NEAR◆◇MISS















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第八章
-2- 泣き上戸
 アパートの一室で、全身の血を抜かれた男性の遺体が発見された。同室で死亡が確認された携帯獣は解剖の結果、血液の誤嚥で窒息死したことが分かった。男性はみずからの血液を日常的に給餌していた形跡があり、事件発生前に条例違反の疑いでアルストロメリア警察から厳重注意を受けていた。現場の状況から、携帯獣が男性を食害したとみられている。

 ミナトは、この被害者に同情しない。
 一口に愛情表現と言っても、個人の自由で済まない場合もある。髪や皮膚、体液や魂などを分け与えて、人間の旨味を覚えさせるメリットがあるのは凶悪犯くらいなものだ。あの男はポケモンの補食本能を甘く見ていた。それだけではない。かなわぬ望みをもたせ、狂暴な独占欲をエスカレートさせた。傷の程度から初犯とみて厳重注意で釈放した手前、最悪の事態を防げなかったという引け目はゼロではないが、被害者の身から出た錆としか言いようがない。
 ちなみに相方のキズミはもそもそと、気が進まなさそうに弁当を食べている。普段クールな顔をしておきながら、ほんのわずかでも関わりをもった相手の死を悼む気持ちが人一倍強い。けなげなアシスタントの真心がこもった美味そうな昼食が不憫だ。
「そーいや、ウルスラは?」
「早退した。付き合いで、タチ山さんが出る亜人の集会を傍聴するらしい」
「そっか。じゃ、オレも先上がるよ」
 うかうかしていると、病院の予約時間に遅れてしまう。ここのところ、ミロカロス=長春の体調がすぐれない。ただの風邪ならまだ良いが、先日のレストロイ城での長居が引っかかる。竜神の血を引く霊媒体質なので、ヒンバス時代はたびたび憑き物に手を焼かされていた。
 病院といえば、ユキメノコに重傷を負わされたフライゴン=ライキは回復が思わしくなく、最新医療を試すことになった。レントラーに麻痺させられたハーデリア=オハンも、体の痺れを抑える薬を飲みながら、自宅静養を続けている。高額の治療費で家計が逼迫しているらしく、ウルスラの手製と、アイラが持参する弁当の質の格差は恐ろしく広がってきている。今頃は割りきって、一食抜いているのかもしれない。もっとも今日の彼女の全休の理由は、通院とは別口だそうだが。
 どうも、身の回りがもやもやする。
 皆を巻き込んで、気分転換がしたい。
「今度、車借りて出かけようぜ。山の紅葉が見頃だろ」
 帰りがけにミナトが、言い残した。

◆◇

 湿った土の猥雑な香り。遠くまで響く鳥のさえずり。ざくざくと、積もった落ち葉を軽やかに砕く恋人たちの足音。澄んだ空気は肌寒く、気温は日中の最高値から下り坂。枝という枝があざやかな赤や黄に覆われ、情熱的に燃えているような森が煙と同じ灰色の、曇り空を作り出しているみたいだ。
 美しいものに惹かれる心に、種族は関係ない。そう信じたいけれども、野生のミネズミたちは景色に目もくれず、食べ物探しに集中している。もしあれが、ポケモン本来の姿だと言われたら。何も言い返せないような気がしてくる。二人以上のグループがほとんどの人間の観光客にまぎれて、孤立したラルトスが紅葉狩りを称するのは憚られた。
 
 この時季に訪れてみたかった、憧れの名所のはずなのに。つい出来心で、ひとりで計画性のない遠出などするから。
 太い木の根もとに座り、うつむいていた。派手な羽音がして地面に鳥影が射したかと思うと、オニドリルの背中からひらり、と飛び降りてきた色違いのブラッキーに下から顔を覗きこまれた。
「こんなとこで油売ってたのかい、ウルスラ」
「ダッチェスさん」
「『シンクロ』のサーチ能力ってのは、意外と使い物になるね。ランドの育て屋でトレーニングして正解だったよ。ところでアンタ……」
 ふんふん、と匂いをかぐ。
「酒と煙草、やったのかい」
「いいえ!」
 ひっく、と大きなしゃっくりが出た。
「お煙草はマフォクシーさんにすすめられましたけれど、お断りしましたわ。お酒は……タチ山さんからワインに浸けたリンゴのコンポートを少々……でも、食べすぎというほどでは」
 素面を力説する割には、いつも純白の肌が全体的に赤らんでいる。ダッチェスは胡散臭そうに、金色の目を細めた。
「で、どうする。キズミが帰る前に夕飯の用意するなら、そろそろ戻ったほうがいいよ。なんならアタシも小腹が空いたし、手伝うけど」
「キズミ様」
 カチッと錠前をあける音のように。
 ウルスラが小さく、意中の男の名を唱えた。
「ご存じですか、今朝の食害事件」
「ろくでなし共のせいで、アタシらの風評被害が広まるのは勘弁してほしいね。それがどうかした?」
「殺すつもりは、なかったのかもしれないですわ。たまたまその時は愛を抑えきれなくなって、我を忘れたのだとしたら」
 黄緑色をした前髪の向こう側。雨が降りだしそうな臭いがする。鼻のいいダッチェスは、きっぱりと否定した。
「ウルスラは違う」
「そうでしょうか。いつか、わたくしも暴走して、キズミ様を……嫌です、絶対に嫌ですわ。でも『シンクロ』の副作用を思えば……わたくしには、たやすく人の命を奪えるほどの念力が」
「やっぱり酔ってるよ。大体ひとりで山をほっつくなんて、アンタらしくない」
「キズミ様は!」
 カッと頭が熱くなり、語気を荒げた。
「あのお方は、変わられましたわ。アイラ様に諭されてから、死に急ぐようなお振舞いが減ったのです。『シンクロ』も、なりふり構わず多用しなくなりました。わたくしがいくらお諌めしても、無駄でしたのに。アレストボールの解除もそう、以前なら、敬愛するオルデン様に技術力で挑むなど、考えもつかなかったはずですわ。でもアイラ様のために、あの場を切り抜けなければと、ご自分を奮い立たせて」
 呼吸が乱れ、またしゃっくりが出た。
 だんだん、鼻がつまってきた。 
「アイラ様へのご贔屓は、はじめのうちは共感が大きかったのでしょう。キズミ様は幼くして、ご家族を亡くされたので。けれどもいつの間にか、それだけではなくなっていったのですわ。わたくしには分かります。たとえお心に鍵をかけていようと、感じてしまうのですわ」
 思わず、喉に流れ込んだ鼻水を飲んでしまった。汚くて嫌だったけれど、ダッチェスの前で吐き出すのはもっと嫌だった。
「今のアイラ様は、わたくしにとって数少ない、気の合う人間のお友達と言えますわ。それに国際警察官ですもの。すでに、キズミ様のお人柄を見抜いておられます。数々の非礼もキズミ様なりに考えてのこと、と水に流しておいでですわ。それどころか、今ではキズミ様のことを……」
 息苦しさで、小さな肩が上下する。
 眼に、うっとうしい圧力がかかり出す。
「亜人の方々とお話して、思いましたの。わたくし、ちっとも自立できていません。価値観だけ人間に近づいても、何にもならないのです。ただの人間かぶれですわ。かと言って、野生のポケモンのように暮らしていける自信はありません。先のことが不安で、今後の身の振り方ばかり考えて。こんな自分が、嫌で。お二人の関係がどうであれ、動じないようになりたくて。ですが、わたくしの変化は微々たるもので。キズミ様が悪夢を見なくなったのはも、あくまであのお方ご自身のご成長ですわ」
 ダッチェスは、黙って聞いている。
 ウルスラは顔を覆い、口走った。
「なぜ、ラルトスに生まれたのでしょうか」
 耳から舞い戻ってきた、自分の言葉。
 どんな飛び道具よりも、胸を打撃する。
「もし人間に生まれていれば、こんな思いはせずに済んだでしょうか。わたくしが人間だったら、キズミ様は振り向いてくださったでしょうか。いいえ、きっと、違いますわよね。認めてたくないですが、それだけは何となく、分かりますもの。わたくしが人間にはない力を持っているから、キズミ様はおそばにおいて下さるのですわよ。わたくしがラルトスで、キズミ様が人間でなければ、出会うことのなかった運命ですわ。だから、受け入れなくては」
 ぺろっ、と赤い角を舐められた。
 戸惑った拍子に、張りつめた感情の糸がぷつりと千切れて、切れ端を見失う。びしょ濡れのまぶたをひらけば、水彩画の中にいるみたいだった。ウルスラは目と鼻の先にある、黒くて短い温かい毛に、ちょうど良いタオルのように顔をうずめて、しがみついた。 
「でもやっぱり、やっぱり、恨めしくて」
 雫が後から後から溢れて、止まらない。
 喉に血が滲むくらい、声をあげ続けた。
 尻尾がぎゅっと、肩を抱いてくれていた。

レイコ ( 2017/07/13(木) 22:53 )