NEAR◆◇MISS















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第八章
-8- リタイア
 ラルトス=ウルスラが家出した。

(アンタが悪いんだよ。アタシとあのコを責めるのは、お門違いだからね)
 キズミにきつく言い放った色違いのブラッキー=ダッチェスは、預かった伝言を明かした。「探さないでください。今月中に帰ります」。無視してやみくもに探し回ったキズミは明くる朝、憔悴していた。一晩付き添ったエルレイド=クラウは、雨風に打たれた紙人形のように虚脱していた。
 
 朝食の味が、クラウは、紙ティッシュでもかじっているみたいだった。何も手につかない。ひと目で見抜かれて、テレパシー講師のサーナイト=パラディンから優しく、今日は自習にしましょうと言われてしまった。
 三角座りをして、警察庁舎の屋上から空を見上げる。独りでぼうっとしていた。
 何時間くらい、その状態だったろう。

 こんこんと腰をつつかれた。
 振り向くと、卑しくニヤニヤしたネイティ=麹塵だった。 

「ねークラウきゅん。いいこと教えてあげよっか? ウルスラのい・ば・しょ」
 高い猫撫で声の、ねっとりとした言い方。

 瞳に生気の戻ったクラウが叫び、目を見開いて詰め寄った。
 近すぎる顔面から、ひや汗を垂らした小鳥がたじたじと下がった。

「そ、そんなに知りたい? 誰にも絶対、ヒミツにできるぅ?」
 大声で返事をして激しく頷くと、頭の角が小鳥の脳天をチョップしかけた。
「アイラを置いて、迎えに行く気?」
 ぴたっとクラウの動きが止まる。
「ほらぁ。ほんっと人間贔屓。うわべだけ恋してるキミに教えてもなー、意味ないよね。どうせ行かないんだもん。アイラよりウルスラを選べないんでしょ? 探すなってわざわざ言うのは、探してほしい裏返しなのによねえ」

 クラウの表情が硬くなっていく。
 小鳥はもう一押しとばかりに、親切心に溢れる声を作った。

「そんなに心配なら、留守の間、ぼきゅがアイラの面倒見てあげよっか」
 怪訝な顔のクラウが口を濁すと、小鳥はせせら笑った。
「やだなー、信用ナシ? ぼきゅだって、キミがオトコ気見せるなら応援するよ? 可哀想なウルスラ。クラウきゅんにまで見捨てられたと思って、絶望して泣いてるかも。さあ決めて、今すぐ決めて! じゃないと一生教えなーい!」

 煽られて、葛藤する。
 黒か白か。頭の中を灰色づくめにしているどちらか一方を、選ぶなんて。
 辛い。でも、今一番辛いのは自分ではない。重い面持ちで、クラウは心を決めた。

「そうこなくちゃ」
 満足に、ほくそ笑む。陸に打ち上げられたコイキングを水に戻してやるかのような、救世主を気取って、家出先を耳打ちするクラウ。アイラを頼む気持ちを込めて、クラウが握手を求めた。国際警察官の面々に胸の中で謝りながら、背を向けた。切なさを纏う旅立ちだった。
 麹塵は、気配が完全に遠ざかって消えるのを待って、腹を出してひっくり返った。
 足でばたばた空を引っ掻きながら、涙を流して笑い転げた。
「面倒みるとか、ウソだけどー!」


◆◇


「クラウに何を吹き込みやがった。ウソつくな、てめえ」
 小ざかしい愛鳥の報告を、ドスの利いた声で全否定するミナト。
 ネイティの冠羽を掴み上げようとした親友を、キズミが押さえた。
「麹塵はお前のアシスタントやろ、真っ先に疑ってどうすんねん!」
「こいつの根性の悪さ、知ってんだろ!?」

 言い合っている隙に、『テレポート』で逃げられた。

「わりぃ……お前にキレることなかった」
 稚拙な憤りを理性で抑え込み、キズミへ謝る。がしがし黒髪を掻いた。
「あのクソ豆鳥の話は置いといて、オレ、クラウ探して来るよ。後まかせた」


 部下二人でジョージ・ロングロードを見舞う予定が、とんでもないことになった。ミナトから続報があるまで、迂闊なことは言い漏らせない。ボロは出せない。面会時間の終了まで残り十五分。キズミはぎりぎり間に合った。
 病室のドアに栗色の後ろ髪を持たせかけ、仰向き加減に、アイラが待っていた。

「来てくれたんだ。ウルスラのこともあるのに、悪いわね」
「予定どおりに動いただけです」
 キズミは見舞い品を渡した。包装された商品券。
「律儀ね。ミナト君は? クラウは?」
「俺だけ、先に来ました」
「そう。クラウ、落ち込んでたものね。今はそっとしてあげたほうが……よね」

 アイラの後について、個室に入る。
 昏々と眠っている上司の寝顔は、無表情だった。白い毛布を胸までかけられていた。豪快な海の男のように隆々としていた筋肉がしぼみ、体格が一回り小さくなって見えた。パイプ椅子をすすめられたので、座るには座ったが。被疑者の逮捕に至れていない、不出来な部下の身分で、図々しく長居して良い場所ではないと自戒した。
 ベッドの脇で熟睡中の、老ハーデリア。起き出す雰囲気がまるで感じられない。
 
「オハン、退院してたんですか。しかし、この様子だと……」
「ミナト君の前では、言わないでね。責任、感じてほしくないから」
 金城湊の父、レストロイ卿の本拠地で、二又尾のレントラーと交戦した。
 噛まれて脳へ電撃を流し込まれた後遺症で、認知機能が低下し続けている。

「でも、それだけじゃないわ。老化現象ですって」
「主治医が言ったのですか? 先……レインウィングスさんは、なんと?」
「リスクのある治験より、穏やかな余生を過ごさせてあげて下さいって」

 余生。
 死を連想させるワードに、キズミは内心ぎくりとする。

「お医者さんに言われたわ。ボールの外で、刺激のある生活を送るようにって。昔の記憶を懐かしむのも、症状の進行を遅らせるのに良いそうよ。病院に許可を取れたから、昼間は父のそばにいられるの。でもね」
 夜には自宅へ連れ帰っている。アイラは、毛並みがみすぼらしい老犬の、閉じられている両目を見つめた。多忙な仕事と両立できるのは、意識のない父の身の回りで手一杯。オハンのケアまでは、行き届かない。
「今のままだと、一日寝てばかり。だからシニアホームを探そうと……思ってる」
 
 忠実に尽くしてくれた愛犬を。
 祖父のように見守ってくれた家族の一員を。
 切り捨てるも同然で。他に方法が思いつかない薄情な自分が、恨めしかった。

「私、オハンに、まだ何もしてあげられてないのに……らしくないわよね、こんな愚痴」
「らしくないって、なんですか」
 青色の瞳を、燃えるように険しくした。
「俺の前で弱音吐くのは、そんなに駄目なんですか」
 驚いているアイラを、立ち上がって見下ろした。
 キズミは情けなかった。腹立たしかった。己の駄目さ加減に、うんざりした。
 目線の高さを合わせて慰められないことが。共感できると伝えられないことが。
 
「俺だって、らしくない時くらいあります。たまには、あなたに協力できるんですよ」


 
 キズミの問い合わせを、ランドは快諾した。
 数日後、ハーデリア=オハンは育て屋に迎え入れられた。ランドは、親トレーナー向けの会員制ページにこまめに動画を投稿をしている。ログインすれば、預けたポケモンの様子をいつでもチェックできる。 
 国際警察犬の後進となる見習いガーディたちの簡単な指導の受け持ちは、頭と体を使うトレーニングを兼ねられていた。寝てばかりで急速に老け込んでいたハーデリアの目には、活力が戻っていた。現役時代のベテランの威厳ではなく、円熟した穏やかな輝きだった。臭いを識別する見本は、子犬たちの尊敬を集めていた。代わる代わる、子犬たちから口ひげの長い鼻面を舐め回されていた。
「孫に囲まれてるみたい」
 幸福そうだった。
 休憩時間に動画を見ながら呟いたアイラが、ほわりと微笑んだ。
 心に灯りがともされたように、キズミも感じた。
 少しは、役に立てただろうか。

 
 新しい生活がはじまった。
 まだ、これから軌道に乗るという時に。
 ランドから急な知らせが届いた。

 オハンが、死んだ。

レイコ ( 2017/07/30(日) 20:09 )