NEAR◆◇MISS















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第八章
-6- 目が覚めたら
 ミナトはアシスタントに森の神が憑依していると知らず、またネイティも警察官である少年の反感を招かずに手駒にしようと自発的に正体を伏せている。ジョージ・ロングは信頼に足るひと握りの同志で守りを固め、今日まで『シンクロ』の真の目的を秘匿し続けてきた。ウルスラ達の偶然の留守を狙われ、味方の人材難という欠陥をつかれたのが、十日前の夜。キズミとアイラが悪夢に囚われた推定時刻、警備態勢における頼みの綱は切れ果てていた。入院中であったミロカロス=長春が病棟を破壊、多数の被害者を出した。ロングの腹心の潜入捜査官、コードネーム『タンタキュル』は現場に急行し、暴れる麗竜を守ろうと藻掻くミナトを庇って負傷。ネイティ=麹塵の関与を疑ったミナトは暴力的に尋問し、『シンクロ』の悪用で霊媒体質の長春を狂わせたと自白させた。
「俺を昏睡させたのと、同じ一味に踊らされたんだろう」
 ロングは言う。
 先頃ネイティはレストロイ親子の同士討ちを扇動したようだが、失敗は言うまでもなく。苛立ちで判断が軽率になっていたのだろう。報酬はおそらく、抜け殻と化したセレビィの元の肉体。身を寄せていたレストロイ城で騒動に巻き込まれたウルスラの証言によると、交戦中に容態が悪化したハイフェン・レストロイ卿は蹂躙を許したが、主犯格のルカリオが強奪した抜け殻はメタモンが変身した偽物だった。
 ミナトを激怒させたネイティは命からがらアルストロメリア警察に駆け込み、ミナトから日常的に精神的苦痛を与えられており、その報復だったと虚偽の動機を訴えた。ミナトの取り調べ中、何者かが取調官を昏倒させ監視カメラなど記録装置を破壊し、ミナトは蒸発。ミナトのトレーナー権の停止措置を受け、主従関係を解消された引き取り手のいないガーディ=銀朱達はバトルネーソスに保護された。
 データ体内に書き込まれていたトレーナー情報を消失し、人間との契約といえる縛りが何もなくなったネイティは悪神の本性を現した。バトルネーソスのオーナー=アナナスは殺された。セレビィ復活の儀式を阻止すべく、『タンタキュル』はロングの人脈を使って最寄りの支部に応援を緊急要請。駆けつけた国際警察官によって伝説級のポケモンも動員され、現場は騒然とした。ルカリオは凶悪犯罪歴のあるレンタルポケモン達を解放、闘争本能を焚きつけて混戦を勃発させた。その隙にセレビィは小鳥の依代から離脱したが、死に物狂いでレストロイ卿の封印を破り消耗した魂は、蛹から羽化したての成虫さながらに虚弱だった。メタモンを使ったおとりが用済みとなる瞬間を、ルカリオが待ちかまえていた。『なりきり』で特性『シンクロ』をコピー、神の魂を吸引すると、波導の力でみずからの体内に再封印したのだ。精根尽きて結晶化したルカリオの身柄は国際警察本部に収容される事となった。
 機密保管エリアのセキュリティは厳重で、職員であろうとよほどの理由でなければ立ち入り許可を得られない。『タンタキュル』の報告を総括すると、ミナトとセレビィを引き離し『シンクロ』の完成を妨げようとしている線が浮上する。時間稼ぎをしたい狙いがあるのか。黒幕は、こちらの主導で事を運ばせる気はないらしい。
 ミナトは逃げたのではなく、おそらく拉致された。監禁場所の目星はついているが、焦って手を出せば失敗する。歴史改変後の世界では警察不信であるオルデンに極秘任務を打ち明けるべきか、絶えず頭を悩ませてきたロングはついに説得の場を設けた。

「オルデンの奴、味方につく条件を一つ出してきたぞ。これ以上キズミを巻き込むな、だと。ったく、同じ親父として頭が下がる。お前にすべてを話したという事は、実質的な戦力外通告だ。金輪際、ミナトとの接触は禁じる」

 長年徹した秘密主義を捨てた理由が、明かされた。

「信頼できる仲間は少ねえ。上層部にも数えるほどだ。中には俺を危険視して、マークしてる奴もいる。時渡りしたての頃、若干やらかしたからな。この一件、表沙汰は丸く収めたとしても、上は今度から俺を野放しにせんだろう。予知捜査がこの世界で未承認と言えば、分かるな」

 キズミの手足が冷え込み、脂汗が噴き出した。身の潔白なミナトを始末すれば、法律はジョージ・ロングを守らない。最初から戻らないつもりの男を、自分たちは目覚めさせようとして心を砕いていたのか。たった一人の大切な父親の代わりなんて、どこにもいない。恋人だか何だか知らないが、自分ごときに支えきれる訳がない。

「冗談じゃない! 残されるご家族の気持ちはどうなるんですか!」 
 ロングの微笑は疲弊していた。
「どうにもならねえ。娘のことを、よろしく頼む」
 

 ロング警部が去った後も、キズミの思索は奈落に取り残されていた。
 仮にも、手塩にかけて育ててきた部下を。犠牲の是非に警部があえて触れなかったのは、長い月日をかけて葛藤を克服したからだろう。大局を見ずにわめくだけの自分の感情論が、想像を絶する男の覚悟に対抗できる訳がない。『時渡り』が引き起こす人類滅亡とは大量殺人の換言、子が産まれる前に母体の命が無差別に奪われるようなものだ。警察官としての矜持がそれを許せず、歴史改変から人々を守りたいという心理は察して余りある。とりわけ警部の決意を強固にしている愛娘、アイラが同じ病棟のどこかで眠っている。
 ――ひと目、会いたい。
 もっと、下手なりにでも笑顔で接すれば良かった。あの時、親善目的のポケモンバトルの誘いに乗っていれば、きっと喜んでくれただろうに。クラウの進化の悩みを秘密にしていて、悪かった。隣部屋に引っ越してきた時、ミナトを見習って歓迎に力を入れるべきだった。わざと書類整理のペースを遅らせて、やきもきさせる必要などまったく無かった。ディナークルーズでの装いに対する感想を白状していたら、どんな反応をされただろうか。レストロイ城では助けられてばかりだった。光の輪が一周する栗色の髪。長い睫毛に縁取られた、胸がいっぱいになるような澄んだ灰色の瞳。生きざまが正直で、良心に恥じない努力をしている姿に胸を打たれた。他にもまだ、たくさん。目指したかった本当の理想は、自慢できる部下。馬鹿だった。名誉挽回のチャンスをことごとく、ふいにして。
 こんな弱卒と一緒にいて、彼女が良い思い出を作れたと思えない。
 ロング警部は間違っている。
 警部が残り、自分が身を引く。彼女のためを思うなら、それが一番だ。
 親子水入らず、幸せをつかんでほしい。
 
 警官は時に、現行犯をその場で殺害する。こんな形で、訓練で叩き込まれた知識と技量の出番が来て欲しくなかった。どうしても。どうしても。他に方法が見つからない、その時は。
 ロング警部に代わって、この手でミナトを――
 脳内のシミュレーションがぶつりと切れた。やはり無理だ。今はまだ親友を生かすことしか考えたくない。自分を関わらせたくないという温情を踏みにじることになるので、そこは謝りたいけれども。直接会って、相談したい。預けているファーストの事も含めて。オルデン先生に。
 
 キズミ様。と。
 眠りたがらないラルトスから、テレパシーで呼びかけられた。 
(無断でお暇頂きましたこと、お許し下さらずとも後悔はありません。どんなご決断をなさろうと、お供いたしますわ)
 愛情の確かさを吐露するような、純粋の度合いを感じさせる。
 今なら何を言っても、ウルスラは泣き伏せたりしないだろう。
 気持ちには応えられない。本当にそれでもいいのか。
 最終確認に入る前、キズミの視界が不慮の暗転に見舞われた。  

 
 唐突に引きずり込まれた、星のない宇宙のような場所。前触れなく現れたのは『ドルミール』のアシスタント、名をパラディン。ファーストを傷つけられた件がロング警部の苦肉の策と知りキズミは、宿敵の代理を目の前にしても、今後は逆恨みすまいと自制心を保てたが、目的不明の訪問は不信を抱かせられた。
「これは、夢か? またお前が見せているのか?」

 闇の空間で、まばゆい純白をたたえた聖騎士はこう告げた。 
(金城様をお救いしたいのですね)
 
 心臓が、嫌な震え方をした。  
  
(結論は単純明快。滅びる対象が無ければ滅亡もない。我々の種族が自称的学名を獲得する日まで、小袋に収まる怪物と呼ばれる恥辱に耐えましょう。あなた方は……『ポケモン』に生まれ変われば良いのです)

 瞬間。
 断頭台の刃が落ちる幻覚に近いものが、キズミの背筋に殺到した。
「……ロング警部の、味方の振りをしていたのか」

 サーナイトの口角に、透けた花びらのような極薄の角度がついた。
 人間が存在するから犯罪が生まれる。人間の思想に毒された犯罪ポケモンも生まれる。絶対的平等な幸福の追求とは、野生下の闘争状態でのみ意義を持ち、形骸化したシステムに支配された現代社会の初期化が必要である。しかし、全人類の淘汰を目論むセレビィの『時渡り』には賛同できる哲学がない。それでは憎むべき犯罪と変わりない。肝心なのは、選別だ。すぐれたエスパーには資質を見抜く能力がある。博愛と知性をそなえた善良な者だけがポケモンとなり、犯罪なき理想郷で種を保存する。
 愛情に飢えていたメギナ・ロングロードに取り入り、利用した。彼女は人間の肉体を捨てたい一心で研究に没頭した。イーブイの細胞を使った前臨床試験では、環境への高い順応性をもつ遺伝子が『夢の煙』からムシャーナへの進化条件である『月の石』、すなわち月の波動の影響を受け、細胞がブラッキー化した。追試データを蓄積し、『夢の煙』でポケモンの細胞を“悪タイプ”に変質させる科学的方法の再現性を高めると、ポケモンからポケモンへの擬似的な転生実験を開始。実験台を眠らせ、『身代わり』の潜在力と夢エネルギーを融合した“分身”の一時的な実体化に成功した。
 人間の精神をポケモンに移植する実験では、重大な夢エネルギー不足が発覚。夢世界でウインディ=ファーストのデータ体内に封印された『C-ギア』を起動し、最もデータ数値の良好だった色素変異体のイーブイに逆流させる事で、起死回生を狙った。しかし、実体化したブラッキーに移植したメギナの精神の定着率は1パーセントに満たなかった。人間の要素がまじわると過去の出来事に関する記憶が著しく欠落する副作用が判明し、本体のイーブイと失敗作のブラッキーは凍結された。逆行性健忘の発症を抑える課題が残っていたが、メギナには時間がなかった。国際警察の捜索をかいくぐった潜伏先で、彼女は研究データを残さず消去し、単身で人体実験を強行した。
 誕生したゾロアークは血を欲する獣だった。
 人間時代の記憶とともに失われた技術の情報をよみがえらせるためには、ジョージとアイラ・ロングロードに白羽の矢が立った。メギナの憎んだ父を『催眠術』で昏睡させ、生き別れた妹のそばには、欠落前を模しつつ改竄した記憶を植えつけた色違いのブラッキーを解凍して配置し、二名をパターン別『ハイリンク』の被験者とした。メギナの人格形成に深く関わった肉親が生み出す夢エネルギーを、夢エネルギーで出来ている黒狐に口径摂取させることで、記憶のネットワークをつなげる治療を試みた。
 ジョージ・ロングの数値は目標を大きく下回ったが、姉の精神の一部を持つブラッキーの『シンクロ』はアイラの精神に適合し、噛みちぎった喉の少量の肉片でゾロアークを覚醒させた。一方で予想外の劇物となり、ブラッキーを道連れに自滅という暴走を招いた。イーブイ本体に保存されているメギナの記憶情報を培養してゾロアークを再作製するまでに、時間がかかる。その期間に。
(アイラ・ロングロード様にとって、レスカ様は特別なお方。その立場を利用し、アイラ様のお心を破壊して頂きたいのです。細かく砕き、ゾロアークの吸収を助けることで、暴走の再発を防がなければなりません)
「本気で、言ってる……のか?」
(何をためらうのでしょう。人間からポケモンへ変わる時、記憶を喪失するのです)
 
 そういう問題ではない。と、キズミの中で何かがあぐらを組んで座り込み、てこでも動かなくなった。人とポケモン。親と子。生と死。理想と現実。光と影。過去と未来。理性とは。感情とは。対義か、それとも類義か。何が正しく、何が間違っている。第一、答えの絶対性を何が決める。思考の数だけ命題の見え方が七色に転じるのなら、一生を費やして悩み抜いたところで、この世界の何の役にも立たない自信がある。変わるのはせいぜい、自己の満足度だけだ。ああ、そうだ。割り切るも何も、自分は最初からちっぽけな男だ。だったら恥も外聞もなく、気の済むように言ってやる。高尚な屁理屈をこねくりまわすのは勝手だが、彼女を傷つけるような真似は許せない。
「勝手に勘違いしていろ、警部補は俺をなんとも思っちゃいない。教えてくれ。その要求を気に食わず蹴る俺は、自己中心的な犯罪者の卵か? だったら、理想郷とやらにふさわしいと言えない。人間の心に、短絡的に白黒つけられると思うな。だから警察は楽じゃないんだ。そんな事も忘れたお前の野望に、加担する義理はない!」
(……残念です)
 サーナイトの手の上に、アレストボールが出現した。
 揺れている。束縛をのがれようと、必死で内側から抵抗している。
「ウルスラなのか!? よせ、パラディン!」
(お別れの印にお教えしましょう。私は亜人捜査官、コードネーム『ドルミール』。あなた方には知られていない国際警察内部の機密に属する者です。守秘義務に従い、アシスタントとの二役を演じておりました)

 ――標的に入眠を気づかせることなく、“夢”を現実の事象と偽装する。人間側の『シンクロ』の素養に左右されない卓越した『催眠術』の手腕で、一種の拡張現実を植えつけた洗脳リストにはロング警部も含まれているが、かろうじてまだ『ドルミール』が架空の人物であると嗅ぎつけられていない。
 一部のポケモンに人間的権利を認めておきながら、社会的地位に上限を設けて権力を持たせまいとする政治的風潮は根強く、公職登用の議論は足踏みしている。国際警察が法整備に先駆け、亜人捜査官を極秘に導入したのは善意的動機からではなく、自立型ポケモンの捜査能力の高い汎用性に加え、違法捜査が露見した際は一介のポケモンとして処理できるという利点に涎が出るような値打ちがあるからだ――
(恨むなら、国際警察の闇を)

 
 キズミの顕在意識が、無に侵食されていく。
 くそったれ。こんな所で、終われない。


 いつ来ても狂気が蔓延したラボに戦利品を持ち帰ると、サーナイトは熱烈な歓迎を受けた。メギナという計画の要を失い、後釜に据えた博士の名はシレネという。彼女もまた、いびつな愛情を前進の意欲に類似研究をおこなっていた同類だった。
「ありがとう。実験材料を調達してくれて。金城とかいうもう一人の男の子のほうが欲しかったけど、贅沢は言えないわね。最低ラインはクリアしてるもの、おかげでやってみたかった別のアプローチが出来るわ。にしてもこの仔、ずっと暴れてるけど彼を助けたいみたい。よっぽど好きなのかしら。嬉しいわ、いいデータが取れそうね」
 シレネは被検体を一瞥し、がたがた揺れるアレストボールに口づけた。
「私のエディ。どうして産まれてきてしまったの。人間はあっけなく死んでしまう、弱い生き物なのに。でも安心して。ポケモンなら大丈夫。私のお腹には戻してあげられないけれど、いつの日かオルデンに特別なモンスターボールを作ってもらって、入れてあげるわ。データ化して時を止めれば、いとしい坊やは不老不死になれるのよ。待っててね。ママが必ず、研究を完成させるからね」

◆◇
  
「――良かった、気がついて」
 ほっとした様子でそう言った彼の種族を、知っている。エルレイドだ。見ず知らずの自分を心配して、付き添ってくれていたのだろうか。目に飛び込んでくる情報は、どれも身に覚えがない。携帯獣用の医療ベッドに寝かされていた。周りをカーテンで覆われている。どうやら、ここは病院か何からしい。  
「僕はクラウ。アイラさんのアシスタントです。アイラさんのこと、覚えていますか? ひどい怪我をしていたあなたを、お守りのヒールボールで応急処置し――」
 積雪の冷たさを、地肌が思い出す。あの時意識は朦朧としていたので、ぼんやりとしたイメージなら呼び起こせた。このエルレイドが押す車椅子に乗っていた、誰かの名前だろう。うずくまっている自分を見て、その人は首飾りを外した。綺麗なピンク色のペンダントだった気がする。押し当てられた途端、痛みがおさまって、力が抜けてそのまま気絶したような。
「――アイラさん……もう二ヶ月も入院しているんですけど、最近出歩けるようになって。散歩中にあなたを見つけたんです。忘れてた、ドクターを呼んできます!」
 自己紹介の途中でクラウが飛んでいった。
 きっと心優しい奴なのだろう。
 だんだん、頭がはっきりしてきた。
 以前、どこかの研究施設にいた。
 それがどういう訳か、命懸けで脱走した。
 そうだ。
 必ず戻る、と胸に湧き上がる意思に突き動かされて。でも、一体誰のもとへ。何も思い出せない。記憶が入り組んだ迷宮(ダンジョン)をさまよっているみたいだ。自分の本名も分からない。確かなことは一つだけ。こんな話、信じてもらえないだろう。だから、言わない。
 自分は元人間で。
 目が覚めたら。
 ポケモンになっていた。

レイコ ( 2017/12/08(金) 22:03 )