NEAR◆◇MISS - 第八章
-6- 診断
 『シンクロ』の副作用による卒倒からキズミが回復したのは、およそ十分後。大きな病院で診てもらいなさい、と口やかましいアイラの指図に。耳を貸さないでいられたが、アイラの根回しの良さにはお手上げだった。恩師オルデン・レインウィングスから、私のペンパルから話は聞きましたよ、と心配の電話がかかってきたのだ。

 後日。
 国際警察本部が所在する某都市。
 その職域病院にして、地域医療の中核を担う国際総合病院にキズミはいた。

 精密検査の結果、アシスタントと心的関係の深い国際警察官が罹ることがある疾患『ハイ・リンク』の中程度と診断された。ラルトス系統の種族は、精神系超能力に秀でている。特性を『シンクロ』を無効化させただけでは、根治は難しい。そうだとしても、弱性の『特性カプセル』を毎日服用するという対症療法を試す価値はある、として、医師からラルトス=ウルスラへの投薬が勧められた。
 検討します、とキズミはひとまず治療を断った。家計に大打撃の高額な先進医療費にも辟易したが、第一の理由ではなかった。特性が『トレース』に変わると、トレーナーを強化する戦闘スタイルを捨てなければならない。ウルスラを危険なボディーガードに専業させたくなかった。しかも体に無害とはいえ、投薬は抵抗があった。『ハイリンク』を発症したのは自己責任だ。それをウルスラに押しつけるようで不甲斐なかった。かと言って、気合いで解決できる問題でもない。
 
 八方塞がりだ。

 病院内のコーヒーチェーンショップで、固い表情のオルデンと落ち合った。
「もっと自分を大事にすべきです、キズミ君。上司や友人だけではありません。残されたファーストとウルスラは? 悲しむのは、私もです。エディもです。その傷跡も。君が弟同然に可愛がってくれているあの子が見て、何も感じないと思いますか? 何かあってからでは遅いのですよ」

 キズミは右頬に、丸眼鏡越しの心配が突き刺さってくるのを感じた。自分に懐いてくれているエディオル。恩師の幼い実の一人息子で、優しい子だ。先日負った醜い傷跡にショックを受けるような気はしている。悪くすると、泣き出すだろう。深く考えないようにしていたキズミの懸念が、具体的な輪郭を持ち始める。
「でも、先生」
 心苦しさに青い瞳を歪める。
「俺は未熟です。無茶しないと、足りないんです。何も守れないんです」
 無言の見つめ合い。
 先に目を下げたのはキズミだった。 
「すみません、口答えして」

「誰しも、そう簡単に意識を変えられたら苦労しませんね」
 養父面で説教されても困るだろう、とオルデンは心ひそかに己の態度を省みた。
「君の大切な家族は、責任を持って預かります」

「ありがとうございます……」
 気を使わせて、申し訳ない。恩師のことは、尊敬できる父親のように思っている。その優しさにどこまで甘えていいものか、時々迷う。いつか見捨てられたらそれは、線引きを見誤った自分の養子面が原因だ。
 キズミは、うなだれていた背筋を正した。
「ファーストを、よろしくお願いします」
 電子空間医療の臨床試験の成功を祈っている。
 自分の命より大切なペンダントを、頑張るんやで、と念じて受け渡した。


◆◇


「詳細はプライバシーだから聞かないけど、次から体調を隠さないで」 
「それより、警部補。告げ口は卑怯です」
「気絶するほうが悪いのよ」
 携帯端末から聞こえてくるキズミの文句に、アイラは言い返す。
「あの話はした? レインウィングスさん、何か言ってた?」
「しません。天才の芸術作品をド素人が台無しにするようなものです」
「そうかしら」

 国際警察の装備開発顧問を務めるオルデン・レインウィングス氏の人柄なら、自分が設計したアレストボールのセキュリティ機能をキズミが破ったと知れば、武勇伝だと喜んでくれただろうに。
 アイラは少しだけ溜めてから、ぽそっと告げた。

「それから、ありがとう。ライキ達のこと」
 内密に個人研究を進めていたらしい、電子化した携帯獣の怪我や病気をデータ上の破損として復元する電子空間医療プログラムが、倫理審査を通過したそうだ。オルデンから治験に参加してみないかと持ちかけられたアイラは、ミナトが監視するネイティ=麹塵の通訳のもと、フライゴン=ライキとよく話し合った。欠けた翼を作り直して、ふたたび飛べるようになるチャンスにかけたい。ライキの意思はそう望んだ。
 来週中に、オルデンのところへライキを転送する予定なのだ。
「あなたが掛け合ってくれたんでしょ? レインウィングスさんが教えてくれたの」

 柄にもなくストレートに感謝されて、キズミは戸惑った。
 決まり悪そうな雰囲気が、無言のスピーカー越しにアイラへ伝わってくる。

「何かお返しするわよ。私にできることはある?」

 どうして、黙ったままなのだろう。
 変なこと言ったかな、と気恥ずかしい失敗を予感した矢先、返事があった。
 
「ロング警部の見舞い、俺やミナトも行っていいですか」

 感情を抑えた声だった。

 彼なりに、父ジョージを忘れずにいてくれていたのだ。もっと早く気づいてあげたかった。意識不明の入院患者の面会は原則、病院の方針で親族の同意が要る。以前なら、人を馬鹿にしていると頭にきて、絶対に許さなかった。今は違う。その気持ちが嬉しい。
「ええ、もちろん。いつでも、来てあげて」



 業務連絡と言い難い通話を終えて、キズミはソファに軽くもたれかかった。アイラに向かって、ああいう感傷的な頼み事をしたことがなかった。気疲れした。そのままホテルのロビーで、レインウィングス親子が宿泊部屋から降りてくるのを待った。帰る前に一緒に夕食でもとオルデンから誘われたのだ。
 右頬の傷跡は大判の絆創膏で隠してある。
 これならエディオルの食欲をそがない、大丈夫だと思う。
 
 一階についたエレベーターのドアが開いた。

「キズミおにいちゃん」

 頭にチルット=アフロを乗せた小さな男の子が、笑顔で駆けてきた。

レイコ ( 2021/07/09(金) 13:41 )