NEAR◆◇MISS















小説トップ
第八章
-3- リタイア
 家出を焚き付けたのは、ダッチェス。
 やると踏み切ったのは、ウルスラ自身だ。
 酔いがさめると、その夜は寂しさで一睡もできなかった。大好きな人のもとへ、帰りたくてたまらない。ああ、これがホームシック。アルストロメリアの街明かりを離れて、息を飲むほど美しい天の川をひとり占めしているはずなのに、ちっとも癒されない。
 めざす場所は決めていた。ハイフェン・レストロイ卿の城だ。あそこは過酷なゴーストタイプの巣窟。弱い女心を鍛えるには、最もスピリチュアルな修行場にもぐり込むしかない。
 不安だったはじめての野生の暮らしも、峠を越した。人間流の予備知識。ポケモン流の動物的勘。一つ欠けていたら、三日と持たなかっただろう。今のところ、亜人の集会で聞いた体験談のような、食うか食われるかの、壮絶な生存競争にも巻き込まれずに済んでいる。
 記憶を頼りにたどり着いたのは、かすかな霊気が残る城の跡地。苦労がふりだしに戻ってしまった。ミナトの幽閉時は追ってきたキズミたちの力を試そうと、わざと門戸をひらいていたのだ。状況は変わって、よそ者避けの結界まで張られているとなると、そう簡単には移転先を見つけられない。
 出会ったことがある人間やポケモンを探知できる、ダッチェスのサーチ能力が欲しくなる。自他の心をつなぐのは同じ『シンクロ』でも、国際警察官をサポートするスキルに補正がかかっているアシスタントには、できない芸当なのだ。
 日が昇ってから沈むまで、手付かずの自然の中をさまよう。この反復から抜け出せる気がしない。ここで諦めてすごすご引き返したとしても、キズミなら必ず許してくれる。その優しさが一番、胸にこたえる。手ぶらで戻れない。
 疲れきって、久しぶりにぐっすり眠り込んだ。地面より安全な木の上で。朝の陽射しで目を覚まし、隣を見たウルスラは枝から落ちかけた。どうしてここに。草の切れ端や砂ぼこりにまみれた、小ぎたないエルレイド。
 ひと晩中寝ずの番をしてくれていたような居ずまいで、ごく普通に。
 クラウがいた。

◆◇

「――なんだレスカ、その目は。いいか、その顔のチンピラみたいな傷がたるんでる証拠だ。わしらはお情けで、お前を置いてやっとるんだぞ。フン! この春には研修満了だかなんだか知らんが、アルストロメリア警察を踏み台扱いするのはよせ。もっと地域の先輩刑事をうやまえ。それから、起きろフィッシャー! お前のような奴がいるから、国際警察に下に見られるんだっ」

 いつにも増して機嫌が悪いキャンベル氏が大部屋からいなくなると、ポワロ・フィッシャーは悪びれる様子もなく、電子タバコを取り出した。騒々しさにおびえてデスクの下に引っ込んでいたガーディ=銀朱が、キズミの足の奥から顔を出す。居眠り常習犯が吸おうとしている物を見て、敏感な鼻面をしかめた。キズミが代弁した。
「ここは禁煙です」
「真面目だな、レスカ。たかが水蒸気に」
 ギャロップの耳に念仏だ。そのマイペースな性格を叩き直すというキャンベル氏の執念だけは、口ばかりで根は小心者だろうとキズミは敬意を払える。先ほどの説教も、言いたくなる気持ちは分からなくもない。私事で休みがちのアイラとミナトは今日も不在、自分はというと最近つまらないミスが増えた。情けない話だが、ウルスラの家出を無意識に引きずっているようなのだ。
 ただでさえ、アイラには頭が下がるのに。ダッチェスに「あのコは充分待った、次はアンタが待つ番だ」と捜索を阻止された時、機転を利かせてクラウを遣わしてくれたのだ。無事に追いつけただろうか。ウルスラの身に何かあっては困る。一日も早く、ふたりに帰ってきてほしい。
 ミナトが預けていった小犬を撫でているキズミの前で、ぼさぼさのオレンジ髪の男は無毒の白い雲を吐き、気だるく「やっぱダメだ、ニコチン入ってねえと」と分かりきった結論を出した。
「あー、かったりぃ。おれも、レスカんとこみたいな上司がよかった。ほら、あのおやっさん。入院してもう半年越えか。元気な頃はいい味出してたよな」
 ジョージ・ロングロードのことだ。
 
 会話が頭に残ると、行動も影響される。アイラに「いつでも来て」と公認を受けて以来、はじめての見舞いだ。しばらく病室に寄りつかないようにしていた反動か、仕事帰りのキズミの足取りはやや固い。ロング警部に懐いていた銀朱はうきうきと、弾むようについてきた。面会時間の終了まで残り三十分。ぎりぎり間に合った。
 途中で何か嗅ぎつけた様子で、銀朱はそわそわしていた。ドアをノックし、入室する。点いているのはベッドライトのみで、全体的に薄暗い。昏々と眠るロング警部の、ベッドのそばに。
 
 オハンだ。

 熟睡中の、老ハーデリア。
 異様なほど、起きる兆しがない。
 銀朱はいよいよ、戸惑っている。
 そこへ、アイラが現れた。 
 
 ばったり出くわした彼の、青い目が説明を求めている。アイラは色違いのブラッキーにぐいと、立ち止まっている足のひざ裏を頭で押された。ダッチェスが正しい。回りくどいことはやめて、キズミにパイプ椅子をすすめると、自分は父親の足側のベッドのはしに腰を下ろした。
「レントラーの電撃で、脳をね。どんどん、認知機能が低下しているの。もともと高齢だから、治らないんだって」
 リハビリの一つなのだ。できるだけボールの外に出た、刺激のある生活。けれども大半の時間を仕事に取られて、してあげられない事のほうが多い。父のそばがお気に入りで、よく寝ている。昔の記憶を懐かしむのは、症状の進行を遅らせるのにも良いらしい。
「ミナト君には、言わないで」
 頼まずに、いられなかった。
 レストロイ卿の件が絡んでいる。
 間違っても、いい思いはしないだろう。
 キズミは約束してくれた。 
 不意討ちでまっすぐ一言、訊かれた。
「他に、何があったんですか」
 アイラの左胸がぎゅっと縮む。
 傷は浅い。まだ隠し通せる。
 このまま一人で抱え込めえばいい。 
 でも、喉の締めつけが解けたのは。
 心の底では、打ち明けたかったから。
 他の誰でもなく、目の前にいる彼に。
「家族を、捜してたの」
 これが、休んでいた理由。自分は捨てられたのだから、もう会うことはない。そう思いながらも、ひょんな再会の恐怖につきまとわれていた。ミナトの憎しみは、母から受けた仕打ちに重なる部分があった。逃げるばかりの意気地なさを呪い続けるくらいなら、立ち向かうと決めた。
「姉のほうはさっぱり。でも母は見つかったわ。私が在学中に、亡くなってた」
 口にした身内の不幸が、アイラの頭の中でうつろに響く。幼い頃の体験を思い出そうとすると、脳裏のわななきが全身に広がっていく。死んだ人とは決して、親子関係を修復できない。
「父の墓参りを、見た人がいるって。そんな大事なこと、なんで、教えてくれなかったのかな」
 他に、どんな言葉を選べばいい。
 先入観を、加速させたくないのに。  
「きっと、信用なかったのね。訓練に身が入らなくなると思われたのよ。父の関心は娘の気持ちより、成績だったってこと。なのに私、今まで依存して……」
 感情的。乱暴な理論だ。
 でも、だったら、どうすれば。
 この苦しさを、笑い話に変えられるのか。
「父の本当の姿は、オハンが慕ってるような人じゃないかもしれない。あなたが考えるような人じゃないかもしれない。事件を解決して、意識が回復しても……ごめんなさい」
「謝らないで下さい」
 静かに燃えるような声。
 顔を上げ、伏せた灰色を正面から。
 待っていた澄んだ青に、交える。 
「俺は刑事です。人の命にかかわる事件を、解決しない訳にいきません」
 薄暗がりのせいだろうか。
 見違えるほど、端整な男だった。
 ダークスーツの着こなしに無駄がない。ぴしりと張った広い肩幅。力の差は歴然で、押し倒されたら抵抗できないだろう。掌に当たるベッドシーツの感触が、少しだけ怖くなる。
(何、カッコつけてんだい。ウルスラのいないアンタなんて、怖くないよ)
 半目のダッチェスが横からけなす。
 キズミの無言があからさまで、アイラはふっと和んだ。
(アタシだって。何のために育て屋まで使って『シンクロ』を鍛えたのか、分からなくなるのはゴメンだね)
「育て屋……」
 つぶやき、キズミが思案顔になる。
 眠るオハンの髭を、銀朱が舐めていた。


 出発の前夜。
 自宅でオハンと、水入らずで過ごした。
 アイラの知るオハンは、最初からハーデリアの姿だ。ヨーテリーの時代を知っているのは、ジョージ・ロングロードだけ。娘に譲られず父のもとにいれば、ムーランドまで進化できていただろうか。
 なんでもかんでも。パパ、パパと。
 全然、親離れができていない。
 まるで、恋でもしてるみたいに。
「はあ……」
 何様のつもりよ、私。壁なんか見て。今さら、隣部屋を意識して。ため息ついたりして。ウルスラは必要とされている。仕事抜きの、理由がなくてもそばにいてほしい存在として。何年も連れ添ったアシスタントと違って、こっちは異動になればそれきりの縁。代わりはいくらでもいる、ただの上司なんだから。
 それより、オハンのブラッシングだ。
 時間をかけて、丁寧に。マントのような体毛。艶々だった黒い色素は薄くなり、自慢の固さもかつてに比べると。
 ひざの上から、いびきが聞こえだす。
 覆い被さるように、優しく抱き締めた。
 いつものと、犬用シャンプーの匂い。
 思い出が、あふれてくる。
「パパが目を覚ましたら、迎えに行くね。そしたらあらためて、引退パーティーしよう」
 あなたが私を忘れても。
 私はあなたを、覚えている。
 ありがとう。
 
 キズミの口利きで、オハンは育て屋の一員に迎え入れられた。負担にならない規則正しい生活をしながら、後進となる見習い警察犬たちの簡単な指導を受け持ち、頭と体を使うリハビリを兼ねている。ランドの方針の良さの一つは、まめに動画をアップロードをするところだ。サイトにログインすれば、親トレーナーは預けたポケモンの様子をいつでもチェックできる。
 最新映像のサムネイルは、逆さにして並べた紙コップ。オハンが『かぎ分ける』の手本を見せると、まだ育ちきらないガーディたちがこぞってクンクンと真似をした。
 ぼんやりしている時間が長くなりつつあった老犬の目には、力が戻っていた。現役時代の鋭さに劣らない、穏やかな輝きだった。一番大きな体を中心に子犬たちが寄り添って眠る姿は、まるで。 
「本当のおじいちゃんと孫みたい」
 アイラが言う。 
「……家族って、いいわね」
 ほわりと、こぼれる、彼女の笑み。
 取り戻して欲しかった、その気持ち。
 キズミの心に灯がともる。
 少しは、役に立てただろうか。

 
 新しい生活が軌道に乗った。
 まだ、これからという時に。
 ランドから急な知らせが届いた。
 オハンが、死んだ。

レイコ ( 2017/07/30(日) 20:09 )