NEAR◆◇MISS















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第八章
-5- ロングロード
 キズミは愕然とした。丸十日も、自分が眠り続けていたとは。とにかく先に精密検査を受けろと、ジョージ・ロングロードに急き立てられた。ラルトス=ウルスラの付き添いは禁止され、ついでに家出の件もうやむやになった。はやる気持ちを抑えて、キズミは退屈きまわりない長丁場に耐えた。院内をあちこち渡り歩くうちに、日が暮れた。空腹感はなかったが、無理やり口に押し込んだ夕食に、知らずに枯渇していた成長期の胃袋を満たされてようやく、意識がないまま過ぎ去った日数の実感が湧いた。病院食でこれなら、ウルスラの作る料理を食べていたら涙が出たかもしれない。入院から約七ヶ月ぶりにふくれたジョージ・ロングの腹は、この比ではなかっただろう。 
 風は飽きもせず、窓にぶつかっていた。
 定刻になり、キズミの病室のドアが軽く叩かれる。部屋に戻ってこられて嬉しそうなラルトスを連れて、ジョージ・ロングは訪問の約束を守ってくれた。コートを着込み凍えた様子で、喫煙所からの帰りらしい。あらためて、キズミは感じ入る。職場の親代わりと仰げる上司が、ついに回復したのだ。驚きも喜びも、すっかり機会をのがしてしまった。意思の疎通ができる対面を待ち望んでいたはずなのに、昏睡状態の時より際立つ痩身に胸が痛む。屈強で無骨な愛すべき顔立ちはやつれ、隆々とした筋肉がしぼんだ背の高い体は、重心が不安定そうだった。
「すまんが、外してくれ。キズミと重要な話をする。誰も部屋に近づけるな」
 来て早々、厄介払い。
 ラルトスは落胆を顔に出さず、従った。
「ウルスラはなぜ、怪我を?」 
 包帯に覆われた小さな背中が閉め出された途端、キズミが口がひらく。「見かけより治りは早い」とだけ伝え、ロングは明解を先送りにした。
「アイラは別室だ。まだ眠ってる。見舞うのは勝手だが、あまり勧めん。クラウが付いているから、心配ない。俺やアイラを狙ったホシについては、まだ捜査中だ。悪い知らせはいくつかあるが、順を追って説明するぞ。まず……ブラッキーが消滅した」

 ベッドに座っていられなかった。裸足で床に降りたキズミを、パイプ椅子から動かないロングが手をあげて制止する。ここで口論を吹っかければ、詳細を教えてもらえなくなる。上下関係を一瞬で思い出させられ、病人の居場所に嫌々ながら押し戻された。

「ダッチェスと、最初にどこで出会った」
 訊いてどうする、と心理は屈折しつつ。
 キズミに、答えを隠す利点はなかった。
「……卒業審査の実務研修です」
「そのミッションで、ウインディが犠牲になった。お前は『ドルミール』に落とし前をつけるため、規則を破った。ミナトの嘆願で退学処分は免れたが、お前相手に喧嘩沙汰を起こした責任を問われ、二人とも国際警察官の正式任用は保留になった。間違いねえか?」

 面と向かって尋問されたのは初めてだったが、個人データを閲覧できる監督官が知識を持つのは当然だ。本部から派遣されたベテラン刑事が、あえて問題児の指導を買って出た剛毅な男だと知り、キズミが彼の名誉を傷つけないという決心を固めてから、まだ一年経過していない。
 必要最低限の労力で、肯定する。
 それで充分らしく、ロングは続けた。

「初耳だと思うが、特殊カリキュラムの卒業審査で測るのは『シンクロ』の習熟度だ。訓練生を眠らせて、精神干渉を受けさせる。シンクロ度が高いほど、仮想との区別がつかねえ。つまりお前は、夢の中の研修を現実と思い込んだまま目覚め、『ドルミール』を恨み、施設を脱走した。いや、そうするように『ドルミール』が仕向けたんだ。なぜなら、お前たちは成績優秀だったからな。まともに卒業すりゃあ、世界を飛び回るのは目に見えていた。キズミを利用し、連鎖的にミナトもろとも経歴に泥を塗れと『ドルミール』に指示したのは……俺だ」 

 キズミは目を瞠った。

「問題児のレッテルを貼られたお前たちを、予定通り俺の監視下に置いた。その代償に、ファーストが致命的な“バグ”に冒されたのは想定外だった。裏工作を『ドルミール』に一任したのは、認識不足だった。もっと考慮すべきだった。ファーストの中に、『C-ギア』が眠っていることを」 
「C……ギア? ファーストの内部に、ですか?」
 バトルネーソスでレンタルポケモンに『持ち物』を持たせたり、キルリア=クラウが『持ち物』に進化の影響を与えられるなど、目に見えない非物資状態の『持ち物』が身近なことに変わりはないが、データ化したファーストの内部に、そのようなアイテムを見たことは一度もない。
「あるピカチュウが先天的に、『電気玉』のデータとして抽出できる遺伝情報を持っていたと仮定するぞ。当時の機械で認識されなくても、“三年後”には進歩して認識されるタイムラグがありうるだろ。ようするに、機械のスペックの問題が大きい。認識されねえものは、無いものと同義だと考えろ。例外的に、不可能を可能にする『夢世界(ドリームワールド)』では、ファーストに潜在する『C-ギア』が起動したんだろう。ダッチェスが消滅する前に、オルデンに送った検体の解析が間に合ってな。『夢の煙』で復元される化石ポケモンの基準値を、はるかに超えていた。あのブラッキーの正体は、実体化した『夢』だ。ファーストはタイムパラドックスに耐えきれなくなり、モンスターボールの中でしか存在を維持できなくなった。これが、『バグ』の真相だ。こんな噂を聞いたことねえか」

 セレビィが すがたをけした もりのおくにのこされた タマゴは みらいから もってきたもの らしい――

「ポケモンのタマゴの殻は、時空のひずみに耐性がある。俺達は、オルデン・レインウィングスが考案した『タイムカプセル』を実行した。人工タマゴの殻でガーディ=ファーストを封じ、『時の波紋』を使って開けた時空ホールから転送した。一体のポケモンがみる固有の夢は『ホーム』、そこから繋がる集合的な夢世界が『夢島』。その島の『夢の木』が異次元の『ハイリンクの森』へ、夢エネルギーを供給している。ファーストに内蔵した『C-ギア』の『ゲームシンク』機能で『ホーム』に接続し、夢エネルギーの供給を遮断、“夢で出来たセレビィ”の力を弱める計画だった。だが、『C-ギア』が発明されるはずの歴史は消えた。存在を抹消されたデータを将来的にサルベージできるか、まだ分からねえ」

 ロングは深く、息をつく。 

「ダッチェスみてえに、“ゆめで であった ポケモンが あらわれた”事例は珍しくない。ハイリンクの森では、奇跡が起きる。森を穢す人間を憎む『夢』が集まれば、セレビィの形をした森の護り神すら発生する。そいつが、過去に『時渡り』したとしよう。もしグラードンやカイオーガのような、天変地異を起こす怪物を食い止めた英雄が、その前に殺されたらどうなる? 宇宙創造や古代の最終兵器、正気じゃねえ犯罪組織の野望が、無事に達成されたら? 歴史上のやべえヤマが、解決されなかったら? 適応力の高いポケモン達は生き残るだろうが、分かるか……人類滅亡ってのは、あっけねえ」

 何が言いたいのだ。
 と、声を荒げられる空気ではない。
 悪寒が、キズミを拘束している。

「『右目は未来を、左目は過去を』。“予知事件対策本部”の合言葉だ。ポケモンの能力で犯罪を予知し、未然に防ぐ目的で創設された実験的機関。言ってみりゃ、国際警察の暗部だな。俺が部長を務めた。最高顧問のネイティオはある時、歴史改変を引き起こすセレビィの誕生を予知した。あまりに大仰だと上層部の意見が割れて、予知捜査に懐疑的だった派閥が台頭したが、対策本部のメンバーはネイティオを疑わなかった。時間も人手も足りず絶望しかねえ状況で、ネイティオは力を振り絞り、時渡りの現場に居合わせた国際警察官の一人が、時渡りが起きる前の時代に飛ばされるという未来を突き止めた。俺達はさっき言った『タイムカプセル』や『シンクロ』、出来る限りの手はずを整え、来たるべき運命のいたずらに最後の希望をかけた」

 心なしか、ロングの肩が震えた。 

「俺は、『時渡り』をした」

 感情の読めない声が、キズミを貫いた。 

「その時点から数えて、三年前の時間軸に飛ばされた。人も街も、歴史改変の影響でパラレルワールドに作り変えられちまっていた。対策本部どころか、予知捜査の概念さえなかった。家族だろうが友人だろうが、歴史が変わる前の“俺”を知る奴は、いなかった。ガーディ同様、あらかじめ過去世界に送ったネイティの『タイムカプセル』を探し回った。他にも、話の分かる奴と手を組んだり、『シンクロ』が国際警察の正式教科になるように裏で画策した。三年後、ミナトの親父ハイフェン・レストロイの力を借りて、ネイティの体にセレビィの魂を封印し、俺が巻き込まれるはずだった時渡りを阻止した。それから十年が経つ。世界の均衡はなんとか持ちこたえちゃいるが、この先セレビィの時渡りが成立した瞬間――」

 破滅のパズルは、最後のピースが嵌まる――

「人間もポケモンも、『シンクロ』のピークはせいぜい青年期までだ。まして、死のリスクを伴う役目を、軽々しく他人に背負わせられる訳がねえ。老体だったネイティオは自分のコピーを作り、精神を移植してネイティに生まれ変わる道を選んだ。コピーと聞けばお前は不快だろうが、誰も好きでやったと思うな。この一件で、非合法の実験を指揮したオルデンは逮捕された。あいつは最後まで、俺達の協力者だった」

 キズミの見知らぬ、別のオルデン・レインウィングスの幻影を、昔の記憶にひたる男の網膜が捉えていた。

「抑え込めるとっても、ネイティとセレビィのつながりは所詮、付け焼き刃だ。長くは持たねえ。レストロイ家は、遺伝子学上はポケモンより脆く弱い並の人間だが、霊的には異能を受け継いでいる。だからレストロイ卿をそそのかし、ミナトを養成所に入れさせた。あの男は『シンクロ』を鍛えたせがれの体に、セレビィの封印を移し替える腹づもりだ。ミナトが生きている間だけ抑え込めればいい、ミナトが死んだ後に封印が解けようが知ったこっちゃねえ、という考えだ。俺達は違う。機が熟せば、ネイティはネイティオに進化して肉体の主導権を奪い返し、『サイコシフト』でセレビィの魂をミナトに直接送り込む。年月をかけて『シンクロ』を熟成させた両者が完全に同化した時、神は人間へ堕落する」
「馬鹿な!」

 叫びは、発狂に肉迫していた。

「それじゃあ、まるで、まるでミナトを……」
「セレビィの魂ごと、抹殺する」

 ミナトの命をなんだと思っている。手が勝手に動いて、ロングの胸倉を掴んだ。目につく物を片っ端から蹴り飛ばしたい衝動に、論理的思考の回路がショートを起こしかけている。殴りたければ殴れ。死神をも恐れる気配がない上司の目は、そう言っていた。頭にのぼった血を掻き出される感じがして、キズミは手を離した。 
 
「俺は……何者ですか」
「残酷だが、聞け。お前はミナトの身に何かあった時用の、『シンクロ』の補欠要員だ。話せば、必ず役目を受け入れると思っていた。歴史改変が起きる前、お前は信頼できる部下だった。それだけじゃねえ、アイラを危険から守るためなら、犠牲になるのも厭わねえと分かっていた……お前は、アイラの恋人だった」

 嘘だ。壊れたように、連呼したかった。それができないなら、いっそ大声で泣けたほうが気が楽だった。何も選ばせてもらえない、どこにも行けない、まるで蛇の生殺し。何がここまで苦しいのか、キズミ自身にも訳が分からないまま、必死の抗弁に取り憑かれた。
  
「俺はただの部下で、あの人は上司です。それ以上でも、以下でもない!」
「娘は特別じゃねえと、誓ってそう言い切れるか? だったら証拠を出せ。歴史が変わろうと、世界中の人間が俺を狂人扱いしようと、キズミ・パーム・レスカはこの話を信じるという直感を、打ち砕いてみせろ!」

 キズミの硬直を見て、ロングの表情が陰る。部下を剣幕でひるませるなど、不条理な。いい例だ。どれほど緻密に計画を練ったところで、弱さを持たない完璧な人間はいない。この俺のように。
「すまんな」
 禁句と見なしていた謝罪を、ぽろりと口にする。    
「アルストロメリアを選んだのは、ちっぽけな感傷からだ。歴史が変わる前、俺の家があった。アイラは市内のハイスクールに通っていた。バイト先のバトルネーソスで、レンタルポケモンに付きまとわれる騒動があってな。それを、お前が解決した……身に覚えのない馴れ初めなんざ、聞きたかねえか。娘は刑事のけの字もかすらねえ、普通の民間人だった。まったく別の人生を、俺は元通りには守ってやれなかった」

 そうか、とキズミは振り返る。
 やっと、分かってきた。
 自分は、この十年。
 敷かれたレールの上を、歩いていた。

レイコ ( 2017/11/04(土) 20:26 )