NEAR◆◇MISS















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第八章
-11- 目が覚めたら
 一味の目的は不明。推測上はミナトとセレビィを引き離し、『シンクロ』の完成を妨害しようとしている。であれば黒幕は、世界が上書きされたことを知る者だ。人類滅亡をもくろむ森の護り神の支持者だとすると、こちら側との敵対関係が確定する。
 
「予知を信じて捜査する奴は、この世界じゃ狂人だ。おおっぴらに動けん。俺の同志はひと握り、上層部にせいぜい二人。まだクビになるわけにいかねえ。オルデンを仲間に引きこむのは、充分な証拠をそろえた後の予定だったが……そうも言ってられねえ」

 歴史改変後のオルデン・レインウィングスは、警察への不信感が強い。すべてロングの妄想話だと一蹴されたならば、今後警戒されて距離を置かれる。打倒セレビィの指揮に不可欠なブレーンを、永久に失いかねない。
  
「俺は明日街を出る。やることが山積みだ。お前に、真実を明かすのは早いと思っていたが、他に任せられる奴もいねえ。俺がミナトを人柱にすれば、アイラは殺人犯の娘になる。その時は、娘をよろしく頼む」

 全身が蒸し暑い。しかし手足の末端は凍えたように冷えている。キズミの喉は潤いを欲していた。最初からそのつもりだったのか。そんな男の快気を、自分たちは疑いもせず望んでいたのか。正史で恋仲だか何だか知らないが、自分ごときに、大切な父親が罪を犯した少女の傷心を癒せる訳がない。

「お嬢さんは、あなたを待っていた。その気持ちはどうなるんですか!」
  
 十三年をかけて葛藤をとうに克服した男の返答は、疲弊をにじませなかった。
「どうにもならねえ。お前は、俺みてえな人間になるなよ」
 


 ミナトを、死なせたくない。
 被疑者の手持ちという連帯責任を負わされバトルネーソスに収容されている、処遇上“逃がされた”銀朱たちも嘆き悲しむ。部下を犠牲にし、一人でも多くの人命を守る。ロング警部が覚悟を極めた月日は、想像を絶する。非情なる決断力の根源は、愛娘への切なる父性だ。

 警部補は深く傷つくだろう。
 自分の素行を棚上げして、ロング警部を非難することはできない。
 断りなくクラウの修行をコーチしたことは、悪かった。祝い方が分からなくて、ミナトのように引っ越しを歓迎できなかった。レストロイ城で作った借りを、まだ見合うだけ返せていない。ディナークルーズでの綺麗な装いが似合っていたと白状したら、どういう反応をされただろうか。
 感情の脆さをバネに、まっすぐ努力する警部補の心根が、まばゆかった。 
 ロング警部は間違っている。
 自分という部下はいらない。彼女に必要なのは、父親だ。 
 ミナトを生かし、父娘で幸せをつかめる方法が、必ずある。絶対に諦めない。
「せめて今夜は、お嬢さんのそばについてあげてください」
 差し出がましいと思いながらも、頼まずにいられなかった。

 ロングの個室を出て、自身が入院中である個室へ廊下を引き返す。
 死なせない方法が簡単に思いつくなら、すでに警部が実践している。
 焦っても好転しない。今できること。他の誰でもない、自分にできることは。
 ウルスラを探し出し、連れ戻す。
 相談すれば、全員から反対されるだろう。決意が鈍っている猶予はない。
 夜逃げ同然の長い一人旅に出る前に。警部補に。

 ――ひと目、会いたい。 

 なにを、酔狂な。彼女は意識不明の患者だ。胸に仕舞って忘れてしまえ。
 部屋に戻り、振り返ってドアを閉めた後、カーテンの開いた窓辺へ向く。
 夜の青い光のなかに、右腕の肘から先のない、隻腕の聖騎士が佇んでいた。
 キズミは小さく息を飲む。

 パラディン。

 生きていたのか。
 
「私の死を偽装できたようで、何よりです」

 心臓が、嫌な震え方をした。
 取っ手に力をこめた。閉じたドアは揺れもしなかった。

「無駄です。ここはすでに、夢の檻」
「これも、『ドルミール』の指示か!?」
「アシスタントはカモフラージュ」

 重力のようなサーナイトの瞳。キズミの碧眼を、引きずり込む。

「私は極秘に導入された亜人捜査官、第一号。コードネーム『ドルミール』」

 市民権を取得した携帯獣である亜人は原則として公職に就任できない。国際警察暗部は複雑化した携帯獣犯罪に対抗すべく、違法性も辞さず、トレーナーのいない自立型ポケモンの諜報力を重視した。
 『催眠術』をかけたと気づかせることなく、現実世界を“仮想現実”へとすり替え、“夢”のなかの出来事を現実だとターゲットに思い込ませる。架空の捜査官『ドルミール』を隠れ蓑にしていた。催眠リストにはジョージ・ロングも含まれている。からくも尻尾を掴まれていない。
 
「目的は、なんだ」 

 おぞましさが骨の髄に殺到しながら、キズミは声を地の底にした。
 サーナイトの口角に、透けた花びらのような、極薄の角度がついた。
「滅びる対象が無ければ滅亡もない。人間は、我々の同胞に生まれ変わるのです」
 
 人間が存在する限り、憎むべき犯罪は生まれ続ける。人間の思想に毒された犯罪ポケモンも、同様に。森の護り神セレビィの企てる皆殺しには、崇高な哲学がない。博愛と知性をそなえた善良な人間は、救済されるべきである。

「肝心なのは選別です。有徳の民のみが、犯罪なき理想郷に迎えられるのです」

 愛情に飢えていたメギナ・ロングロードに取り入り、利用した。彼女は人間の肉体を捨てたい一心で研究に没頭した。イーブイの細胞を使った前臨床試験では、環境への高い順応性をもつ遺伝子が『夢の煙』からムシャーナへの進化条件である『月の石』、すなわち月の波動の影響を受け、細胞がブラッキー化した。追試データを蓄積し、『夢の煙』でポケモンの細胞を“悪タイプ”に変質させる科学的方法の再現性を高めると、ポケモンからポケモンへの擬似的な転生実験を開始。実験台を眠らせ、『身代わり』の潜在力と夢エネルギーを融合した“分身”の一時的な実体化に成功した。

 人間の精神をポケモンに移植する実験では、重大な夢エネルギー不足が発覚した。夢世界でウインディ=ファーストのデータ体内に封印された『C-ギア』を起動し、最もデータ数値の良好だった色素変異体のイーブイに逆流させる事で、起死回生を狙った。しかし、実体化したブラッキーに移植したメギナの精神の定着率は一パーセントに満たなかった。人間の要素がまじわると、過去の出来事に関する記憶が著しく欠落する副作用が判明し、本体のイーブイと失敗作のブラッキーは凍結された。逆行性健忘の発症を抑える課題が残っていたが、メギナには時間がなかった。国際警察の捜索をかいくぐった潜伏先で、彼女は研究データを残さず消去し、自身に人体実験を強行した。

 転生したゾロアークは怪物であった。

 人間時代の記憶ごと消滅したテクノロジーを取り戻すべく、パラディンの一味はロングロード親子に白羽の矢を立てた。メギナの憎んだ父を『催眠術』で昏睡させ、生き別れた妹のそばには、欠落前を模しつつ改竄した記憶を植えつけた色違いのブラッキーを解凍して配置し、二名をパターン別『ハイリンク』の被験者とした。メギナの人格形成に深く関わった肉親が生み出す夢エネルギーを、夢エネルギーで出来ている黒狐に径口摂取させることで、記憶のネットワークをつなげる治療を試みた。
 ジョージ・ロングの数値は目標を大きく下回ったが、姉の精神の一部を持つブラッキーの『シンクロ』はアイラの精神に適合し、噛みちぎった少量の肉片でゾロアークを覚醒させた。一方で作用が強すぎたため、ブラッキーを道連れに自爆するという暴走を招いた。イーブイ本体に保存されているメギナの記憶情報を培養してゾロアークを再作製するまでに、数か月を要する。

「時間を浪費できません。メギナの技術の再現は難航していますが、我々には新しい実験アプローチが残っています。善良な人間であるあなたには、ぜひ被験者になって頂かなければ。恐れることはありません。生まれ変わる時、記憶を喪失するのですから」
 
 
 黙って聞いていたキズミの、慣れない縫合手術のような時間が終わる。
 不格好なつぎはぎの意志に、破竹のごとく、血潮が通い出す。
 何が、救済。何が理想郷。
 体が発火しそうで、悔し涙が出そうだった。御高説はもういい。沢山だ。 
 警部補たちを傷つけた仇に、貸す耳はない。そこまで人間ができていない。
「断る。そんなのは、俺たち刑事の仕事じゃない。人の心に、白黒つけられると思うな。心を読めるお前が、一番よく分かってるだろ。裏切り者!」

 サーナイトの手の上に、アレストボールが現れた。
 揺れ動いている。束縛をのがれようと、必死で内側から抵抗している。
 ウルスラだ。キズミはぞわっと直感した。

「あなたの賛同を得たかった。残念です。キズミ・パーム・レスカさん」

 
 意識が、無に侵食されていく。
 畜生。こんな所で、終われない。


◆◇


 ラボに戦利品を持ち帰ると、サーナイトは熱烈な歓迎を受けた。
 メギナという計画の要を失い、後釜に据えた研究者の名はシレネという。
 
「助かるわ。サンプルを調達してくれて。どんなデータが取れるか、楽しみ」
 
 被検体を一瞥し、がたがた揺れているアレストボールに口づけた。
 メギナの愛情は歪んでいたが、シレネの狂気に比べれば可愛いものである。
 鼻歌でも歌うように、独り言を口ずさむ。

「私のエディ。可愛い坊や。上の子が死んだのは、か弱い人間だったせいよ。でもポケモンなら大丈夫。データ化して時を止めれば、不老不死も夢ではないわ。いつかオルデンを説得して、世界一のモンスターボールに入れて守ってあげる。待っててね。ママが必ず、研究を成功させるからね」


◆◇




  
「――良かった、気がついて」

 ほっとした様子でそう言った彼の種族を、知っている。エルレイドだ。見ず知らずの自分を心配して、付き添ってくれていたのだろうか。目に飛び込んでくる情報は、どれも身に覚えがない。携帯獣用の医療ベッドに寝かされていた。カーテンで周りを囲まれている。どこかの病院か、医務室のようだ。  
「僕はクラウ。国際警察官のアシスタントです。覚えていますか? 僕たちのこと。怪我をしていたあなたを、ヒールボールで保護した女の人の名前は、アイラさんといって――」

 積もった雪の冷たさを、地肌に呼び起こされた。あの時は朦朧としていたので、ぼんやりとやら思い出せる。エルレイドは車椅子を押していた。動けない自分を見つけて、車椅子に乗っていた人間の少女が、首にかけていた物を外した。
 ピンク色のペンダントだったような気がする。

「――アイラさん、二ヶ月も入院してて。外出許可が下りたのは最近なんです。散歩中にたまたまあなたを見つけ……しまった、忘れてた、お医者さん呼んできます!」
 クラウが飛んでいった。
 心優しい奴なのだろう。
 だんだん、頭がはっきりしてきた。
 以前、どこかの研究施設にいた。
 それがどういう訳か、脱走した。
 そうだ。
 必ず戻る、と胸に湧き上がる意思に突き動かされて。でも、一体誰のもとへ。何も思い出せない。記憶が入り組んだ迷宮(ダンジョン)をさまよっているみたいだ。自分の本名も分からない。確かなことは一つだけある。こんな話、信じてもらえないだろう。だから、言い出せない。
 自分は元人間で。
 目が覚めたら。
 ポケモンになっていた。

レイコ ( 2017/12/08(金) 22:03 )