-1- 隠し穴
深夜。
レンタルバトル施設の敷地内の木を調べて回る小鳥がいた。
「おや? 通れそうなすき間がある」
白々しく独り言のふりをして、木の幹の内部に話しかける。細長い節穴に、黄色いくちばしをねじ込み、短い羽をばたばたさせた。物理的不可能を覆し、黄緑色をした丸い一頭身が吸い込まれていった。
通常空間に生じる良性のひずみの一種、“隠し穴”。
背景が陽炎のようにゆらめいている、屋根裏部屋じみた亜空間だった。
抜け穴から落っこちてきたネイティ=麹塵を、先客である金城湊が迎えた。
「よお、遅かったな」
反射的にネイティはぎょっとした。
自宅で寝ているはずの、今夜最も遭遇したくない少年刑事の顔と声。
まんまと騙されかけた。本物そっくりな『イリュージョン』の変装に。
「いい秘密基地じゃん。木を隠すなら森の中、ワルを隠すなら牢の中に限るねえ」
心臓に悪い歓迎の仕方に、嫌味たらしい皮肉でやり返す。
犯罪ポケモンをケアする更生保護施設。などと、人間側の詭弁だ。
このバトルネーソスに害獣を閉じ込めて管理したいだけだ。
「ここのオーナーが知ったらきっと泣くよ。ぼきゅ、同情しちゃう」
心にもない言葉を聞き、偽の金城湊が口元を手で覆って吹き出し笑いをする。
先客は、もう一体いた。
青き波導の使い手は片膝をつき、こうべを垂れたままでいる。
ネイティがニヤリとして呼びかけた。
「名前、ソリッシュだっけ。キミたちのボスから話は聞いてるよ。ぼきゅの本当の体、ハイフェンから取り返してくれるんだって?」
ルカリオ=ソリッシュが面を上げた。
信心深い面差しだった。“神”を畏怖している。
心は“ハイリンクの森の護り神”であるネイティは、まんざらでもなかった。
護り神――特異なセレビィは、夢を実体化できる獣たちの願いから生まれた。
人類を滅ぼさんとする神性を、国際警察が完全討伐することは叶わなかった。ハイフェン・レストロイ卿は苦肉の策で、特性『シンクロ』を憑依に応用できるネイティを依り代とし、セレビィの魂を封印した。封印の衝撃で記憶がいくつか欠落したが、セレビイの自我は依り代を、内側から乗っ取った。
弱体化させられようとも、神格は神格。異常に強力なネイティの力に目をつけたハイフェンから、息子である金城湊の護衛になれと命じられた。息子を殺されたくなければ封印を解け、と脅すと、やってみろとハイフェンに嘲笑われた。わが子に危害を加えようものなら、厳重に保管してある真の器たる肉体を即座に無に帰してやる、と脅し返された。
森の護り神という正体を何人へも明かすことを固く禁じられ、ただの小鳥として振る舞う恥辱を強要された。あの尊大不遜極まりない男への復讐心を、忘れた日はない。
ハイフェンが寿命を迎え、封印が弱まるまで辛抱したとして、あやつは計算高い。死に際に対抗措置をとるであろう。うかつに暗殺にも及べない。奪われた肉体は、莫大な『夢の煙』で組成された唯一無二の器である。器を壊されたならば、再生にかかる四季は数百巡。依り代に閉じ込められたまま生涯を終えたならば、現世にしがみつく下等な悪霊へ堕落する。そのような状態で復活を待つのは、護り神の自負が許さない。
――さえ、来なければ。ずっと平和だった。
ハイリンクの森の仔らが、森の護り神に託した願い。
思い出したい。
この世に生を享けた理由を求めるのは、原初的な欲求である。
保管場所を特定して、真の器を取り返したい。そして記憶も姿も元通りに。
なんとしても。
「ボス? あたしが手下みたい言わないでくれる?」
金城湊は顔をしかめた。
「でも、キミより頭いいと思うけど」
少なくとも、この一味のブレーンだろう。裏切りを持ちかけてきた時期が狡猾だった。先日の一件で、ネイティは悟ったのだ。レストロイ親子を憎しみ合わせて破滅に追いやるという理想は、キズミとアイラがミナトの脇を固めているかぎり、実現には遠い。と。
「ハッ! 言うじゃない」
「よせ。メギナ」
諫めるルカリオを無視し、金城湊が身構える。
「なんなら見せてあげるわよ、とびっきり楽しい幻影」
「ごめーん! そうカッカしないで、お詫びにいいこと教えてあげる」
ネイティはそそくさとゴマをすった。
「ここ、もう捨てた方がいいよ。ダッチェスに特定されたらイヤでしょ」
反応が薄い。
「知らない? ほら、色違いのブラッキー。ネーソスにもよく来てたのに。波長識別に特化して『シンクロ』を鍛えてるらしいから。面識があるキミたちの居場所、バレるのも時間の問題じゃない?」
高らかに笑いだした金城湊の顔。
口角が耳元まで裂けて、悪狐の素顔に近づいた。
「気づかなかった? あのメスネコは、あたし達からのプレゼントだって」
開いたくちばしが塞がらないとは、このことだった。
その間抜け面のままで、ネイティは頭上を向いた。
空間の穴を通り抜けてきた新たな訪問者が、ふわりと舞い降りる。
高潔な聖者を疑わせない麗しい聖騎士の、腰から先の純白のひだが広がった。
「きた、きた。やっぱりキミがボスに見えるよ、パラディン」