NEAR◆◇MISS















小説トップ
第八章
-10- ロングロード
 ――検査が済んだら俺のところに来い。

 ジョージ・ロングロードから言われたとおりに、検査上異常なしであったキズミは病室を訪れた。目覚めを待ち続けて約七ヶ月、待望だった人物との対面は、キズミの想像していたような喜びと安堵でいっぱいとは言えなかった。
 医療ベッドに座るロングの口から改めて、状況を説明された。
 
 キズミ達が悪夢に取り込まれた夜、バトルネーソスで事件が起きた。実行犯はネイティ=麹塵。バトルネーソスのオーナーであるアナナス氏を恫喝し、解放させた前科のあるレンタルポケモン達を『怪しい光』で混乱に陥れ、やがて殺し合いへと激化。ミナトを含むアルストロメリア警察が現場に到着すると、ネイティは金城湊の命令でおこなったと声高らかに宣言した。流れ弾の飛び交うさなか、潜入捜査官にして、ロングの腹心であるコードネーム『タンタキュル』はミナトを庇い、負傷。アナナス氏は死亡した。応援に駆けつけたサーナイト=パラディンは一騎当千の活躍をしたが、『大爆発』に巻き込まれ、その遺体は片腕しか回収できなかった。
 まもなくミナトは拘留され、身柄は国際警察本部へ移送された。

「ミナトには、動機がありません!」
「同感だ。麹塵の出まかせに違いねえ」

 ネイティはパラディンの『催眠術』を受けて昏睡状態にあり、厳重に隔離されている。ガーディ=銀朱たちは取り調べられたのち、ミナトのトレーナー免許停止を受けて、親トレーナーを持たないリリース処分にさせられた。
 
 さらに、ネイティがバトルネーソスで扇動した同刻。
 ハイフェン・レストロイの居城に、とあるルカリオが単身で攻め入った。やがて進退窮まったルカリオは波動を放出し、結晶化。一切の情報を生命活動ごと内側に閉じ込めた。コールドスリープ状態の身柄は、国際警察本部に収容された。

 病状が悪化したレストロイ卿はみずからを地下へ封印し、休眠に入った。

 家出中のラルトス=ウルスラと出奔していたエルレイド=クラウは、育て屋ランドのもとに身を寄せていたとわかった。今月内にアルストロメリアに戻るという約束で、ランドに懇願して口止めしていたらしい。
 しかしウルスラは現在、ふたたび行方不明になっている。 
 
「俺を襲ってペール達を攫った一味が噛んでるはずだ」
「あの」
 と、キズミが質問しかけると、ロングが先んじた。
「アイラは別室だ。まだ意識がない。ダッチェスは……消滅した」
「どういうことですか」

 いきり立ちかけたキズミを、ロングが手をあげて制止する。

「あの色違いのブラッキーと、最初にどこで出会った?」
「卒業審査の実務研修です。なぜ聞くんです?」
「そのミッション中に、お前のウインディが犠牲になった。お前は規則を破り、『ドルミール』に落とし前をつけさせようとした。ミナトはお前を止めようとして大喧嘩になった。お前ら二人は退学処分は免れたが、国際警察官の採用は保留になった。そうだな?」

 じかにロングの口から確認されたのは、これが初めてだった。問題児の指導を請け負う監督官は、花形の配置転換とは言えない。進んで本部から派遣されたとのたまうロングのことを、恩義は感じるが随分物好きなベテランだと思っていた。信頼を置いていた上司のまとう空気が、まるで尋問のような気迫を帯びはじめている。

「お前らは、特殊課程の訓練生だ。初耳だろうが、卒業審査では『シンクロ』の習熟度をテストする。手持ちと訓練生を眠らせて、全員の精神を一元化させる。シンクロ率が高いほど、夢と現実の区別がつかねえ。つまりお前は、夢でみた研修を現実だと思い込んだまま目覚めた。憎悪を植え付けて問題行動を起こすよう、『ドルミール』が仕向けたんだ。俺はお前らを、一人前に卒業させる訳にいかなかった。なんとしても、俺の手元に置く必要があった。お前とミナトの経歴に泥を塗れと、『ドルミール』に指示したのは……俺だ」 


 キズミは、なんの反応も起こせなかった。


「お前は『ドルミール』に何をされたか、思い出せるか?」

 ――思い出せない。
 自分が何をされ、どういう経緯でファーストを再起不能にされたのか。
 ドルミールを許せないという植え付けられた感情に、ただ支配されていた。
 
「『ドルミール』に裏工作を一任したのは、俺のミスだ。致命傷の“バグ”は想定外だった。ファーストの体内に眠る『C-ギア』を、もっと考慮すべきだった」

「C……ギア?」

「電子化したアイテムは普通、データの一部として携帯獣の体内に組み込まれて、不可視の『持ち物』と呼ばれるだろ。『持ち物』はポケモンバトルの幅を広げる。例のヤミカラスやクラウみてえに、『持ち物』の影響で進化する個体もいる」

 しかし、キズミの知る限りファーストに『持ち物』は無かった。

「あるピカチュウが先天的に『電気玉』のデータを遺伝情報に含んでいた、と仮定するぞ。当時は検出できなかったものが、たとえば“三年後”には、科学が進歩して検出できるようになる。幽霊もデータも未知の物質も元素も、誰かに認知されるまでは、この世に存在しねえのと同義だと考えろ」

 強引だがそういう理論は分かる、としてキズミは口を挟まない。 

「『C-ギア』は携帯端末の一種、言ってみりゃあ、オーバーテクノロジーだ。『ゲ−ムシンク』機能で、ポケモンの夢世界(ドリームワールド)へアクセスできる。おそらく、夢エネルギーの干渉で誤作動を起こして、ファーストはタイムパラドックスに耐えられなかった。これが『バグ』の真相だ」

「ファーストの身に……タイム、パラドックス?」

「俺達は……オルデンが考案した『タイムカプセル』を決行した。ガーディだったファーストを人工卵殻の保護カプセルで、『時の波紋』を使った『時空ホール』から転送した。こんな言い伝え、聞いたことねえか」

 セレビィが すがたをけした もりのおくにのこされた タマゴは 
 みらいから もってきたもの らしい――

「ポケモン一体ごとにみる固有の夢が『ホーム』、夢の深層の集合体が『夢島』だ。夢島に生えた『夢の木』から送られる夢エネルギーが、現実世界に『ハイリンクの森』という亜空間を作り出している。『C-ギア』を利用して夢エネルギーの供給を断てば、“セレビィ”の力を弱められる。ファーストの転送は、『C-ギア』が発明されなかった歴史を想定した備えだ。悔しいが、肝心のデータのサルベージにてこずっている。それができる性能の機械が、まだこの現代で開発されてねえ」

 ロングは一旦口を閉じ、刑事の勘を研ぎ澄ます。
 見張られている気配はしない。話を進めても安全だ。 

「ダッチェスが消滅する前に、オルデンに送った検体が解析できてな。『夢の煙』で復元される化石ポケモンの基準値を、優に超えていた。あのブラッキーの正体は、実体化した『夢』だ。“ゆめで であった ポケモンが あらわれた”事例は、俺達の頃はそう珍しくなかった。ハイリンクの森は、そういう場所だ。森の平穏を望み、森を荒らす人間を憎む『夢』がつどえば、セレビィのなりをした護り神も生まれる」

 何が言いたいんですか。
 と、怒鳴れる雰囲気ではない。悪寒が、キズミを拘束している。

「人間を滅ぼしてえセレビィが、過去に『時渡り』したらどうなると思う? グラードンやカイオーガのような、天変地異を起こす怪物を食い止めた英雄のトレーナーが、止める前に殺されてみろ。宇宙創造、古代の最終兵器、まともじゃねえ犯罪組織の野望が、事もなく成就してみろ。適応力の高い携帯獣は生き延びるだろうが、分かるか……人類滅亡は、あっけねえ」
 
 過去の歴史が改変されたならば。
 今この瞬間に生きる世界中の人々の人生が。存在が。
 最初から、無かったことにされる。

「俺がチーフを務めたチームは、予知能力で犯罪を未然に防ぐために実験的に設立された。セレビィの誕生を予知したのは、最高顧問のネイティオだった。ネイティオも、危険を承知で『タイムカプセル』で過去へ行く覚悟を決めた。先の短い老体で『シンクロ』の本領は出せねえからと、自分の遺伝子からネイティを作らせた。命を削って自我を移植して、オリジナルからコピーに生まれ変わった。コピーと聞けば、お前は不快だろうな……誰も好きでやったんじゃねえ。その一件でオルデンは逮捕された。あいつは最後まで、俺達の同志だった」

 キズミの知らない、恩師と同姓同名の男の記憶を、ロングの瞳が浮かべていた。

「ネイティオは、セレビィの時渡りに、現場の国際警察官の誰かが巻き込まれることも予知していた。時間も人手も足りねえ。混乱している上層部の決定を待っていられなかった。俺たちは必死で作戦を練って、出来る限りの手を打った」

 心なしか、ロングの肩が震えた。 

「俺は、『時渡り』をした」

 感情の読めない告白が、キズミを貫いた。 

「セレビィの狙いは、時渡りを起点とした未来、つまり時渡り以降の時間軸における人類の一掃だ。過去でやりすぎたら、セレビィが生まれる因果そのものまで潰しちまう。生まれなければ、過去への介入も帳消しだ。誕生の線は残しながら、時渡りの瞬間に連鎖反応を起こして、未来で人類を滅亡するよう歴史改変を微調整した。俺がネイティやファーストと再会できたのも、正史の名残みてえなもんだ。途方もねえ眉唾だが、それが出来るから奴は、神なんだ」

 キズミの背筋に、氷が張っていくかのような感覚だった。

「俺が飛ばされた時代は、時渡りが起きる三年前だった。人も文明も滅んでなかった。だが、書き換えられた世界には違いなかった。歴史が変わる前の“俺”を知る奴は、いなかった。国際警察にはチームどころか、予知で捜査する概念がなかった」

 三年間、ジョージ・ロングは妻子を顧みる暇もなく準備に明け暮れた。

「俺の話を信じてくれる仲間を集めた。お前たちの代のカリキュラムで『シンクロ』を学べるよう、手を回した。時渡りの当日、レストロイの霊力と『シンクロ』で、ネイティの体にセレビィの魂を封印させた。俺が巻き込まれるはずだった時渡りは、阻止できた。その日から十年経った。世界の均衡はなんとか持ちこたえちゃいるが、この先、時渡りが成立した瞬間……」

 森の護り神による、虐殺という表現では生ぬるい大絶滅が完遂される。

「ミナトは、知ってたんですか」
「いや」
「麹塵は、俺たちに黙ってたんですか」
「セレビィのほうか? 封印のショックで、記憶の大部分が欠落した。少しずつ取り戻してたみてえだが、腹の底をべらべら喋って自分の身を危険に晒すほど、あいつもバカじゃねえ」
 
 どこまでコケにされた話だろう、とキズミが拳を握る。
 ロングは、眼前の部下のどんな些細な動作も見逃さなかった。

「ネイティの『シンクロ』に限界がくれば、水の泡だ。レストロイはミナトの『シンクロ』を鬼畜なやり方で完成させて、魂の封印先を移し替える気でいる。ミナトの人格がぶっ壊れようが、天寿さえまっとうさせればいいという考えだ。魂の同居と、同化は別物だ。ミナトに同居状態で死なれたら、器を失くした神の魂は俺達にどうにもできねえ、生と死のはざまの次元の存在となる。そういう神格は、何世紀もまたいだ先で肉体を再構築して帰ってくる。俺とネイティの考えは、レストロイとは違う。ミナトが『シンクロ』の適材へと熟すのを待ち、セレビィの魂を融合させる。成功すれば、セレビィは人として神格を失う」
「それじゃあ、まるで!」

 叫びは、発狂と紙一重だった。

「まるで、ミナトを……」
「そうだ。セレビィの魂ごと、抹殺する」

 ミナトの命をなんだと思ってやがる。はらわたが煮えくり返るとはこの事だった。ロングの胸倉を掴んだ。しかし、死神すら恐れそうにない男の目に射すくめられ、金髪の毛先にまでのぼっていた血が下がっていく。威嚇する獣のように息を漏らし、無礼な手を離した。 
 歯を食いしばるのにも疲れた顎を、億劫にひらく。

「俺たちは……そのために、『シンクロ』を、刑事の腕を磨いてきたと言うんですか」

 すさんだキズミの睨みから、ロングは目をそらさなかった。
 
「俺は……何者ですか」
「ミナトの、予備だ。お前にも『シンクロ』の素質がある。歴史改変の前、お前は信頼できる部下だった。必ず聞く耳を持つと踏んでいた。なんせ、アイラを守るためなら、犠牲になるのも厭わねえ……お前は娘と、恋仲だったからな」

 馬鹿げている。信じてたまるか。
「俺はただの部下で彼女は上司、それ以上でも以下でもない!」
 頭のなかがぐちゃぐちゃで、訳がわからなくなって激高した。
 
「すまん」
 ロングは静かに謝罪した。    
「俺の知るアイラは、アルストロメリア在住の女子高生だった。バイト先のバトルネーソスで、レンタルポケモンに付きまとわれてな。それを、お前が……身に覚えのない昔話なんざ、聴きたかねえか。この街を選んでお前らを呼んだのは、つまらねえ感傷からだ。俺は娘の人生を、元通りには守ってやれなかった」

 キズミは何も言えなかった。
 そうか、と、ようやく感情が追いついてきた。
 自分の、これまでの生涯は。
 敷かれたレールの上を、歩かされていた。

レイコ ( 2017/11/04(土) 20:26 )