NEAR◆◇MISS















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第九章
-2- ここにいない、誰か
「忘れてた! 今日、約束があったんです!」
 と、俺のバディになったエルレイドは病院に戻る前に、慌てて方向転換した。

 一般的にはレンタルバトルで賑わうはずのバトルネーソスが休業日かと思うほど、閑古ポッポが鳴いている。ある事件が起きて客入りが激減した、とクラウが小声で教えてくれた。油断して人間と鉢合わせるとややこしいので、エルレイド型の影に潜ったままついて行く。
「こんにちは、オーナー。時間に遅れてすみません。予定どおり、お邪魔してかまいませんか?」
 クラウに声をかけられて、植え込みに水やりをしていた異国の修行僧のようなポケモンが、「ひっ」と青ざめた。
 この挙動不審なチャーレムが、話に聞いたバトルネーソスの新しい責任者か。
「て、てっきり令状を突き出されるかと……いや、私は善良な市民だけど。君らは心臓に悪いよ、いつ見ても。ええ、どうぞ」
 警察アレルギーがひどいな。オーナーに気を許さないように、と事前に助言されていた俺は、影から出ずにその場をやり過ごした。ヨガ教室の名を借りた霊感商法で人間相手に大金を巻き上げ、裁判沙汰になる前にさっさと足を洗ったそうだ。まっとうな慈善家とは言えないが富の再配分に旺盛で、亜人(ヒューモン)の地位向上にも尽力していて、なり手がいなかったオーナー就任も各方面への貸し作りが狙いというのが有力説らしい。たとえアシスタントの権限が弱くても、犯罪がらみの情報収集をおこたらないクラウは、素人目にも優秀な国際警察の一員だ。

 屋内バトルフィールドに駆けこんだ途端、先を越していた皇帝鳥に一喝された。
「遅いぞ、クラウ!」
「すみません。えっと、いつもながらクチバシの三本角が立派ですね」
「むむっ? フンッ、何を分かり切ったことを。まあ、よい。吾輩への非礼、特別に許してつかわそう」
 誉め言葉に甘すぎる。とぼけたナルシストだ。 
「紹介します」
 手慣れてるな、クラウ。進行によどみがない。高貴で威厳のある風貌に三枚目の片鱗がちらつく、エンペルトの名は雄黄(ゆうおう)。あんぐりとあごの力が抜けそうな絶世の美女、ミロカロスの名は長春(ちょうしゅん)。王と王妃が並ぶ玉座の間に、うっかり迷い込んだような居心地だ。影から実体化した悪霊じみた俺を見ても、ふたりが嫌な顔をしなかったので安心した。いつくしみ深い種族の長春はもてなそうとしてくれたが、雄黄はそっちのけでクラウに詰め寄る。下手に気を使われるより、雑に扱われるほうが俺もくつろげる。
「その後、父上の消息は? 何か手がかりは?」
「それが、全然……ミナトさんどころか、留紺さんの行方もさっぱり」
「裏切り者の安否など、どうでもよい。おお、父上よ。見つかるならば吾輩の王の品格をすべて引き換えにしてもかま……いや、すべては余剰であるか、その半分、いや半分の半分……」
 ぶつぶつ言い始めたエンペルトに、瞳を儚げに伏せたミロカロスが苦言を聞かせる。
「裏切り者だなんて、ひどい言い草。留紺(とめこん)は、麹塵(きくじん)に手をあげた旦那様に反目して出ていったのよ」
「あれしきの傷、バトルと変わらぬわ! あの小癪なネイティも行方をくらましおって、何が何だか謎だらけで気に入らん。見よ、このきめの粗い羽毛とくすんだ鋼の爪を。ストレスは美容に悪いという父上からの受け売りは真であった! 元をただせば長春、そなたが――」
「わーっ、ストップ! ストップです!」
 クラウが腕をぶんぶん振って、止めに入った。
「雄黄さんの、あっ芸術的な! 太刀筋。僕の憧れでしたのに。今日は胸を貸してくれるんじゃなかったんですか?」
「むむっ、そうであったな。よかろう。始めようではないか」
 
 手合わせ、開始。
 フォームを例えるなら、スピードスケート対フェンシングの混合試合。自信家エンペルトの強さは本物だった。速度で不利な陸上戦を『アクアジェット』の瞬発力でおぎないながら、抜群の切れ味を誇る翼のへりでパワープレーを見せつける。一撃でもまともに食らったら、スリムなエルレイドの身体はひとたまりもない。緑色の肘刀は受け流すことに集中し、ヒットアンドアウェイでちまちまとダメージを稼いでいる。戦況はやや、雄黄が有利。鍛え抜かれた心技体に、ここにはいないはずの親トレーナー“父上”のビジョンが見えてくることからも、クラウとの最終進化系のキャリアの差を感じる。
 観戦中の俺に、長春が話しかけてきた。 
「賑やかで、疲れたでしょう。私に癒せるかしら」
 たおやかで力強くもある、聖母のような耳ざわり。ミロカロスの波動はすさんだ心を鎮める、とどこかで聞いたことがある。不機嫌そうに見えたなら、生まれつきの目つきの悪さを詫びよう。親切な気持ちだけ受け取った。バトルネーソスは野生復帰が難しい前科ポケモンを保護し、レンタルバトルを通じて里親を募る施設。虫も殺せない顔に見える彼女にも、複雑な背景があるのだろう。俺も記憶喪失なので、とやかく言えない。
 父上、に。旦那様、か。
「ミナトという人間は、随分慕われているんだな」
「太陽のような殿方なの。私の初恋相手」

 光の当たり具合で虹色に移ろう、不思議な鱗。

「……に、なりそうだったお方」
 魔性だ。それも、天然の。
「アイラさんのお加減は、いかが?」
 トレーナーつながりで話題を振ってくれたのだと思うが、俺には答えられない。
「本格的な面会はこれからだ。ワケを話せば長い」
「まあ、そう。お優しいご婦人よ。あなたにもきっと、よくして下さるわ」
 俺の恩人、女性なのか。生き延びるのに精いっぱいで、そんなことも覚えていなかった。
 クラウも長春も、その人を好いている。人望がまぶしい。俺みたいな鼻つまみ者、ふさわしくない。

 クラウの『剣の舞』の予備動作にはまだ無駄があり、水技の妨害を受けて失敗した。しかし切り替えた『研ぎ澄ます』は受け身から起き上がる途中、うまく組み込めていた。守りを捨てて雄黄の懐に飛び込み、ほとんど『がむしゃら』に、荒削りな格闘タイプの上級技『インファイト』をたたき込む。ガードする『鋼の翼』が急所必中の補助効果とタイプ相性のコンボに押し切られ、防壁を突破した一発の拳が、筋肉と脂肪の鎧をまとう腹にめり込んだ。うぐっと肺のひしゃげた濁り声がして、光沢のある紺色の片ひざが地を捉える。
 そこまでだ。
「そなた、強くなったな」
「まだまだ、これからです」
 笑い合う、雄黄とクラウ。
 手合わせの終了を見届けた長春が、そっと俺に耳打ちする。
「クラウ達のこと、よろしくお願いします」
 バトルネーソスで強いられる非力な暮らしを、切なく暗示する吐息だった。

◆◇

 すっかり日が落ちている。帰り道、雪はおさまっていた。クラウは長春から『綺麗なウロコ』をたくさん貰い、ほくほくしていた。高値で買い取ってくれるコレクターがいて、良い稼ぎになるのだとか。物を買うにしろ、情報提供の謝礼を支払うしろ、人間社会でやっていくには何かと金が要る。色々、シビアだな。明日は山分けにするか共同資金にするか、どうしようとコンビっぽく意見を求めてくれたが、俺は別のことを考えていて、生返事しただけだった。
 あらかじめの説明によると、長い眠りから覚めたクラウのトレーナーは原因不明の後遺症と闘っている。失声と、足の不自由。俺は筆談できるから、相手がしゃべれなくても簡単なコミュニケーションなら取れそうだ。助けてくれてありがとう、と最初に文字に起こしたい。父親との不仲については詳しく聞けなかったが、いつか知る機会はあるだろう。
 いよいよだ。
 クラウがノックをして、病室のドアをひらく。戸締りを確認してから、俺は影から浮き上がる。
 腕が、点滴につながれている。栗色の髪は肩のあたりで揃う長さで、ふわりと丸みを帯びていた。肌は血の気がなく、食が細そうに痩せている。ペンダントの、まれにみる極小のヒールボール。あれに命を救われた。ほのかに胸が熱くなる。ベッドの上で赤い物を編んでいた彼女が、顔を上げた。
 灰色の瞳。
 あっ。
 心の中で声がはじけた瞬間。なんだ、これ。俺の頬が濡れている。
 涙。
 嘘だろう。冗談だろう。
 流れて、こぼれて、止まらない。いくら手でぬぐっても、後から後から。
 世界の輪郭をぼかしている、この透明なものがあふれてくる理由を、俺は知らない。
 泣いているのは、本当に自分なのか。誰なんだ。異常だ。叫びそうだ。暴れだしてしまいそうだ。ここにはいられない。引き止めようとする仕草を感じて、足、と思いだす。ベッドから落ちかけていた彼女の肩を受け止めて、押し戻して座らせた。息がかかるくらいの近距離で、向かい合う。
 綺麗な人だ。どうかしてるぞ、俺。こんな時に何を、照れそうになって。
 引き寄せられて、予想もしていない柔らかさを食らい、直立不動にさせられた。  
 
「ここに、いて」

 ここにいない、誰かを。抱きしめたかったんだ。それくらい分かる。彼女の中で思い出がよみがえり、強制的に重なって、俺は偶然その代役に。もしかして、この涙は。人間だった頃の俺が、何かに反応しているのか。くそ、どんな奴だ。どうして今は、別の生き物なんだ。でも、この姿はまだ良いと思えたことが、一つある。腕があって、良かった。こうして、ぎゅっと抱き返せる。もし四足歩行だったら、難儀していただろう。包み込んだ背中は全然厚みがなくて、腰も片手で握れそうに細くて、でも半分幽霊みたいな俺からすれば、信じられないくらい温かい。君の求めている相手は俺じゃないから、こんな真似事しかできなくて、ごめんな。おい、そういえば声が出たじゃないか。そんな隅っこで鼻をすすってないで、クラウも来い。嬉しいときに我慢するな、思いっきりやれ。俺ばかり意味不明に号泣して、みっともないだろ。こうなったら開き直ってやる。一晩中しゃくりあげて、誰も寝かせてやらないからな。どのみち俺は悪夢担当だから、悪く思うなよ。

レイコ ( 2018/01/25(木) 16:23 )