NEAR◆◇MISS















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第九章
-1- 記憶喪失
 黒い浮霊のような体躯。逆立ってゆらめく白い頭髪。
 前髪で顔の右側が隠れていた。瞳は、青い色をしている。

 ダークライ。

 暗黒ポケモン。
 新月の夜に活動的になるといわれている。
 深い眠りに誘い、恐ろしい夢を見せる力を持つ。生態には謎が多い。

「とうやら俺は危険生物だ。助けてもらった恩を、あだで返したくない」
「でも、記憶喪失なんですよね。あなたをこのまま行かせる訳には……」
 エルレイドは何か思いついた顔で、首に青いマフラーを巻いた。
「行きましょう! いい考えが浮かびました!」


 レンタルバトル施設、バトルネーソス。
 今日は定休日か、という疑問に、先導するクラウが小声で説明した。ある事件でイメージダウンして、すっかり閑古ポッポが鳴くようになったのだ。俺は警戒を緩めず、エルレイドの足元の影に潜ったまま、ついて行く。
「こんにちは、オーナーさん」
 クラウに挨拶された修行僧の見た目の生物、チャーレムが「ひっ」と青ざめて、植え込みに水をやっていた手を止める。
「なんだい、アシスタントさん。国際警察に逮捕されるようなことは、何も……」
「実は知り合いが、少し訳アリで。しばらくこちらに置いてもらえませんか?」
「いきなりそう言われても」

 がっかりするクラウに、当然だ、と影の中から呆れた。
 気を取り直したクラウが、次は友達を紹介したいと言い出した。
 暇そうな総合受付でボールをレンタルして、ひそひそしゃべりながら屋外へ。
「上手くいかなかったですね。僕の知ってるブラッキーさんは、匿ってもらえたんですが。さっきのチャーレムさん、亜人では初のオーナー就任なんですよ。でも、人間のなり手がいなかった、という理由なのが寂しいです。ヨガ教室が大成功した先生で、慈善家でもあるんです。昔ヤンチャして、警察の世話になったらしくて。それで僕、苦手意識を持たれてるんですよね」
 到着したバトルフィールドで、クラウは二つの球を開放した。

「よく来たクラウ! 父上は息災か? 保釈の件は!?」
「はしたないわ雄黄さん、そんなに急かして」
「紹介します。雄黄(ゆうおう)さんと、長春(ちょうしゅん)さんです」
 
 高貴な風貌に三枚目の片鱗がちらつく皇帝鳥、エンペルト。
 虹色に見え方が移ろう鱗を召した絶世の美魚、ミロカロス。

「こちらは僕の新しい知り合いで……連れてきたこと、内緒にしてください」

 クラウの前置きにつづいて、影から抜け出し、不吉な姿を実体化。
 ふたりはわずかに驚いたきりで、パニックにはならなかった。

「すみません。僕からは、新しい情報はないです。ミナトさんも、留紺(とめこん)さんの行方も」
「いいのよクラウさん。気にしないで」
「あの不忠なヌオーのことなど、どうでもよい」
「留紺さんが黙っていなくなったのは、きっと考えがあったのよ」
 ミロカロスに諌められたエンペルトが、むきになって怒り出す。
「ええい、分かっておるわ! 見よ、この荒れた毛艶、くすんだ翼を。ストレスは美容の大敵という父上の言葉は、真であった! 長春そなた、見目麗しさにて優位であると勘違いしておらぬか!? 傲慢であるぞ!」
「喧嘩は、ストーップ!」
 クラウが腕を広げて、止めに入った。
「バトルで発散しましょう。僕、強くてかっこいい雄黄さんの胸、借りたい!」
「かっこいいとな? 何を分かり切ったことを……まあ、よい。参ろうぞ」

 
 手合わせ、開始。
 フォームを例えるなら、スピードスケート対フェンシング。誉め言葉に弱いエンペルトの強さは本物だった。速度で不利な陸上戦を『アクアジェット』の瞬発力でおぎないながら、抜群の切れ味を誇る翼でパワープレーを見せつける。一撃でも入れば、スリムなエルレイドの身体はひとたまりもない。緑色の肘刀は受け流すことに集中し、カウンターの要領でちまちまとダメージを稼いでいる。

「さっきは、お目汚しをごめんなさいね」

 観戦していると、たおやかな声で話しかけられた。近くで見ると、ますます美しい鱗だ。バトルネーソスでは、野生復帰が難しい前科ポケモンを保護し、レンタルバトルを通じて里親を募っている。このミロカロスにも、複雑な事情があるのだろう。

「父上というのは、親トレーナーか? 育成の腕がいいんだな」
「ええ。私たちのご主人様。そして私の初恋相手」

 蠱惑的にきらめきが走る、不思議な鱗。

「……に、なりそうだったお方」
 魔性だ。それも、天然の。


 エルレイドの『剣の舞』は、予備動作に無駄がある。水技で妨害され、能力アップに失敗した。『研ぎ澄ます』のほうは、流れるような受け身にうまく組み込めていた。守りを捨てて、エンペルトの懐に飛び込む。ほとんど『がむしゃら』に、荒削りな格闘タイプの大技『インファイト』をたたき込んだ。
 ガードする『鋼の翼』が押し切られ、よろけた羽毛の片ひざが地に着いた。

「そこまで! そなた、腕を上げたな」
「まだまだ、敵いません」
 気持ちの良い表情を浮かべ合う、雄黄とクラウ。
 手合わせの終了を見届けた長春が、そっと耳打ちした。
「私たちは、ここを出られないから。クラウくん達のこと、よろしくお願い」




 バトルネーソス頼みは没になったが、かろうじてプランBが残っている。
 移動中、ちらほらと粉雪が舞いはじめた。アーケードの往来の中に、人間は一人もいない。店員を含め、全員ポケモンだ。それも、大多数は亜人ではない。クラウのように無資格で人間社会に適合する者や、トレーナーのもとを離れて羽を伸ばしに来る手持ちポケモン達だった。
「クラウ君、いいマフラーだね! 手編みかい?」
 青果店のプクリンから、褒められた。
 極上の手触りといわれる薄ピンクの毛皮が寒さでふかふかに膨らんでいる。
「ありがとうございます! そういえば先日のリンゴ……」
 などと軽く世間話をしてから、プクリンと別れた。

「ここはジョインストリート。バトルネーソスのオーナーがシャッター街を買い取って、亜人に安く貸し出すようになってから、活気が戻ったんです。将来的に規模を拡大して、ポケモンタウン化する計画もあるそうですよ」
「オーナー、やり手だな」
 と、影の中から感心した。
「ところで、ひとりでぶつぶつ言ってる変な奴に思われないか?」
「大丈夫ですよ。話しながらのほうが、楽しいですし」

 ふと、クラウの顔つきが真面目になった。

「どうした?」 
「今すれ違ったコマタナ、指名手配犯に似てた気が……」 
「引き返すか?」 
「いえ……アイラさんに負担をかけたくありません。 僕はアシスタントですから、アイラさんの身の回りのお世話に専念しないと。この前も少し、失敗してしまって」
 はあと吐いた息が、大きな白い雲になって、未練っぽくとどまった。
「気を抜くと、仕事のこととか、トレーニングやバトルのことを考えてしまいます。キルリアの頃は、こんなにエネルギー持て余してなかったんですよ。格闘タイプのさがでしょうか。あ……また僕ばかり喋って」
「いい。聞き役のほうが楽だ」

 尻尾で立ち上がっていたオタチが、手を振ってクラウを呼んだ。
「こっちこっち!」
 入口のそばのブラックボードに、白いチョークで、探偵事務所、と書かれていた。商店の路地にねじ込んだかのように建てられたボロ屋を、リノベーションもせずに、使いまわしているらしい。傷やへこみの目立つドアに張られた悪筆な手作りポスターが、雑用アルバイトを募集していた。
 「君から連絡もらってすぐ、話を通しておいたよ。さあ入って」
 オタチにドアを開け、クラウとその影をいざなった。

レイコ ( 2018/01/17(水) 20:04 )