別と思ってほしいんです。どうか」
 
 簡単に言うなよ。俺をそばに置くのは、彼女にとってフェアじゃない。探偵の力で運よく家族や知り合いが見つかっても、感動的な再会になるかどうか。記憶を取り戻せず、悲しませるだけかもしれない。愛する者と仲むつまじく眠るのは無理だ。おそろしい悪夢を見せたくない。おだやかな暮らしなんて、最初からどこにも。だったらあの不快なラボを脱走したときの衝動は忘れて、帰る場所を探すのは諦めたほうがいい。割り当てられたこの体に見合う獣の心になりきって、過去を捨てれば。誰も不幸にしなくて済むだろうか。分からない。なぜだ。誰でもいいから、本当のことを教えてくれ。なあクラウ、お前に答えられるのか。この姿になった訳を。俺はもう二度と、人間には戻れないのか――
 こんな爆弾、目の前にいる筋金入りのお人好しにぶっ放せるはずもなく。
 ため息を吐かずにいられない。最初の結成と同じように、こっちから拳を差し出した。

「俺のバディは優しすぎる。その性格は損だぞ」
「その言葉、僕の相棒にそっくりお返しますよ!」

 切羽つまっていた真っ赤な目が朗らかなカーブをつくり、フィストバンプが完成。
 いいから、立て。プロポーズじゃあるまいし。そういう格好は大事な時に取っておけ。

 大きく吠える声がして、俺たちはいっせいに首の向きをそろえた。
 目をくりくりさせて、冬毛がふさふさした炎タイプの子犬が舌を垂らしてしっぽを振っている。
 おお、ガーディだ。人なつこそうで、可愛いな。はしゃいで駆け寄ってこようとしたが。
「来るな!」
 肘刀を伸ばして睨みつけたクラウに、俺まで面食らう。

「君はもう、銀朱(ぎんしゅ)じゃない!」

 立ちすくむガーディ。何なんだ、この雰囲気。幼い子どもの声が乱入した。
「リバティ、まってリバティ! いたー!」
 オレンジの胴体を捕まえた女の子が、殺伐としたエルレイドを見て笑いを引っこめる。顔が歪みだす。
 泣き出す前に、背を向けて歩きだしたクラウの影にもぐって、俺も公園を後にする。怖がらせて悪かった。
 ふっくらした頬を舐めてあやしているリバティと呼ばれた子犬は、何度もこちらに視線を送っていた。

「友達だったんです」
 ぽつぽつと話し出したクラウを、止まらないように放っておく。
「バトルネーソスに収容されてて、新しい家族に引き取られました。元警察犬でしたけど、争いごとは好きじゃなくて。のんびりした家庭犬の暮らしにあこがれていたから、夢が叶ったんです。だから僕たちと関係が切れたこと、喜ぶべきなんですよ。アイラさんが早く元気になっていればとか、僕がお金をかき集めていればとか、ぐだぐだ考えるのはカッコ悪いですよね」
 俺の前で、やせ我慢しなくていいんだぞ。その手のカッコ悪さなら、先輩だと思ってくれ。
「祖父代わりだったハーデリアが生前、教えてくれました。人間に仕えるポケモンの心得を。最近になって、自分が甘かったとよく分かります。いい名前ですよね、“つかみ取った自由”
(リバティ)
って」
 ああ、そうだな。お前の大切だった“銀朱”も、いい名前だ。


 クラウは何事もなかったように過ごしている。
 あの頑張りを支えられるような相棒を、目指さないとな。
 病室に戻った俺は、すぐさま警部補に筆談で願い出た。 
「考え直しませんか? 絶対痛いですって、アイラさんのビンタ。まだ僕が切りきざむほうが……」
 ありがとうクラウ。よろこんで遠慮する。
「理由も教えてくれないのに、ただ殴れと言われてもね。どうしてもなの?」
 どうしてもだ、警部補。一方的で良心が痛むが、今日の一件にいったんケジメをつけておきたいんだ。元人間だと白状できない、意気地のなさを見逃してほしい。いつか必ず話すから、もう少しだけ時間をくれ。
 頑固な俺に折れて、承諾してくれた警部補が手を振り下ろす。目から星が飛ぶ。首が勝手に横を向いていた。たくさんの頬の細胞が死滅しただろう。華奢な指をいたわらずに、リクエストどおりの強烈な一撃をくれて恩に着る。
「すっごい音しました……」
 きつく閉じていた目を怖々あけたクラウに、ナースステーションで氷もらってきて、と彼女が頼んだ。
「これじゃ、仲直りの印みたい。はい」
 渡されたのは、折りたたまれた手編みの赤いマフラー。
 クラウの青い分と、色違いでおそろいの。 
「外で寝泊まりするの、寒いでしょ。風邪ひかないでね」
 じんじんと腫れてきている痛みがふっ飛んで、感動をひねくれさせた悪態の一つもつきたくなる。
 俺の周りにいるのはいいヤツばっかりだ。こんなに恵まれていたら、孤独に戻れなくなるだろうが。

レイコ ( 2018/02/09(金) 18:04 )