NEAR◆◇MISS















小説トップ
第八章
-4- トレーニング
 裏でこそこそとキズミとポケモン達とでスケジュールをすり合わせてきた内緒の特訓は、エルレイドへの進化を契機に、晴れてアイラの黙認から公認になった。これからは堂々と打ち込める。エルレイド=クラウは早速、新しい目標を立てた。
 キズミも、アイラに嫌われていい、という自棄にひとまず整理がついた。別に、アイラとクラウの関係をひっかき回す無神経なやり方を、好き好んでいたのではない。気兼ねせずコーチを務められるようになったということは、コーチとしての責任が重くなったということでもあった。

 今日もトレーニングのために早起きして、出勤前に近くの緑地公園に立ち寄った。枯れ葉がちらほらと落ちている園路沿いの、黄みがかった芝生広場。クラウのきょうだい弟子分であるガーディ=銀朱のやる気にも、変化が起きていた。老ハーデリア=オハンからは、しょっちゅう叱られていた。尊敬できる国際警察犬の大先輩というより、頑固で怖い親戚のおじいちゃん犬が出来たみたいだった。しばらく退院できないと知らされて、オハンのことが可哀想で、悲しくもなった。今度会えるまでに強くなって、驚かせてあげたい。今日こそは、大の苦手な水技から逃げない。ぶるぶる震えながら身構えているところへ、望み通り、ヌオー=留紺がぴゅーっと水鉄砲を浴びせた。鼻面にストライク。キャンキャン鳴いて跳びまわり、落ち着かせようとしたキズミにぶつかって急停止。「頑張ったな、大進歩だぞ」と頭を撫でられて、嬉しくて尻尾を振り回す。ぺろぺろと顔じゅうに親愛を伝えようとして、耳をぴくっと立てて踏みとどまった。

 右頬の、大きな目立つ傷跡。

 顔の左側ばかりを、キズミは沢山舐められた。甘えん坊で臆病で、食い意地張り。警察犬に不向きだと酷評されがちだ。こんなに素直で優しい性格が銀朱の短所な訳がない、と心からそう思っている。

「筆談のほうはどうだ」

 銀朱と別れて、テレパシーの練習相手になりに戻ってきたキズミから、エルレイドはペンとメモ帳を受け取った。元キルリアの頃から特訓の一環で、指遣いの器用さを鍛えてきた。テレパシーと、人間の言葉を文字化するのとはまったく別物だが、出来が悪くてもいいなら書けなくもない。
 ――『はい! がんばってます!』
 

 ――『う゛1 1いお べとす1』
 と、返されたメモ帳に書かれてある。キズミは微妙な表情を浮かべた。
「タチ山さん、読み書き教室の講師だったよな。相談してみるか?」
「オレ、登場! お前らー、今日も遅刻ギリギリになるぜー」
 シャーッとスケートボードのウィール音を立てながら。
 時報のごとく、笑顔のミナトが颯爽と遊歩道を滑ってきた。



 アシスタントのテレパシー能力はほとんどが後天的だ。訓練し直せば、勘を取り戻せるかもしれない。会話が一方通行になってしまったアイラの、時々よぎる寂しそうな表情を、このまま何もせず見過ごしたくない。
 あくまでも筆談は、テレパシーが使えないあいだの臨時手段。試行錯誤中のエルレイド=クラウの気持ちを、キズミは人一倍気にかけていた。収集した知識を役立てられるフィジカル面のトレーニングに比べ、特性『シンクロ』に依らないテレパシー開発はメソッドがない。エスパータイプは先天的に素質が高い傾向とはいえ個体差が大きすぎるので専門外だ、と育て屋のランドも言っていた。
 他に有力そうな指南役といえば。

 サーナイト=パラディンしかいない。

 朝からぶっ通しだったデスクワークの途中休憩がてら、キズミは警察庁舎屋上にエルレイドを連れて行く。因縁のある相手に借りをつくるのを躊躇っているままでは、キルリア時代から特訓を請け負っていたコーチの肩書きがすたる。
 秋めいてすがすがしい晴れ空の下。普段なら、何もいない空中に呼びかけると、透明化していた姿を視えるようにするか、『テレポート』で現れる。今日はそのどちらにも当てはまらなかった。人の心の奥底まで見透かしそうな、優美で理知的な赤い瞳。聖なる騎士の称号者は来訪を読み、すでに顕在していた。

「俺はあんたが嫌い……です。でもこの間は、お世話になりました」
 メロエッタの案内を仲介してもらえたから、ミナトを救いに古城へ辿り着けた。
 社交辞令的に感謝する仏頂面のキズミに、サーナイトが微笑みかけた。
(私は、あなたを嫌ったことなどありませんよ。ただの一度も)

 威嚇的な気配を濃くするキズミ。
 
 はらはらして見守るエルレイド。なぜあのサーナイトを毛嫌いしているのか。キズミに直接訊きたいと思える雰囲気ではなかった。他者の気持ちや考えをキャッチする力は進化後も健在だ。悪用するつもりはないし、仮にそうしたとしても、感情の根幹にあるキズミの重要な記憶までは覗けないだろう。精鋭養成クラスに在籍していた国際警察官は、みだりに心を読ませない訓練を受けている。

「テレパシーの勘を戻すトレーニングの相手になって頂きたいのですが」
(私でお役に立てるかどうか。ともあれ、『ドルミール』の許可を得ませんと)
 紅色の紳士的な視線が、金髪の少年刑事の隣にいる緑の剣士へ、向けられた。 
(私から主に口添えします。良い返事を期待して下さい。クラウ君)
 国際警察官のアシスタントのあいだで知らない者はいない、カリスマ的存在。
 性別を超えた麗しい微笑に、エルレイドはミーハー丸出しでぺこぺこした。



 キズミがオフィスに戻ってきた。ミナトの足元に伏せていたガーディが顔を上げ、おかえりなさい、と尻尾を振る。地元警察官ポワロ・フィッシャーは居眠りしていた。待ち構えていたミナトがにやにやして、幼児が乗る車の玩具のようにデスクチェアを足で漕いで、自席に着いたキズミのそばへ寄ってきた。
「律儀だなあ、要領悪いぜ。アイラに頼みに行ってもらえよ、そこは」
「それは……おい、なんで呼び捨てにした」
 耳ざといアイラが「日頃の行いよ」と書類に目を通しながら、澄ました。
「ミナト君は、変な格好なんて言わないもの。でも仕事中はよして」 
「ごめんって。だからキズミ、アイラの彼氏候補はオレが一歩リードな」
「はあ!?」
 と、キズミとアイラが声をそろえた。
 ミナトは気安くけらけらと笑った。

レイコ ( 2021/07/09(金) 13:38 )