-10- ロングロード
診察が全部終わったら部屋に来い。
言われたとおり、検査上は異常が見つからなかったキズミは病室を訪れた。ジョージ・ロングロードの目覚めを待ち望んでいたはずだった。約七か月越しの意思疎通は、想像していたような喜びは乏しかった。
医療ベッドの背部は椅子のように起きていた。手すりに杖が掛かっていた。
ロングの口から、状況が語られる。
キズミ達が悪夢に取り込まれた夜、バトルネーソスで事件が発生した。実行犯はネイティ=麹塵。オーナーのアナナス氏を恫喝し、前科のあるレンタルポケモン達を解放させ、『怪しい光』で混乱に陥れた。暴動は殺し合いへと激化。ミナトを含むアルストロメリア警察が現場に到着すると、ネイティは金城湊の命令でやったと声高らかに嘲笑した。流れ弾からミナトを守った潜入捜査官にして、ロングの腹心であるコードネーム『タンタキュル』は負傷。アナナス氏は死亡。駆けつけたサーナイト=パラディンは一騎当千の活躍をしたが、混戦下で誰かに看取られることもなく、遺体は片腕しか発見されなかった。
ミナトは逮捕された。身柄は、国際警察本部へ移送された。
「ミナトには、動機がありません!」
「同意見だ。麹塵がでまかせ言ったとしか思えん」
ガーディ=銀朱たちは親トレーナーとの法的パートナーシップを無効にされた。
ネイティはパラディンの『催眠術』で昏睡に追いやられ、厳重に隔離されている。
暴動の同刻。
ハイフェン・レストロイの居城に、ルカリオが単騎で攻め入った。激戦で進退窮まったルカリオは波動を放出し、結晶化。一切の情報を生命活動ごと閉じ込めた。コールドスリープ状態の身柄は、国際警察本部に収容された。
病身の悪化したレストロイ卿はみずからを地下へ封印し、休息の眠りについた。
出奔したラルトス=ウルスラとエルレイド=クラウは、今月中にアルストロメリア市に帰るという約束で、ランドに懇願して口止めし、育て屋に匿われていた。そのウルスラが現在、行方不明になっている。
予期せぬ情報量の摂取で、キズミは平衡感覚がにぶる覚えがした。
「俺を襲い、手持ちを攫ったのと、同じ一味の可能性が高い」
あの、とキズミが質問しかけると、ロングが先んじた。
「アイラは別室だ。まだ意識がない。それから……ダッチェスが消滅した」
「どういうことですか」
いきり立ちかけたキズミを、ロングが手をあげて制止する。
「あの色違いのブラッキーと、最初にどこで出会った」
「卒業審査の実務研修です」
質問があるのはこちらもだ。
こらえて答えたキズミは、尋ねられた意図を掴みあぐねる。
「ミッション中、ウインディが犠牲になった。お前は規則を破り、『ドルミール』に落とし前をつけようとした。ミナトはお前を止めようと大喧嘩になった。お前ら二人は退学処分は免れたが、国際警察官の採用は保留になった。そうだな?」
直接ロングから口頭で確認されたのは、初だった。問題児の指導を請け負う監督官は、花形の配置転換とは言えない。進んで本部から派遣されるのは酔狂だ。目をかけてもらった恩義のあるベテラン上司の空気が、尋問のように陰っている。
「お前らは、特殊課程の訓練生だ。初耳だろうが、卒業審査では『シンクロ』の習熟度をテストする。手持ちと訓練生を眠らせて、全員の精神を一元化させる。シンクロ率が高いほど、夢と現実の区別がつかねえ。つまりお前は、夢でみた研修を現実と思い込んだまま目覚めた。憎悪を植え付けて問題行動を起こすよう、『ドルミール』が仕向けたんだ。立派に卒業させて、世界に羽ばたかせる訳にはいかなかった。なんとしても、俺の手元に置く必要があった。お前とミナトの経歴に泥を塗れと、『ドルミール』に指示したのは……俺だ」
キズミは目を瞠った。
「『ドルミール』に何をされたか、はっきり思い出せるか?」
思い出せない。
何かをされて、どういう流れでファーストを再起不能にされたのか。
理由があるから許せないのではなかった。許せないという感情に支配されていた。
「『ドルミール』に裏工作を一任したのは、俺のミスだ。致命傷の“バグ”は想定外だった。ファーストの体内に眠る『C-ギア』の考慮が、不十分だった」
「C……ギア? なんですか、それは」
電子化したアイテムはデータの一部として携帯獣の体内に組み込まれ、不可視の『持ち物』と呼ばれる。バトルネーソスのレンタルポケモン達に『持ち物』を持たせればバトルの幅が広がり、元ヤミカラスや元キルリア=クラウのように『持ち物』の影響で進化する個体もいる。
しかし、ファーストのデータ体に、そのような名のアイテムを見つけた事はない。
「あるピカチュウが先天的に、『電気玉』のデータを遺伝情報に含んでいたとするぞ。当時は検出できなかったものが、たとえば“三年後”には科学が進歩して検出される。そういうタイムラグがある。ようは、機械のスペックの問題だ。幽霊もデータも未知の元素も、非認知のうちは存在しねえのと同義だと考えろ」
強引な理屈だが、話の腰を折りたくないキズミは反論しなかった。
「『C-ギア』は携帯端末の一種で、言ってみりゃあ、オーバーテクノロジーだ。『ゲ−ムシンク』機能で、ポケモンの夢世界(ドリームワールド)へアクセスできる。おそらく夢エネルギーの干渉でそいつが誤作動して、ファーストはタイムパラドックスの餌食になった。これが『バグ』の真相だ」
「タイムパラドックス? ファースト……が?」
「俺達は、オルデン考案の『タイムカプセル』を決行した。ガーディのファーストを人工卵殻の保護カプセルで、『時の波紋』を使った『時空ホール』から転送した。こんな言い伝え、聞いたことねえか」
セレビィが すがたをけした もりのおくにのこされた タマゴは みらいから もってきたもの らしい――
「ポケモン一体が固有にみる夢は『ホーム』、深層の集合体が『夢島』だ。夢島に根付く『夢の木』が送る夢エネルギーが、現実世界に『ハイリンクの森』という亜空間を作り出している。『C-ギア』を利用して夢エネルギーの供給を断てば、“セレビィ”の力を弱められる。ファーストの転送は、『C-ギア』が発明されない歴史を想定した備えだ。悔しいが、肝心のデータのサルベージにてこずっている。それができる性能の機械が、まだこの現代で開発されてねえ」
ロングは口を閉じた。聞き耳を立てる。
部屋を見張られている気配はしなかった。
「ダッチェスが消滅する前に、オルデンに送った検体が解析できてな。『夢の煙』で復元される化石ポケモンの基準値を、優に超えていた。あのブラッキーの正体は、実体化した『夢』だ。“ゆめで であった ポケモンが あらわれた”事例は、俺達の頃はそう珍しくなかった。ハイリンクの森は、そういう場所だ。森の平穏を望み、森を荒らす人間を憎む『夢』がつどえば、セレビィのなりをした護り神も生まれる」
何が言いたいんですか。
と、声を荒げられる雰囲気ではない。悪寒が、キズミを拘束している。
「人間を滅ぼしてえセレビィが、過去に『時渡り』したらどうなると思う? グラードンやカイオーガのような、天変地異を起こす怪物を食い止めた英雄のトレーナーが、止める前に殺されてみろ。宇宙創造、古代の最終兵器、まともじゃねえ犯罪組織の野望が、事もなく成就してみろ。適応力の高い携帯獣は生き延びるだろうが、分かるか……人類滅亡は、あっけねえ」
今この瞬間に存在する大切な人達が、失われる。
ここにいる、この自分も。
「俺がチーフを務めたチームは、予知能力で犯罪を未然に防ぐ目的で実験的に設立された。セレビィの誕生を予知したのは、最高顧問のネイティオだった。ネイティオも、危険を承知で『タイムカプセル』で過去へ行く覚悟を決めた。先の短い老体で『シンクロ』の本領は出せねえからと、自分の遺伝子からネイティを作らせた。命を削って自我を移植して、オリジナルからコピーに生まれ変わった。コピーと聞けば、お前は不快だろうな……誰も好きでやったんじゃねえ。その一件でオルデンは逮捕された。あいつは最後まで、俺達の同志だった」
キズミの知らない、恩師と同姓同名の男の記憶を、ロングの瞳が浮かべていた。
「ネイティオは、セレビィの時渡りに、現場の国際警察官の誰かが巻き込まれることも予知していた。時間も人手も足りねえ。混乱している上層部の決定を待っていられなかった。俺たちは必死で作戦を練って、出来る限りの手を打った」
心なしか、ロングの肩が震えた。
「俺は、『時渡り』をした」
感情の読めない告白が、キズミを貫いた。
「セレビィの狙いは、時渡りを起点とした未来、つまり時渡り以降の時間軸における人類の一掃だ。過去でやりすぎたら、セレビィが生まれる因果そのものまで潰しちまう。生まれなければ、過去への介入も帳消しだ。誕生の線は残しながら、時渡りの瞬間に連鎖反応を起こして、未来で人類を滅亡するよう歴史改変を微調整した。俺がネイティやファーストと再会できたのも、正史の名残みてえなもんだ。途方もねえ眉唾だが、それが出来るから奴は、神なんだ」
キズミの背筋に、氷が張っていくかのようであった。
「俺が飛ばされた時代は、時渡りが起きる三年前だった。人も文明も滅んでなかった。だが、書き換えられた世界に違いなかった。歴史が変わる前の“俺”を知る奴は、いなかった。国際警察にはチームどころか、予知で捜査する概念がなかった」
三年間、ジョージ・ロングは妻子を顧みる暇もなく準備に明け暮れた。
「俺の話を信じてくれる仲間を集めた。お前たちの代のカリキュラムで『シンクロ』を学べるよう、手を回した。時渡りの当日、事件は通常の俺以外レストロイの霊力と『シンクロ』で、ネイティの体にセレビィの魂を封印した。俺が巻き込まれるはずだった時渡りは、阻止できた。その日から十年経った。世界の均衡はなんとか持ちこたえちゃいるが、この先、時渡りが成立した瞬間……」
森の護り神の、虐殺という表現では生ぬるい大絶滅が完遂される。
「ミナトは、知ってたんですか」
「いや」
「麹塵は、俺たちに黙ってたんですか」
「封印のショックで、記憶の大部分が欠落した。徐々に取り戻してたみてえだが、腹の底をべらべら喋って自己保身を危ぶませるほど、バカじゃねえ」
どこまでコケにされた話だろう、とキズミが拳を握る。
ロングは、若い部下のどんな些細な動作も見逃さなかった。
「ネイティの『シンクロ』に限界がくれば、水の泡だ。レストロイはミナトの『シンクロ』を鬼畜なやり方で完成させて、魂の封印先を移し替える気でいる。ミナトの人格がぶっ壊れようが、天寿さえまっとうさせればいいという考えだ。魂の同居と、同化は別物だ。ミナトに同居状態で死なれたら、器を失くした神の魂は俺達にどうにもできねえ、生と死のはざまの次元の存在となる。そういう神格は、何世紀もまたいだ先で肉体を再構築して帰ってくる。俺とネイティの考えは、レストロイとは違う。ミナトが『シンクロ』の適材へと熟すのを待ち、セレビィの魂を融合させる。成功すれば、セレビィは人として神格を失う」
「それじゃあ、まるで!」
叫びは、発狂と紙一重だった。
「まるで、ミナトを……」
「そうだ。セレビィの魂ごと、抹殺する」
ミナトの命をなんだと思ってやがる。はらわたが煮えくり返るとはこの事だ。ロングの胸倉を掴んだ。死神をも恐れそうにない男の目に射すくめられ、頭にのぼっていた血が圧力を下げていく。威嚇する獣のように息を漏らし、無礼な手を離した。
歯を食いしばるのにも疲れた顎を、億劫にひらく。
「俺たちはそのために、『シンクロ』を、刑事の腕を磨いてきたと言うんですか」
すさんだキズミの睨みから、ロングは目をそらさなかった。
「俺は……何者ですか」
「ミナトの、補欠だ。お前にも『シンクロ』の素質がある。歴史改変の前、お前は信頼できる部下だった。必ず聞く耳を持つと踏んでいた。なんせ、アイラを守るためなら、犠牲になるのも厭わねえ……お前は娘と、恋仲だったからな」
馬鹿げている。信じてたまるか。
「俺はただの部下で彼女は上司、それ以上でも以下でもない!」
頭のなかがぐちゃぐちゃで、訳がわからなくなって激高した。
「すまん」
ロングは謝罪した。
「俺の知るアイラは、アルストロメリア在住の女子高生だった。バイト先のバトルネーソスで、レンタルポケモンに付きまとわれてな。それを、お前が……身に覚えのない昔話なんざ、聴きたかねえか。この街を選んでお前らを呼んだのは、つまらねえ感傷からだ。俺は娘の人生を、元通りには守ってやれなかった」
キズミは何も言えなかった。
そうか、と、ようやく感情が追いついてきた。
自分の、これまでの生涯は。
敷かれたレールの上を、歩かされていた。