NEAR◆◇MISS















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第九章
-3- 隠しごと
 病室に踏み込んできた見知らぬ男が、俺の恩人に抱きついた。
 誰だ。
 不審者なら叩き出す。
 エルレイドの影に潜んだまま拳骨にこめた敵意を、男の腕の中ではにかんでいる微笑みにくじかれた。なぜ彼女は嫌がってないんだ。なんだこの、敗北感のゃうな、舌打ちしたくなるようなイライラは。

 縮れた脱色髪。黒褐色の肌。
 濃い化粧をした男の口調は、女性的だった。
「よかったわね、アイラちゃん! あとは脚のリハビリね」
 白衣を着ていないが、名札を見落としていた。この男は医師だ。

「彼は、担当医のドクター・ロビンです」
 クラウがひそひそと教えてくれた。それは分かったが、さっきのハグはなんだ。いい大人が年頃の娘にベタベタと。「私……話せるようになった、きっかけがあって」と、彼女が歯切れ悪く答えて、俺の隠れ場所に目配せする。それもそうだ。説明するより早い。実体化した俺に、男が叫び声をあげそうになった口をはっと手で塞いだ。
 ふん、どうだ。急におっかないのが現れてビビったろ。
 しかし、予想した男の反応が合っていたのは、初発だけだった。
「本物のダークライ!? 触らせて! キャー髪の毛、ふっさふさ!」
 耳もとで歓喜されて、頭がキーンとした。
「あたし大学で“夢”の研究してたのよぉ。論文でよく名前を見かけたわ。これって、ポケモンセラピーの効果かしら。悪夢は大敵だけどアイラちゃん、そういうことなら沢山ふれ合って、癒されなくちゃね」
 
 こら待て、ドクター。いい加減なことを言うな。
 癒し? そんなもの、俺みたいな奴から一番かけ離れている。
 
「退院できたら、あなたのおかげですよ!」
 クラウが真に受けた。おいおい、よしてくれ。
 されるがまま握手されている俺を、見守る少女の笑顔。
 胸がきゅっと締まる。
 やれば、俺でもあの子の力になれるんじゃ。
 と、一瞬、身の程知らずな幻想がよぎった。

「焦らず、経過観察しましょうね」
 ドクターが俺の頭の毛の先っぽを、ネイルではじく。
 気が済んだろう。さあ帰ってくれ。
「そうそう。『ニコル』って知ってる? ファッション誌の。超キュートな『ちびブイ』チョコタルトのレシピ載ってたの。退院したら、お祝いに作ってあげる。あのねえ、それから聞いてちょうだい。最近オープンしたニャン・カフェ。看板ニャンのシシコとニャスパーが超可愛くって、悶絶モノ! ガオガエンの胸筋がムッキムキで、お姫様抱っこしてくれて、キャーッウフフ」

 いや、ちっとも気が済んでいなかった。



 アルバイトは異常に忙しく、というより、山ほどたまっていた雑務をあれやれこれやれと任されて、無駄に疲れた連勤明けにとうとうしくじった。適当に選んだ木の上でうっかり寝過ごしたせいで、知らない間に根元にやって来て眠りについたらしい野生のルクシオが悪夢をみたのか『放電』し、俺の白髪がちりちりパーマにされた。
 厄介者の疫病神な上に、ドジか俺は。人間の頃からそうだったんだろうか。

「なくした記憶について、思いだしたことはある?」 
「いいえ、特には」
 バイト先の探偵事務所でパチリス所長に訊かれ、正直に答えると。
「ぼくに何か、隠してない?」
 動揺を顔に出すまいと、腹に力を入れる。
 俺の心と、体に。種族のずれがあるのを見抜かれたくない。
「国際警察の捜査官が、きみを探ってるという情報が入ったんだ」

 変化球がきて、胸のど真ん中にデッドボールを食らった。

「俺に……犯罪の容疑が?」
「まだ、そこまでは。そいつのコードネームは『ル』で終わるとかなんとか。とりあえず、クラウくんには黙っておいて。一緒に朝食どう? その前に、頭の焦げ臭いのをなんとかしよっか」 

 ご相伴にあずかった後、掃除に取りかかった。電気タイプの所長は電子機器と相性が悪いらしい。冷蔵庫は『溶けない氷』製ボックスで代用していた。ノートパソコンはホコリを被っていた。何度も壊すのが嫌で、書類作成はほぼ手書き。おまけに物を溜め込んでおきたくなるリス型ポケモンの習性で、片づけが苦手ときた。今日も俺は、紙の山を崩す作業に追われた。
 出勤表に退勤時刻を記入したのは、午後三時過ぎだった。
 迎えに来たクラウと、病院へ戻る前にバトルネーソスに寄ろうという話になった。
 パチリス所長に言われたことが、頭のなかをもやもやさせている。
 俺は、自分の過去を知らない。そのせいで、皆が危険に晒されやしないか。
 クラウの影に潜ってついていきながら、リスクを、否が応でも考える。

「やはり、バディを解消したい」

 寒さにめげない鳥ポケモンのさえずりが、透きとおって響いてきた。
 立ち止まったのは、公園の傍だ。
「俺には、隠しごとが多すぎる」
 察してくれ。

 寂しげに泳いだクラウの視線が、正面に戻ってきた。
 じれったそうに、早口だった。 
「僕がエルレイドに進化するまで、どれだけ周りのお世話になったと思います? 僕の好きな同僚が行方不明だと、知ってましたか? それを言うなら、僕だって隠しごとだらけです。アイラさんだって……心が傷ついてきたことを、隠したがってます。あなたの秘密がなんだろうと、あなたかの持つ何かが、アイラさんの声を治してくれたんです」
 立派な角の生えた頭を。頭を下げた。首に巻いた青いマフラーが垂れた。

「僕ひとりより、僕らふたりが良いんです。そんな事、言わないでください」
 
 簡単に引き止めてくれるなよ、クラウ。俺には、そんなつもりがなくても悪夢をみせる力がある。近くにいるだけで、誰かを不幸にする。おまけに素性も分からない。自分が元人間だというイカれた確信まである。なあクラウ、この気持ちが分かるか。俺はもう二度と、人間に戻れないのか――
 こんな弱音、筋金入りの良い奴の前で吐き出せるはずもなかった。

「後悔するぞ」
「はい!」
 そんなに良い返事を、そんなに良い笑顔でされても困るんだがな。
 
 はしゃいだ無駄吠えに呼び止められた。

 冬毛のふさふさした、ガーディだ。こちらへ駆けてくる。
 無邪気そうに尻尾を振って、目のくりくりした可愛い奴だ。
「く、来るな! 君はもう、銀朱(ぎんしゅ)じゃない!」
 こんなに殺伐したクラウの言い方、聞いたこともない。
 俺もガーディも、伸びた肘刃の気迫に、固唾を飲まされた。

「リバティ、まってー!」
 縮こまっているガーディに追いついた幼女が、笑顔を引っこめた。
 怯えてる。泣かれそうだ。俺たちは小悪党のように、急いで道を引き返した。

 改めてネーソスへ向かいながら、クラウがぽつぽつ事情を語り出した。
「友達だったんです。元警察犬でした」
 クラウの横顔は、落ち込んでいた。
「バトルネーソスから、一般家庭に引き取られました。今は、家庭犬です。前の生活が恋しくなったら、みんなが悲しくなる。僕だって正直、帰ってきてほしい。そんなのダメだから、突き放すしかないんです。新しい名前……いいですよね。“手に入れた自由”で、リバティ」
 そうだな。
 でもな。
「“銀朱”もいい名前だったと思うぞ、俺は」
 

 素人の俺が見ても、ミロカロスの長春から譲ってもらった『綺麗な鱗』は特上に綺麗だった。掘り出し物ショップが良い値で買い取ってくれた。軌道に乗れば、安定した収入源になりそうだ。今度、長春に美味しいものでも買っていこう。自分の抜け羽をなぜ欲しがらないと文句を垂れていた雄黄も、機嫌を直して食べてくれればいいが。
 人間より耳の良い俺たちは、騒々しい話し声を廊下から聞きつけた。
 病棟の入院個室は、通話可能エリアだ。シッと合図したクラウが止まる。

「電話の相手は、アイラさんのお父さんのようです」

 警部補が怒って、通話を一方的に切ったようだ。喧嘩したのか。
 クラウが深呼吸してから、ノックした。俺は無表情に無表情を重ねた。
「おかえりなさい」
 入室を迎えてくれた声は少々しゃがれていて、目元がうっすら赤かった。 
「間に合ってよかったわ、さっき仕上がったのよ。どうぞ」
 折りたたまれた編み物を、プレセントされた。広げると、赤いマフラーだった。 
「外で寝泊まりするの、寒いでしょ。風邪ひかないでね」
  
 心臓が慌ただしい。よく見たら、クラウと色違いのお揃いだ。コメディアンのコンビじゃあるまいし。そう思ったら、おかしな気持ちがふっと湧き、その温かさが過ぎ去った胸のなかが、しんと空虚になった。
 ひとの優しさにふれた後は、決まって、無性に居たたまれなくなる。
 こんなに今が恵まれていたら、孤独に戻る時が苦しくてたまらないだろう。

「さてと、シャワー浴びてさっぱりしよ。クラウ、介助をお願いね。あなたも来る?」

 いやいやいや、行くわけがない!

レイコ ( 2018/02/09(金) 18:04 )